2011年08月08日
参加者は、約130人 内初参加者50人ほどの参加で開催。(被爆者の方も多数)。
フォトジャーナリストの豊崎博光さんからは、「70年代後半から、原爆だけではなくすべての核被害、ウラン採掘段階からのヒバクを取り上げて原水禁は、核と人類は共存できないと言ってきた。」とし、「核実験による放射能汚染が世界に広がってきたし、チェルノブイリの原発事故も同様、今回の福島第一原発の事故でも、世界に広がっている。」ことを資料を基に説明いただいた。
その上で、「核兵器を無くすだけではヒバクはなくならない。」「平和利用といってもウラン採掘段階からヒバクをするのであり、原子力を止めるべき。」と強調された。
ここまでの、提起は全体で受け止めることが出来ると思う。
問題は、次の提起をどう受け止めるか。
豊崎さんは、「(福島の事故で)生み出したヒバク者をどうケアをしていくのか?」と問題を投げかけ、①健康被害対策=癌だけではない。甲状腺障害は、成長を止めてしまうなど、癌以外にもさまざまに影響が有る。②心の被害=心配によるうつ状態。差別の問題。③故郷から引き離されコミュニティーを失う。仕事を失う。暮らし全体が破壊される。
との問題点とどう私たちが向き合っていくのかとの提起であった。
この提起は、「核兵器を廃絶だけではなく、原爆被爆者の援護策が必要である」のと同様に、「原発を廃絶しても、福島を中心とした放射能被害の救済が必要」との提起であり、脱原発の取組だけに終わらせることなく、福島を中心とする被害の現状をしっかり全体で受け止めていただきたい。
ロシアNGOのアントン・ブドビチェンコさんからは、以下の報告と提起があった。
・事故後暫く汚染状況を知らされなかった。その後、ミルクは飲むな、外に出るなといわれたが、すでに、山のきのこを採って食べ、湖の魚を釣って食べた。
・住んでいるところは、強制移住区域、避難区域、汚染区域、安全区域の4つの区域に分けられた。
・アントンさんの所は、避難区域だったが、強制ではなかった。レベルの高いところの1m隣は低かったり、道を歩いていても何処が危険かわからなかった。
・徐々に、経済は悪化し、農場も成り立たなくなった。工場も6箇所あったが、1箇所しか残らなかった。
・医者や先生など、専門知識を持つ方は、町から出て行った。
・政府は、保障を始めたが、失業者に1万2千円程度。仕事はなく、昼から酒を飲みだし、j子供は薬物に手を染めた。
・このとき、旧ソビエトという国は危機を迎えていた。
・私たちは、海外のNGOの協力も得て、子供たちを1~2週間海外に連れて行ったり、後には国内の汚染レベルの低いところにキャンプに連れて行ったりした。
・子どもだけではなく、お年寄りや障害を持った方へのボランティアも行なってきた。
・リハビリ施設を立ち上げたり、「コンピュータークラブ」を立ち上げたり、子どもたちが集まれる場を作ってきた。
・子どもたちの3割は甲状腺の障害がある。高齢者の7割が何らかの障害を抱えている。
・しかし、政府の公式発表は、事故の犠牲者(死亡者)は30人。現在もがん患者が増えているが、事故とは無関係という態度。
・チェルノブイリの事故は、「過去のこと」にしたいのが政府の考え。
・福島の事故は、幸い私たちと違い、TVで紹介されている。私たちは(自分たちのために)、これからも福島の皆さんと交流していきたい。
・みなさんは、起きた事故に対して闘っている(事故が進行中ということ?脱原発?)が、私たちは、事故がおきた結果(放射能汚染被害)と闘っている。私たちも協力できると思う。
以上、報告と提起終わり。
この提起は、国が事故を切り捨てようとしているということであり、NGOなど民間のボランティアでチェルノブイリの被害者が救済されているということ。「日本では、政府はそこまで見捨てないだろう」との感覚を持つ方も多いと思われるが、そうではないと感じる。
