2025 - 原水禁

原水禁第101回全国委員会を開催しました

2025年04月18日

4月16日、東京・連合会館において、「原水爆禁止日本国民会議第101回全国委員会」を開催し、2025年度の運動方針を討論・決定しました。その際、以下の全国委員会アピールを採択しましたので、ここに掲載します。

原水爆禁止日本国民会議 第101回全国委員会アピール

1945年の原爆被爆から今年で80年を迎えます。8月6日広島、8月9日長崎。原爆によって多くの命が一瞬にして奪われたばかりか、その後遺症や影響に苦しむ人がいまだ数多く存在する事実は、原爆は決して過去のものにはできないことを、私たちに突きつけています。

被爆直後からしばらくの間、被爆の実相はアメリカのプレスコードによって、報道することが禁じられ、検閲も行われました。被爆者に対する厳しい差別があり、被爆者は口を閉ざさざるを得ないという歴史的事実もありました。こういった現実に向き合いながら、原水禁運動はヒロシマ・ナガサキの被爆の実相を原点にし、1954年のビキニ環礁での被災を契機に高まった、原水爆禁止を願う市民の声を契機にその運動が始まり、今日まで継続されてきました。

国際社会では、ロシア・ウクライナ戦争の長期化、ガザ地区におけるイスラエルによる一方的な攻撃などによって、多くの命が奪われ続けています。加えて、核兵器使用リスクの高まりは危機的状況にあります。また、不安定さを増す国際情勢を理由に、「核抑止」が必要不可欠だと主張し核戦力を強化する国、そして日本のようにその「核の傘」のもとにある国があります。一方で、核兵器禁止条約を発効させてきた非核保有国は、核抑止論を乗り越えた先の核兵器廃絶をめざし、つながりを深めています。

そのような中で日本政府が果たすべき役割は、世界平和の実現、とりわけ核兵器廃絶に尽力することにあります。被爆者を二度と生み出さないための努力を、被爆国である日本が怠ることなどあってはなりません。核兵器禁止条約に対する態度を改め、日本の核兵器廃絶をめざす姿勢を国際社会に発信することで、そういった国々の先頭に立って行動すべきです。

原水禁はこれまでの運動の歴史において、「核の平和利用」を謳う原子力発電についても、すべての過程でヒバクシャが生み出される事実に目を向け、脱原発社会の実現をめざしてきました。日本政府は第7次エネルギー基本計画によって、再び原発の積極活用へと舵を切りました。福島第一原発事故から14年が経過した今でも、避難を強いられている県民は2万人を超えています。なぜ再び原発推進なのでしょう。30年以上たっても完成しない核燃料サイクルに依拠した原発推進政策は完全に破綻しています。誤りを認められない日本政府の政策によって、さらなる被害が生み出されることを決して看過することはできません。

原水禁はこれまで、すべての核に反対してきました。それは1955年の第1回原水禁世界大会で宣言されたように、「原水爆が禁止されてこそ、真に被害者を救済することができる」とした、被爆者との約束でもあります。核社会はいつも、犠牲を強いる側と強いられる側との差別的な構図の中にあります。そして犠牲を強いられるのは常に弱い立場にある市民です。この状況を打開していくためには、世界の核被害者と連帯して行動することが必要です。

原水禁は今後も「核と人類は共存できない」という揺るがない信念のもと、着実に歩みを進めていきます。被爆80年にあたる今年、改めて地域での原水禁運動の積み重ねの重要性を確認し、一人ひとりの命が大切にされる社会の実現に向けてとりくんでいきましょう。

2025年4月16日
原水爆禁止日本国民会議
第101回全国委員会

「核兵器廃絶1000万署名」へのご協力をお願いします

2025年04月30日

核兵器禁止条約(TPNW)が発効されて4年が経過しました。この間に3回開催されたTPNW締約国会議では、TPNWが核不拡散条約(NPT)を否定するものではなく、むしろ補完する条約であることが繰り返し確認されています。NPT第6条に「核兵器の軍縮を含め、軍縮を促進するために誠実に交渉すること」とあるように、NPTに参加する190か国がそのことを確実に進めていくことを前提としているからです。

いっぽう国際社会では、ロシア・ウクライナ戦争や、パレスチナ・ガザ地区でのイスラエルによる攻撃によって、多くの市民が戦争の犠牲となっています。なかなか停戦が実現しないなかで、核兵器使用も選択肢に入るなどといった発言が繰り返されてきました。日本国内においても核共有を議論すべきという声が政治家の一部から聞かれるなど、核兵器使用のハードルが下がっているのではないかという危機感を強めています。

