脱原発 - 原水禁 - Page 2

特別寄稿「環境と人権」原水禁副議長/原子力資料情報室共同代表 西尾漠さん 

2021年04月08日

原発は、核技術がはらむ秘密主義とそれに伴う人権抑圧が常に根底に存在するものでした。日本でも原子力利用の推進をうたった原子力基本法以来の「国策」として力づくで進められた人権抑圧の歴史でもあり、それに付随して反対運動へ露骨な嫌がらせなどが行われてきました。

原水禁の副議長で原子力資料情報室共同代表の西尾漠さんから原発と人権に関して書いていただきました。

ニュースペーパー News Paper 2021.3記載の「原発のある社会から抜け出し、人びとの人権が生かされる社会を築いていこう」の全文が以下となります。

 

特別寄稿「環境と人権」

◎原発の歴史

 原発は、国(日本政府)などから「原子力の平和利用」と呼ばれます。ことさらに「平和利用」と強調されるのは、もともと軍事利用から歴史が始まっているからです。アンリ・ベクレルが放射能を発見したのは1896年、オットー・ハーンやリーゼ・マイトナーらによる核分裂の発見・理論づけが1938、39年と、そこまでは時間がかかりましたが、それから原爆の製造・実験・投下までは、あっという間でした。42年9月にアメリカで軍部主導により原爆製造のマンハッタン計画が発足、45年7月16日にニューメキシコ州アラモゴードで実験、8月6日広島、9日長崎に原爆が投下されるのです。

 すぐにソ連(当時)の核開発も追いつき、核の独占は不可能と考えたアメリカが、「友好国」を抱え囲み、核物質量産によるコストの抑制にも利用して核開発競争を有利に進めるために考え出したのが「平和利用」でした。アイゼンハワー大統領が「アトムズ・フォア・ピース」の国連演説を行なうのが1953年12月8日のこと。原子力発電所は、プルトニウム生産用原子炉や原子力潜水艦の原子炉を元にして誕生しました。

 日本初の原子炉予算が成立したのが1954年4月1日。アメリカのビキニ環礁水爆実験で、マーシャル諸島の住人らと共に第五福竜丸など多くの日本漁船が被災した3月1日の翌2日に、まだ被災のことは知らずにですが、中曽根康弘議員らが提案したものです。55年12月19日に原子力基本法公布、56年1月1日に原子力委員会発足、57年6月10日に 原子炉等規制法公布と体制整備が進み、日本初の原子炉JRR-1(アメリカから輸入)が臨界を迎えたのが同年7月29日、東海原発を建設する主体の日本原子力発電(株)が設立されたのが11月1日です。

 その間の9月29日にソ連で「ウラルの核惨事」と呼ばれる高レベル放射性廃液の爆発事故、10月10日にイギリスでウインズケール炉の燃料溶融事故が起きました。原子力の歴史は、事故の歴史と言って過言ではないでしょう。あらゆる体制の国で、あらゆる種類の施設で、あらゆるタイプの事故が、すさまじい数で起きてきました。老朽化した施設でも、動き出したばかりの施設でも、事故は起こります。それが、原子力事故なのです1)

 その後も事故は後を絶たず、1979年3月28日の米スリーマイル島原発2号機の炉心溶融事故は、設計での想定を超えた初のシビアアクシデント(苛酷事故)でした。1986年4月26日には、ソ連のチェルノブイリ原発4号機で、核反応が暴走するシビアアクシデントが起きました。3つ目のシビアアクシデントが、2011年3月11日の東日本大震災にともなって起きた福島第一原発の1~3号機炉心溶融・1、3、4号機水素爆発・2号機格納容器破損事故です。

 そのほかに日本では、1989年1月6日の福島第二原発3号機再循環ポンプ部品破損事故、91年2月9日の美浜原発2号機蒸気発生器伝熱管破断事故、95年12月8日の高速増殖炉「もんじゅ」ナトリウム漏洩・火災事故、97年3月11日の東海再処理工場アスファルト固化施設火災・爆発事故、99年9月30日のJCO核燃料加工工場臨界事故、2004年8月9日の美浜原発3号機配管破断事故などが起きています。

