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【ニュースペーパー2011年12月号】原水禁関連記事

2011年12月01日

●廃炉まで「間に合わなかった」の思いを胸に
  ハイロアクション福島原発40年実行委員会 武藤 類子さんに聞く

●新潟と島根の現場からのレポート 危険な原発の再稼働を許すな!

●米中の対立構造にインドが参加 揺れ動くアジア・太平洋

●被ばく労働問題で関係省庁と交渉 労働者を守り、脱原発へのプロセスを歩む
 全国労働安全衛生センター連絡会議 飯田 勝泰


廃炉まで「間に合わなかった」の思いを胸に

ハイロアクション福島原発40年実行委員会 武藤 類子さんに聞く

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【プロフィール】
 福島県三春町で喫茶店を営みながら、1986年に旧ソビエトで起きたチェルノブイリ原発事故を機に、原発に反対する運動に関わり始める。東日本大震災・福島第一原発事故の発生以降は、地元住民の中継地点として、避難先の受け入れ態勢づくりや、放射線の測定所の運営などの支援を行なっている。9月19日の「さようなら原発集会」では、現地の報告を行なった。

――これまでどんな気持ちで活動してこられたのか聞かせてください。
 チェルノブイリ原発事故をきっかけに、自分が住んでいる福島に10基も原発が建っているということに、血の気が引くほどびっくりしまして、細々とではありますが、25年間活動を続けてきました。福島では去年、プルサーマルが3号機で行われることになりました。一生懸命みんなで反対はしたのですが、それを止めることができませんでした。プルサーマルが始まってから、事故が起きたときに、いったいどうやって逃げるのかという話になっていました。そういう危機感は持っていたのですが、実際、事故が起きるかどうかということは、それほどリアルには考えていなかったと思うのです。東日本大震災・福島第一原発事故であのようなことになってまず感じたのは、止めることができなかった、「間に合わなかった」という思いです。
 私は原発の非常用電源が全部入らなくなったという時点で、家族と一緒に避難しました。しかし1ヵ月後、87歳の母もおりますので、疲れてしまい戻りました。戻ってきて思ったのは、「やはり(原発事故が起これば)こういうことになるのだなぁ」ということでした。

――武藤さんはすぐに避難されましたが、政府の対応によって大勢の人を被曝させてしまいました。
 とてもひどい、政府や東京電力の対応は犯罪的なものだと思いますね。最初に避難区域を広げて、徐々に戻ってくることがあったとしても、もっと広げるべきだったと思います。スピーディーな発表がされていればおそらく、自分たちのところに放射能が来るとわかった人たちだっていたはずです。
 3月11日の時点で、子どもがいる友だちの家をまわって、逃げたほうがいいよと言ってみんな避難したのですが、戻ってきたら、まだ子どもと一緒に住んでいる友だちもいました。本当に混乱状態というのか、何も始めから真実はよくわかっていなかったです。だんだんわかってくる国の対応というのは、ひどいものでした。そういうことがわかってきて、ここで何かしなくてはいけないという思いに至りました。