広島・長崎以降、被爆者をはじめ世界の市民の声が、戦争における核兵器の使用を、辛くも今日まで阻んできました。これから先の未来にわたって、この歴史を正しく繋いでいかなくてはなりません。そのためには、一刻も早く核兵器廃絶を実現させる必要があります。核兵器が存在する限り、いつ使われるかわからないという危険がいつも存在するからです。

原水禁は「日本労働組合総連合会(連合)」と「核兵器廃絶・平和建設国民会議(KAKKIN)」と連携し、2026年春開催予定のNPT再検討会議にむけた「核兵器廃絶1000万署名」にとりくみます。前回の2020年に行った同様の署名の最終集約数は824万7714筆でした。被爆80年の節目にも当たる今回のとりくみは、目標である1000万人の署名を集められるように力を尽くしていきたいと考えます。

原水禁は、核兵器廃絶をめざすすべての皆さんに本署名へのご協力を、心から呼びかけます。

「核兵器廃絶1000万人署名」

呼びかけ団体:連合・原水禁・KAKKIN
とりくみ期間:2025年4月から2026年3月まで
要請先:日本政府・国際連合
要請内容:
私たちは、核兵器廃絶と世界の恒久平和をめざして国連と日本政府に対して次のことを要請します。
〇2026年NPT再検討会議で、核兵器廃絶への着実な道筋について合意すること。
〇「核兵器禁止条約」について、日本政府をはじめとした未批准国は一日でも早く批准し、世界中のあらゆる核兵器の根絶を実現すること。
〇各国政府は、次世代のため、世界の恒久平和に向けた役割を果たしていくこと。

>>オンライン署名はこちら(外部サイト)<<

>>署名用紙データはこちら( PDF )<<

※署名済の用紙は、原水禁にお送りください(〒101-0062東京都千代田区神田駿河台3-2-11連合会館1階)

 

4月12日「核燃料サイクルを考えるシンポジウム」を開催(4/22報告動画掲載)

2025年04月14日

【4月12日開催「核燃料サイクルを考えるシンポジウム」報告】

「核燃料サイクルを考えるシンポジウム」が、4月12日に東京の日本教育会館一ツ橋ホールで開催され、約300人が集まりました(主催:核燃料サイクルを考えるシンポジウム実行委員会)。

核燃料サイクルをめぐる国内・国外状況はこの40年で一変し、再処理工場が竣工延期を繰り返す中でも、日本の核燃料サイクル政策は全く変化しません。青森の「4.9反核燃の日」に連帯しつつ、大電力消費地である首都圏から原発・核燃料サイクル政策の根本的転換を訴える機会にするべく、このシンポジウムは企画されました。

シンポジウムは「第一部 問題提起」と「第二部 パネルディスカッション」の二部構成で行われました。
第一部では、鈴木達治郎さん(長崎大学RECNA客員教授)と澤井正子さん(核燃サイクル阻止1万人訴訟原告団 運営委員)のお2人から問題提起をいただきました。鈴木さんは歴史的、経済的、政策的側面から、澤井さんは再処理工場の危険性などについて、お話をされました。
第一部に続いて、主催者代表として鎌田慧さん(さようなら原発1000万人アクション)から挨拶がありました。

休憩をはさんで第二部では、松久保肇さん(原子力資料情報室 事務局長)をモデレーターとして、パネルディスカッション「核燃料サイクル政策を多様な視点で考える」を行いました。パネリストとして鹿内博さん(青森県議会議員 原子力・エネルギー対策特別委員)、足立心愛さん(元Fridays For Futureオーガナイザー)、田中美穂さん(カクワカ広島 共同代表)がそれぞれ問題意識を語った後、第一部にご登壇の鈴木さんと澤井さんを交えて、主に「環境正義」と「核兵器」の2つの観点から、議論を行いました。

なお「核燃料サイクルを考えるシンポジウム実行委員会」では今後、核燃料サイクル政策の根本的転換などを求めて、経済産業省への要請行動を予定しています。
また本シンポジウムの討論は後日報告集(電子データのみ)としてまとめ、「核燃料サイクルを考えるシンポジウム実行委員会」参加団体・個人のホームページ等で掲載いたします。
(6月完成予定、完成後には原水禁ホームページにも掲載いたします)。

以下、シンポジウムでの発言概要

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原水禁フィールドワーク「丸木美術館・吉見百穴地下軍需工場」のご案内

