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原水禁長崎大会の分科会 脱原子力、核軍縮、ヒバクシャの課題で討議や学習
被爆69周年原水禁世界大会・長崎大会は8月8日に分科会やひろば、フィールドワークなどで、脱原子力、核軍縮、ヒバクシャの課題を討議・学習しました。 原発問題では、政府のエネルギー基本計画の問題点の指摘や、脱原発社会に向けたエネルギー政策あり方の提起などがありました。また、福島の現地報告や各地の原発再稼働をめぐる現状が報告されました。さらに、韓国やドイツのゲストからも各国の原発政策の動向が話されました(写真上左)。 平和と核軍縮の課題では、核燃料サイクルにより、溜り続けるプルトニウムが核拡散につながる危険性や、東北アジアの非核地帯化の運動と集団的自衛権行使容認、沖縄などの軍事基地
2014年08月08日
被爆69周年原水爆禁止世界大会は、広島大会を引き継ぎ、8月7日から長崎大会が始まりました。長崎ブリックホールで開かれた開会総会には1800人が参加、核廃絶や脱原発とともに、被爆者が高齢化する中で、運動の継承が重要との声が上がりました。 オープニングは核廃絶を願って、長崎県内390キロをめぐった「反核平和の火リレー」の皆さん。子どもたちを含めて多くの人達による取り組みが紹介されました。 黙とうに続いて、川原重信・長崎実行委員長(長崎県原水禁会長)が「国民の声を無視して原発再稼働や集団的自衛権行使を進める安倍政権と対決しよう」と開会あいさつを述べました。主催者あいさつは、長崎原爆の被爆
2014年08月07日
被爆69周年原水禁世界大会・長崎大会 基調提起(藤本泰成・大会事務局長)
全国各地から、また長崎県内から多くの皆さんに、お集まりいただきました。心から感謝を申しあげます。 戦後、そしてあの原爆投下の日から、69年を数えました。来年は、70年、原水爆禁止日本国民会議の結成から50年の節目を迎えます。昨日閉会しました広島大会で、私たちは「集団的自衛権行使容認反対の特別決議」をあげました。まさしく戦争が、私たちの目の前に、亡霊のように立ちはだかろうとしているからです。 被爆地ナガサキで、自らも被曝をし、白血病と闘いながら、医師として多くの人々を救い、多くの作品を残した、永井隆博士が、自らの子どもたちに残した「いとし子よ」(1949年10月」と言う文章があります
2014年08月07日
原水爆禁止世界大会・広島大会のまとめ(藤本泰成・大会事務局長)
事務局長の藤本です。昨日までの積極的な議論に敬意を表します。若干の時間をいただいて、議論のまとめを行いたいと思いますが、議論のほんの一部に触れることしかできないことをお許しください。 7月15日に厚生労働省が公表した「2012年の子どもの貧困率」は、16.3%で過去最悪を更新しました。7月30日付の読売新聞の記事には、水道を止められ、電気も止められた部屋で、ひとり母親の帰りを待つ少女の話が掲載されました。水道を止められた部屋で、帰宅した母と空のペットボトルを抱えて公園で水をくみ、家に帰っておにぎり1個をほおばった。この日初めての食事。アジアの奇跡と言われる経済成長を遂げた日本の現実です。
2014年08月06日
原水禁世界大会・広島大会のまとめ集会 「核も戦争もない世界を」
米国による原爆投下から69年目となる8月6日、原水禁世界大会・広島大会は「まとめ集会」を開き、「核も戦争もない平和な21世紀を」と、ヒロシマアピールを採択するとともに、「集団的自衛権行使容認に反対する特別決議」も行いました。 600人の参加者が犠牲者へ黙とうを行った後、川野浩一・大会実行委員長は「今年の大会は核廃絶とともに、平和の危機が強調された。再び戦争につながる道を歩むのか岐路に立たされている。もう一度、広島、長崎、沖縄に学び、平和憲法を守る取り組みを進めよう」と呼びかけました。 高校生などが企画運営した「メッセージfromヒロシマ」実行委員が、昨日の模様を報告。子どもたちの平
2014年08月06日
ヒロシマアピール 「生きているうちに核兵器のない世界を」、被爆者は訴えます。 1945年8月6日午前8時15分、広島に投下された原子爆弾は「熱線」、「爆風」、「放射線」のもとその年の内に14万人もの生命を奪い去りました。そして69年が経つ今なお、被爆者やその後世代の心と健康を蝕み続け苦しめ続けています。 来年2015年には核不拡散条約(NPT)再検討会議、原爆投下70年を迎えます。私たちはここヒロシマの地に集まり、核廃絶・脱原発の流れを大きく前進させるための誓いを新たにしました。 世界には未だ約17000発の核兵器が存在しています。しかし一方で国際赤十字の核兵器の非人道性声明をきっかけ
2014年08月06日
原水禁世界大会・広島大会「集団的自衛権行使容認に反対する特別決議」
集団的自衛権行使容認に反対する特別決議 8月6日、あの悲惨な惨状を私たちは忘れることはできません。国益を守るとして始められたアジア・太平洋戦争、私たちの軍隊が行なった侵略戦争は、アジア諸国で2000万人、日本で310万人とも言われる犠牲者を出しました。例えば国内においても、沖縄戦をはじめ東京、大阪など各都市への空爆を引き起こし、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下をもたらしました。原爆は子や孫にまで影響を及ぼし、健康不安の中で、未だ癒えることのない傷跡を残しています。私たちはあの「過ちを繰り返しませぬから」と誓い、平和主義を基調とする「日本国憲法」を制定しました。平和憲法のもとで、69年間、日本
2014年08月06日