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署名総数1,009,527筆!上関署名提出と院内集会が行われました
中山義活政務官(左)に要請書を手渡す祝島島民の会・山戸貞夫さん(右) 8月1日、経済産業省において、「上関町の『原発建設計画中止!』を求める署名」の提出行動が行われました。署名の提出には、上関現地や山口県内の方々を中心に、東京の市民グループからも参加がありました。2009年にスタートしたこの署名は、第一次、第二次集約を経て、目標を上回る総数1,009,527筆が集まりました。 経済産業省で行われた署名提出では、祝島島民の会の山戸貞夫さんが、中山義活経済産業大臣政務官に要請書を手渡しました。これまでになかった、大臣政務官自らの対応には、100万筆を超えた署名の重みを受け止めてもらえたか
●「大人」には子どもたちの未来に責任がある 福島県平和フォーラム代表 竹中 柳一さんに聞く ●原水禁・平和フォーラム ヨーロッパ視察レポート 日本にも取り入れたいドイツの脱原発政策 ●さようなら原発1000万人アクションに全力で取り組もう! 「フクシマ」の今と向き合って考える 平和フォーラム・原水禁 事務局長 藤本 泰成 ●世界の核兵器の状況を考える(4) 北朝鮮の核問題はいま ●《各地からのメッセージ》名物「讃岐うどん」のように粘り強い運動をめざして 香川県平和労組会議 事務局長 廣瀬 透 ●【本の紹介】原発ジプシー〈増補改訂版〉被曝下請け労働者の記録/堀江 邦
福島市で開かれた「被曝66周年原水禁世界大会」の関連企画として、8月1日に震災と原発事故に直面している南相馬市などの被災地の視察や、桜井勝延南相馬市長との意見交換のフィールドワークを行いました。 海に近い地域では、一面が大津波に襲われ、いまだに倒壊したままとなっている家々や、ようやく復旧作業に取りかかった現場を見ながら、津波の恐ろしさを実感しました。また、放射線の線量計で計測していくと、特に飯舘村では相当に高い数値が出ました。そのため飯舘村は避難地域とされ、無人となった集落や、荒れ果てた田畑が続いていました。周辺の自治体とのあまりの格差に参加者は言葉を失っていました。 桜井市長との
2011年08月01日
「福島から声を上げ、大きな行動に結びつけていこう!」-「被爆66周年原水爆禁止世界大会」は、福島原発事故を受けて、7月31日に初めて福島市で開催されました。福島県内をはじめ、全国から850人が参加し、「フクシマ」をスタートに、脱原発を実現をめざすことを確認しました。(写真は超満員となった会場)。 主催者を代表し、川野浩一大会実行委員長(原水禁議長)は「私たちはこれまで『核と人類は共存できない』と、原発にも反対して長く運動をしてきたが、今日の事態を招いたのは、その力が及ばなかったからで、残念でならない」とし、「広島・長崎の被爆者は66年間闘ってきたが、それがこの福島でも始まる。ノーモア
2011年07月31日
「原発のない福島を求める県民集会」とデモ行進に1700人参加
「『ノーモア・フクシマ』を合い言葉に脱原発に動きだそう!」-7月31日、福島市「街なか広場」を会場に、「放射能のない福島を返せ!原発のない福島を求める県民集会」が、福島県平和フォーラム主催で開催されました。時折、雨が降る中にも関わらず、会場一杯の1700人の参加者が全国から集まり、集会とデモ行進を行いました。 主催者あいさつに立った福島県平和フォーラムの竹中柳一代表は、「3月11日以来、福島の多くの人々は不安と苦しみの中に立たされている。私の住む南相馬市では今も3万人が故郷を離れている。原発がもたらす悲劇を身をもって証明してしまった。私たちの責任は原発のない福島を取り戻すことだ」と、力強く訴
8月6日・広島、8月9日・長崎の原爆投下から66年。「被爆66周年原水爆禁止世界大会」が、今年は3月11日の福島第一原発事故を受けて、福島市でスタートし、辰巳屋ホテル・ホールを会場に開催されました。また、大会に先立って、市内「街なか広場」では県民集会が行われ、約1,700人の参加者を得て、「原発はいらない」「放射能のない未来を」と訴え、デモ行進を行いました。 9日までの大会期間中はその都度、ビデオや写真などの報告を掲載し、大会終了後にも詳細な報告をアップロードいたします。 ●被爆66周年原水爆禁止世界大会・福島大会アピールはこちら
2011年07月31日
被爆66周年原水爆禁止世界大会・福島大会アピール 2011年3月11日、岩手、宮城、福島を中心とする東日本一帯を襲った巨大地震は、多くの命と生活基盤を根こそぎ奪い取る未曾有の被害をもたらしました。震災で犠牲になられたかたがたにあらためて哀悼の意を表します。 この震災によって太平洋岸に点在する原子力発電所も地震と津波によって多くの被害を受けました。特に福島第一原発の事故は、電源喪失、メルトダウン、水素爆発などを通して莫大な放射性物質を東日本全体にばらまきました。特に福島第一原発の地元である福島県民の生活環境や農畜産物などを広範囲に汚染しました。そしていまも事故は収束に至っていません。収束に
2011年07月31日