 原発の歴史はまた、「原発マネー」2)という言葉に象徴されるように、札束に蹂躙された歴史でもあります。先に述べた日本初の原子力予算の提案に際して名高いのは、「学者がグズグズしているから札束で頬をひっぱたいてやった」との中曽根発言でしょう。中曽根議員は「自分ではなく、稲葉修議員が言ったのだ」と否定していますが、『日本原子力学会誌』2003年1月号の巻頭言で、「学術の壁は時には政治の力を必要とする」と同じことをやや上品に書いていました。

 原発立地に関わる汚職の例は、表沙汰になったものだけでも枚挙に暇がありません。「放射能汚染の前に札束汚染があった」と言われる地域の姿は、札束なしでは原発を受け入れさせることができない現実を示しています。立地地域への交付金(1974年6月6日、発電用施設周辺地域整備法など公布)という形で、国が主要な一翼を担ってもいました。しかし、それにしても2019年9月26日の共同通信配信記事で露見した関西電力役員らへの「原発マネー」還流は驚くべき事態でした。なお闇が隠されているかもしれません。

 さらに原発の歴史は、原子力利用の推進をうたった原子力基本法以来の「国策」として力ずくで進められた人権抑圧の歴史でもあり、それに付随して反対運動への露骨な嫌がらせなどが行なわれました。

 そうしたもろもろに抗して立地地域の住民らは、都市住民の支援も受け、果敢に闘ってきました。時には観光など別の名目で土地が買われたりして建設された原発が動き出して、その正体が明らかになった1971年以降、増設に次ぐ増設で規模を拡大してきた日本の原発ですが、他方、新規に浮上した計画は1基も運転に入らせていません。珠洲、窪川、熊野、久美浜など、10指に余る数です。70年以前に浮上した計画でも、芦浜、日高、巻、田万川など、いくつもの計画を食い止めてきました3)

 原発の歴史は、原発計画が止められてきた歴史でもあるのです。

 

◎原発を巡る問題と人権

 原発を巡る問題としては、核燃料サイクルと呼ばれる関連施設も含めて、事故の危険性、労働者や周辺住民の被曝、放射性廃棄物という負の遺産、核拡散、コスト負担など、あるいは原発があることで、再生可能エネルギーの利用にブレーキをかけたり、省エネルギーに逆行して気候危機の対応を誤らせたりといったことが挙げられます。

 事故が起これば、身体の安全、健康、好ましい環境を享受する権利、居住、移転、職業選択の権利、財産権、あるいは思想及び良心の自由等の人権が侵害されます。いわゆる「風評被害」という形をとって現われることもあります。具体的には、次節に詳しく述べられています。それらは、大きな事故がなくても、事故を心配することによっても起こりうることです。

 核燃料サイクル政策の破綻により蓄積される使用済み燃料や放射性廃棄物は、事故への恐怖、廃炉になってもまだ廃棄物が残りつづけることによる閉塞感、ふるさとを汚されることへの忌避感、後世代に負担を残している罪悪感などで住民を苦しめます。平穏な生活という基本的人権の損害であることは明らかです。

 核拡散の防止や核セキュリティ4)は、人権を守ることと真っ向から矛盾します。核兵器やダーティ・ボム(放射性物質散布装置)につながる放射性物質や技術についての情報は、安全を脅かすものとして秘匿されます(現実には、公開拒否の言い訳に使われることのほうが多いのですが)。その情報が施設の安全性=危険性とも密接に関わるものであっても、公開されることはなく、情報を受け取る権利・情報を求める権利は、当然のように無視されます

さらに、特定の原子力施設に立ち入る者については下請け労働者も含め、2016年9月21日に原子力規制委員会が定めた「原子力施設における個人の信頼性確認の実施に係る運用ガイド」の対象者とされ、「対象者の履歴、外国との関係及びテロリズムその他の犯罪行為を行うおそれがある団体(暴力団を含む。)との関係、事理を弁識する能力並びに特定核燃料物質の防護に関連する犯罪及び懲戒の経歴を調査し、確認」されることになります。それ以上の調査・確認が行なわれていることは想像に難くなく、思想及び良心の自由が侵されることもあるでしょう。

