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被爆69周年原水禁世界大会・長崎大会 基調提起(藤本泰成・大会事務局長)

2014年08月07日

全国各地から、また長崎県内から多くの皆さんに、お集まりいただきました。心から感謝を申しあげます。

 戦後、そしてあの原爆投下の日から、69年を数えました。来年は、70年、原水爆禁止日本国民会議の結成から50年の節目を迎えます。昨日閉会しました広島大会で、私たちは「集団的自衛権行使容認反対の特別決議」をあげました。まさしく戦争が、私たちの目の前に、亡霊のように立ちはだかろうとしているからです。
 被爆地ナガサキで、自らも被曝をし、白血病と闘いながら、医師として多くの人々を救い、多くの作品を残した、永井隆博士が、自らの子どもたちに残した「いとし子よ」(1949年10月」と言う文章があります。
「私たち日本国民は憲法において戦争をしないことに決めた。…わが子よ!憲法で決めるだけなら、どんなことでも決められる。憲法はその条文どおり実行しなければならぬから、日本人としてなかなか難しいところがあるのだ。どんなに難しくても、これは善い憲法だから、実行せねばならぬ。自分が実行するだけでなく、これを破ろうとする力を防がねばならぬ。これこそ、戦争の惨禍に目 覚めたほんとうの日本人の声なのだよ。」
 昨日広島で、高校生平和大使への「ユース平和特使」の委嘱式が行われました。岸田外務大臣から、高校生平和大使の皆さんに、「非核への思いを伝えてきてほしい、被曝の実相を語り継いでほしい」との要請がありました。おそらく普通の良心を持って平和に異議を唱えるものはいないはずです。しかし、永井博士が言うように、人間は愚かにも戦争の実相を忘れ、再びその道へ踏み出そうとします。「忘れるから戦争になる」東京大空襲を記録してきた作家の早乙女勝元さんはそう言いました。戦争の、被曝の実相を伝え、風化させないことが、強く求められています。
  2011年3月11日の東日本大震災、福島原発事故から4年目の夏を迎えます。しかし、いまだ仮設住宅での生活を余儀なくされ、特に放射性物質で汚染された福島県では、故郷に帰ることがかなわず、避難生活者は13万人を数え、震災関連死が直接死を上回るなど、極めてきびしい生活を強いられています。
 原発事故を起こした福島第一原発は、溶融した核燃料の状況さえもつかむことはできず、単に冷やし続けることしかできずにいます。高い放射線量は、建屋内外での作業を拒んでいます。がれきの撤去作業において、放射性物質が飛散し、再び農作物から高レベルの放射性物質が検出されるなど事態は深刻です。
 地下水の流入による汚染水問題も抜本的対策には至っていません。多核種除去装置ALPSも故障続きで能力を発揮するに至らず、急ごしらえのタンクも5年の使用期限をむかえつつあります。流入する地下水を止めようとする凍土壁も計算通りには行かず、完全なものとなっていません。くみ上げる地下水から放射性物質が検出されているにもかかわらず、すべての井戸水を足すと濃度は基準以下として、海洋への放出を続けています。
 つまり、福島原発事故の収束作業は、溶融した燃料の冷却と増え続ける汚染水対策という現状への対応に終始し、放射性物質を取り除くめどが立たないというのが実情なのです。
 明治の三陸沖地震の後、37年後に昭和三陸沖地震が起き巨大な津波が再来しました。これは、プレート境界型の地震、つまり明治三陸沖地震の後に起きた、アウターライズ型地震、最大余震だったわけです。最大余震は、いつ来るのか、来ないのか、誰も今のところ予知することはできません。多くの危険と隣り合う、福島第一原発であると言うことが言えます。
 そもそも、事故への対応技術を確立することなく、運転によって当然出るであろう使用済み核燃料とそれに伴う高レベルの放射性廃棄物をどうしたらいいか、という問題も解決しないで、原子力発電技術は無責任に使われ続けてきたのです。火は水で消せるが、放射能は消せない、放射能を消すことの技術を確立せずに原子力発電技術を使用してはならないのです。
 収束作業に従事する労働者の被曝の実態はどうでしょう。第一原発で働く労働者は、3万5千人を超えています。その多くが、下請け、孫請けの労働者であり、劣悪な労働条件の中で働かざる得ないことが、これまでも多く報告されています。労働環境の整備や健康管理、厳密な放射線管理が求められます。
 同様に、福島県民もその多くが放射線管理区域で生活しているような状況にあり、放射線と向き合う生活が強いられています。事故発生時に18歳未満であった者の甲状腺被曝調査では、癌または癌の疑いとされる者が90人に達し、その51人が既に手術を受けています。事故直後から必要な防護策をとるべきであったにもかかわらず、その責任を果たさず、甲状腺癌と原発事故には因果関係がないとする国の姿勢は、到底納得できるものではありません。今後、経過観察を必要とする者も多く、子どもたちが18歳を超えていく状況にに対して、今後も医療保障と健康管理への支援を継続すべきであると考えます。
