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【発言録】3.24再稼働を許さない さようなら原発1000万人アクション

2012年03月24日

 3月24日、東京・日比谷野外音楽堂で開催された、「再稼働を許さない さようなら原発1000万人アクション」には、雨模様の天気にもかかわらず、6000人が参加しました。集会での発言をまとめました。

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鎌田慧(ルポライター/呼びかけ人)

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 明後日、柏崎の原発が休止します。これで53基、あと1基、北海道電力がまだ残っていますけど、これを停めると日本から原子力発電の発電がなくなります。本当にさっぱりした日を迎えます。
しかし、残念ながら空は今までの空ではありません。放射能に汚染された空、放射能に汚染された土、川、海がまだ残っていて、これはなかなかどうにもならないという状態にあります。それでもとにかく原発を停めてこれからの新しい時代を開いていくという時代がやってきます。
 これに対して野田首相は自分が先頭に立って原発再稼働をやると言っています。こういう人々の思いに真っ向から挑戦するようなことは認められない。今日の集会は、原発再稼働を許さないという集会です。電力会社と政府の、今までの古い利害関係と古い思想で何とかしようということ私たちははねのけて新しい社会をつくっていくという思いをこめた集会だと思います。もう原発は原爆と同じで人類には両立できないというのがはっきりしてきました。もう原爆も原発も私たちは全て拒否する、そういう時代に入っています。
 これは、ちょうど広島で原爆が落とされて日本政府がもたもたしていた、日本の国体を守るとかのために広島で原爆を落とされてもまだ降参しなかった。そしてむざむざ長崎の犠牲をつくりました。そういう歴史の誤りを今もう一度行っているような気がします。今、福島で原発が爆発しました。しかし、まだ古い勢力は原発絶対体制をやめようとしていません。このような誤った政府を脱原発に向け政策を転換させていく、そして福島の次の第二の長崎をつくらない。そのために今がんばらないと、子どもたちに禍根を残します。もうすでに私たちは子どもたちにどう謝っても謝りきれないような過ちをしてしまったわけです。原発に反対する力が足りなかったとの思いを込めて、今日この雨の中のデモ行進でこれからの私たちの意志を表明したいと思います。
 今現在、まだ署名は550万です。550万は多いようでもあるし少ないようでもある。しかし、1000万を私たちはやることに決めています。ですから、明日から本当にがんばりましょう。一人が10票、一人が100票集めれば集まります。そして、7月16日の10万人集会を成功させましょう。8月に政府がエネルギー政策を決める前に絶対再処理工場を認めない。もんじゅも認めない。日本は原発社会から脱する。その10万人集会をやって、さらに電力会社と政府を追い込んでいく。そういう意味が今日の集会になります。この記念すべき雨の集会で何とかがんばっていきましょう。


澤地久枝さん(作家/呼びかけ人)