その点では、もちろん、原子力に批判的な表現者、反原発・脱原発の運動の参加者に対してより顕著です。発言や行動を監視し、身辺を調査し、圧力をかけます。一例を、斉間満著『原発の来た町』5から、愛媛県伊方町の町見漁協の組合員を調査した四国電力のマル秘文書についての記述を引用します。「漁協組合員一人一人の原発に対する賛否の意思はもちろん、家族構成から、姻戚関係、影響力のある知人や友人まで、プライバシーを細部にわたって調べ上げ、そして『どうすれば、その組合員を原発賛成派として説得出来るか』まで結論付ける激しいものであった。この中に、10月の臨時総会で反対派の中心的な活躍を見せた、Bさんに関する記述を見つけた。『▽△の弟、□◎といとこ、反対共闘委との結び付きが強く最後まで反対すると思われる。自分の存在を認めてもらいたい性格で、簡単には後には引かない。最終的には金と考えられる』。摘要欄の小さなエンピツ文字は、そう書かれていた」。

圧力は、本人にではなく姻戚関係、影響力のある知人や友人に、表現者なら意見を発表したメディアに、あるいは所属する大学や会社などにかけられます。そのほうが効果的だからです。

事故は地域社会を破壊し、被害者を分断したりしますが、そうした人権侵害は、原発立地の話が持ち上がったときから起こっています。「普通、人を見る時は男だとか女だとか、子どもだとか年配の人というように見るのが一般的だが、上関では原発に反対か推進かという区分けしかできなくなった。これまで、豊かな自然の中で、助け合い支え合うという友好的な人間関係が、原発問題で一変した」と、「原発はごめんだヒロシマ市民の会」の木原省治は、山口県上関町の状況について『原発スキャンダル』6)で書いています。事情はどこでも変わりません。

札束に蹂躙された歴史が、その一面を露わにしています。土地を電力会社に騙し取られ、あるいは土地を売ったことで自責の念に駆られ、自死した人も一人ではないのです。

さらに、そうした分断を進めるためにさまざまな嫌がらせが行なわれてきました7)。注文をしてもいないベッドや金塊を代金引き換えで送りつけたり、誹謗中傷の文書を実在の人の名前を騙って郵送したり。近年では、SNSを使った人格攻撃なども起きています。海外ではカレン・シルクウッドの怪死8)のような事件もあり、日本でも、著名な脱原発論者が、生命の危険を感じたことがあると語っていました。

原発立地に見る地域差別、何層にもなる下請け構造、ウラン採掘を始めとする海外への犠牲の押しつけにも、人権にかかわる問題が顔をのぞかせています。

 

◎脱原発社会へ向けて

 脱原発とは、その名の通り原発のある社会から脱け出すことです。原発が抱えるさまざまな問題に向き合って、人の権利が生かされる社会を築きあげようというのが脱原発です。『はんげんぱつ新聞』1990年11月号で、原子力発電に反対する福井県民会議の故・小木曽美和子事務局長(当時)は「脱原発とは、核のゴミを生み出す私たちの生き方を問い直すこと」と言っています。同じ1990年に刊行された『原発をとめる女たち』9に収められた、「九電消費者株主の会」代表などで活躍する木村京子さんの一文は、端的に「脱原発とは人権と自由の総和」と題されていました。「『原発』こそは私たちの『生き方』が映し出される鏡のようなものであり、『脱原発』とは、一人ひとりのかけがえのない命と人権と自由について、ラディカルに行動していくことの総和である」と。

 さらに1年前の1989年に刊行された『わいわいがやがや女たちの反原発』10)で、町田ヒューマンネットワーク理事長の堤愛子さんが書いている「『ありのままの生命』を否定する原発に反対」の結びの言葉は、原発を止めるだけが脱原発ではないことを明確に示していました。「『放射能の影響で障害児が生まれる』という不安」の声から考察を進めた堤さんは言います。「『ありのままの生命を認め合い、多様な人々が共に生き合える社会を』という、私たち多くの障害者の願いと、『生命がだいじ』という反原発運動の思いとは、ほんらい根は同じであり、矛盾するはずがないと信じている」。

 いま改めて脱原発社会の姿を多様な人々と共に考え、実現に向けて歩を進めていきたいと思います。エネルギーの本当の意味での安定供給、気候危機の回避のために、エネルギー産業にとっても利益のあるエネルギー消費の縮減、再生可能エネルギーへの転換が求められていますが、再生可能エネルギーにしても、もちろん自然破壊があり、地域破壊がありえます。健康被害や倒壊などの事故、景観や農漁業への悪影響をもたらす可能性がありえます。

