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被爆73周年原水爆禁止世界大会・大会宣言

1945年8月6日広島に、9日長崎に、米軍機によって投下された2発の原爆は、一瞬にして二つの都市を壊滅させ、その年の暮れまでに21万4千人余の命を奪いました。原爆投下後の地獄を生き抜いた人々も、原爆後障害や差別と偏見、経済的貧困など、筆舌に尽くしがたい苦難の道を歩んできました。 また、2011年3月11日に発生した東日本大震災は、多くの人々の命を奪いました。さらに東京電力福島第一原発の事故により、大地は放射性物質で汚染され、多くの原発被災者を生み出しました。事故から7年以上経った今でも、被災者は放射能による健康不安に怯え、5万人近くの人々は、苦しい避難生活を余儀なくされています。様々な形で人

被爆73周年原水禁世界大会・長崎大会 まとめ

  被爆73周年原水禁世界大会・長崎大会 まとめ 原水爆禁止世界大会実行委員会 事務局長 藤本泰成  7月28日、福島大会で始まった原水禁世界大会は、広島大会に続いて本日の長崎大会閉会総会と非核平和行進で幕を閉じます。記録的な猛暑の中で、開会総会から、分科会、閉会総会と、足を運んで様々議論いただいたことに、心から感謝を申し上げます。 また、大会を通じて開催にご尽力いただきました大会実行委員会の皆さま、そして中央団体、各県運動組織の皆さまに、心から感謝を申し上げます。若干の時間を頂戴して、集会のまとめをさせていただきます。  東京電力が、福島第二原発の廃炉を決定しま

核社会からの脱却を 原水爆禁止世界大会・長崎大会が開幕

    8月7日、長崎市ブリックホールで「被爆73周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」の開会総会が開かれました。長崎県内や九州各県をはじめ、全国から1700人が参加しました。 オープニングは、毎年、8月9日の長崎市主催の原爆犠牲者慰霊平和祈念式典で合唱を行う純心女子高校音楽部の皆さんが、式典でも歌う「千羽鶴」などの歌声を聞かせてくれました。 原爆をはじめ多くの核被害の犠牲者への黙とうに続いて、主催者あいさつに立った川野浩一・大会実行委員長(顔写真左)は、73年前の原爆被害の悲惨な実情を語り、「昨年、国連で採択された核兵器禁止条約に日本は反対した

原水爆禁止世界大会・長崎大会 基調提案

原水爆禁止世界大会・長崎大会 基調提案 原水爆禁止世界大会実行委員会 事務局長 藤本泰成 さる7月4日、名古屋高裁金沢支部、内藤正之裁判長は、2014年5月に、福井地裁樋口英明裁判長の「大飯原発の運転差し止めを命じた判決」を取り消し、「大飯原発の危険性は社会通念上無視できる程度にまで管理・統制されている」として、住民側逆転敗訴の判決を言い渡しました。 朝日新聞のインタビューに応じた、大飯原発の運転差し止めを命じた元福井地裁裁判長樋口英明さんは、「今回の判決の内容を見ると『新規制基準に従っているから心配ない』というもので、全く中身がない。不安は募るばかり」とし、日本の原発の現状を「小さな

被爆73周年原水禁世界大会・広島大会のまとめ

  被爆73周年原水禁世界大会・広島大会のまとめ 原水爆禁止世界大会実行委員会 事務局長 藤本泰成  暑い暑い広島大会に、最後まで参加いただきありがとうございました。3日間の日程を終えようとしています。本当に様々な議論がありました。少しお時間をいただき、私なりのまとめをさせていただきます。  2018年になって、私たち原水禁運動をめぐる情勢は、大きく動いています。それは、朝鮮半島と福島において顕著であると言わざる得ません。被爆73周年原水禁世界大会は、その事を根幹にすえて、様々な議論が続けられたと思います。 朝鮮半島の非核化に向けた米朝首脳会談の開催、そして東電による福島第二

被爆73周年原水爆禁止世界大会・広島大会「ヒロシマ・アピール」

1945年8月6日午前8時15分、広島に投下された原子爆弾は、強烈な熱線、爆風、放射線によって、その年の内に14万人もの生命を奪い去りました。あの日から73年、被爆者の願いである核兵器廃絶への道のりは、困難を極めてきました。しかし、昨年7月7日、国連において122カ国の賛成をもって核兵器禁止条約が採択されました。核兵器を非人道的として、その製造から使用までを禁止する画期的条約の早期発効を求めていかなくてはなりません。戦争被爆国である日本政府は、核兵器禁止条約に反対し続け、さらにアメリカのトランプ政権の、核戦力強化にむけた「核態勢の見直し(NPR)」などの核政策に積極的な支持を打ち出すことで、「

核なき世界を 原水禁世界大会 広島でまとめ集会

8月4日から広島市内で開かれていた「被爆73周年原水爆禁止世界大会・広島大会」は、6日、県立総合体育館武道場で「まとめ集会」が開かれ、540人が参加しました。 原爆犠牲者と先の豪雨で亡くなられた方々に対して黙とうを捧げた後、主催者あいさつに立った広島原水禁代表委員の金子哲夫さん(顔写真左)は「73年前の今日、広島市上空に原子爆弾が投下され、その年のうちに14万人が亡くなられた。戦争を進める安倍晋三首相は、その犠牲者の碑の前に立つ資格はない」と厳しく指摘し、「原爆の犠牲者は日本人だけでない。特に北朝鮮の方々はこれまで何の補償も受けずに亡くなっている」と、7月に訪朝して調査を

被爆73周年原水爆禁止世界大会・広島大会に2200人

  「核も戦争もない平和な21世紀に!」-被爆73周年原水爆禁止世界大会の広島大会が8月4日から3日間の日程で、広島市内で始まりました。今年は、広島や岡山などで集中豪雨による災害が発生し、復旧作業の最中にも関わらず、大会には全国から2200人が参加しました。 最初に全国各地を回った「非核平和行進」の最後として「折り鶴平和行進」が行われました。炎天下のなか、平和公園原爆資料館前に集まった参加者は、横断幕やのぼり旗を手に、「核兵器禁止条約を批准せよ!」「原発再稼働を許さない!」「全てのヒバクシャの権利拡大を!」などとシュプレヒコールを繰り返しながら、広島大会の会場まで行進をしました(上写真

原水爆禁止世界大会・広島大会 基調提案

原水爆禁止世界大会・広島大会 基調提案 原水爆禁止世界大会実行委員会 (原水爆禁止日本国民会議) 事務局長 藤本泰成  1945年8月6日、広島は、いつもと変わらない朝を迎えていました。学生や女性たち、多くの人々が、建物疎開など国の命令による動員によって、市内中心部をめざしていました。8時15分、原子爆弾は、一瞬にしてその日常を破壊しました。強烈な熱線と爆風、そして放射線が人々を襲いました。その日の内に5万3644人が死亡したといわれ、翌日からその年の内に14万人が亡くなりました。被爆した人々は、55万人を超えています。 私たちは、この阿鼻叫喚とも言える地獄を、決して忘れてはなり