1つには、チェルノブイリ事故後のアントンさんたち住民への扱われ方が、福島を中心とした地域の住民の扱われ方と全く同じであるということ。稲わら汚染による牛肉の内部ヒバクが言われているが、農家は何も知らずに野菜を食べ、水を飲み、呼吸をしてきた。
2つには、原発被爆者の扱われ方である。会場から長崎の被爆者のイワナガさんから報告があったように、旧長崎しないでなければ、12km内であっても被爆者と認められない。国は、入市や遠距離ヒバクとしての低線量は認めるが内部ヒバクは認めない。「ヒバク体験者」として、被爆者を差別し、切り捨ててきた。
このことから、旧ソビエトのように、「フクシマ」が切り捨てられることは十分に考えられる。
豊崎さんの、「(福島の事故で)生み出したヒバク者をどうケアをしていくのか?」との問題提起に戻るが、ここで重要なのは、「低線量内部ヒバク」に関してである。
会場から被爆者の皆さんから多数発言を頂いたが、被爆者の苦しみはここにあった。
フクシマの報告でも、何を信じて言いか分からずパニック状態になっている。フクシマを離れた人も多く、夏休みをすぎてどれだけもどってくるのだろうとの状況も報告いただいたが、ここでも「低線量内部ヒバク」に関する脅威が語られている。
これまで、「核兵器廃絶」はもちろん「被爆者援護政策」を取り組んではきたが、被爆者の苦しみの根源である「低線量内部ヒバク」に関しては、原発問題とリンクする為か、あまり問題にはしてこなかった。
医師会や医学会の公式見解も「低線量内部ヒバク」に関しては、「影響がない」としているのであり、この点は原子力を進める側にたってきた「研究者」同様であると感じる。
原子爆弾を、ピカ・ドンと呼ぶが、原子爆弾が怖い一番理由は、熱線でもなく爆発力でもなく、後々苦しめる「低線量内部ヒバク」による後遺症である。それは、がんに限らず、「ぶらぶら病」とも表現される症状など千差万別である。
原爆被爆者の皆さんにお願いしたいのは、これからフクシマで発祥するであろう、被爆の後遺症を政府に保障させていくためには、フクシマの皆さんが手帳をもらうというだけではなく、「科学的に明らかでない」と切り捨てられる、被爆者の皆さんの「後遺症」をしっかり訴えていただきたいということです。このことは、フクシマの皆さんを助けることになる。
フクシマの皆さんは、しっかり大変さをうったえていく。このことは、被爆者の皆さんの原爆後遺症を認めさせることにも繋がる。お互いが協力し合うことで、運動が広がっていくのだと思います。
最後に、厄介なのは、フクシマの原発事故は進行中ということです。これからの健康被害だけではなく、今漏れている放射能汚染からどう子供たちを守るかも過大なのです。後遺症への補償政策だけではなく、現在の健康保障や暮らしの保障が必要であることもご理解いただきたいと思います。
また、3号機はプルサーマルですし、4号機の使用済みプールが地震等で壊れて落ちれば、日本中が終わってしまう危険性もいまなおあるのです。
2011年08月06日
原水爆禁止世界大会・広島大会まとめ
被爆66周年原水爆禁止世界大会
事務局長 藤本泰成
「緑の中で、深呼吸がためらわれる」これは、今大会の国際会議の中で報告された、福島平和フォーラムの原利正事務局長の言葉です。
声を荒げて主張するわけではない、淡々と福島の現状を語る原さんの言葉の中に、私たちのごく普通の日常が壊れていく「フクシマ」の現状が見えてきました。
第4分科会で発言された、同じく福島の国分さんは、家族のためにどうしたらいいのかと思う苦しい心の内を述べて、原子力に関わってきた人々に対して「核利用には、軍事利用も平和利用もない“使うな”と言いたい」と怒りを露わにしました。
福島原発事故は、ゆっくりとしかし確実に、日本社会の日常を変えています。水素爆発は、いったいどれだけの放射性物質を放出し、どれだけの範囲を汚染したのか、はたして正確な情報が国民に知らされているでしょうか。
