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広島大会第7分科会 見て、聞いて、学ぼうヒロシマ

広島大会第7分科会 「見て、聞いて、学ぼうヒロシマ」 参加者のほとんどが原水禁世界大会には初めての参加となりました。原爆資料館元館長の原田浩さんから講演を受けました。原田さんは被爆者としては最後の原爆資料館の館長という立場から、広島への原子爆弾投下に関する基本的な知識とあわせて、ご自身の6歳のときの被爆体験をお話してくださいました。 原田さんは、原子爆弾の特徴として、熱線、高熱火災、爆風、放射線を挙げ、それらによって人体が無残な状況になったこと、資料館では見るに耐えない被爆者の状況をそのまま展示するわけにはいかなかったことなどを説明されていました。また、熱線で建物に焼きついた

長崎大会第1分科会 再稼働問題と日本のエネルギー政策

長崎大会第1分科会 脱原子力1 ―再稼働問題と日本のエネルギー政策 (1)海外ゲスト報告 イ・ヨンヒ(韓国 カトリック大学社会学科教授) ・韓国では現在、23基の原発が稼働中。5基が建設中。 ・低・中レベル核廃棄物処分場の場所は決定したが、高レベル核廃棄物の管理という問題をかかえている。 ・高レベル核廃棄物の管理について、一般の人々も含めた社会的対話を通して決定することを決めたが、原子力界の専門家に委ねるべきだと方針転換された ・政府は使用済み燃料の再処理についても発言している (2)講演 吉岡斉(九州大学大学院比較社会文化研究院教授) ・福島原発事故を契機とし

長崎大会第2分科会 福島原発事故と脱原発社会の選択

長崎大会 第2分科会 脱原子力2─福島原発事故と脱原発社会の選択 藤井石根さん(明治大学名誉教授)から、「エネルギーの視座からの脱原発社会を考える」と題した問題提起を受けました。大飯原発に対する福井地裁判決を紹介していただく形で、脱原発は経済やエネルギーの問題ではなく、人権の問題が第一義である。今の日本は、「経済のために人が存在するかのようだが、人のために経済がある社会に変えていくことが重要だ」と提起された。 この提起を聞きながら、原発問題は「沖縄の基地」問題と共通する課題だと感じました。沖縄の基地問題を東京で論議すると「安全保障」問題になりがちですが、沖縄の方にとっては「人

長崎大会第3分科会 核拡散とプルトニウム利用政策

長崎大会第3分科会 平和と核軍縮1―核拡散とプルトニウム利用政策~NPT再検討会議に向けて 初めに、問題提起として、鈴木達治郎さんより「プルトニウム政策は、核兵器と原子力の平和利用との重要な接点で、核兵器廃絶を考える時に避けては通れない問題」という事が言われました。また、福島事故以降、核燃料サイクル問題について「政府の原子力委員会では、“柔軟な対応をすべき”と提言してきたが基本的な施策は変わっていない。その背景には使用済み燃料を“資源”として考え、それを前提に仕組みが作られていることがあり、そこを変えていく事が必要」ということも言われていました。そのためにも「使用済み燃料を“再

長崎大会第4分科会 東北アジアの非核地帯化と日本の安全保障政策

長崎大会 第4分科会 平和と核軍縮2-東北アジアの非核地帯化と日本の安全保障政策 塚田晋一郎さん(ピースデポ)が「『軍事力によらない安全保障体制』への模索」、前田哲男さん(軍事評論家)が「集団的自衛権の行使容認と東北アジア」と題して講演した。 塚田さんは、核兵器をめぐる世界の状況について、「冷戦時代は約7万発の核兵器も、現在は17000発となった。非国家主体(テロリスト)が核兵器を使う時代だ。国連加盟125か国が、核兵器の『非人道性』を謳う共同声明に署名、日本も賛同した。核兵器禁止条約も作る流れができつつある」として、核兵器のない世界に向けてすすんでいると述べた。また、3(日

長崎大会第5分科会 ヒバクシャ問題の包括的解決をめざして

長崎大会第5分科会 ヒバクシャ1 ―ヒバクシャ問題の包括的解決をめざして 講座Ⅰ 豊崎博光さん(フォトジャーナリスト)に対する質疑応答 ・地球被ばくという言葉を聞いて驚いた。日本人は多くの魚を摂取している現実がある。なぜその情報は流れてこないのか?風評被害があるのか?北半球のデータは多いが、南半球のデーは少ないのか。 (豊崎さん)地球被ばくのデータは持っている。かくしているわけではない。それを自分で手に入れる、集めていくことが必要だ。南半球の大陸では実験、調査が少ない。 講座Ⅱ振津かつみさん(医師)に対する質疑応答 ・長崎、広島、福島としての問題は大切であるが、それを地

長崎大会第6分科会 強制連行と被爆を考える

長崎大会第6分科会 ヒバクシャ2--強制連行と被爆を考える 初めに海外ゲストからのはなしを聞きました。 (カク・キフンさん)1924年生れ、1944年9月師範学校の時召集される。徴兵され広島に連れて来られた。その日8月6日は2Km離れたところへ工兵隊に仕事に行っていたが、助かった。3日位意識不明が続き15日に終戦を知った。 広島市の人口70万人のうち約1割の7万人の朝鮮人がいた。うち4万人が死亡し、残り3万人のうち2万3千人が祖国へ帰り、7千人が日本に残った。そのうち1千人の人が共和国へ帰った。いま朝鮮での生存者は10分の1程度だ。日本人被爆者生存者は40万余人のうち20万

長崎大会第7分科会 被爆二世・三世問題を考える

長崎大会第7分科会 ヒバクシャ3―被爆二世・三世問題を考える 最初に長崎県被爆二世の会会長の尾育朗さんが「私たち被爆二世の運動の取り組みと課題」と題して提起を行った。被爆二世協の取り組みは、自身の健康問題解決と、被爆の継承と核兵器の廃絶、戦争絶対反対の闘いとして、福島との連帯を図りながら、国家補償に基づく被爆者援護法の成立をめざしていると話された。 次に、全国被爆二世団体連絡協議会事務局長の平野克博さんが「被爆二世問題解決のためにどう取り組むか」と題して話をされた。広島市・長崎市在住の被爆二世に対して、放影研が行った調査(2000~2007年、回収率50%)により、「現時点に

長崎大会第8分科会 見て・聞いて・学ぼう"ナガサキ"

長崎大会第8分科会 見て・聞いて・学ぼう"ナガサキ"─証言と映像による被爆の実相と平和運動交流 まず原水禁国民会議が制作したドキュメンタリー「君たちは原爆を見たか」の上映を行いました。 続いて、被爆者の八木さんからの次の様な証言を受けました。 原爆投下から69年、いずれ最後の被爆者が亡くなる時が来ます。だからといって、それで終わりではありません。広島、長崎の原爆で亡くなった22万の人達のためにも語り継ぎ、平和のバトンをリレーしていってほしい。 原爆は落ちてきたのではありません。そこに多くの人々が生活していることが分かっていながら、人の手で投下されたのです。約400メートル