『はんげんぱつ新聞』2008年10月号で「原発を拒否した町 和歌山県日高町はいま」と題して、一松輝夫さん(日高町議会議長)と浜一巳さん(比井崎漁協理事)にお話を伺った時、一松さんが言われました。「いま問題になっているのは風力発電所です。20基くらいの計画があって、2、3日前にも愛媛の伊方町へ行って健康被害の状況を聞いてきたんですよ。伊方町では人が住んでいるすぐ近くに建っていて、こんなことがよく許可されたと不思議な気がしましたね。うちの場合はだいぶ離れているからだいじょうぶとは思うけれど、原発を拒否した町だからこそ、十分に検討をして間違いのないようにしたい」。

 そうした考えこそが、原発を止めることにとどまらない脱原発の意味だと言えるでしょう。

 

1)西尾漠著『原子力・核・放射線事故の世界史』(七つ森書館、2015年))

2)原子力施設の立地自治体や地域団体に落ちる交付金(電源三法交付金)や寄付金、核燃料税など。他にも原発マネーは、住民の視察旅行、大学の寄付講座、影響力をもつ学者らへの研究費、原稿料、接待など多岐にわたっている。(『現代用語の基礎知識2019』自由国民社、西尾執筆)

3)西尾漠著『反原発運動四十五年史』(緑風出版、2019年)

4)核兵器や放射性物質を用いたテロ、核・原子力施設への攻撃などを防止すること。そのためには秘密管理が強まり、施設従業員や周辺住民の身元調査などの人権侵害が進む。それでも有効に防止できる保証はない。(『現代用語の基礎知識2019』自由国民社、西尾執筆)

5)副題は「原発はこうして建てられた 伊方原発の30年」。南海日日新聞社、2002年。

6)七つ森書館、2010年。

7)海渡雄一編『反原発への嫌がらせ全記録 原子力ムラの品性を嗤う』(明石書店、2014年)

8)プルトニウム燃料工場の女性技師カレン・シルクウッドが、工場のずさんな品質管理を内部告発しようとして謎の「交通事故」で死亡した事件。上記7)に簡単な紹介コラムがある。

9)副題は「ネットワークの現場から」。三輪妙子・大沢統子編、社会思想社。

10)三輪妙子編著、労働教育センター。

 

原子力資料オフィシャルサイトはこちら

 

3/13「あれから10年原発事故は終わっていない3.13アクション」を実施

2021年03月26日

フクシマは終わっていない!いわきの若い労働者が声をあげる

2014年から「フクシマ」と連帯し脱原発社会をめざそうとの思いから、若い労働組合員が組合の枠を超えて「フクシマ連帯キャラバン」の行動にとり組みました。コロナ禍の中で、2020年、21年と中止を余儀なくされましたが、福島県いわきの全港湾の労働者を中心に、2021年3月13日(土)に「あれから10年原発事故は終わっていない3.13アクション」が展開されました。

あいにくの暴風雨で、駅頭のスタンディングや宣伝行動は規模縮小を余儀なくされましたが、会場を屋内に急遽移して約100人を集めて、「フクシマ」は終わっていない事を確認してきました。

https://youtu.be/sbJPh_TiVJk 

 

2月4日 市民のエネルギー気候会議(オンラインで開催)のご案内

2021年01月27日

日本政府は、これからの日本のエネルギーのあり方を決める「エネルギー基本計画」の見直し議論を10月から始めています。見直しのプロセスを行っている、経済産業省の審議会(総合資源エネルギー調査会基本政策分科会)では、市民の声を届ける機会が非常に限られています。今、必要なのはエネルギーの生産・消費構造の変革とエネルギーシフトです。

「市民のくらしや未来に大きくかかわるエネルギー政策の見直しに、若者や女性、気候変動や原発事故の当事者の声を届けたい」

そんな思いから「市民の声を届ける場」として市民のエネルギー気候会議を企画いたしました。

 

市民のエネルギー気候会議 エネルギー基本計画自主的意見聴取会

日時:2月4日(木)14:00~16:00
場所:オンライン(本ページで閲覧できます)
主催:「あと4年、未来を守れるのは今」キャンペーン
協力:阿部知子事務所、原発ゼロの会

 

事前質問の受付期間は終了となりましたが、当日オンラインでも質問をすることが可能です。

チャットでの質問をご希望の方は、以下の参加登録をお願いします。

zoom参加登録:https://us02web.zoom.us/webinar/register/WN_vB5s_LSkRby0gQvTnmuwCg

 

