被爆67周年原水禁世界大会 - 原水禁

【67大会・報告】長崎第8分科会/見て、聞いて、学ぼう”ナガサキ”―入門編

2012年08月08日

見て、聞いて、学ぼう“ナガサキ”―入門編
証言と映像による被爆の実相と平和運動交流

会場 長崎市「ncc&スタジオ」
講師 西岡由香さん(漫画家)
被爆証言 山川剛さん(長崎県被爆教職員の会)

DVD「君たちは原爆をみたか」を見て、原爆投下から現在に至る原発を含む核開発と事故の歴史を学びました。
その後、被爆者証言として、当時の社会の様子、8月9日当日の様子、被爆者の願い、そしてその願いはかなえられるのかの4つの柱で講演されました。当時はぜいたくが敵であること、校庭で竹やり訓練をするなど、学校で人の殺し方を教えたこと、「人の命は鳥の羽より軽い、喜んで命を捨てろ」と戦争は人の命を粗末にし、軽く見ていたことなど、現在とは違う現実を実体験として語られ原爆が投下された日の行動など生々しく語られました。今被爆者としての願いは「二度とヒバクシャをつくらないこと」であり、人によっては核兵器廃絶など無理という人もいるが、スイス、スウェーデンのように200年近く戦争をしていない国もあり、そうした国の仕組みを学ぶことで可能になるのではないかと思うし、長崎では行動の一つとして高校生が「微力だが無力ではない」を合言葉に署名活動に取り組んでいる姿を見ると被爆者としての願いは必ずかなえられると信じている。皆さんにもできる行動として今日聞いたことを地元に戻って伝えてほしいと要望で締めくくりました。

この後、会場から、高校生は無力ではないという言葉に励まされた。この後、山形に戻って今日の話を伝えていきたいとの感想があり、また、島根からの参加者からは島根原発を抱えているが講師は原発をどう考えているのかという質問があり、講師からは、「原発(原子力発電)」よりは「核発電」のほうがふさわしいのではないか。今まで被爆者として核兵器廃絶に較べ原発に対しては取り組みが弱かったのは事実であり、今後は、核廃棄物など後始末を考えていないような後世に対して無責任であり、「犠牲のシステム」と言われている原発はなくすべきとの発言がありました。最後にこれまでは被爆の悲惨さを伝えて希望を語ってこなかったが、これからは希望も語っていきたいとの言葉で講演は終了しました。
引き続き運動交流として福島からの報告として、講師の今の話を聞いて今の福島はまさに戦争の中にいて非