2025年03月19日

原水禁は4月13日、フィールドワーク企画を実施する予定です。

連作「原爆の図」で知られる丸木位里・俊夫妻の作品を常設展示する「丸木美術館」(埼玉県東松山市)を訪問します。なお、本年9月をもって全館改修工事のため長期休館(2年弱の予定)に入るとのことですので、この機会をぜひご活用ください。

また、その近隣に所在する「吉見百穴」(埼玉県吉見町)は古墳時代の横穴墓群として知られていますが、太平洋戦争末期には数千人の朝鮮人労働者を動員した突貫工事により、地下に軍需工場が建設された場所です。

いずれも戦争と核の被害の実相、そして加害の歴史の一端に触れることのできる、貴重な施設・史跡ですので、本フィールドワークへの積極的なご参加を呼びかけます。

原水禁フィールドワーク「丸木美術館・吉見百穴地下軍需工場」

日時:4月13日(日)9時30分~17時(予定)
参加費:5000円(当日集金します)
募集人数:40人程度(先着順)
集合:東京・連合会館前
主催:原水爆禁止日本国民会議(原水禁)
スケジュール:
9:00受付開始/9:30連合会館前出発/11:00吉見百穴地下軍需工場跡見学 ※解説あり
/12:10昼食(和食レストラン)/13:30丸木美術館 ※解説ののち自由鑑賞
/17:00連合会館前到着・解散(予定)
申込方法:参加申し込みフォーム( wordファイルpdfファイル )にご記入の上、4月3日(木)までにメールまたはFAXでお送りください。

4月12日開催「核燃料サイクルを考えるシンポジウム」開催のご案内

2025年03月10日

核燃料サイクル問題は、六ヶ所再処理工場がある青森だけの問題ではありません。
“4.9反核然の日”に続け!と、東京でも「核燃料サイクルを考えるシンポジウム」を開催します。

40年かけても核燃料サイクルは計画通りに進まないどころか事業費の膨張が進み続けています。
それにもかかわらず、いまだ再処理工場の竣工をあきらめない政府。なぜ?

【一部】では、「歴史的、経済的、政策的」側面から鈴木達治郎さん(長崎大学RECNA客員教授)に、澤井まさ子さん(核燃サイクル阻止1万人訴訟原告団)には「再処理工場」とは何なのか、問題提起をしていただきます。
【二部】では、松久保肇さん(原子力資料情報室)をモデレーターに、パネルディスカッション「核燃料サイクル政策を多様な視点で考える」をおこないます。

全国からのご参加、お待ちしております。

チラシ表面はこちら(第2弾チラシ)
チラシ裏面はこちら

 

なお、裏面には、賛同金募集のご案内も記載しておりますので、ご覧ください。


核燃料サイクルを考えるシンポジウム

2025年4月12日(土) 開場 13:00 開始 13:30 終了予定 16:30

第一部 問題提起
鈴木達治郎さん(長崎大学RECNA客員教授)
澤井正子さん(核燃サイクル阻止1万人訴訟原告団)

第二部 パネルディスカッション
「核燃料サイクル政策を多様な視点で考える」
足立心愛さん(元Fridays For Futureオーガナイザー)
田中美穂さん(カクワカ広島)
鹿内博さん(青森県会議員)
鈴木達治郎さん(長崎大学RECNA客員教授)
澤井正子さん(核燃サイクル阻止1万人訴訟原告団)

会 場:日本教育会館大ホール
東京都千代田区一ツ橋2丁目6−2
地下鉄都営新宿線・東京メトロ半蔵門線神保町駅(A1出口)徒歩3分

資料代:1000円

事前申し込み:
docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSd1OJ_f5UI4fG0t8E841b_9j9lU3Io4MnkTTmbE8yI-DSS9ew/viewform
※当日の受付の簡素化、資料印刷数の目安のためにお願いしております。
※お申込みのない方もご参加いただけます。
※オンライン配信はございません。

主 催:核燃料サイクルを考えるシンポジウム実行委員会

連絡先:
原水爆禁止日本国民会議
東京都千代田区神田駿河台3-2-11 連合会館1F TEL.03-5289-8224
原子力資料情報室
東京都中野区中央2-48-4 小倉ビル1F TEL.03-6821-321140

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3月15日福島県民大集会、16日フィールドワークを開催

2025年04月07日

3月15日福島県民大集会報告

事故から14年にあたる2025年3月15日、福島市パルセいいざかで「原発のない福島を!県民大集会」が開催され、全国各地から約1000人が参加しました。

浪江町の南津島郷土芸術保存会による「南津島の田植踊」から始まりました。

実行委員長のあいさつでは、福島の現状が語られるとともに、「原発事故当時の状況に立ち返り、福島原発事故の教訓とは何だったのか、改めて確認するとともに、福島原発の過酷事故の実情、人々の苦悩、原発事故から得た教訓を、若い世代にも継承していくことも、私達の使命だというふうに思います」と会場の参加者への訴えがありました。

