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福島原発集団訴訟仙台高裁判決に際しての見解

2020年10月05日

「福島原発集団訴訟仙台高裁判決に際しての見解」の発出について

 

 9月30日、仙台高裁において、福島県民および隣接する3県の住民が集団で起こした、国および東電に対する損害賠償訴訟の判決がありました。高裁判決として、初めて国の責任を明確に判定した判決として、画期的であり、また当然ともいえるものです。本判決は、今後の原発裁判に大きな影響を与えるこのとして、重要であると考え別紙の通り事務局長見解を発出しましたので、ここに掲載いたします。

 今後とも、原水禁は、被災者の側にたって、「一人ひとりの命に寄り添う政治と社会」を求めてとりくんでいきます。

 

 

 

2020年10月5日

福島原発集団訴訟仙台高裁判決に際しての見解

原水爆禁止日本国民会議

事務局長 北村智之

 

 東京電力福島第一原発事故によって被災した福島県と隣接する3件の住民約3600人が、国および東京電力に対して損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が、9月30日に仙台高裁(上田哲裁判長)で言い渡された。判決は、国と東電の責任を同等と認め、原告3550人に対して総計で約10億1000万円の賠償を命じるもので、一審の約2900人、総計5億円を大きく上回り、より救済範囲を広げたものとなっている。国と東電は、判決の意味するところをしっかりと受け止めて、上告をせずにその責任を果たすべきである。

 判決は、政府の地震調査研究推進本部が2002年に出した、福島県沖においても巨大な津波地震が起きうるとした「長期評価」を「客観的かつ合理的根拠を有する科学的知見であったことは動かしがたい」として、国と東電双方に津波の予見可能性を認め、国に対しては「不誠実な東電の報告を唯々諾々と受け入れ、規制当局に期待される役割を果たさなかった」と、その姿勢をきびしく弾劾している。国策として原発を推進してきた国の責任は免れはしない。国と東電双方の責任を認めた判決内容は、画期的であるとともに当然とも言える。

 東電の責任は、すでに地裁判決の出た16件全てで認められてきた。しかし、国の責任を問う訴訟の判決は、地裁段階で14件を数えるが、うち6件で国の責任が認められず判断は分かれてきた。責任の有無の判断は、2002年の「長期評価」による津波の予見可能性をどのように捉えるかによって変わる。東電旧経営陣が業務上過失致死傷害罪で強制起訴された刑事裁判の東京地裁判決も、「長期評価は根拠が具体的ではなく、専門家の意見も分かれ、信頼性に限界があった」として、津波の予見可能性を認めなかった。今回の仙台高裁判決は、その意味で今後他の多くの原発訴訟に影響を与えることは必至であり、原水禁は、本判決をきわめて妥当なものとして受け止め、今後の判決に活かされることを求める。

 判決は、2002年以降の国と電力会社とのやりとりを詳細に検討し、国と東電は対策の必要性を認識しながら東電の経済負担を恐れ、試算を避けその結果を隠ぺいしてきたものと判定している。これまでの原子力行政のあり方、原発運転のあり方に、猛省を促したい。また一方で判決は、賠償額・賠償の対象地域を拡大した。国は自らの過失を認めず、よって国が示してきた賠償額は低額に留まってきた。東電は、その水準を超える裁判外紛争解決手続(原発ADR)での和解案には応じてこなかった。国の言う安全を信じて、国策に協力してきた被害住民が、なぜ裁判に訴えなくては救済されないのか。国は被害住民の声を真摯に受け止め、本判決を境に、被害住民の損害賠償、生活再建にきちんとした結論を出すべきだ。

 原水禁は、福島第一原発事故から10年を経過する中で、国と東電に対し、被災者への確実な保障と将来にわたる健康不安への真摯な対応を求める。そして、国民の総意として、原発の再稼働を止め、自然エネルギーを中心にした原発ゼロ社会の実現を求める。そのために「さようなら原発1000万人アクション」に結集する市民とともに、今後も懸命にとりくんでいく。 

 

 

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