常に息苦しい状態にあると感じたという感想の後、以下のメッセージが伝えられました。

福島避難者からのメッセージ
目を凝らしましょう。見えない放射能に。
事故発生5日間で放出された放射性物質は77万テラベクレル。チェルノブイリ事故の7分の1。広島原爆約470個分のセシウムが環境中に解き放たれてしまいました。そして毎日、空へ、海へ、大地へ大量の放射能が流れ出ています。それは生き物に入り込み蓄積しています。
目を凝らしましょう。今、生命を削りながら必死の作業を続けている人たちがいます。大量の被曝を強いられ、恐怖と疲労の中で私たち社会の命運を賭けて働く人たち。愛する息子が今日も原発復旧作業のために家を出て行くのをたまらない気持で見送る母親がいます。
目を凝らしましょう。今たくさんの人々が、被曝を強いられて生活しています。チェルノブイリ事故後、強制避難区域となった地域と同じレベルの汚染地域で人々が普通の暮らしをするようにと求められています。次々と見つかるホットスポット、除染しても戻ってしまう放射線量、不安を口に出せない重い空気、後からわかる様々な事実。いつしか人々は疲れ果て、放射能への警戒を手放していきます。大丈夫なのかもしれない・・・人々は村に帰り、田植えをします。子どもたちは復興の象徴。運動会で校庭を走り、鼓笛パレードで汚染された街へと繰り出します。
目を凝らしましょう。
今、子どもたちの未来を守りたいと、。必死に行動する大人たちがいます。たくさんの人々がいのちと最小限の荷物を持ち、避難しました。フクシマの子どもたちは、全国各地に迎えられ、夏の保養に出かけていきます。
市民放射能測定所を作り、危険の食べ物を避ける試みが行われています。安全なお米や野菜が各地から汚染地へと届けられています。内部被曝のリスクをきちんと認識し、人々の側に立った医療者や科学者のネットワークがつくられつつあります。診療所を作ろうと奔走している人々がいます。
原発事故被害者を支援する法律がつくられ、具体的な施策を実現させようと働き続ける議員や市民がいます。
過ちを繰り返さない願いを込めて、原発事故の責任を問う様々な裁判、そして福島原発告訴団が立ち上がっています。
これ以上事故の危険と被曝と核廃棄物を作ることは間違っていると原発再稼働に反対する、たくさんの、たくさん人々の熱い行動があります。
目を凝らしましょう。
ここ長崎で今も消えない67年前に投下された原爆がもたらした影。67年もの間、強いられてきた人々の苦しみ、人体実験、データの隠ぺい、捻じ曲げられる研究、被曝者との分離と差別。
戦後の復興の陰でたくさんの人々が被爆の後遺症と内部被曝による障害に苦しみながら声もなく亡くなっていきました。
耳を澄ましましょう。
ヒロシマ、ナガサキ、ビキニ、スリーマイル、チェルノブイリ、フクシマ核の惨禍の中から、勇気を持って声をあげ続ける被爆者たちがいます。犠牲を強いる力に渾身の力で抵抗し、人間の尊厳を叫んでいます。
耳を澄ましましょう。
自分の心の声に。
私たちは涙を止めることはありません。
こんなに悲しいことが起きたのですから。
心から泣き、嘆き、悔み、悼みます。
私たちは涙を恐れません。
私たちが恐れるのは嘘です。幻想の上に街を再建することです人々が被曝し続けることです。そして声なき無実の生命たちの未来が失われていくことです。
私たちは変化を恐れません。
恐れるのは悲劇を直視せず、悲劇を生み出した社会に固執し続けることです。
大きなもの、効率、競争、経済的利益、便利さ・・・そうしたものを私たちは問い直します。科学も数字も全て、私たちの生命のために奉仕するべきであって逆ではありません。
私たちは別のあり方を求めます。無数のいのちの網目の中で生きる。
私たち人間のいのちを守る、別の価値観と社会を求めます。
私たちの中の「原発」に私たちは気づいています。
私たちはそれを乗り越えていきます。
私たちは声をあげ続けます。
私たちは行動し続けます。
人間性への深い信頼を抱き限界なくつながり続けます。
再び目を凝らしましょう。
未来の世界に。
人々が放射能に怯えることなく、地球という自然に調和し、つつましく豊かに暮らす世界の姿に。
今日みなさんと歩む一歩一歩の先に、そうした未来があると信じています。

以上

この後、講師による学習会では講師の体験談をもとに核廃絶、脱原発運動を自分の分野である漫画を通して取り組んでいることが紹介され、それぞれの分野で取り組むことができることを学びました。時間の関係で質疑は行いませんでした。
最後に今日聞いたこと、学んだことを明日から伝えていくという行動をおこすことを確認し、分科会を終了しました。

【67大会・報告】広島第6分科会/ヒバクシャを生まない世界に2―交流・討論編「原爆訴訟・在外被爆者と被爆者援護法」

2012年08月05日

会場 広島市「ホテルチューリッヒ 東方2001」
講師 振津かつみさん(医師、チェルノブイリ・ヒバクシャ救援関西)
平野伸人さん(韓国の原爆被害者を救援する市民の会)
海外ゲスト カク・キフンさん(元韓国原爆被爆者協会会長)