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 明後日26日に、今動いている二つの原発のうち一つが停まります。そうすると残るのは北海道の泊原発一つということになるわけです。去年の3月11日の後、みんなが「もう原発はだめだ」と思ったときに、原発がなくなったら江戸時代に戻るというようなことを平気で言う人が出てきたんです。これはマスメディアの責任だと思うけど、その人たちの声のほうが前面に出てきたんです。福島はこうなっている。あるいは岩手はこうなっているとちゃんと言う人がいると、必ず、「しかし」とか言って「日本の技術革新の歩みを止めるわけにはいかない」などという声が、テレビ、新聞、雑誌で大きくなりました。
 日本人って忘れやすいのかもしれないけれども、何となく原発事故のことを言うまいという空気が強くなったという気がします。原発絶対反対と言うと冷たいという目で見られるというようなことが現実に起きている。でも、そんなばかなことがあるかと私は思います。
 現在、「さようなら原発1000万署名」は550万人だそうです。日本の人口を考えたら、10人に1人が署名をすれば1000万人は軽いと私は思っていたんです。でも現実に動いてくださっている方たちの話を聞くと、結構いろんなしがらみがあってやりにくいことがあるそうです。でも、ここで私たちがだめだと思うわけにはいかないと思うんです。原発を停めても完全に停めるのには何十年もかかる。しかもその跡地は使えないですよね。そのような状態の中で私たちはだんだん寿命がつきて原発がなくなっていくというのではなくて、私たちの意志で原発や原発関連の諸施設もいらないということをはっきりと言っていきたいと思います。困難はあるかもしれないけれども、でも次の世代、さらにその先の世代に恐怖を押しつけて私たちは人生を退場するわけにはいかないと思います。
 そして、やがて私たちは魚を食べられない、どこの海の魚がうんぬんという日にもうすでになっていると私は思います。あれだけ海に放射能に汚染された水を流していて海の魚たちが無事なはずはないですね。いずれ私たちはどうするかということを考えなければならない。放射能に東京も汚染されていますよね。今日も雨で濡れるわけだけれども、子どもを生むというようなことに関係のない年齢の大人たちは福島のものでも何でも恐れずに食べなければならないですね。これは食べましょう。そして子どもたちとこれから子どもを生む可能性を持っている男・女にはなるべくそういうものを食べさせない工夫を私たちは自ら守るためにやらなければならないと私は思っています。だから、どこのものは大丈夫、これはだめというのはやめたい。
 それから、放射能を測る機械は高く、ちゃんと測るには千何百万円だというけど、計測する機械が足りないんじゃないですか。そんな国ってあります。54基も原発があって放射能を測る機械がないというのは本当にばかげていると私は思います。私は本当に怒っているんです。私が今はっきり言いたいと思うのは、命を金に代えることはできないということです。命を売っちゃいけないですよね。私たちは命をいとおしんで大事にいきましょう。私にできることはこういうところに出てきて、私もみなさんと同じ熱い気持ちを持って、絶対に原発は私たちの力で確実に停める、原発関連のものをみんな停めていくということを、私も思いみなさんも思うという、そういう交流をする以外に今私には道がないです。希望はないように見えるけれども、私たちが希望をつくっていくんですね。みなさんがつくってくださるんです。がんばっていきましょう。


辛淑玉さん(人材育成コンサルタント/賛同人)

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 こんにちは。辛淑玉です。先だって福島の保育園に行ってきました。私がガラッとその年長組の部屋を開けましたら、約20人ぐらいいた保育園の子どもたちが声を揃えて言いました。「男?、女?、男?、女?、男?、女?」と、大合唱されました。私が「どっちだと思う」と聞きました。そしたら17名の子どもが「男」と言いました。3名の子どもが「女」と言いました。「どうして男だと思うの」と聞いたら、「入ってきた態度がでかかったから」と言われました。そうですね。それで「どっち、どっち、どっち」と聞かれたので、「どっちでもないよ」と言いました。そしたら子どもたちはパニックになりまして、そしてその部屋を出るまで「ねえ、男?、女?、男?、女?、男?、女?」と、みんなまとわりついてきました。そして最後まで私は答えを言わないで出てきました。おそらく今ごろ悩んでいると思います。小さいときからちゃんと悩むということは大事なことです。
 だけど、答えを出すまでもないものがあります。それは核を持つということ、そして原発ということ。これははっきりしています。人を殺すものだからだめです。私が原発に反対するのはとても簡単です。それは差別だからです。人を殺してもいい、殺してもいい命がある。だから武力を持ち、だから核開発をする。そして貧しく声を上げられないところに原発を持っていく。あの心根に私は差別があると思っています。
 福島が環境破壊をされ、海は汚染され多くの人たちはたくさんの不安を抱えました。それは、これから差別をされるんじゃないかという思いです。私たちはきちんとそういったものを一つ一つ歴史の中で落とし前をつけてきませんでした。たとえば、福島に原発を置くこと、これはまさに沖縄に基地を置くのと全く同じ構造です。そして海の汚染。これは長い間水俣病の人たちを差別してきた構造と全く一緒です。そして帰れないふるさとをつくった。福島だと言ってしまったら不安がある。すでにもう出ています。結婚差別。放射能がうつる。それは、被爆二世・三世にやってきた差別と全く一緒です。この国は世界で初めての被爆国とかなんとか言いながら、その犠牲者に対してきっちりとしたケアをしてこなかったんです。そして、自分の都合のいいところだけとって、さも被害者のようなふりをして、被害者を救ってこなかったんです。その原爆被爆の二世・三世の人たちに対する差別がまた福島で始まりました。そして、部落差別です。全く同じ構造が福島に振り落とされました。心を壊し、家族を壊し、地域を壊し、社会を壊し、これが原発の結果です。
 私は、明日より今日、命より金を選ばせる人たちを説得できるほどの人生は長くありません。だから、より理解できる人たちと一緒に手を取り合って少しでも早く、少しでも多くの人たちと命が奪われない社会をつくっていきたいと思います。福島の原発が爆発したときに、今日もここに来ている水道労組の人たちはタンクを抱えて福島に入りました。それは、おれも生きるがあんたも生きろ、一緒に生きていこうというこの思いです。その思いをまた日本全国に届けていきたいと思います。