スケジュールは、以下の通り

趣旨説明
「あと4年」キャンペーン趣旨説明と省庁との質疑応答

事前提出質問をベースとした質疑応答

・今後のプロセスと市民参画について

・2030年までの排出削減目標について

・2030年の電源構成について

・原子力について

・二酸化炭素回収・貯留などについて

市民からの意見表明

 

登壇者は、以下の通り(予定・追加出演者調整中)

「9.6老朽原発うごかすな!大集会in大阪」に1600人が参加

2020年10月06日

「9.6老朽原発うごかすな!大集会in大阪」に1600人が参加

 

熱中症の心配も残る暑さの中、「9.6老朽原発うごかすな!大集会in大阪」集会が大阪市内のうつぼ公園で開催され、全国各地から多くの参加者が集まりました。

集会参加者は1600人。

 

  • 主催挨拶 中嶌哲演氏(福井県小浜市 明通寺住職)
  • スピーチ 木原壯林氏/末田一秀氏(関電の原発マネー不正還流を告発する会)/草地妙子氏(老朽原発40年廃炉訴訟市民の会、名古屋市)/井戸謙一氏(福井原発訴訟〈滋賀〉弁護団長、元裁判官)/東山幸弘氏(録音メッセージ、高浜町)/松下照幸氏(文書メッセージ、美浜町議会議員)/披田信一郎氏(東海第2原発の再稼働を止める会)
  • プラカードアピール/実行委から/若狭の声紹介/原発賠償関西訴訟原告団から/全国の団体紹介/団体アピール/労働組合ほかから/集会決議提案・採択

 

集会後、大阪市内のうつぼ公園から御堂筋を歩く長距離のパレードを行い、沿道の人々に脱原発の必要性を訴えました。

 

各地の連帯する動きなどは、こちらのブログをご覧ください。

「老朽原発うごかすな!大集会 in おおさか」実行委員会Blog

集会の様子がわかる動画はこちら(IWJ)

 

 

 

 

【ご紹介】ストップ川内原発!3.11鹿児島実行委員会

2020年05月21日

《脱原発鹿児島フォーラム》から【ストップ川内原発!3.11鹿児島実行委員会】の集会のご報告です。

 

◆川内原発2号機停止・24回目の定期検査

 川内原発2号機は、特定重大事故等対処施設(テロ対策施設)建設が、設置期限の5月21日に間に合わないために、5月20日に原発を停止しました。

 5月20日午前9時から、川内原発ゲート前で、ストップ川内原発!3.11鹿児島実行委員会の集会に、脱原発鹿児島フォーラムも参加して、主に下記をポイントに訴えてきました。

1、県外から大勢の作業員が薩摩川内市に流入、3密検査・工事は延期。

2、川内原発1.2号停止の状態を継続し、そのまま廃炉に。

3、「20年延長」は、認めない。絶対反対。

4、薩摩川内市、鹿児島県を危機に陥れる、使用済み燃料の乾式敷地内貯蔵庫は許さない。

 「緊急事態宣言」は解除されましたが、県境を越えての移動は制限されています。しかし、九電は、このことを守っていません。挙句に、ゲート前での申入書受け取りについては「コロナウイルス感染防止のため受け取ることはできません」と回答しました。

 「ふざけるな」と言いたい。このような対応を、平気でする企業です。

県民の「安心・安全」など、少しも考えていない九州電力は、許せません。

皆さん、原発敷地内の「気が狂ったような」工事を一度見てください。

もう終わりが見えている「原発」に、どれだけ金をつぎ込んでいるかがわかります。

 5月18日に国会で「検察庁法改正」が、先送りされました。何故でしょうか。

【世論の多くの反対の声】があったからです。

みんなが【反対の声】を上げれば、原発も止められないことはないと思います。

みなさん、声を上げていきましょう。

◆ 申入書のPDFはこちら 2020.5.20.川内原発ゲート前集会 申入書

 

「3.20さようなら原発全国集会」の中止のお知らせ

2020年03月20日

「3.20さようなら原発全国集会」の中止のお知らせ

  3月20日に東京・亀戸中央公園で開催が予定されている「3・20さようなら原発全国集会」は、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、5日、さようなら原発1000万人アクション実行委員会を開催し中止を決定しましたのでお知らせいたします。ついては、今回の集会中止の周知徹底をお願いいたします。