第6分科会は、『ヒバクシャを産まない世界に2-ヒロシマからフクシマへ核被害者の課題』という事で、初めに海外ゲストとして招いた元・韓国原爆被害者協会会長の郭貴勲(カク・キフン)さんからは、当時の韓国において殖民地支配の中での、高額な税金により、土地を持てず売却する以外になかったことなど行き場のない中で、日本の賃金は韓国の5倍ということもあり広島・長崎には14万人を越える韓国人が移り住んだそうです。多くの韓国人は帰国しても200万人は帰れない人々が韓国に帰っても家も土地ない状況など、なぜ韓国人が被爆してしまったのかという歴史的背景や、軍隊からも韓国人は貨車に詰め込まれ物同然の扱いや被爆者認定など様々な差別があり苦悩しながら生活をしていたことなど話されていました。

平野伸人さんからは、原爆被爆の被爆者援護法などについて触れられ、自らのご両親の話から被爆者認定も含め、認定基準の問題として1つには「病気の内容」という課題や2つには「爆心地からの距離」の問題があり、最初は2kmいないの被爆者を対象としてきたものが運動の中で3.5kmまで延長されたが3.6kmで認定外になってしまっている現状について報告もされていました。

また、原爆が投下されてもいない韓国になぜ被爆者がいるんだという疑問も当時はあったが、植民地支配されていた歴史的背景があることや、だからこそ「日本が唯一の被爆国」と言われることは間違いであり様々な被爆があるという認識も必要であること。

在外被爆者の問題として日本に移住しない。日本にいないだけで、認定をされない「在外被爆者問題」や移住政策により、同じ被爆者の中でも認定をされない人たちがいることとあわせて、原爆や原発など異なるものでも同じように「ヒバクシャ」がいるということ、ここを理解してほしいということも述べられていました。この事は被爆者援護法として、原爆被爆者だけの問題と受け取られるが、それだけではないという課題もあり、今後の運動として突き詰めて言えば「ヒバクシャをこれ以上増やさない」という事で大切だということでもあります。
国としてはPTSDは認定されず被爆者援護法には入っておらずガンも認定に入っておらず本当はガン治療を認めてほしいということ。長崎では市内と市外では土地に所属しているかいないかで認定されない問題など被爆内容や地域の妥当性という課題などについても触れられていました。

くわえて、被爆二世・三世についての「遺伝的影響」、さらに福島原発事故以降、内部被爆の問題について注目もされ、国の言い方も変化し、「健康問題」「遺伝的影響」「被爆者の子供という社会生活上の立場」「人権」などの課題がある中、「被爆二世健康影響調査」が行なわれているが調査内容は不十分なもの、本人だけでなく、子や孫にまで健康被害・健康不安をあたえるものとなっていることからも、核爆弾と原発の違いはあるにせよ、放射能というのは、人の命を奪い、健康を蝕むものであり、今後は福島をどうしていくのかという認識に立ちながら、書くと人類は共存できない視点で運動を続けていきたいと述べられて言いました。

振津かつみさんからは、過去から現在に至るまで、様々な核開発・核利用の過程の中で生み出されてきた問題や、根本的には国策として進めてきた原発が事故を起こしてしまったこと。だから補償を求めることが必用であるという事が述べられ、被爆国である日本さえ原発事故が起きるのを止められなかったが、事故から1年が経過して現地では問題は山積しており、福島の現状は4万ベクレル以上の「放射線管理区域」相当の地域がフクシマの半分以上、県外にすら広がる現実もあるが、ヒロシマ・ナガサキにおける健康被害が軽視され無視され、被爆問題が過小評価されていることに触れられました。

この押し付けは、基準が明確にされておらず、1日で安全な基準が変更されてしまうことにも表れ、命を守る視点で政府にもやってもらわなければならない。今起きている事を確認していく事が重要になっていることでもありました。
また、福島では避けられた被曝について情報を出さないことによって被曝を避ける努力をしされていない。この事は今も続いており、もう一度責任を問う闘いを続ける事の重要性など述べられました。
また、原発は経済的利益を守るために作られたものであり、今後援護法を含めて人々をヒバクから守るとともに脱原発の運動とも平行して取り組む必要性や、フクシマの被曝者や原発労働者など健康手帳を交付、国家補償として総合的な援護策を求めていくことなど、あらゆるヒバクシャと連帯し「福島を最後にしたい」という決意を含めて述べられました。
講師から報告に対して、それぞれ意見や質問も出されてきました。