――何で日本人は怒らないのかとヨーロッパの人から言われますが、いかがでしょうか。
 やっぱり市民の怒りというものが封じ込められてきたという自覚が必要だと思います。私たちは物言わぬ国民にされてきたのです。学校教育もそうですし、経済成長の頃から、社会もメディアもみんなこぞって、国民を操作してきたというか、物を考えさせないように、愚民として扱われてきたのだとすごく思います。そういう中で、国民一人ひとりが、まんまとそれに乗ったというそういうのもあると思います。
 豊かさとか便利さの陰で、犠牲にしているものがたくさんありますね。原子力発電はウラン採掘や、劣化ウラン弾、被曝労働者、ゴミの問題から、本当にたくさんの被曝者を出さなければできない発電だから、まずそこで犠牲にしていますし、他人を犠牲にしていると同時にやっぱり自分も犠牲にしてきたのだという自覚が本当に必要だと思います。
 自分たちが使っている電気について、9月19日の集会では「コンセントの向こう側」と言いましたが、その向こうにどういう世界が広がっているかという想像力というものが必要だと思います。どこを取っても安全ではありません。そういう人類だけではなくて、いろんな生き物の犠牲を伴う発電方法だということをみんなが知る必要があると思います。
 みんな頭にきていると思うけれど、結局社会とか世界を変えるのは自分だということに、自信が持てないというのがあるのではないでしょうか。私にも、「私ごときが」という思いがありますけど、やはりそこにとどまらないで自信を取り戻すというのがすごく大事だと思うのです。
 特に若い方々が本当についてない時代に生まれて、就職もない、バブルの恩恵もない、そしてすごく自分たちがすばらしいのだという、そういう感覚が持てない、そういう環境にいるのかなと思っています。でも、決してそうじゃなくて、若い人たち一人ひとりの中に、そんな力があるしそれを確信してほしいと思います。それをどんな形でもいいけれど、政治に関わろうが、山の中の暮らしをしようが、自分のことをすごく大好きになって自信を持って新しい、自分の生き方をしてほしいとつくづく思っています。

――福島県も復興計画に脱原発を掲げていますが、自治体の役割についてどう考えていますか。
 中央はいちばん力があって、地方というものへとピラミッド式になっています。そういう構造はやっぱり良くないと思います。自治体というのは、政府と対等な立場であるはずです。自治体には誇りを持ってほしいですね。国の言うことだけを訊いているということでは、まったく自治とは言えません。地方こそ、いちばん地方のことがわかるわけですから。
 前の佐藤さん(佐藤栄佐久・前福島県知事)は、国のエネルギー政策に真っ向から反対しました。彼は細かいところは私たちとの相違点があったとしても、本当に地方自治を全うしようとしたのではないかなと思います。そういう人をみんなで選ばなければいけないでしょう。佐藤さんが最初からそういう考えだったのかどうかはわかりませんが、すごく原発のことについて勉強されたと聞きました。

――現在、平和フォーラム・原水禁では1000万人署名に取り組んでいます。
 自分の名前を書くというのは、やっぱり意思の表明だから署名というのは大事ですし、署名が本当に活かされてほしいと思います。集めたものをどのように国に突きつけていくのか、その方法をぜひ考えていってほしいです。署名を行うことにもいろんな意見があって、「こんなことしたってダメじゃないか?」という考えもよく聞きます。しかし自らペンを取って、自分の名前を書くわけですから、それなりの責任というものがある行動だと思います。
 私は、本当はいろいろわかってなくて、感覚的な運動しかできないのですが、それで十分だと思っています。去年の7月に作家の広瀬隆さんの講演会をやりました。そのときに地震が起きれば津波が起きて、原発事故が起きるとお話なさっていたのです。でもそれが起きるのは静岡の浜岡原発だと思っていました。どこか警戒心や緊張感がなかったという思いはあります。
 非暴力直接行動のようなことが好きで、昨年の8月6日に福島第一原発3号機でのプルサーマル運転が始まった際に、50人くらいで門の前で丸くなってダイインをしたり、青森県六ヶ所村では座り込みをしたり、ハンガーストライキもやりました。あと「核燃いらない女たちのキャンプ」というのをやって、実際道路に出てトラックを止めるということをやりましたが、50分くらいしか止められませんでした。そういうやり方が自分にはものすごく合っているし、好きなのです。話したり、演説したりすることなど、本当はものすごく苦手で、文章を書くことも好きではありません。ですから、今回の「女たちの座り込み」(写真)もそういう意味で表現としては自分の好きな分野です。

〈インタビューを終えて〉
 福島で暮らす武藤さんは、福島原発の非常用電源がダウンしたというニュースを聞いて、爆発が起きる前にこどもを持つ友人知人に避難するよう呼びかけたそうです。チェルノブイリ原発事故から25年、10基ある東京電力の原発を廃炉にするため活動されてきた武藤さん。福島原発事故が起き、「(廃炉が)間に合わなかった」と唇をかみしめて語っていただきました。原水禁・平和運動を進めてきたわが身を振り返り、あらためて一刻も早い脱原発社会の実現に向け、思いを胸に刻むインタビューでした。

(藤岡 一昭)


新潟と島根の現場からのレポート
危険な原発の再稼働を許すな!

