新着情報

ビデオ報告 2011原水爆禁止世界大会・長崎大会第3日目

8月9日に長崎市で「被爆66周年原水爆禁止世界大会」長崎大会の第3日目が開かれ、長崎大会のまとめを確認しました。また、福島からの訴えなどもありました。最後に、全員で非核平和行進と爆心地公園での黙祷を行い、長崎大会の全日程を終えました。 長崎大会第3日目の模様をビデオにまとめました。(9分45秒)

被爆66周年原水爆禁止世界大会/大会宣言

大 会 宣 言  66年前の8月6日と9日、アメリカは世界で初めて、人類の頭上に原子爆弾を投下しました。ヒロシマとナガサキのすべての人々、生きとし生けるものすべてに史上例のない悲惨で残酷な破壊をもたらしました。今もなお、放射線障害に多くの人たちが苦しんでいます。私たちは、毎年、両地に集い原水爆禁止世界大会を開催し、あの日のことを語り継ぎ、心に刻み、再びヒバクシャを生み出さないことを誓ってきました。 しかし、私たちは、いま新たな重大局面と対峙しています。3月11日に襲った東日本大震災は、多くの命と生活基盤を根こそぎ奪い取る未曾有の被害をもたらしました。とりわけ、東京電力福島第一原子力発

被爆66周年原水爆禁止世界大会・まとめ集会を開催(長崎大会)

 被爆66周年原水禁世界大会・長崎大会のまとめ集会が、長崎県立総合体育館を会場に開催され、約2000人が参加しました。 雨が降ったりやんだりを繰り返す中で集会終了後、参加者は爆心地公園までの平和行進に出発。小雨の降る公園で、原爆投下時刻である11時2分、黙とうを行い、長崎大会の日程を終了しました。

ビデオ報告 2011原水爆禁止世界大会・長崎大会第2日目

8月8日、長崎市内で「被爆66周年原水禁世界大会」長崎大会の第2日目が開催され、「脱原子力」「平和と核軍縮」「ヒバクシャ」をテーマとする分科会やフィールドワークなどが行われました。 大会2日目の模様をビデオにまとめました。(約7分)

【66大会・報告】長崎第8分科会/見て・聞いて・学ぼう"ナガサキ"-入門編-証言と映像による被爆の実相と平和運動交流-

この分科会の参加者は180人、初参加者はほとんどの人、2回目11人、3回目以上10人、でした。 また、北海道B4人、東北B2人、関東B16人、東海・北陸B15人、近畿8人、中国・四国B12人、九州B50人でした。 ビデオ上映 君たちはゲンバクを見たか  原爆投下で一瞬にして約20万人が死んだ。原爆の恐ろしさ、悲惨さがわかり、投下後も苦しみながら生きてきた。戦後66年たっても被害は続いている。ゲンバクを語り後世に引き継いで原爆を無くしていくことが重要です。 講演  山川 剛(たけし)さん(長崎県原爆被爆教職員の会) 広島の原爆はウランで、長崎の原爆はプルトニュウム。 原爆は投

【66大会・報告】長崎第7分科会/ヒバクシャ3(交流・討論編)「被爆二世・三世問題の現状と課題」

参加者人数:31名 討論の要点と特徴  はじめに、被爆2世組織の方から現状について報告があり、「被爆2世についての法的な定義が存在しない厳しい条件の中で組織化を図ってきた」ということが出されました。そして「被爆2世」が抱える問題として、「被爆2世の健康問題」「原爆放射能による遺伝的影響」「被爆者の子としての差別」などがありますが、この間、国は「遺伝的影響はない」という立場を貫いており、また「親としての責任」という観点から、被爆1世にも精神的負担が強いられている現状も明らかにされました。また、国に対して調査・責任追及を行っていく為には、個人ではなく「組織化」していく事の必要性も叫ばれまし

【66大会・報告】長崎第6分科会/ヒバクシャ2 学習編「日本の戦争責任と在外被爆者問題を考える」

第6分科会は約30人の参加でほぼ船員が初参加でした。そのうち7人が原水禁世界大会に参加自体が初めてでした。 最初に在外被爆者のカク・キフンさんから報告がありました。カクさんは原水禁の分科会にこれまで何度も報告されていますが、今回は初めて日本に来た経緯をお話しました。カクさんは1944年、韓国(植民地下の)の師範学校に通っていましたが、突如、軍に招集されました。カクさんは日本語ができ成績も優秀だったため、幹部候補生となり従軍しました。そして、1945年8月6日、被爆しました。カクさんは「無我夢中で走り、防空壕に入ったら、背中が熱いことに気付いた。背中の服が燃えており、後頭部から背中が火傷し