大内良勝さん(3.11福島県民大集会実行委員会)

fukushima120324.JPG 先々週の3月11日は大変ありがとうございました。1年ということで、みなさんにお集まりいただき1万6千人ということで発表させていただいています。県内8000人、さらには多くの応援団ということで、全国の仲間8000人以上に結集いただきまして、初めて大集会を成功させることができました。ありがとうございました。
 福島の実態は、みなさんご存じのとおり、1年経っても何も一つも変わっていない。復興・支援というニュースからすれば、岩手県、宮城県はいろいろなことが動き始まりましたというニュースをやるんですけども、福島県のニュースは全然やりません。そのとおり何も変わっていないからです。
 その中で逃げた子どもたちは2万人ですけども、逃げられない子どもも2万人以上います。その子どもたちのために私たちもこの1000万人署名をぜひ成功させたいということで、ぜひ7月の集会には、1000万人を達成してみなさんとまた東京で集まりたいと思っています。よろしくお願いします。
 来年もぜひ3月11日は福島でやりたいと思います。福島でこのぐらい良くなった、このぐらいがんばったという運動の成果を持ち寄って、ぜひ大集会を成功させたいと思います。「何で福島の人は怒らないんですか、もっとどんどん表に出ないんですか」と言われるんですけども、出方がわかりません。こういうふうに呼んでもらえれば、こうやって一生懸命話もできます。
 3月11日の日はいろいろな運動をやっている人たちがみんな一緒になって初めて大集会ということで、垣根を取り払って初めてやった集会でした。それでもみなさんに協力していただいてあんなすばらしい集会できました。それもみなさんのおかげです。これを糧にぜひ今後も福島としての運動をしていきたいと思います。


小島誠さん(新潟県平和運動センター副議長)