■ 被爆者の補償問題として、核兵器を使用した米国にも投下した責任があるという事から国際人権委員会などに対して米国を訴える運動なども必要ではないか。
■ 福島において線量が高くなったといわれていたが、井戸水なども今後セシウムが出る
可能性はあるのか。
■ 事故から1.5年が経過した。原水禁として具体的にどうしていくのかが弱い気がし
ている。大会を通じて具体化をすべきではないか。
■ 被爆者に学ぶということで参加した。補償問題は国が犯した責任をとるのであれば国
内でも国外でも同じ事であり、国の責任を明らかにしていく必用がある。
■ 小名浜在住で、ライフラインは寸断されたが、ショ-トメ-ルで原発関係者から情報
が出された。高い線量の地域では早く以前の生活にと忘れようとしている雰囲気すらある。その中で「早く帰村したい」「そうは言っても高い線量では」という人と大きな亀裂が生じている。また、いわきでは原発労働者は孫受け会社等により生活基盤の弱い人たちが集められてきた敬意もある。そこでは文句を言わず働かされているのが現状であり、店が襲われたというニュ-スすらあった。補償の難しさや副読本などの悪影響もあるが追求していくことが必要になっている。
こうした意見に対して、講師からは
□ 米国を訴えるという考え方は言われるとおりと考える。原爆被害者訴訟などでも少しずつ前進した経緯もあり難しい面があっても求めていく事も重要。
□ 井戸水のセシウムの問題は継続してモニタリングを行なっていく必要がある。
など答弁されました。

最後に、梶原運営委員からまとめとして『多くの在外被爆者の思いも込めた闘いであったということ。被爆者の訴訟の取り組みの中で明らかになった課題について、難点かにまとめられたが特に反戦があっての反核なんだ、つまり侵略の歴史の中での在外被爆者問題という課題があり、これまで放置され続けてきた様々な被爆者の存在を認めようとしない日本政府の姿勢は、カクさんが言われていた「韓国に帰ったら被爆者でなくなる」という課題とかさなった。振津さんからはチェルノブイリでの活動を踏まえながら映像を交えての様々な情報を合えて出さなかったことによって事故直後避けられたはずの被爆を避けることが出来なかった。そして今もなお、住民に流される安全神話の中で普通に生活し被爆し続けている人がいる重大な事実。これらは直ちにとめなければならない。国策としての原発推進であった以上、国策としてすいしんされた原発の事故である以上国の責任においてお金も含めて補償させていく必要がある。
戦後67年が経過し、広島を学び長崎を学ぶ姿勢でやってきたが60年学んだのに福島で事故が起きてしまった。私たちは一体何を学んきたのか、その学んだ質や広がりいつまで学び続けるのかなど含ましの原状から思わざるを得ない。基本は生きる権利だと思う。不津さんが最後に言われていた「福島を最後にしなければならない」運動はいつも不利益を受けた人、差別をされた人から立ち上がるが多くの人々が共に立ち上がることによって解決に進んでいく。今なお原子力政策を推進しようとする多くの人がいる以上、私たちはそれ以上の力を力をつけそれ以上の連帯を造らなければならない。彼らは様々な情報を流すが正しい情報をきちんと学習しながら連帯して運動をつづけなければならない。首相官邸包囲行動や7・16集会など多くの人が集まったが、それは魂の叫びとして次の時代に安全で安心な環境をつないでいくことを確認したい』とまとめられました。