続いて、さようなら原発1000万人アクションから、呼びかけ人で作家の佐高信さんが連帯挨拶をしました。農民文学者である草野比佐男「老いて蹌踉 (おいてそうろう)」の詩の一節を紹介し、福島原発事故や今の政治を作者はどう嘆いたであろうかと、話ました。

集会に寄せられたメッセージの紹介に続き、福島大学 食農学類教授の小山良太さんによる講演「原発事故の教訓をどう生かすか」が行われ、過去の教訓から学ぶことの大切さが指摘されました。

福島からの発信として、「生活再建の状況」、「再生可能エネルギー」をメインテーマに報告がなされ、若者からの訴えでは高校生平和大使から報告が行われました。

アピール採択ののち、「原発事故は終わっていない」「福島の悲劇を繰り返すな」と書かれたプラカードを掲げ、会場一体となってアピールをおこない、最後に閉会あいさつが行われました。

2025県民大集会アピール [PDF]
「2025 原発のない福島を!県民大集会」ホームページ

なお、集会後には、同会場内でフクシマ連帯キャラバンの閉校式が行われています。

 

原水禁主催「被災地フィールドワーク」報告

「原発のない福島を!県民大集会」の翌日3月16日に、原水禁主催でフィールドワークを行いました。
今回のフィールドワークは、飯舘村長泥地区の視察~浪江町大平山霊園~浪江町請戸港・震災遺構請戸小学校~東日本大震災・原子力災害伝承館視察を予定していましたが、寒の戻りの雪の影響で一部変更しての実施となりました。
飯舘村長泥地区は、福島原発から30㎞以上離れていたことで、極めて高い放射線量に汚染されていることがわかっても、ただちに避難することもできず、4月中旬になって、ようやっと国が全村避難の指示を出したという地域です。翌年2012年7月には帰還困難区域に指定されました。
現在、長泥地区では環境省が主体となって、飯舘村内の放射能汚染土壌を再生資源化するための実証試験を行う事業が進められています。今回のフィールドワークでは、「除去土壌の再生利用」について環境省の説明を聞きながら、試験が行われている田畑を見学しました。
環境省の説明では、除去土壌を基盤にしてその上に盛り土をしたうえで、野菜や米を栽培し、収穫した作物の放射性物質の濃度を検査するなどして、営農できる農地の回復をめざす事業とのことです。
参加者からは、そもそも汚染された土壌を再利用するということの問題、除染されていない山から流れてくる地下水の問題など質問が投げかけられました。
また、中間貯蔵施設にため置かれている福島県内で除染によって出た土壌をどうするのかという問題も非常に難しい課題であることも指摘されました。法律では2045年3月までに県外最終処分することが決まっていますが、「外に持って行ってほしい」という福島県民の願いと、福島県外の自治体や市民の思いに、簡単には結論を出せない難しさを感じます。なによりも事故を起こしてばら撒いてしまった放射性物質の所有者である東京電力の責任があまりにも希薄ではないでしょうか。
春の雪の影響で時間を押してしまい、浪江町の大平山や震災遺構は車窓からの視察となり、東日本大震災・原子力災害伝承館の見学も十分な時間がありませんでした。伝承館については、前日開催された「原発のない福島を!県民大集会」のなかで、東京電力の責任を問う展示がないことが指摘されていました。参加者からは、入館して視る映像が以前は白黒だったがカラーになって現実感があった、脱原発の世論が盛り上がりを見せたことも展示したほうが良いのでは、との感想が出されていました。

 

3月8日「さようなら原発3.8全国集会」を開催

2025年04月07日

「3.11福島原発事故を忘れない」をメインテーマに、さようなら原発3.8全国集会が、3月8日東京の代々木公園で開かれ、約3000人が集まりました。
集会は、特設されたミニステージ、野外音楽堂でのメインステージが行われ、集会後にはパレードも行われました。

詳しくは、以下のさようなら原発1000万人アクションのウェブサイトをご覧ください。

3月8日開催「さようなら原発3.8全国集会」報告

2月24日「ウクライナに平和を!核兵器を使うな、原発に手を出すな」集会を開催

2025年03月31日

2月24日、東京・日比谷野外音楽堂で「ウクライナに平和を!核兵器を使うな、原発に手を出すな」集会が、原水禁が事務局を務める「さようなら原発1000万人アクション」実行委員会と「戦争をさせない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」との共催で開かれ、各地から600人が集まりました。