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 明後日26日、柏崎刈羽原発7基のうちの6号機が定期検査入り、全7基が停まります。新潟には7基の原発があり、世界最大、総出力821万kWということですが、当初から私たちは原発そのものの危険性、そして活断層の存在などから、反対運動を粘り強く展開してきました。ですが、2007年7月、私たちは大きな衝撃を受けました。中越沖地震です。変圧器の火災、それから原子炉建屋耐震壁を貫通するひび、放射能漏れ、大きなダメージを柏崎刈羽原発は受けています。私たちは本当に恐怖を覚えました。この事態を受けて平和運動センターが中核となって「原発から命とふるさとを守る県民の会」を立ち上げて再稼働させない取り組みを一層力強く進めてきたわけですが、東電、そして県、柏崎市、刈羽村に幾度となく申し入れを行って交渉を重ねてきたわけですけれども、それにもかかわらず、十分な検証そして反省、対策もないままに原発を動かし続けてきました。その結果が福島の事故です。この未曾有の事故を私たち柏崎刈羽原発の教訓を生かせなかった結果だと思うと、私たちとしては本当に止められなかった、防げなかった、本当に申し訳ない。そんな思い、痛恨の極みです。
 福島原発事故以来、県内で様々な取り組みを行ってきました。原子力資料情報室の山口幸夫共同代表にコーディネーターとなっていただき連続講座を開設してきました。山口さんはじめ伴さん、飯田哲也さんなど講師をたくさん迎えて月1回、計10回の講座をやってきました。原発の危険性、それから不採算性、不必要性などをしっかりと学んでこれから反原発を訴えていく担い手をつくるという目的です。申し入れその他の抗議行動もいっぱいやってきました。集会も数々開催しました。7月刈羽村で、新潟・福島豪雨のさなか200人を越す規模の集会。そして2月、今度は豪雪に見舞われる中でも450人の規模の集会を行いました。そして今まさに長岡市で500人を超える規模の集会をやっています。再稼働させないという強い思いからです。
 これまでの集会とか講座などで聞いた言葉で私が忘れられない言葉が二つあります。一つは「何も終わっていない。災害はまだ続いている」。2月の集会で言った福島の教員の言葉です。もう一つは、「自分たちは見捨てられたんだと思った」と言った福島の中学生の言葉です。私たちはこんな思いをもう誰にも味合わせたくない。そういう強い思いです。新潟にはいまだ7,000人を超える方々、900人を超える子どもたちが新潟に避難し、不安を抱えながら生活をしています。これ以上子どもたちを苦しませたくはありません。
 今回の事故を受けて私は「立地県」とか「地元」とかいう言葉を少し考えたんですけども、立地県、地元というのはどういうことなのか。日本のどこもが立地県であり地元ではないでしょうか。みんなが当事者として動かなければいけないと感じました。地方議会も動きつつあります。柏崎刈羽原発から50㎞離れている湯沢町では、先日、「柏崎刈羽原発の再稼働を認めない決議」を採択しました。確実に動いていると思います。みんなで当事者意識を持ってがんばっていきましょう。
 全国1000万人署名を達成するために、新潟は24万という目標を掲げました。今現在23万2153筆96.7%に達しています。本当はこの場で100%達成したと報告したかったのですが、今後も100%と言わずに、それ以上1筆でも多く署名を集め、再稼働を絶対に許さない、そんな思いを広めていきたいと思います。こんな言葉も聞きました。「天災は止められないかもしれないけども、人災は止められる」。54基の全ての原発の廃炉に向けてみなさんともにがんばりましょう。


川野浩一さん(原水禁議長)

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 3.11から1年が経過しました。この1年を振り返って何が変わり何が変わらなかったのか。3月の10、11日に行われた日本世論調査会の全国調査によりますと、将来は脱原発という考え方に賛成が80%に達しているということがわかりました。これは国民がこの1年で明確に脱原発を選択したこと、変わったことを意味します。
しかし一方、政府や経済界や電力業界は、これほどの事故を起こしても依然として原発にしがみつき、原発再稼働に動いています。変わっていません。政府は原発の収束宣言を出しましたが、現実はいまだ復興のめどは立たず、現地福島では放射能の恐怖にさらされ、多くの人たちが避難生活を余儀なくされています。農業、漁業、畜産業の人たちの生計のめどは立たず、自ら命を絶った人、妻子を県外に残し一人寂しくともがんばる人、避難生活は無理と自宅にとどまる老夫婦、家畜や犬や猫は餓死し、先祖伝来で引き継いだ田畑は荒れ放題、それでも政府はまだ原発にしがみつくのでしょうか。
 国策民営の原子力エネルギー政策、この狭い地震列島日本に54基の原発、さらに14基を増設し原発で将来的に50%を超える発電供給量を計画してきました。これまで原発に反対する声を金と権力で押さえ続けてきた政府・電力も、さすがに事故以来、国民の声を無視することはできなくなりました。しかし東電は、電気料金の値上げはわれわれの権利だと言い、また政府も原発の再稼働は政治判断だと言っています。彼らの原発願望の本質は何ら変わっていません。戦争好きの政治家は技術抑止力すなわち原発を動かし続けることでいつでも核兵器をつくる能力を維持する、核兵器保有予備軍でありたいのです。枝野経済産業大臣はテレビで、安全性を政治判断することはないと言っていますが、また以前のように御用学者、原子力ムラと言われる専門家を集めて地方では“やらせ”で同意を得たとして政治判断と表明するのではないでしょうか。しかし、このような見え透いた主張では国民はもうだまされません。
 近々、東海、東南海、南海の3連続地震は高い確率をもって予測されています。もしこの地震が来たら、関東から九州までの広い一帯が甚大な被害を受けます。たとえ浜岡原発が停止していても、福島原発の例を見ても保管されている使用済み燃料も危険です。もう一度原発事故が起きれば、わが国は壊滅状態になることが予測されます。そこまでいかなければわが国政府と業界は原発と決別できないでしょうか。悲しいことです。
原子力発電は危険です。原発がなくとも経済が疲弊することはありません。私たちの日常生活に何ら影響は与えません。日本を沈没させないためにも、原発を完全に停めましょう。安全・安心な社会をつくりましょう。日本を再生しましょう。みなさんたち一人一人の1000万人アクションの行動で脱原発社会の実現が決まります。国民の脱原発の意志を署名として政府に突きつけなければなりません。署名を集めてください。脱原発の実現はみなさんのもう一歩の行動によって決まるのです。みなさんの力で原発をわが国から世界からなくしましょう。


