分科会報告原水禁大会原水禁大会 2011年

【66大会・報告】長崎第5分科会/ヒバクシャ1―学習編「ヒバクシャ問題の解決をめざして

2011年08月08日

参加者は、約130人 内初参加者50人ほどの参加で開催。(被爆者の方も多数)。

フォトジャーナリストの豊崎博光さんからは、「70年代後半から、原爆だけではなくすべての核被害、ウラン採掘段階からのヒバクを取り上げて原水禁は、核と人類は共存できないと言ってきた。」とし、「核実験による放射能汚染が世界に広がってきたし、チェルノブイリの原発事故も同様、今回の福島第一原発の事故でも、世界に広がっている。」ことを資料を基に説明いただいた。

その上で、「核兵器を無くすだけではヒバクはなくならない。」「平和利用といってもウラン採掘段階からヒバクをするのであり、原子力を止めるべき。」と強調された。

ここまでの、提起は全体で受け止めることが出来ると思う。

問題は、次の提起をどう受け止めるか。

豊崎さんは、「(福島の事故で)生み出したヒバク者をどうケアをしていくのか?」と問題を投げかけ、①健康被害対策=癌だけではない。甲状腺障害は、成長を止めてしまうなど、癌以外にもさまざまに影響が有る。②心の被害=心配によるうつ状態。差別の問題。③故郷から引き離されコミュニティーを失う。仕事を失う。暮らし全体が破壊される。

との問題点とどう私たちが向き合っていくのかとの提起であった。

この提起は、「核兵器を廃絶だけではなく、原爆被爆者の援護策が必要である」のと同様に、「原発を廃絶しても、福島を中心とした放射能被害の救済が必要」との提起であり、脱原発の取組だけに終わらせることなく、福島を中心とする被害の現状をしっかり全体で受け止めていただきたい。

ロシアNGOのアントン・ブドビチェンコさんからは、以下の報告と提起があった。

・事故後暫く汚染状況を知らされなかった。その後、ミルクは飲むな、外に出るなといわれたが、すでに、山のきのこを採って食べ、湖の魚を釣って食べた。

・住んでいるところは、強制移住区域、避難区域、汚染区域、安全区域の4つの区域に分けられた。

・アントンさんの所は、避難区域だったが、強制ではなかった。レベルの高いところの1m隣は低かったり、道を歩いていても何処が危険かわからなかった。

・徐々に、経済は悪化し、農場も成り立たなくなった。工場も6箇所あったが、1箇所しか残らなかった。

・医者や先生など、専門知識を持つ方は、町から出て行った。

・政府は、保障を始めたが、失業者に1万2千円程度。仕事はなく、昼から酒を飲みだし、j子供は薬物に手を染めた。

・このとき、旧ソビエトという国は危機を迎えていた。

・私たちは、海外のNGOの協力も得て、子供たちを1~2週間海外に連れて行ったり、後には国内の汚染レベルの低いところにキャンプに連れて行ったりした。

・子どもだけではなく、お年寄りや障害を持った方へのボランティアも行なってきた。

・リハビリ施設を立ち上げたり、「コンピュータークラブ」を立ち上げたり、子どもたちが集まれる場を作ってきた。

・子どもたちの3割は甲状腺の障害がある。高齢者の7割が何らかの障害を抱えている。

・しかし、政府の公式発表は、事故の犠牲者(死亡者)は30人。現在もがん患者が増えているが、事故とは無関係という態度。

・チェルノブイリの事故は、「過去のこと」にしたいのが政府の考え。

・福島の事故は、幸い私たちと違い、TVで紹介されている。私たちは(自分たちのために)、これからも福島の皆さんと交流していきたい。

・みなさんは、起きた事故に対して闘っている(事故が進行中ということ?脱原発?)が、私たちは、事故がおきた結果(放射能汚染被害)と闘っている。私たちも協力できると思う。

以上、報告と提起終わり。

この提起は、国が事故を切り捨てようとしているということであり、NGOなど民間のボランティアでチェルノブイリの被害者が救済されているということ。「日本では、政府はそこまで見捨てないだろう」との感覚を持つ方も多いと思われるが、そうではないと感じる。

1つには、チェルノブイリ事故後のアントンさんたち住民への扱われ方が、福島を中心とした地域の住民の扱われ方と全く同じであるということ。稲わら汚染による牛肉の内部ヒバクが言われているが、農家は何も知らずに野菜を食べ、水を飲み、呼吸をしてきた。

2つには、原発被爆者の扱われ方である。会場から長崎の被爆者のイワナガさんから報告があったように、旧長崎しないでなければ、12km内であっても被爆者と認められない。国は、入市や遠距離ヒバクとしての低線量は認めるが内部ヒバクは認めない。「ヒバク体験者」として、被爆者を差別し、切り捨ててきた。

このことから、旧ソビエトのように、「フクシマ」が切り捨てられることは十分に考えられる。

豊崎さんの、「(福島の事故で)生み出したヒバク者をどうケアをしていくのか?」との問題提起に戻るが、ここで重要なのは、「低線量内部ヒバク」に関してである。

会場から被爆者の皆さんから多数発言を頂いたが、被爆者の苦しみはここにあった。

フクシマの報告でも、何を信じて言いか分からずパニック状態になっている。フクシマを離れた人も多く、夏休みをすぎてどれだけもどってくるのだろうとの状況も報告いただいたが、ここでも「低線量内部ヒバク」に関する脅威が語られている。

これまで、「核兵器廃絶」はもちろん「被爆者援護政策」を取り組んではきたが、被爆者の苦しみの根源である「低線量内部ヒバク」に関しては、原発問題とリンクする為か、あまり問題にはしてこなかった。

医師会や医学会の公式見解も「低線量内部ヒバク」に関しては、「影響がない」としているのであり、この点は原子力を進める側にたってきた「研究者」同様であると感じる。

原子爆弾を、ピカ・ドンと呼ぶが、原子爆弾が怖い一番理由は、熱線でもなく爆発力でもなく、後々苦しめる「低線量内部ヒバク」による後遺症である。それは、がんに限らず、「ぶらぶら病」とも表現される症状など千差万別である。

原爆被爆者の皆さんにお願いしたいのは、これからフクシマで発祥するであろう、被爆の後遺症を政府に保障させていくためには、フクシマの皆さんが手帳をもらうというだけではなく、「科学的に明らかでない」と切り捨てられる、被爆者の皆さんの「後遺症」をしっかり訴えていただきたいということです。このことは、フクシマの皆さんを助けることになる。

フクシマの皆さんは、しっかり大変さをうったえていく。このことは、被爆者の皆さんの原爆後遺症を認めさせることにも繋がる。お互いが協力し合うことで、運動が広がっていくのだと思います。

最後に、厄介なのは、フクシマの原発事故は進行中ということです。これからの健康被害だけではなく、今漏れている放射能汚染からどう子供たちを守るかも過大なのです。後遺症への補償政策だけではなく、現在の健康保障や暮らしの保障が必要であることもご理解いただきたいと思います。

また、3号機はプルサーマルですし、4号機の使用済みプールが地震等で壊れて落ちれば、日本中が終わってしまう危険性もいまなおあるのです。

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