2021年ニュース注目記事

特別寄稿「環境と人権」原水禁副議長/原子力資料情報室共同代表 西尾漠さん 

2021年04月08日

原発は、核技術がはらむ秘密主義とそれに伴う人権抑圧が常に根底に存在するものでした。日本でも原子力利用の推進をうたった原子力基本法以来の「国策」として力づくで進められた人権抑圧の歴史でもあり、それに付随して反対運動へ露骨な嫌がらせなどが行われてきました。

原水禁の副議長で原子力資料情報室共同代表の西尾漠さんから原発と人権に関して書いていただきました。

ニュースペーパー News Paper 2021.3記載の「原発のある社会から抜け出し、人びとの人権が生かされる社会を築いていこう」の全文が以下となります。

原発のある社会から抜け出し、人びとの人権が生かされる社会を築いていこう

 

特別寄稿「環境と人権」

◎原発の歴史

 原発は、国(日本政府)などから「原子力の平和利用」と呼ばれます。ことさらに「平和利用」と強調されるのは、もともと軍事利用から歴史が始まっているからです。アンリ・ベクレルが放射能を発見したのは1896年、オットー・ハーンやリーゼ・マイトナーらによる核分裂の発見・理論づけが1938、39年と、そこまでは時間がかかりましたが、それから原爆の製造・実験・投下までは、あっという間でした。42年9月にアメリカで軍部主導により原爆製造のマンハッタン計画が発足、45年7月16日にニューメキシコ州アラモゴードで実験、8月6日広島、9日長崎に原爆が投下されるのです。

 すぐにソ連(当時)の核開発も追いつき、核の独占は不可能と考えたアメリカが、「友好国」を抱え囲み、核物質量産によるコストの抑制にも利用して核開発競争を有利に進めるために考え出したのが「平和利用」でした。アイゼンハワー大統領が「アトムズ・フォア・ピース」の国連演説を行なうのが1953年12月8日のこと。原子力発電所は、プルトニウム生産用原子炉や原子力潜水艦の原子炉を元にして誕生しました。

 日本初の原子炉予算が成立したのが1954年4月1日。アメリカのビキニ環礁水爆実験で、マーシャル諸島の住人らと共に第五福竜丸など多くの日本漁船が被災した3月1日の翌2日に、まだ被災のことは知らずにですが、中曽根康弘議員らが提案したものです。55年12月19日に原子力基本法公布、56年1月1日に原子力委員会発足、57年6月10日に 原子炉等規制法公布と体制整備が進み、日本初の原子炉JRR-1(アメリカから輸入)が臨界を迎えたのが同年7月29日、東海原発を建設する主体の日本原子力発電(株)が設立されたのが11月1日です。

 その間の9月29日にソ連で「ウラルの核惨事」と呼ばれる高レベル放射性廃液の爆発事故、10月10日にイギリスでウインズケール炉の燃料溶融事故が起きました。原子力の歴史は、事故の歴史と言って過言ではないでしょう。あらゆる体制の国で、あらゆる種類の施設で、あらゆるタイプの事故が、すさまじい数で起きてきました。老朽化した施設でも、動き出したばかりの施設でも、事故は起こります。それが、原子力事故なのです1)

 その後も事故は後を絶たず、1979年3月28日の米スリーマイル島原発2号機の炉心溶融事故は、設計での想定を超えた初のシビアアクシデント(苛酷事故)でした。1986年4月26日には、ソ連のチェルノブイリ原発4号機で、核反応が暴走するシビアアクシデントが起きました。3つ目のシビアアクシデントが、2011年3月11日の東日本大震災にともなって起きた福島第一原発の1~3号機炉心溶融・1、3、4号機水素爆発・2号機格納容器破損事故です。

 そのほかに日本では、1989年1月6日の福島第二原発3号機再循環ポンプ部品破損事故、91年2月9日の美浜原発2号機蒸気発生器伝熱管破断事故、95年12月8日の高速増殖炉「もんじゅ」ナトリウム漏洩・火災事故、97年3月11日の東海再処理工場アスファルト固化施設火災・爆発事故、99年9月30日のJCO核燃料加工工場臨界事故、2004年8月9日の美浜原発3号機配管破断事故などが起きています。

 原発の歴史はまた、「原発マネー」2)という言葉に象徴されるように、札束に蹂躙された歴史でもあります。先に述べた日本初の原子力予算の提案に際して名高いのは、「学者がグズグズしているから札束で頬をひっぱたいてやった」との中曽根発言でしょう。中曽根議員は「自分ではなく、稲葉修議員が言ったのだ」と否定していますが、『日本原子力学会誌』2003年1月号の巻頭言で、「学術の壁は時には政治の力を必要とする」と同じことをやや上品に書いていました。

 原発立地に関わる汚職の例は、表沙汰になったものだけでも枚挙に暇がありません。「放射能汚染の前に札束汚染があった」と言われる地域の姿は、札束なしでは原発を受け入れさせることができない現実を示しています。立地地域への交付金(1974年6月6日、発電用施設周辺地域整備法など公布)という形で、国が主要な一翼を担ってもいました。しかし、それにしても2019年9月26日の共同通信配信記事で露見した関西電力役員らへの「原発マネー」還流は驚くべき事態でした。なお闇が隠されているかもしれません。