落合恵子さん(作家/呼びかけ人)

ochiai120324.JPG どんな状況でも、まずお元気ですか、元気でいてくださいと心から祈るように思います。とくに福島の子どもたち、元気でいてください。全国各地で、反・脱原発の活動をしているそれぞれの人たち元気でいてください。そして今日ここにお集まりの、外にもずっとあふれておられますが、一人一人の方々、元気でいてください。でも、疲れたときは「疲れた」と言っていいのだと私は思います。辛いときは「辛い」と言っていいのだと思います。権力はいつだって市民のがまんと忍耐の上に太ってきたのです。だから私たちは、辛い、痛い、悔しい、私あまり使わないけど「バカヤロウ」って言ったってかまわないんだと私は思います。世界に誇るべき憲法に記された基本的人権を踏みにじっているのはこの国なのです。だから私たちは怒ります。語り続けます。為政者に私たちは叫んだっていいんです。あなたたちは憲法違反をしているんだって。
 あと十数分であの日から1年とまるまる13日になります。私たちは忘れません。「僕たちいくつまで生きられるの」と聞いた福島の子どもの目を私たちは忘れません。「そんなに安全ならお台場につくれよ」と叫んだ福島の女子高生のあの声を。そして私たちは忘れません。「年寄りは足手まといになります。私はお墓に避難します」と書いて亡くなったあの高齢の女性の震えるような思いを。
 2011年3月11日から私たちは、この社会を本当の意味で命と人権に根ざした第二の私たちの誕生日を迎えるために踏ん張り続けたいと思い、今日ここにいます。福島第一原発は何一つ収束していないにもかかわらず、大飯原発3号機、4号機を再稼働への手続きと野田政権はもうすでに地元説得という形をとっています。地元説得です。全国民を説得することはできないと私は信じています。崩壊した安全神話の上に再びの安全と安心神話を彼らはつくろうとしていますが、決して私たちはだまされない。もう一度2011年3月11日に戻りましょう。いまだに何一つ解決していない原子力発電を動かせば動かすほど毎日核廃物が、廃棄物じゃないです廃物です。廃物がたまっていくのだということを100年しかせいぜい生きられない私たち人間が10万年も生きる放射能をどうやって見届けていけばいいのですか。
 原子力発電は原爆と変わりがありません。私たちは忘れません。つくっても持ってもいけないものなのです。両方とも。もう一度2011年3月11日に戻りましょう。どんなに安全・安心を謳っても原発事故は起きたじゃないですか。私たちは体験したのです。もう一度2011年3月11日に戻りましょう。福島の人はもちろん、日本中、世界中の人々を恐怖に陥れたのです。未来の子どもにまで危険を残してしまったのです。もう一度2011年3月11日に戻って心にしっかり刻み、未来の子どもたちに向かって、私たちは軍縮じゃない全ての核を捨てることと全ての原発を廃炉にもっていくことをここに誓いましょう。もう一度、もう一度です。元気ですか。元気でいましょうね。私たちは長生きしましょうね。全てを見届けていきましょうね。生きている間に答えを出す。元気で、風邪ひかないで、ありがとうございました。

(編集:事務局)


 

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