詳しくは、上記報告動画および、以下のさようなら原発1000万人アクションのウェブサイトをご覧ください。

「ウクライナに平和を!核兵器を使うな、原発に手を出すな」集会&デモ報告

 

被災71周年3.1ビキニ・デー全国集会を開催しました

2025年03月04日

原水禁は2月28日、静岡市・静岡労政会館ホールにて「被災71周年3.1ビキニ・デー全国集会」を開催し、全国から約180人が参加しました。

本集会は渡邊楓花さん(静岡・高校生1万人署名活動メンバー、2023年長崎派遣代表)と江﨑稟真さん(大学生、高校生1万人署名活動学生サポーター)が司会を務めました。

はじめに、染裕之・原水禁共同議長が主催者あいさつを行いました。ウクライナやパレスチナなどの状況に触れ、核使用の危険性が高まっていることを指摘。また、3月3日から開催される日本政府の核兵器禁止条約(TPNW)締約国会議への不参加決定を批判し、原水禁運動の真価が問われているとしました。

また、開催地・静岡を代表して静岡県平和・国民運動センターの福井淳会長があいさつ。ビキニ事件とその被害の経過を振り返りました。核なき世界を実現することは次代への私たちの責務とし、そのためにしっかりとりくむ決意を述べました。

原水禁共同議長である金子哲夫さんから「被爆80年・核兵器廃絶のために 原水禁運動に歴史に学ぶ」と題した講演を受けました。原水禁運動はビキニ事件を契機に始まり、広島・長崎の被爆から約10年のブランクがあります。それは米軍のプレスコードによって広島・長崎の被害の実態が隠されていたことが大きな原因ですが、第1回原水爆禁止世界大会で被爆者自身が被爆体験を語ったことで、被爆の実相が全国各地の市民に受け止められ、核兵器廃絶と被爆者救済が運動の柱となりました。

そのことを原水禁運動の原点として確認しつつ、その後の運動の歴史について解説しました。そのなかで重要な意味を持つ出来事のひとつが、マーシャル諸島の被災者との出会いでした。日本だけが「被爆国」ではないことにくわえ、核実験やウラン採掘によって先住民族など弱い立場にいる人たちに核被害が集中している現実に直面することになりました。その中から「核と人類は共存できない」という核絶対否定の理念を確立していった経過が説明されました。

冷戦以降一貫して数としては核兵器が減少しているようにも見えますが、実戦用に配備されている数を見ればこの間はむしろ増加しています。ロシア・ウクライナ、イスラエル・パレスチナなど核と戦争をめぐって世界は厳しい状況ではあるが、いのちの尊厳をうばい核兵器使用に繋がる戦争を否定する「ヒロシマの心」 に立脚して運動を強化することが私たちの課題だとしました。とりわけ自治体決議や署名運動などをつうじて日本政府のTPNW参加を迫っていくことが重要だと述べました。

世界の核被害者と連帯しすべての被害者の救済を実現していくことの必要性、「被爆者援護法」を国家補償法へと改正していくことの意義、そして加害の歴史と責任をしっかりと追及していくことの重要性などを語り、市民一人ひとりの力は弱くとも、世界の人びとと連帯し核廃絶に向けてあきらめず声を上げ続けることを呼びかけました。

つづいて第五福竜丸漁労長だった故・見崎吉男さんのご遺族、杉山厚子さんからの講話がありました。見崎さんは漁業界や地域社会からは不幸を持ち込んだとして冷遇され、マスコミから事実に基づかない批判を受けた経験から、たいへんな苦悩を抱え込み、長年その体験を語ることがありませんでした。

2001年、大学での公開講座をきっかけに見崎さんは被爆証言を語るようになりましたが、その際も必ず謝罪のことばを述べていたと言います。そのことは見崎さんが心にため込んだ悲しみや苦しみの深さを物語っています。杉山さんは父である見崎さんの思いを引き継ぎ、証言活動を行ってきました。家族として見守ってきた見崎さんの姿や核廃絶への思いについて語られ、最後に見崎さんの墓碑に刻まれた自作の詩を紹介されました。