柏崎刈羽原発への核燃料搬入に抗議
 2012年1月に定期点検に入る予定の東京電力・柏崎刈羽原発5号機の交換用核燃料(196体)が福島原発震災後、初めて搬入されることとなったため、10月17日に刈羽村で抗議の集会とデモが行われました。集会は、柏崎刈羽原発設置反対新潟県民共闘会議の呼びかけで県内の原発反対市民団体や県平和センター・労働団体・政党などから約200名が参加しました。

 初めに、県民共闘会議の渡辺英明議長が、「定期点検後に再稼働が許されるかどうかもわからないのに核燃料を搬入するとは県民感情を逆なでする言語道断の行為だ」と東電を厳しく批判しました。
 地元三団体の共同代表・高橋新一さんは「7000人を超える福島からの避難者が新潟県に余儀なく住んでいる。二度と、悲惨な事故を起こさせてはならない。今後6号機の交換用燃料も輸送される予定だ、抗議行動を含めて運転再開に反対していく。廃炉に向けて共に闘う」と決意を表明しました。
 県民共闘の共同代表でもある小山芳元・県議会議員は「全国から6万人が結集した9.19集会の成果を無にすることなく原子力政策の転換を強く求めていこう」と提起し、「いのちを守る刈羽村女性の会」の近藤ゆき子さんからは「いつも全県から大勢の方が柏崎・刈羽に来られて激励をいただくことは、私たちの運動の大きな支えだ。3.11で推進派が言う想定外の事故を起こした。廃炉まで闘い抜く」と決意を表明しました。
 集会の最後に「3.11以降、国民世論は大きく変わった。共同通信社の『自治体首長アンケート(回収率95%)』で新規原発を認めず早期に廃止が65.1%で、『認める』の17.3%を凌駕した。経産省に『コスト等検証委員会』が新設されるなど原子力村にも風穴が空いてきたが、私たちの闘いがなければ元のもくあみだということを共に確認しよう」とまとめました。
 集会後「さようなら柏崎刈羽原発!」「危険な核燃料 持ち帰れ」などと刈羽村民に訴えるデモを行いました。また、輸送トラックの車列に対し、路上に立ち止まり抗議のシュプレヒコールを浴びせました。

(中村 進/新潟県原水禁 事務局長)

島根原発の再稼働に首長も慎重姿勢
 3.11の福島第一原発事故の当初、「原発怖いね」と言っていた人たちから、その声があまり聞かれなくなりました。あれから半年が過ぎ、「地震はそんなに起きるわけがない」、「起きたら国が何とかしてくれる」。そして「(原発をやめて)エネルギーはどうするのだ」、「せっかく造った原発がもったいない」、「交付金がなくなると困るし、雇用はどうするのか」。こんな声が聞こえるようになってきました。
 全国で唯一、原発が県庁所在地に立地する中国電力・島根原発。30キロ圏内の人口は46万人とされ、その住民の避難場所や県庁、オフサイトセンターなどの機能移転が議論されています。また、30キロ圏内にある周辺自治体(出雲市、雲南市、安来市、米子市、境港市)は一斉に中国電力に安全協定締結を迫っています。
 島根原発1号機は運転開始から37年が経過した老朽原発です。昨年の点検漏れから止まったままの状態にあり、プルサーマル計画のある2号機は来年1月末に定期検査に入るため、このままいけば原発全てが停止状態になります。
 1号機も2号機も、立地区域に活断層はないとしていたはずでした。
 3号機は、ほぼ建設が完了するものの、制御棒が製造ミスによって試験時に挿入できず、それを中国電力は金属くずが混入し、動かなかったと説明しました。メーカーに持ち帰って点検するものの、うまく動かないにもかかわらず、来年3月には運転開始したいとしています。現在、1~3号機はすべて、2次ストレステスト実施中です。
 島根県知事と松江市長はともに再稼働に対して、ストレステストだけでは判断せず、福島第一原発が地震によってどのような損傷を受けたのかなど、事故の全容解明と説明の上、対策が取られない限り判断できないとして、慎重な姿勢を示しています。