なお全国集会は、今後の状況を注視しながら9月上旬に改めて開催させていただきます。来年3月には福島原発事故10周年となり、脱原発・フクシマ連帯の運動を9月から来年3月に向けて一体のものとして進めていきたいと思います。

今回、3.20集会への賛同をしていただいた方々については、9月予定の全国集会の賛同として取り扱わせさせていただきますが、返金等のご要望がございましたならば、下記の事務局までご一報いただければと思います。

 記

 1.件名 3・20さようなら原発全国集会 中止

 2.日時 3月20日 11:00~

3.お問合せ先 03-5289-8224  原水禁事務局

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伊方原発3号機に関わる広島高裁の運転禁止の仮処分決定を歓迎する

2020年01月21日

 伊方原発3号機に関わる広島高裁の運転禁止の仮処分決定を歓迎する

  1月17日、四国電力伊方原子力発電所3号機の運転禁止を求めた仮処分の即時抗告審において、広島高裁(森一岳裁判長)は運転を認めないとする決定を下した。原発事故の可能性にしっかりと向き合い、地域住民の安全を第一に、四国電力(四電)の安易な姿勢と原子力規制委員会(規制委員会)の審査をきびしく批判した高裁決定の意義は、大きいと言わざるを得ない。

 高裁決定は「福島原発のような事故を絶対に起こさないという理念にのっとった解釈が必要」との基本姿勢に立って、四電に対して地域住民に被害の危険性がないことの立証責任を求め、それを基にして、佐多岬半島沿岸に存在するとされる中央構造線に関わる四電の活断層の調査と地震動評価を不十分とした。また、調査不十分なままに提出された原子炉設置変更許可申請を問題なしとした規制委員会の判断は、「その過程に過誤や欠落があったと言わざるを得ない」ときびしく批判した。また、阿蘇山の破壊的噴火の可能性を否定できないとして立地不適とすることは社会通念に反するとしながらも、破局的には至らないが最大規模の噴火を考慮すべきで、四電の降下火砕物の想定は過小であり、それを認めた規制委員会の判断も不合理であるとした。

 高裁決定が求めた原発の安全性に対する判断の基本は、専門家の判断が分かれる場合や判断がつかない場合、原発事故の極めて深刻な事態を想起し、安全性を最大限に求めるべきという姿勢にあり、その確保が原発稼働の必要条件だとの考えである。国・規制委員会、電力各社は、その基本をしっかりと守らなくてはならない。

 原発運転を差し止めるとした司法判断は、福島原発事故以降5回目、伊方原発では2度目となる。原発に対する市民社会の考え方は、福島原発事故以降明らかに変化し、脱原発の方向性は明確になっている。司法判断もその方向に向いている。読売新聞は1月18日の社説で、高裁決定を批判し「裁判官が独自の解釈と判断で、結論を導いた印象はぬぐえない」としている。しかし、四電も規制委員会も、裁判官の疑問に答えなくてはならない責任があるのではないか。また同社説は、規制基準は世界的にも高水準で、伊方原発は審査に合格していた。これまで、行政側の審査結果を司法は尊重してきた。今回の判決はその

 枠組みからはみ出している、と批判している。余りにも偏った判決への評価は許しがたい。四電は、「到底承服できず、速やかに不服申し立ての手続をする」とした。規制委員会も、「審査は常に適切で、内容の見直しはしない」としている。司法の判断を全くないがしろにする姿勢は、公益事業に携わる電力会社として、また、行政官庁として、その資質を欠くとしか言いようがない。原発をめぐっては様々な意見や判断があるが、しかし、事故を回避するためには意に沿わない意見に対しても真摯に耳を傾けなくてはならない。しかも、法治国家における高裁決定である。

 国のエネルギー基本計画は、2030年代の原発による電力比率を20~22%としている。原発を30基以上稼働しなくてはならない数字だ。市民社会の意思、世界のエネルギー動向から考えても、荒唐無稽としか言いようのない数字を掲げて、福島原発事故を起こした日本は、既存原発の再稼働や新規原発の建設に進んでいる。このような姿勢が、再生可能なエネルギーの進捗を阻んであることは明らかである。原水禁は、今回の広島高裁の決定を歓迎し、脱原発の政策実現に向けて、再生可能エネルギーの進捗に向けて全力でとりくんでいく。

  2020年1月21日

原水爆禁止日本国民会議

議 長  川野浩一

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