2017年分科会報告原水禁大会原水禁大会 2017年

広島大会 第7分科会 「見て、聞いて、学ぼうヒロシマ」 

2017年08月05日

広島大会 第7分科会 「見て、聞いて、学ぼうヒロシマ」 
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講  師:金子哲夫(広島県原水禁代表委員)
被爆証言: 平野貞男(広島県被団協・被爆を語り継ぐ会)
参加人数  250人

 はじめに30分ほど「君たちはゲンバクを見たか」のビデオを鑑賞。その後、被爆当時13歳の軍国少年だったという平野さんから、生々しい被爆体験の報告を受け、非人間的な原爆被害の悲惨さ、当日の惨状などを聞きました。また、安倍政権の下で「一億総活躍社会」などという言葉を聞くと、戦時中に耳にした「一億火の玉になって」を思い出し、とても嫌な思いがよみがえるとも語られました。

次に、広島県原水禁代表委員の金子さんから「核と人類は共存できない―原水禁運動の歴史 反核の父・森瀧市郎先生に学ぶ」と題しての講演で、原水禁運動の理念と歴史の解説を受けました。
今年7月7日、国連で「核兵器禁止条約」が採択されましたが、その前文では「核兵器の使用による被害者(ヒバクシャ)ならびに核兵器の実験によって影響を受けた人々に引き起こされる受け入れ難い苦しみと危害に留意する」とあります。この間、被爆者が様々な場で訴えてきた被爆の実相が国連の場でもしっかりと受け止められている成果と指摘。
反核の父といわれる森瀧さんも「核の平和利用にバラ色の未来を望んだ」(1955年第1回原水禁世界大会宣言)時代があったものの、1975年の世界大会基調提案では「核は軍事利用であれ、平和利用であれ、地球上の人類の生存を否定するものであると断ぜざるを得ない・・・結局核と人類は共存できない・・・『核絶対否定』の道しか残されていない」と明確に示されていました。
また、原水禁国民会議が原発問題に取り組んだ経緯、ウランの採掘現場等での被ばくの問題や、再び核被害者を作らせてはならないという強い決意がどのような背景のもとに生まれたのかを説明。そして、被爆者救援運動と国家補償を求め続けることの考え方、座り込み行動を貫く「非暴力」の姿勢などについて話されました。

質疑では、戦争への道を進むことのないよう、これから選挙権を持つ高校生たちにどのように教えるべきかなどの質問がありました。安倍総理は国民の財産・命を守るためにというが、シリアなどの内戦で犠牲者の9割はただの市民であることを見れば、戦争になれば市民がより多く犠牲になるという実態を知ること、「被爆者にはなれないが近づくことはできる、そのためにどう努力するかを考え、行動するべきではないか、信念を曲げず言い続けることが大事」と回答されました。

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