 さらに原発の歴史は、原子力利用の推進をうたった原子力基本法以来の「国策」として力ずくで進められた人権抑圧の歴史でもあり、それに付随して反対運動への露骨な嫌がらせなどが行なわれました。

 そうしたもろもろに抗して立地地域の住民らは、都市住民の支援も受け、果敢に闘ってきました。時には観光など別の名目で土地が買われたりして建設された原発が動き出して、その正体が明らかになった1971年以降、増設に次ぐ増設で規模を拡大してきた日本の原発ですが、他方、新規に浮上した計画は1基も運転に入らせていません。珠洲、窪川、熊野、久美浜など、10指に余る数です。70年以前に浮上した計画でも、芦浜、日高、巻、田万川など、いくつもの計画を食い止めてきました3)

 原発の歴史は、原発計画が止められてきた歴史でもあるのです。

 

◎原発を巡る問題と人権

 原発を巡る問題としては、核燃料サイクルと呼ばれる関連施設も含めて、事故の危険性、労働者や周辺住民の被曝、放射性廃棄物という負の遺産、核拡散、コスト負担など、あるいは原発があることで、再生可能エネルギーの利用にブレーキをかけたり、省エネルギーに逆行して気候危機の対応を誤らせたりといったことが挙げられます。

 事故が起これば、身体の安全、健康、好ましい環境を享受する権利、居住、移転、職業選択の権利、財産権、あるいは思想及び良心の自由等の人権が侵害されます。いわゆる「風評被害」という形をとって現われることもあります。具体的には、次節に詳しく述べられています。それらは、大きな事故がなくても、事故を心配することによっても起こりうることです。

 核燃料サイクル政策の破綻により蓄積される使用済み燃料や放射性廃棄物は、事故への恐怖、廃炉になってもまだ廃棄物が残りつづけることによる閉塞感、ふるさとを汚されることへの忌避感、後世代に負担を残している罪悪感などで住民を苦しめます。平穏な生活という基本的人権の損害であることは明らかです。

 核拡散の防止や核セキュリティ4)は、人権を守ることと真っ向から矛盾します。核兵器やダーティ・ボム(放射性物質散布装置)につながる放射性物質や技術についての情報は、安全を脅かすものとして秘匿されます(現実には、公開拒否の言い訳に使われることのほうが多いのですが)。その情報が施設の安全性=危険性とも密接に関わるものであっても、公開されることはなく、情報を受け取る権利・情報を求める権利は、当然のように無視されます

さらに、特定の原子力施設に立ち入る者については下請け労働者も含め、2016年9月21日に原子力規制委員会が定めた「原子力施設における個人の信頼性確認の実施に係る運用ガイド」の対象者とされ、「対象者の履歴、外国との関係及びテロリズムその他の犯罪行為を行うおそれがある団体(暴力団を含む。)との関係、事理を弁識する能力並びに特定核燃料物質の防護に関連する犯罪及び懲戒の経歴を調査し、確認」されることになります。それ以上の調査・確認が行なわれていることは想像に難くなく、思想及び良心の自由が侵されることもあるでしょう。

その点では、もちろん、原子力に批判的な表現者、反原発・脱原発の運動の参加者に対してより顕著です。発言や行動を監視し、身辺を調査し、圧力をかけます。一例を、斉間満著『原発の来た町』5から、愛媛県伊方町の町見漁協の組合員を調査した四国電力のマル秘文書についての記述を引用します。「漁協組合員一人一人の原発に対する賛否の意思はもちろん、家族構成から、姻戚関係、影響力のある知人や友人まで、プライバシーを細部にわたって調べ上げ、そして『どうすれば、その組合員を原発賛成派として説得出来るか』まで結論付ける激しいものであった。この中に、10月の臨時総会で反対派の中心的な活躍を見せた、Bさんに関する記述を見つけた。『▽△の弟、□◎といとこ、反対共闘委との結び付きが強く最後まで反対すると思われる。自分の存在を認めてもらいたい性格で、簡単には後には引かない。最終的には金と考えられる』。摘要欄の小さなエンピツ文字は、そう書かれていた」。

圧力は、本人にではなく姻戚関係、影響力のある知人や友人に、表現者なら意見を発表したメディアに、あるいは所属する大学や会社などにかけられます。そのほうが効果的だからです。

事故は地域社会を破壊し、被害者を分断したりしますが、そうした人権侵害は、原発立地の話が持ち上がったときから起こっています。「普通、人を見る時は男だとか女だとか、子どもだとか年配の人というように見るのが一般的だが、上関では原発に反対か推進かという区分けしかできなくなった。これまで、豊かな自然の中で、助け合い支え合うという友好的な人間関係が、原発問題で一変した」と、「原発はごめんだヒロシマ市民の会」の木原省治は、山口県上関町の状況について『原発スキャンダル』6)で書いています。事情はどこでも変わりません。