「だれにだって 風の日も雨の日もあらしの日だってあるさ 大切なのは夢をしっかり抱きしめて いのちいっぱい生きたか 波のように何度でも立ち上がったかだ」

会場では「ビキニ市民ネット焼津・かまぼこ屋根の会」が、見崎さんの写真や見崎さんの遺志を継いでマーシャル諸島を訪問した際の写真などを展示しました。

静岡選出の高校生平和大使(第27代)の谷河優那さん、粂田陽菜さん、水野可麗さんから活動報告やそれぞれの思いについて発言。この1年間、ジュネーブや広島・長崎への派遣のほか、日々署名活動を重ねてきました。とくに小学校での平和の授業での講師を務めたことを報告し、そのときに合唱した「千羽鶴」を披露。歌詞の「鶴を折る」の部分では、参加者もいっしょになって手話で表現しました。

司会から本集会に鈴木康友さん(静岡県知事)、難波喬司さん(静岡市長)、中野弘道さん(焼津市長)、市田真理さん(公益財団法人第五福竜丸平和協会事務局長)、デスモンド・ドラチョムさん(マーシャル諸島・REACH-MI研究部長)からメッセージが寄せられていることが紹介されました。

静岡県平和・国民運動センター幹事の坂本恵久さんが集会アピールを読み上げて提案、全体で確認し、集会を終えました。(メッセージおよびアピールは本記事に掲載しています)

翌3月1日、久保山愛吉さんのお墓のある焼津市・弘徳院で墓前祭を開催しました。染・共同議長と地元・志太平和フォーラム代表の中山亜樹彦さんがあいさつ。その後参加者全員で久保山さんのご冥福をお祈りしました。墓前に花束と線香を捧げるとともに、核廃絶に向けた決意をあらたにしました。

集会へのメッセージ

鈴木康友さん(静岡県知事)

「被災71周年3・1ビキニデー全国集会」の開催に当たり、原水爆の犠牲となられた方々に謹んで哀悼の意を表します。

静岡県では、県及び全ての市町が非核宣言を行っており、核兵器の廃絶と平和な世界の実現は県民共通の願いであります。

私は、県民の思いを大切にし、誰もが安心して暮らすことのできる、平和で豊かな“幸福度日本一の静岡県”の実現に向けて、全力を尽くしてまいります。

本日の集会が、県民、そして人類共通の願いである核兵器のない、戦争のない平和な世界の実現に向けて大きく寄与されますことを、心から祈念いたします。

難波喬司さん(静岡市長)

被災71周年3・1ビキニデー集会の開催にあたり、原水爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げますとともに、多くの方々の御支援・御賛同のもと開催されますことをお慶び申しあげます。

世界における核兵器廃絶に向けた気運がこれまでになく高まってまいりましたのも、皆様の不断の取り組みがあってこそと、深く敬意を表し、衷心より感謝いたします。

本集会がビキニ被爆の実相を内外に広く伝え、核兵器の非人道性を強く発信し、世界を恒久平和へと導く大きな力となりますことを心より祈念いたします。

中野弘道さん(焼津市長)

「被災71周年3・1ビキニデー全国集会」が開催されるにあたり、焼津市民を代表してメッセージをお送りいたします。

太平洋マーシャル諸島にあるビキニ環礁での米国の水爆実験により、マーシャル島民や近海で操業していた多くの船や船員が被災してから、本年で71年が経過しました。

また、昨年は、日本原水爆被害者団体協議会がノーベル平和賞を受賞されました。改めて受賞をお祝い申し上げます。

このことは、世界各国の多くの人たちの核兵器廃絶運動の機運を高めたものと思います。

「核兵器のない世界」の実現は、私たちの共通の願いでもあります。

焼津市では、毎年6月30日に核兵器廃絶と恒久平和の実現を訴える「市民集会」をはじめとした平和推進事業を通じて、焼津市民が平和を愛する心を持ち、後世に語り継いでいくよう取り組んでおります。

また、本市が加盟しています平和首長会議、非核宣言自治体協議会の一員として、共に平和運動を展開し、世界平和の実現のため、引き続き取り組んでまいります。

結びに、皆様方の活動が、「核兵器のない世界」の実現につながりますことを念願いたしますとともに、御参加の皆様の御健勝と御活躍を心からお祈り申し上げます。

市田真理さん(公益財団法人第五福竜丸平和協会事務局長)

被災71周年 3・1ビキニデー全国集会 ご参集のみなさまへ
連帯の挨拶をおくります

核と人類は共存できない。その信念を持ち、被災71周年3・1ビキニデー全国集会にご参集のみなさんに、連帯のご挨拶を申し上げます。そして今なお苦しむ、世界のヒバクシャに心から連帯の想いを伝えます。