「フクシマ」では、通常では放射線管理区域に指定される汚染地域、つまり一般の人の立ち入りが制限され、線量計の常時携帯と健康診断の実施が義務化される地域において、生活を余儀なくされている人々が100万人以上に及んでいると、チェルノブイリ事故の放射線障害と取り組まれてきた医師の振津かつみさんから報告がありました。しかし、政府はそのことを明らかにしていません。それは、法治国家の中にあって、明らかに違法な状態なのだと指摘されています。原発推進政策は、違法な状況をあえて隠さなくてはならない現状をつくったのです。
福島原発事故の原因を、東京電力は想定外の津波としています。そのことによる全電源喪失と緊急炉心冷却装置の停止が炉心溶融を引き起こしたと主張しています。
しかし、専門家は、原子炉冷却水の水位低下と原子炉圧力の減圧のデータから、地震が来た直後に原子炉内のどこかの配管が破断していたことを指摘しています。想定が妥当かどうかは別として、津波は想定外だが、地震の揺れを示す数値は想定の範囲とされています。東京電力があえてそのことを発表しないのだとすれば、その事実は全国の原発に影響を与えるからだと思われます。
「フクシマ」の現実を前にしても、姑息な手段を労しても原発政策を推進しようとする電力会社や政府の姿勢が見えてきます。
事故の収束もままならない中で、停止中の原発の再稼働に言及した海江田万里経済産業大臣の姿勢は、経済成長には安定的エネルギーが必要であり、そのためには原発は欠かすことができないというものです。
しかし、再稼働ありきの姿勢には、危険な原発以外の選択肢を全く顧みることのない政府の姿勢があります。
「フクシマ」の被災者の今の生活を、子どもたちの置かれている状況を考えるならば、その現実に言及しつつ、原発依存をどのように解消していくことができるのか、その道筋を探りながらの話になるべきです。未だに経済成長神話から抜けきることのできない政府の姿勢が、「フクシマ」の現状を作り出したといわざるを得ません。
私たちは、これまで推進と規制の分離を主張してきました。それは、日本の原子力行政が、推進の側に大きく傾斜し、規制の側は推進の側と立場と同じにしてきたからです。 事故後の報道にあるような、プルサーマル問題での原子力安全・保安院による「やらせ」問題は、これまでの安全・保安院のあり方を考えるならば、私たちにとっては「驚くに値しない」事象です。がしかし、決して許すことのできない事件であり、国民の権利を侵害する行政の身勝手な、憲法違反の行為なのです。
このことは、単に責任者の更迭で済ませてはなりません。原子力を中心としたエネルギー政策が、国策として行われてきた以上、この「やらせ」は、国家による国民を裏切る犯罪行為であるからです。「フクシマ」においても、情報の操作など同じことが行われています。
このような国民を愚弄する政府の姿勢は、これまでも多くの場面で見られてきました。脱原発のとりくみは、単にエネルギー問題ではなく、そこを超えた権力と国民の対峙、主権者としての国民の権利の課題であることを証明しています。
今年の三団体による「核兵器廃絶2011ヒロシマ大会」で、連合南雲弘行事務局長は「福島原発事故で、原発の安全への国民の信頼は失墜した、原子力を含めてエネルギー政策の根本的見直しが必要」との見解を示しました。これまで、原発推進の立場にあった連合が、核と核政策の現状をしっかりと見極め、企業論理にたった成長戦略に安易に乗ることなく、労働者の立場と市民生活の立場に立って、人間に優しい自然エネルギー中心の政策へと切り替えていくことを強く要望します。
高木義明文部科学大臣は、核燃料サイクルの根幹である高速増殖炉に触れて、「もんじゅ」の開発は断念すべきとの趣旨の発言を行いました。翌日発言の内容は撤回されましたが、独立行政法人「原子力開発機構」の事業、いわゆる高速増殖炉開発に対する監督官庁の最高責任者の発言は重たいと考えます。
NPT核不拡散条約加盟国、核兵器を持たない国の中で、唯一日本がこのプルトニウム利用する核燃料サイクルを推進しようとしています。現在、日本が国内外に保有するプルトニウムの量は45t、核兵器にすると約5000発分にも相当します。これは、中国をも凌駕し世界で米英仏露についで第5位の位置を占めるものです。