札束に蹂躙された歴史が、その一面を露わにしています。土地を電力会社に騙し取られ、あるいは土地を売ったことで自責の念に駆られ、自死した人も一人ではないのです。

さらに、そうした分断を進めるためにさまざまな嫌がらせが行なわれてきました7)。注文をしてもいないベッドや金塊を代金引き換えで送りつけたり、誹謗中傷の文書を実在の人の名前を騙って郵送したり。近年では、SNSを使った人格攻撃なども起きています。海外ではカレン・シルクウッドの怪死8)のような事件もあり、日本でも、著名な脱原発論者が、生命の危険を感じたことがあると語っていました。

原発立地に見る地域差別、何層にもなる下請け構造、ウラン採掘を始めとする海外への犠牲の押しつけにも、人権にかかわる問題が顔をのぞかせています。

 

◎脱原発社会へ向けて

 脱原発とは、その名の通り原発のある社会から脱け出すことです。原発が抱えるさまざまな問題に向き合って、人の権利が生かされる社会を築きあげようというのが脱原発です。『はんげんぱつ新聞』1990年11月号で、原子力発電に反対する福井県民会議の故・小木曽美和子事務局長(当時)は「脱原発とは、核のゴミを生み出す私たちの生き方を問い直すこと」と言っています。同じ1990年に刊行された『原発をとめる女たち』9に収められた、「九電消費者株主の会」代表などで活躍する木村京子さんの一文は、端的に「脱原発とは人権と自由の総和」と題されていました。「『原発』こそは私たちの『生き方』が映し出される鏡のようなものであり、『脱原発』とは、一人ひとりのかけがえのない命と人権と自由について、ラディカルに行動していくことの総和である」と。

 さらに1年前の1989年に刊行された『わいわいがやがや女たちの反原発』10)で、町田ヒューマンネットワーク理事長の堤愛子さんが書いている「『ありのままの生命』を否定する原発に反対」の結びの言葉は、原発を止めるだけが脱原発ではないことを明確に示していました。「『放射能の影響で障害児が生まれる』という不安」の声から考察を進めた堤さんは言います。「『ありのままの生命を認め合い、多様な人々が共に生き合える社会を』という、私たち多くの障害者の願いと、『生命がだいじ』という反原発運動の思いとは、ほんらい根は同じであり、矛盾するはずがないと信じている」。

 いま改めて脱原発社会の姿を多様な人々と共に考え、実現に向けて歩を進めていきたいと思います。エネルギーの本当の意味での安定供給、気候危機の回避のために、エネルギー産業にとっても利益のあるエネルギー消費の縮減、再生可能エネルギーへの転換が求められていますが、再生可能エネルギーにしても、もちろん自然破壊があり、地域破壊がありえます。健康被害や倒壊などの事故、景観や農漁業への悪影響をもたらす可能性がありえます。

『はんげんぱつ新聞』2008年10月号で「原発を拒否した町 和歌山県日高町はいま」と題して、一松輝夫さん(日高町議会議長)と浜一巳さん(比井崎漁協理事)にお話を伺った時、一松さんが言われました。「いま問題になっているのは風力発電所です。20基くらいの計画があって、2、3日前にも愛媛の伊方町へ行って健康被害の状況を聞いてきたんですよ。伊方町では人が住んでいるすぐ近くに建っていて、こんなことがよく許可されたと不思議な気がしましたね。うちの場合はだいぶ離れているからだいじょうぶとは思うけれど、原発を拒否した町だからこそ、十分に検討をして間違いのないようにしたい」。

 そうした考えこそが、原発を止めることにとどまらない脱原発の意味だと言えるでしょう。

 

1)西尾漠著『原子力・核・放射線事故の世界史』(七つ森書館、2015年))

2)原子力施設の立地自治体や地域団体に落ちる交付金(電源三法交付金)や寄付金、核燃料税など。他にも原発マネーは、住民の視察旅行、大学の寄付講座、影響力をもつ学者らへの研究費、原稿料、接待など多岐にわたっている。(『現代用語の基礎知識2019』自由国民社、西尾執筆)

3)西尾漠著『反原発運動四十五年史』(緑風出版、2019年)

4)核兵器や放射性物質を用いたテロ、核・原子力施設への攻撃などを防止すること。そのためには秘密管理が強まり、施設従業員や周辺住民の身元調査などの人権侵害が進む。それでも有効に防止できる保証はない。(『現代用語の基礎知識2019』自由国民社、西尾執筆)

5)副題は「原発はこうして建てられた 伊方原発の30年」。南海日日新聞社、2002年。

6)七つ森書館、2010年。

7)海渡雄一編『反原発への嫌がらせ全記録 原子力ムラの品性を嗤う』(明石書店、2014年)

8)プルトニウム燃料工場の女性技師カレン・シルクウッドが、工場のずさんな品質管理を内部告発しようとして謎の「交通事故」で死亡した事件。上記7)に簡単な紹介コラムがある。

9)副題は「ネットワークの現場から」。三輪妙子・大沢統子編、社会思想社。

10)三輪妙子編著、労働教育センター。

 

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