被爆67周年原水爆禁止世界大会基調

2012年07月28日

被爆67周年原水爆禁止世界大会基調

1.はじめに──核社会を問う原水禁大会に!
 2011年3月11日の東日本大震災とそれによる津波が東日本一帯を襲い、甚大な被害をもたらし、東京電力福島第一原子力発電所では、日本の原発史上最悪の事故を引き起こしました。これにより日本の原発の「安全神話」は完全に崩れ去りました。事故による大量の放射能の拡散は、海・空・大地を汚染し、人体や環境に大きなダメージを与え続けています。今もなお多くの人々が故郷を奪われ、肉体的にも精神的にもさらに経済的にも多くの苦難を強いられています。あれから1年5ヵ月が過ぎようとしていますが、いまだ事故の収束には至らず、事故に起因する様々な問題が噴出し続けています。一刻も早い事故の収束と事態への対応が求められています。
私たちはこれまで原水爆禁止世界大会で「核と人類は共存できない」と、繰り返し訴え、反核・脱原発・ヒバクシャ連帯を基本に「核(依存)社会」がもたらす状況を告発してきました。そしてフクシマの事態を前にして昨年の大会でも「核社会」からの離脱を強く訴えました。「核社会」が人類の生存(いのち)に関わる重大な問題をはらむ実態を訴えてきました。その基本は今年も変わっていません。むしろフクシマ原発事故から1年5ヵ月が過ぎ、ますます「核」が抱える問題が、人間の「命」という基本的な問題であることが鮮明になっています。核兵器や原発がもたらす「核社会」からの離脱は、人類にとって重要な課題となっています。

2.脱原発へ舵を切ろう
(1)フクシマ原発事故から脱原発へ
 核被害に軍事利用や商業利用の区別がないことが、フクシマによって改めて示されました。ヒロシマ─ナガサキ─ビキニ─JCOと続いた核被害の歴史に新たにフクシマが加わりました。ヒロシマ・ナガサキの被爆者は、被爆から67年たった今でも苦しみ続けています。そしていま、福島原発事故で新たなヒバクシャが生まれています。辛く悲しい現実に目を向け、核被害の実態を見つめなければなりません。
フクシマ原発事故の原因は、国会の事故調査委員会の報告でも、政府や東電による人災であることが厳しく指摘されました。長年の馴れ合い体質、技術に対する奢りなど「原子力ムラ」が抱えていた負の部分が、事故調査委員会やマスコミの手によって明らかにされてきました。さらなる原因究明と再発防止にむけた議論が深められることが重要です。
また、環境に放射能が大量に拡散し、環境や健康、社会、経済に大きな影響を与えました。被災者に対する賠償が今後の大きな焦点になってきます。金銭的なものだけでなく精神的な面までも含めて十分賠償する必要があります。特に国策による「人災」である今回の事故は、東京電力や政府が国家賠償にもとづいて被災者の健康維持と生活保障の対策を講じるべきものですが、その負のツケを電気料金の値上げなどに転嫁することは許せません。
フクシマ原発事故の収束の見通しはいまだ見えないなかで、私たちも被災者を支援すると同時に二度とフクシマを繰り返させないためにも脱原発の運動をさらに強めていくことが必要です。