日本政府は否定しても、他国から見れば日本は世界有数の核兵器保有国です。2005年には、米国の専門家によって「六ヶ所再処理工場を無期限に停止することでNPT核拡散の防止を強化するように」という要請も行われています。
原子力安全保安院が、やらせ問題を起こしたプルサーマル計画は、大量のプルトニウム保有に対する諸外国の批判をかわす狙いがあります。
高速増殖炉「もんじゅ」も、六ヶ所再処理工場も、全く破綻した計画となっています。 もともと高速増殖炉の計画は、米英仏独などにおいて、技術的に困難として放棄されたものであり、多額の費用を費やして継続する理由は全くありません。
ここにも、日本政府の嘘があります。全く可能性のない計画をあたかも日本の将来の希望であるかのように見せながら、核兵器保有につながるプルトニウム利用政策を継続しているのです。
2010年のNPT再検討会議以降、米ロの新SUTART以外に大きな成果は上がっていません。この間、米国は未臨界核実験を継続して行っています。北朝鮮はウラン濃縮の実態を明らかにし、日米韓の核開発放棄の要請に応じる気配はありません。中東における核問題の交渉、イランの核疑惑問題も解決を見ていません。核兵器禁止条約も含めて、私たちのアクションで日本政府を動かし、世界を動かしていくことが重要です。
世界の核廃絶の運動を、日本政府が牽引していくためには、意味のない疑惑を招くだけの核燃料サイクル計画から手を引かなくてはなりません。そのことが世界平和への、日本の名誉あるイニシアチブを可能にするのです。私たちは、そのことを脱原発と核廃絶の視点から追求していかなくてはなりません。
私たちは、二つの分科会で「平和と核軍縮」について話し合いました。日本政府は、新防衛計画大綱を昨年12月に示しました。これまでの基盤的防衛力構想を覆し、先制抑止に踏み込むものです。
東西冷戦構造が収束し、旧ソ連の脅威が消滅していく中で、米国の東アジア戦略に乗って、中国や北朝鮮を新たな驚異と位置づけ、米軍駐留の理由を作り上げるものに過ぎません。このことが、原水禁がこの間強く主張してきた「東北アジア非核地帯構想」の実現にも、大きな影響を与えることは必死です。
東日本大震災に際しての、米軍によるトモダチ作戦、10万人を投入した自衛隊の活躍、このことも、防衛計画大綱の問題としてきわめて冷静に評価すべきと考えます。日米の共同軍事行動が明確になる中で、きわめて意図的な報道には注意が必要です。
第3分科会の前田哲夫さんは、東北の震災に目を奪われている一方で、日米安保が日米同盟に変わりつつあること、沖縄の基地強化が進められていることを忘れてはならないと指摘しました。
今年の原水禁大会は、福島に始まって沖縄まで続けます。「国策」とそれによる市民の「命」の危険は、原発でも基地でも変わらないことに目を向けねばなりません。
脱原発も、脱基地も、戦後社会との決別、脱アメリカに他なりません。市民社会の成熟の上に、アジアでの日本の主体性を確立し、国民無視、国民不在の国のあり方からの脱却をめざさなくてはなりません。
今大会の国際会議は、ノー・ニュークス・アジア・フォーラムとの共催で行われました。ドイツ・アメリカ、そしてチェルノブイリから、韓国・台湾その他多くのアジア諸国から、ともに脱原発の道を歩もうとするメッセージが送られました。
一貫して脱原発の主張を続けてきた原水禁は、「さようなら原発1000万人アクション」を成功させ、世界の仲間とともに脱原発社会をつくることを宣言します。
そのことは、日本社会が新しい社会に、様々な意味で脱皮することにつながるに違いありません。
広島、長崎と福島、沖縄をつないで、人に優しい、「命」に寄り添う社会を作ることを、皆さんとともにがんばる決意を申し上げて、
本大会の成功へ、ご協力いただいた広島の皆さん、そして世界からお越しいただいたゲストの皆さんに感謝申し上げて、広島大会のまとめといたします。