1954年3月1日、日本のマグロ漁船・第五福竜丸がアメリカの水爆実験ブラボーに遭遇し被災しました。実験場から160km離れていたにもかかわらず、第五福竜丸には放射性降下物=死の灰が降り注ぎました。23人の乗組員たちは頭痛、吐き気、放射線火傷、脱毛などの急性症状に見舞われ、半年後には無線長の久保山愛吉さんが亡くなりました。その後ほとんどが20代の乗組員のみなさんも、人生を狂わされ、自らの苦しみを口に出せないまま亡くなっていきました。

しかし、被害は第五福竜丸だけではありません。

核実験場にされたマーシャル諸島には深刻な健康被害と環境破壊が遺されました。

操業中の多数の漁船や航行中の貨物船にも死の灰は降ったのです。しかも太平洋での核実験はその後も続けられ、「核の海」で生き、仕事せざるを得ませんでした。

生活と命を脅かす核実験に対し、不安と憤りから始まった原水爆禁止署名運動は、やがて原爆被害者たちの背中を押し、日本原水爆被害者団体協議会結成へとつながっていきました。昨年、その日本被団協にノーベル平和賞が授与されたことは、核をめぐる世界への警告にほかなりません。

その重みを心に刻んで
第五福竜丸は 核のない未来に向かって いまも 航海中です。

デスモンド・ドラチョムさん(マーシャル諸島・REACH-MI研究部長)

YaKwe Aolep(マーシャル語で「みなさん、こんにちは!」)

太平洋の真ん中にあり、国の99.99パーセントが海であるマーシャル諸島共和国からご挨拶を申し上げます。「Pacific」は平和を意味し、太平洋は世界の3分の1を占めています。マーシャル語で平和を意味する⾔葉は“Aeineman-Ae”であり、Aeは「流れ」、inは「ために」、emanは「良い」を表しており、これは平和な流れを意味しています。今日の世界において、核問題ほど私たちの平和を脅かすものはありません。先日行われた⽇本の高校生平和大使とREACH-MI、CMI原子力研究所、CMI太平洋研究所の学生たちとの異⽂化交流では、私は、善意と連帯を認識することを通じて平和を理解すること、そしてCMI核研究所の所長であるケネス・ケディ教授が「平和な太平洋とは核兵器のない太平洋であることを常に意味する」といった雄弁で示したような、私たちの目下の現実よりも良い定義を明確にすることを通じて、平和を理解するようになりました。

マーシャル諸島は、日本と同様、核兵器の被害がどのようなものかをよく知っています。3月1日の「核被害者追悼の日」は、それを思い起こさせてくれます。核兵器は、たとえ原子力エネルギーによる民生用であっても、数年前の福島原子力発電所の事故と同じ致命的な運命をたどるのです。私はこのことを、太平洋のピースボートにミシェル・アラキノを中⼼とするフランス領ポリネシア・タヒチの仲間たち、エネ・ウェタク族長のもとで2人の男の⼦を育てるブルック・タカラ、核問題を専門とする日本人ジャーナリスト高瀬剛さん、シンガポールのアンジェリ・ナランドランさんを中⼼とするピースボートの担当者、そしてREACH-MIの⼤切な仲間たちと一緒に参加して学びました。

核のない世界のため、市⺠社会の行動に関する5つの提⾔が太平洋平和フォーラムから発表され、多くの進展がありました。これまでと同じように私達が闘い続けていくことをお願いしたいと思います。提⾔は以下の通りです。

私たちは次のことを続けなければなりません。

1)「原子力災害の撤廃、リスク削減、対応、復興に関する行動の太平洋規模の枠組み」を策定する。これは以下のことを含みます
-ロビー活動およびキャンペーン
(核災害のリスク削減や対応の重要性を訴えるための政治的・社会的な働きかけ)
-脅威の指標の特定とコミュニティの回復力の向上
-対応の実施要項
(核災害が発生した際の具体的な対応手順の策定)
-再定住の実施要項
(被災者の避難や移住の手続きの明確化)
-土地利用の再考を含む経済復興の実施要項
(被災地の経済を復興させるための⽅法を検討し、新しい土地利用のあり方を考える)
-調査の実施要項
(核災害に関する研究を進めるためのルールや指針を整備する)
-人権の監視
-フィードバック回路
-第三者によるモニタリングと評価の枠組み

2)すべての人がアクセスできる原子力災害とその影響に関する知識の国際的な保管場所を作る。私達は以下の事を継続しなければなりません
-現在進行中の調査からデータを収集する。
-世界中で行われているさまざまな法的手続きに関する情報を収集する。
-損害の補償と収益化に関わる判例に関する情報を収集する。
-科学的医学的知見に関する情報の収集
-さらなる共同研究のためのプラットフォームの提供