 国策として、日本の過疎地域に、多額の交付金などをばらまきながら、作り上げてきた原発の、事故の責任を国がとらずして誰がとるのか、原発運転を担う東電に責任があることは当然ですが、しかし、そのことで国の責任が免れるわけではありません。「国策による原発推進が招いた重大事故による被害」国はそのことを認めて、フクシマへの補償と復興支援に、真摯に対応すべきです。
 国は、フクシマの原状回復がままならない中で、鹿児島県の九州電力川内原発の再稼働を進めています。福島第一原発の事故以降、原発の新しい規制基準はより厳しくなりました。しかし、そのことが安倍首相の言うような、世界一安全と言うことではありません。田中俊一規制委員会委員長が言うように「規制基準への適合は審査したが、私は安全とは言わない」と言うのが本音であると思います。
 原子力規制委員会は、これまで安全審査であると言明していません。そのような中で、原発から30kmのUPZ圏内の自治体に義務づけられた「避難計画」を、経済産業省は再稼働の条件ではないとしています。福島原発事故でそうであったように、入院患者が、要支援者が、病院で避難を待つ間に被曝する、または命を失う可能性を否定しないのが、川内原発の再稼働なのです。
 安倍政権は新たな「エネルギー基本計画」において、原発を重要なベースロード電源として、国民的議論に基づいて「2030年代原発ゼロ」とした民主党政権の政策を、すべて転換する暴挙に出ました。
 世界最大の核関連会社GEのジョンイメルトCEOは、「今、本当にガスと風力の時代になってきている」「原子力を正当化するのは非常に難しい」「だから、ガスと風力か太陽光、そういうコンビネーションに世界の大部分の国が向かっていると思う」と発言しています。
 世界は、変わりつつあります。未曾有の原発事故を起こした日本の、しかし、なお原発に拘泥する様は、世界にどのように映っているのでしょう。私は、将来を誤るものだと考えます。
 政府が、脱原発の方針を明確にしない中で、電力各社は、原発の安全対策や既存原発の維持に4兆円近くの資金を投入しています。事故対策や原発の廃炉費用、使用済み核燃料の最終処分などを考えると、原発の発電コストは極めて高額になります。
 ある調査によれば、再生可能エネルギーを、全国1741市区町村のうち、74%で稼働中の再生可能エネルギー施設が在り、それによる地域振興に期待を持っているとされています。しかし、一方で電力会社に送電線への接続を断られるような事態も発生しています。改正電気事業法が成立しましたが、インフラの整備への資本投下と発送電分離などさらなる政策が重要となっています。
 来年は、戦後70年と冒頭でお話ししました。この間、世界各地で紛争が起き、多くの人々が傷ついてきました。今この瞬間も、シリアや南スーダン、ウクライナ、ガザで、罪なき人々の命が失われています。
 ナガサキ・ヒロシマに未曾有の被害を及ぼした原子爆弾は、ストックホルム国際平和研究所によると、昨年度より930発減って1万6300発とされています。しかし、同研究所は「削減数が、核兵器を断念しようとする真剣なとりくみを示唆するものではない」としています。
 日本政府は、ニュージーランドを提案国に125カ国が参加した「核兵器の非人道性と不使用を訴える共同声明」に参加しました。大きな一歩と評価できる一方で、米国の核傘の下にあるとする政策を放棄しようとしていません。また、プルトニウム利用政策に固執し、そのことが韓国の再処理の要求ともつながり、東北アジアの非核地帯構想の障害ともなりつつあります。「唯一の戦争被爆国」と言うならば、私たちがすべきことは明白です。
 このような中で、安倍首相は、7月1日、これまで憲法に反するとしてきた「集団的自衛権」行使容認の閣議決定を行いました。「積極的平和主義」との文言を弄して、戦争をする国をめざすものです。
 昨日、広島市で行われた「被爆者代表から要望を聞く会」では、「『過ちは繰り返しません』という広島の誓いを破る、閣議決定の撤回を」とのヒバクシャからの訴えがありましたが、安倍首相は「国民の命と平和な暮らしを守るためだ」としてその訴えを一蹴しました。
 しかし、戦争は常に自らを守るために起こされ、そして最後はナガサキ・ヒロシマがそうであったように、守られるべき市民が大量に犠牲となって終わるのです。国民の平和な暮らしを守るために積極的に戦争をする必要がどこにあるのでしょうか。ヒバクシャの思いと政治とが、これほどまでに乖離していく責任は、安倍首相にあることは明らかです。
 冒頭の永井博士は、自らの「いとしご」にむけて、こう続けています。「もしも日本が再武装するような事態になったら、そのときこそ…誠一(まこと)よ、カヤノよ、たとい最後の二人となっても、どんな罵りや暴力を受けても、きっぱりと『戦争絶対反対』を叫び続け、叫び通しておくれ!たとい卑怯者とさげすまされ、裏切り者とたたかれても『戦争絶対反対』の叫びを守っておくれ!」
 ナガサキの惨劇の中から、生まれ来た魂の叫びです。永井隆の、私たちへ残した痛恨の思いからの言葉なのだと思います。私たちには、この言葉をしっかりと受け止め、行動していく責任があります。
 広島に続く、長崎での議論が実りある積極的議論をお願いし、基調提起といたします。

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