(2)再稼働を許さない!
 5月5日、日本の全原発が停止しました。「原発が止まれば、日本は止まる」と喧伝された電力不足は起こりませんでした。しかし、原発全停止に危機感を感じた原発推進派は、夏の電力危機をあおり立て関西電力大飯原発3・4号機の再稼働を強行しました。再稼働を強行した政府・原発推進派は、電力不足の喧伝を強化し、脱原発を主張する政治家などに圧力をかけ、伊方や泊などを中心に更なる原発再稼働を目論んでいます。
大飯原発の再稼働には、周辺市町村や滋賀県、京都府、大阪市などが、安全対策が完全ではないとして強い反対の姿勢を示してきました。しかし、政府・電力会社その他の圧力の中で、再稼働を「限定」容認しました。しかし、原発の安全が確保されたわけではありません。フクシマ原発事故の事故原因もいまだ究明されず、震災後の十分な知見を反映させることができない中にあって、新たな活断層の危険も指摘されています。防災対策も不十分で、住民の「安全・安心」への説明責任も果たさず、経済効率のみをとらえ政治判断を優先させたのです。私たちは再稼働ありきの強引な進め方を許すことはできません。各地で予想される再稼働の動きを、全国的な課題ととらえ現地と連帯し再稼働を許さない取り組みが重要となっています。
6月5日、東京電力は、柏崎刈羽原発に向けて東海村から230体の核燃料を輸送しました。東京電力の再建計画では、柏崎刈羽原発の稼働が前提となっていますが、フクシマ原発事故の原因・対応さえ不明確な中で、再稼働の準備を進める東電の姿勢は、5年前の中越沖地震の被害と重ね、地元として到底受け入れがたいものです。東電の再建計画に福島第二原発や柏崎刈羽原発の再稼働が前提になっていること自体が問題で、柏崎刈羽原発の再稼働を認めるわけにはいきません。

(3)破綻するプルトニウム利用路線
 これまで日本が進めてきたプルトニウム利用路線は、六ヶ所再処理工場や高速増殖炉もんじゅの計画が破綻しているにもかかわらず、いまだ放棄されていません。政府がこの夏にまとめようとするエネルギー・環境会議の議論でも、全量再処理は放棄するものの、直接処分と再処理を併用する路線を推し進めようとしています。高速増殖炉技術の確立されるとは、米・英・仏・独など多くの国が開発を放棄している世界の現状からは困難としか言いようがありません。プルトニウム利用そのものが技術的にも経済的にも破綻し、軽水炉でのMOX燃料としてしか利用できないのが現状です。このことは「原発に依存しない社会をめざす」とする政府の姿勢と大きく矛盾するものです。将来にわたって禍根を残すプルトニウム利用路線の放棄を強く求めるものです。

(4)原発「0%」の選択を
 政府のエネルギー・環境会議は、この夏、国民的議論を経て新しいエネルギー政策をまとめようとしています。2030年の原発依存度を20~25%、15%、0%の三つの選択肢を提示して国民的議論をしようとしています。仙台、名古屋での意見聴取会では、発言者の中に電力関係者が含まれるなど、公平性の確保や運営方法に大きな問題を起こしました。だからこそ、市民からの圧倒的な原発「0%」の声の結集は極めて重要です。この夏のエネルギー環境・会議に対して全力を上げて原発「0%」の声を集中させ、同時に政府が言う2030年という年月を待つことなく、速やかな全原発の廃炉を実現することが重要です。
原発なしでも可能なことは、先の「5月5日」が示した現実を見ればわかります。私たちは「脱原発は可能だ!」ということを具体的に示さなければなりません。節電を実行し安易に電力に頼る生活を見直し、加えて省エネや再生可能エネルギーを積極的に進めることが必要です。

