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長崎大会 第6分科会「ヒバクシャ2─在外被爆者と戦争責任を考える」

2017年08月08日

長崎大会 第6分科会「ヒバクシャ2─在外被爆者と戦争責任を考える」
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講師:在間秀和(弁護士)
海外ゲスト:カク・キフン(韓国・元韓国原爆被害者協会会長)
チョン・テホン(韓国・韓国原爆被害者協会釜山支部)
山下泰昭(メキシコ・在外被爆者)
参加者 16人

弁護士の在間さんは、①旧植民地出身者、②被爆後日本国外に移住した被爆者、③戦争捕虜、④その他という在外被爆者の定義を示し、その上で、在外被爆者による闘いの経緯として、原爆2法(原爆医療法、原爆特別訴訟法)と1994年に制定された被爆者援護法が、国籍条項が定められていないにも関わらず国外に在住する被爆者に適用されておらず、裁判闘争を重ねて被爆者手帳の国外での取得、援護法の在外被爆者への適用を勝ち取ってきた歴史が紹介され、そのなかで日本政府が一貫して被爆者への責任を果たすことを回避し続けてきた姿勢について指摘がありました。

韓国原爆被害者協会の元会長であるカク・キフンさんは、日本軍に招集された後、広島で被爆した際の体験、日本による朝鮮半島の植民地支配の問題点などを紹介しながら、「日本政府が外国にいる被爆者を援護しないのはおかしい。被爆者はどこにいても被爆者だ」と述べました。
また、韓国原爆被害者協会釜山支部のチョン・テホンさんは、14歳のときに長崎で被爆し、被爆者が病気で亡くなっても当時はそれが原爆症であることは分からなかったことなど、戦後の苦労についてお話がありました。

現在、メキシコに在住している山下泰昭さんは、6歳のときに長崎で被爆しました。その後、長崎の原爆病院で勤める中で、「被爆者とは結婚しない」という差別に直面し、メキシコオリンピックで仕事をしたことを契機にメキシコに移住しました。移住後も深刻な貧血に悩まされる日々が続きましたが、1995年のフランスによる南太平洋での核実験の際に、大学生に被爆体験を語ったことをきっかけに証言活動を開始しました。一時期はサンフランシスコの被爆者団体に所属していたものの、現在はメキシコで被爆者に関連する情報が得られず孤立した状態にあると報告しました。

参加者からの政府の政策の問題点についての質問に対し、在間弁護士は、「被爆者援護と福島の原発事故の問題で共通するのは、政府が放射線による被害をできるだけ小さく見積もろうとしていることだ」と指摘しました。
原爆による被害を国際的な視野でとらえ直し、「被爆者はどこにいても被爆者である」というカク・キフンさんの言葉を出発点にこれからの運動を進めることを確認しました。

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