新着情報

メッセージfromヒロシマ2013報告

12:50 オープニング 広島朝鮮初中高級学校の皆さんの朝鮮舞踊 13:04 第(1)セクション 全国のお友だちと仲良くなろう 実行委員の紹介 踊りと歌を覚えよう!「Joy!!」レッスン 広島で何を学びましたか? 13:21 第(2)セクション 考えよう、表現しよう、平和の思い 平和のメッセージを書こう!表現しよう! 13:50 第(3)セクション 世界のお友だちと平和を語ろう 全国のお友だちからの一言メッセージ 海外のお友だちより(フィリピン、 韓国のお友だちからのメッセージ) 14:14 第(4)セクション 広島を学んで、そしてお友だちをつくろう 「

【68大会・報告】広島第2分科会・再稼働問題と脱原発に向けたエネルギー政策の展開

講師 藤井石根さんの報告 時代に原発から自然エネルギー(NE)へと重点が広がり、雇用の裾野も広がっている。2005年でNE利用が55ヵ国だったが、2010年には100ヵ国以上に、投資額も300億ドルから1500億ドルまで拡大している。自然エネルギーの促進には①将来目標値の設定②助成か税控除などの財政支援③公的機関でのグリーン電力の活用などを進めることが重要だ。原発推進派は、供給が不安定、パワー不足というが、蓄電や多種のNEの活用、エネルギーの融通など技術的に解決できる。私たちの手で国のエネルギー政策を動かそう。 海外ゲスト イエンス・ケンツィアさん(ドイツ緑の党)の報告 ド

【68大会・報告】広島第1分科会・フクシマを忘れない~福島原発事故の現状と課題

 講師 振津かつみさんの報告 福島原発事故で大量の放射能が放出され、多くの住民が被ばくさせられた。地震が多発する日本での原発推進は全くの人災である。「放射線管理区域」に相当するレベルは県外に広範囲に拡散した。原発事故で高被ばくをしながら働く被ばく労働者は1ヶ月で、通常の被ばく労働者の1年分を被ばくする。被ばくに応じた健康の補償が必要だ。 事故は収束していない。汚染水の備蓄、地下水の汚染、大気中の放出が続いている。進まない除染、食品汚染、健康管理などの汚染と被ばくに加えて、家族、地域社会の崩壊、生活基盤が損なわれる事態がある。「県民健康調査」は20万人を対象にしたが、回収率は23.4%だ

ビデオ報告 被爆68周年原水禁世界大会・広島大会の2日目

8月5日に広島市内で開かれた「被爆68周年原水禁世界大会・広島大会」の2日目は分科会や国際会議、メッセージfromヒロシマなどがおこなわれ、ビデオにまとめました(8分50秒)

原水禁世界大会広島大会 基調提起(被爆68周年原水禁世界大会)

原水禁世界大会広島大会 基調提起 被爆68周年原水爆禁止世界大会実行委員会 事務局長 藤本 泰成  2013年のストックホルム国際平和研究所のイヤーブックによりますと、世界の核弾頭数は、17,265発となっています。また、世界中で稼働する原子力発電所は、429基です。核兵器も、原発も、それ自身が持っている破壊力と放射能は、私たちの「命」を脅かす存在であること、そしてあり続けること。2011年の3月11日、私たちはそのことの現実を知りました。今、私たちは「核時代の終わり」を宣言しなくてはなりません。 米ロ間で結ばれた新戦略核兵器削減条約は、2018年までに戦略核の30%を削減するとし

原水禁世界大会・広島大会の1日目に3500人、折鶴平和行進や開会総会

今年の「被爆68周年原水爆禁止世界大会・広島大会」は、「折鶴平和行進」から始まりました。青森での「4.9反核燃の日行動」、沖縄での「5.15平和行進」を起点とした「非核平和行進」が全国各地で取り組まれ、8月4日に広島平和公園の資料館前に到着しました。そこに全国各地の参加者が合流し、「折鶴平和行進」として、広島大会の開会総会会場まで行進しました。 資料館前には各都道府県・市民団体などの代表や子ども達など3500人が集まり、原水禁世界大会への海外ゲストを先頭に、横断幕やプラカード、旗などを手に、「核兵器をなくそう!」「原発の再稼働を許さない!」「核も戦争もない平和な21世紀を作ろう!」な

ビデオ報告 被爆68周年原水禁世界大会・広島大会の第1日目

2013年8月4日に広島市で開かれた「被爆68周年原水禁世界大会・広島大会」の1日目の折鶴平和行進と開会総会の様子をビデオにまとめました(9分45秒)。

原水禁福島大会で震災・原発被災地を視察

    被曝68周年原水禁世界大会・福島大会は、7月28日の大会・デモ行進に続いて、29日には東日本大震災、東京電力福島第1原発事故の被災地を視察するフィールドワークが行われ、70人が参加しました。放射線量の高い飯舘村や川俣町、さらに福島原発に近く津波被害も大きい南相馬市を回りました。 飯舘村は、多くのところが居住制限地域に指定されており、中でも放射線量が高い長泥地区は帰還困難地域とされ、居住者の一時的な立ち入り以外は通行止めとなって、2人のガードマンが立っていました。線量計で測ると、福島市内に比べて100倍もの線量を示していました。 飯舘村は、事故が起こる前

原水禁世界大会福島大会 基調提起(被爆68周年原水禁世界大会)

原水禁世界大会福島大会 基調提起   原水爆禁止日本国民会議 事務局長 藤本泰成   私は、福島県いわき市で生まれ育ちました。 多くの時間をすごした母の実家は、小さな港の前でした。 原発事故がなければ、いまごろ、これまでのように海風に魚を干し、 こつこつと水産 加工で復興をめざしていけていたはずです。 毎年、おいしくできた干魚(ひもの)を送ってくれていました。 その豊かな海、豊かな野山、豊かな心をはぐくむ暮らし…………。 これ以上、何を奪えば原発が止まるのでしょうか。 この匿名の手紙は、「さようなら原発1000万人署名」とともに送られてきたものです。この手紙