3.核兵器廃絶に向けて
今年4月、NATO(北大西洋条約機構)の外相・国防相会議は、米国オバマ大統領の「核なき世界」の声明や「核態勢の見直し」に呼応して、核兵器非保有国に対して核兵器を使用しない「消極的安全保障」の導入を決めました。米ロの核兵器削減交渉の進展次第では、射程の短い戦術核の削減の用意があることも表明されています。今後、イランでのウラン濃縮問題や北朝鮮の核開発問題などの解決を含めて、核兵器廃絶の動きを加速させなくてはなりません。被爆国日本が、核兵器廃絶、中でも東北アジアの非核地帯構築に向けて、イニシアチブを発揮していくことが重要であり、その意味で国内の反核運動の責任は大きいと言えます。
一方で、今年3月にソウルで開催された「核セキュリティサミット」の最中に、米国オバマ大統領は、韓国外国語大学で演説を行い「テロリストの手に渡ることを防ぐためにも、分離したプルトニウムを大量に増やし続けることは絶対にしてはならない」と述べました。背景には、韓国に対する強い意向がありました。現在、分離プルトニウムは世界で250トン、核兵器に直すと約3万発分にものぼります。日本はその内約45トン、5,000発分ものプルトニウムを所有しています。核不拡散の視点からも、プルトニウム問題は重要な課題となっています。
2011年8月の「報道ステーション」などで、自民党石破茂衆議院議員(当時政調会長)は、「潜在的な核抑止力」を持ち続けるためにも原発を止めるべきではない旨主張をしました。また6月20日、民主、自民、公明3党はほとんど議論することなく原子力基本法に「日本の安全保障に資する」との文言を挿入しました。根強く日本国内に存在する核武装論の反映ともいえます。政府は、使用済み核燃料については全量直接処分とせず、再処理によるプルトニウム利用路線を残す方向にあります。NPT(核不拡散条約)加盟国の中の非核保有国にあって唯一プルトニウム利用路線を走る日本は、世界の中で極めて突出している存在です。日本はNPT非加盟国で核を保有するインドとの原子力協力協定を結ぶべく交渉を重ねています。このこともNPT体制を空洞化させるものとして許されません。
2015年にNPT再検討会議が開催されます。日本政府は真に核兵器廃絶を世界に訴えるために何をしなくてはならないのかを厳しく自らに問わねばなりません。また2010年のNPT再検討会議で確認された中東非核化会議の実現にむけて努力しなければなりません。私たちもまた討議を重ねたいと考えます。「脱原発」のためにも「核兵器廃絶」のためにも、プルトニウム利用路線からの決別が求められています。

4.あらゆるヒバクシャへの援護・連帯を
(1)ヒロシマ・ナガサキの被爆者の権利拡大へ

被爆者の援護施策の充実を求める運動の中で、「原爆症認定」を訴えた裁判闘争が各地で取り組まれてきました。その結果、被害者団体と政府の間で解決にむけた合意がなされ、「基金」の創設や厚生労働省と日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)などとの「定期協議」などが確認され、原爆症認定の課題は前進しました。一方で、改定した「新しい審査の方針」に沿って行われる審査の中では、多くの審査滞留や認定却下が出されるなど問題も多く、日本被団協は、原爆症認定制度の抜本的改善を当面の緊急課題として「援護法」の改正を求めており、更なる取り組みが求められます。
ヒロシマ・ナガサキの被爆者の残された課題として、在外被爆者課題、被爆二世・三世課題、被爆体験者の課題などの解決が待たれています。在外被爆者の課題は、日本の戦争責任・戦後責任の問題と重なります。在外被爆者と国内の被爆者との援護内容に差があり、国籍を問わない被爆者援護法の趣旨からも問題があります。「被爆者はどこにいても被爆者」であり、差別のない援護の実現に向けてさらに運動を強化していかなければなりません。現在、在外被爆者がこれまでの政府の402号通達によって権利を侵害されたとする裁判が各国から提訴されています。政府は提訴されれば和解に応じますが、あくまで提訴があった場合のみにとどまります。政府は、自ら積極的に在外被爆者への補償に取り組む責任があります。さらに、政府は在朝被爆者に対して、これまで国交がないことを理由に一切の被爆者援護の取り組みを放棄してきました。政府は在朝被爆者が亡くなるのをあたかも待っているかのようです。これまで確認されていた384人(2008年)の被爆者は、年を重ねさらに減少しています。高齢化する在朝被爆者への援護が急がれています。日本の戦争責任・戦後補償が問われる問題でもあり、以前に増して取り組みを強化する必要があります。
全国に散らばる被爆二世は、これまで援護なき差別のなかに置かれるという状況にありました。被爆者の子どもに生まれ、無理解な差別や健康不安を抱えながら生活してきました。現在もその実態が明らかにされない中で放置されています。実態の解明と共に被爆の影響を否定できない以上、国家補償にもとづく被爆者とみなした援護が求められています。二世・三世の問題は、フクシマ原発事故での被曝と次の世代の問題にもつながります。
長崎の「被爆体験者」は、これまで当時の行政区域の違いだけで被爆者援護法の埒外に置かれてきました。長崎では「被爆体験者」は司法の場に訴えましたが、6月25日、長崎地裁は訴えを却下しました。判決は5㎞以内でしか被爆を認めず、健康被害に対しても因果関係の説明責任を被害者に押しつけるきわめて不当なものであり許し難いものです。爆心地からの距離は違わないのに、行政区域の違いだけで被爆者健康手帳の交付に差が出るという、公平性に欠ける状態は変わっていません。原告はさらに闘う決意を固め、福岡高裁に控訴しました。判決が5㎞以内の被爆者しか健康被害を認めないことは、今後の福島原発事故の被害補償にも大きく影響をすると考えられます。被爆者の権利の前進には全国から連帯して取り組んで行かなくてはなりません。