3)原発災害と原子力発電所の苦境に関する直接の記憶の国際的な保管場所を作る。原子力災害と原子力被害を受けた地域社会の苦境に関連する一次記憶の国際的な保管場所を作る。
-視聴覚資料のアーカイブ化
-被爆者・被災者の証言の収集

4)SDGsに沿った、原子力問題に関する公式/非公式のカリキュラムを開発
-科学
-核の歴史
-影響を受けたコミュニティのストーリー
-⼈道的・環境的影響
-⽂化的損失とその他の無形の影響

5)オンラインの反核活動プラットフォームを開発し、促進する
-情報共有
-共同行動
-議論
-メディアへのアクセスと影響
-ロビー活動およびキャンペーン
-資金調達
-国際協力と連帯

6番目の、そして最後の提言として、私は、私たち全員が私たち自身に優しくなり、私たちのこれまでの長い道のりを評価するようお願いします。私たち自身、そして、核エネルギーと核爆弾の惨禍に苦しむ人々のため、祈りを捧げ続けてほしいのです。

Kommol Tata(マーシャル語で「ありがとうございます」)

被災71周年3.1ビキニ・デー全国集会アピール

1954年3月1日、アメリカによるビキニ環礁での水爆実験によって、「第五福竜丸」をはじめとする日本の漁船が被爆し、「第五福竜丸」乗組員であった久保山愛吉さんは原爆症との闘病の末、亡くなりました。この被害に対する衝撃を契機に、原水爆禁止署名運動が全国に拡がり、これが現在まで続く原水禁運動の出発点となっています。

1956年には日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が結成され、被爆者援護の実現を求めるとともに、被爆の実相の証言を国内外で積極的に積み重ねてきました。そして2024年にはこれまでの活動が評価され、日本被団協がノーベル平和賞を受賞しました。核の非人道性を国際的に明らかにしてきた日本被団協のとりくみに心から敬意を表します。

私たちもこれまで、「被爆者の救済なくして核廃絶なし」「核廃絶なくして被爆者の救済なし」、そして「核と人類は共存できない」のことばを原水禁運動の基礎に据えながら、核廃絶にとりくんできました。それにもかかわらず、被爆から80年を迎える2025年、核なき世界の実現にいまだ至らず、むしろ核兵器使用のリスクが高まり続けています。核兵器の小型化や高性能化、核弾頭の増強、そして核兵器使用の威嚇が行われています。

こうした状況のなかで、被爆者の皆さんは日本政府に対し、核兵器廃絶に向けとりくむことを求め続けています。そのひとつが核兵器禁止条約(TPNW)に対する態度変更です。

日本政府はTPNWへの署名・批准どころか、締約国会議へのオブザーバー参加すら拒んできましたが、被爆者をはじめとした多くの市民の声をまえに、石破首相がオブザーバー参加の検討を口にするなどし、この3月にニューヨークで行われるTPNW第3回締約国会議へのオブザーバー参加が焦点となってきました。しかし、調査・検討を理由に態度をあいまいにしてきた挙句、2月18日、日本政府のTPNW第3回締約国会議への不参加を決定しています。

岩屋外務相は核兵器国を交えずに核軍縮を進めることは難しいとか、オブザーバー参加が日本政府の核抑止政策について誤ったメッセージを与えるおそれがあるなどと述べていますが、「核保有国と非保有国の橋渡し役」を自任するならそのためにも積極的に参加すべきです。そして、本当におそれるべきは戦争被爆国日本が核兵器廃絶に向けた努力に対し、ネガティブなメッセージを発信することではないでしょうか。

不参加決定は残念ですが、私たちはあきらめたり、歩みを止めることはありません。私たちはあらためて日本政府が核抑止論から脱却し、核兵器廃絶に向けた具体的な行動にとりくむことを求めます。日本政府のTPNWに対する態度をあらためさせることが、世界の核軍縮、ひいては核兵器廃絶に向けた動きに大きな弾みをつけることになることを確信し、日本全国で行動し、核廃絶を願う世界の人びととの共同を切り拓いていきましょう。

久保山愛吉さんは「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」とのことばを残し亡くなりました。久保山さんをはじめとするすべてのヒバクシャの核廃絶の願いを胸に刻み、核も戦争もない世界に向け、原水禁運動を大きく前進させる決意を確認しあい、本年のビキニ・デーにあたってのアピールとします。

2025年2月28日
被災71周年ビキニ・デー全国集会

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