(2)フクシマ原発事故による核被害者への連帯を
福島第一原発事故は、いまだに収束していません。原発は極めて高い値の放射能に汚染され、周辺環境への放出はいまだ続いています。農畜産物や海産物などへの被害も広がり、社会・経済にも大きな影響を与えています。フクシマ原発事故の収束は、野田内閣の重要課題となっています。事故の収束への対応と同時に事故による賠償や健康に関する対応の強化が求められています。
私たちも、現地被災者の方々の要求に対応して、政府や事業者などへの働きかけを強化していかなければなりません。とくに被曝と健康については、子どもや妊産婦に対する援護と同時に、被害拡大を防ぐ事が必要です。さらに、事故の収束にむけて懸命に作業に従事する労働者の被曝にも目を向けなければなりません。多くの労働者が働き累積被曝線量も膨大に増えています。今後も事故の収束作業が長期化する中で被曝労働による事故も心配されます。被曝の低減や被曝労働者の権利の確立が求められています。
国策による事故であり、根本的には国家賠償にもとづく「原発事故被害者援護法(仮称)」の制定が必要です。

(3)あらゆるヒバクシャへの援護・連帯
ヒロシマ・ナガサキの原爆被害にとどまらず、あらゆる核開発の過程で生み出される核被害者への連帯や援護の取り組みは原水禁運動の重要な柱です。これまで原水禁世界大会で多くのヒバクシャとの交流を通じて、沢山のことを学んできました。そしていまも多くのヒバクシャが生み出されていることも確認してきました。原発事故や軍事機密のなかで行われた核実験によるヒバクシャの実態などを明らかにしていくことが必要です。海外の核被害者(団体)との連携では、昨年に引き続きチェルノブイリ原発事故の被害者・支援者を招きました。フクシマ原発事故による被害が明らかになる中で、チェルノブイリ原発事故から学ぶべきものはたくさんあるはずです。

5.終わりに──核社会の終焉を目指して
フクシマ原発事故は、「核と人類は共存できない」ことを、現実として示しました。核の軍事利用も商業利用も、核開発過程の全てにわたって核被害を生みだすことでは同じです。私たちは事態の早期収束を強く願っていますが、現実は極めて困難な状況です。事故と事故による放射性物質放出、そして全ての原発から作り出された使用済み核燃料などは、きわめて長期にわたって、将来の世代に大きな負担をかけるものになっています。私たちは、フクシマ原発事故を踏まえて、少しでも負担を軽くするために、将来の世代に対して、原子力中心のエネルギー政策を転換し原子力によらないエネルギー政策に移行させる責任があります。歴史的な転換点としての3・11のフクシマ原発事故ととらえ、核社会、核文明を問う原水禁運動にしたいと考えます。その起点として被爆67周年原水禁世界大会で反核・脱原発そしてヒバクシャの援護・連帯をあらためて確認したいと思います。さらに世界に2万発以上の核兵器の存在と250トンのプルトニウムの存在は、人類に対する大きな脅威です。核社会の終焉が人類史的課題であることはもはや明らかです。
あらためて私たちは宣言します。核廃絶は可能だ! そして、脱原発は可能だ!

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