(芦原 康江/島根原発増設反対運動 代表)


米中の対立構造にインドが参加
揺れ動くアジア・太平洋

大国化する中国とインド、米国
 21世紀に入って、アジア・太平洋は米中にインドが加わる複雑な状勢に大きく揺れ動いています。中国の軍事力発展は、特に海軍力でめざましいものがあり、米海軍の象徴的存在である原子力空母も、うかつに中国には近づけなくなっています。
 中国は長年の悲願であった第1列島線突破から、第2列島線突破を可能とする海軍力の増強をなしとげ、こうした海軍力増強が東シナ海や南シナ海での領海・領有権問題を引き起こす結果となっています。このため、中国近辺の国家で軍事力増強の連鎖が広がっています。東シナ海では、尖閣諸島沖での日本による中国漁船だ捕事件を機に、南西諸島への陸上自衛隊配備という愚かしい計画が進んでいます。
 南シナ海でも中国とベトナム、フィリピンの間で領有・領海権問題が発生し、米国は艦船の自由航行権とからめて両国に介入しています。しかし、米国は一方で中国との経済的関係を発展させる必要があります。そこでインドが東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国との軍事関係を強化する形で出現してくるのです。

米豪の軍事協力に日本が積極参加
 インドとASEAN諸国との軍事関係の前に、日米豪の軍事協力について述べておきます。
 米国とオーストラリア、ニュージーランドとの軍事協力関係は、1951年の太平洋安全保障条約(ANZUS)締結以来続いてきましたが、86年に南太平洋非核地帯設置条約(ラロトンガ条約)が成立する過程で、84年にニュージーランドが非核政策を採択。核兵器積載艦船のニュージーランド入港拒否を宣言したため、米国はニュージーランドに対する義務の停止を通告(86年)するなど、ANZUS同盟は分裂状況で、さらにオーストラリアも長年の続いた労働党政権の外交政策によって、米豪の軍事協力は緊密な状態ではありませんでした。
 しかし、96年に保守連立政権が発足し、米豪関係は一変し、積極的な軍事協力関係がつくられていきます。この協力関係の変化は、2003年に米ブッシュ前大統領の提唱によって結成された、「大量破壊兵器の拡散防止構想」(PSI)の最初の訓練がオーストラリア沖で開催されたことからも知ることができます。
日本もPSIには積極的に参加していきますが、同時に日本・オーストラリア間の軍事協力関係も強まっていきます。日本は07年3月に「安全保障に関する日豪共同声明」を発表し、08年12月には日豪防衛相間で「日豪防衛協力に関する覚え書き」を交わします。
 こうして日本、米国、オーストラリア3ヵ国による合同軍事演習が07年から始まります。昨年6月に沖縄で行われた日米豪合同軍事演習は、米原子力空母も参加する大がかりなものでした。さらに同年10月の韓国沖で開催されたPSI訓練は日米韓豪の大がかりな軍事演習といえる内容でした。

インドは米国との関係を一層深めるのか?
 米ブッシュ前政権によって、07年に米印原子力協定が締結されますが、これは米国とインドとの積極的な軍事協力の始まりでした。07年末インドは早速、米ボーイング社と10億ドルに及ぶ軍用機の共同製造事業で合意。その後、米印間の合同軍事訓練・演習が開始されます。米国防総省の発表では11年度だけで、どの国よりも多い56回の訓練・演習を行っています(11月2日現在)。米印による軍事包囲網の実態が初めて明らかになりました。
 インドはベトナム、オーストラリア、インドネシア、タイなどと積極的な軍事協力を築こうとしています。ベトナムは中国との紛争の直後、インドに軍事支援を求めるなど、対話よりも軍事的対応に動く姿勢を見せています。同じく中国と南沙諸島の領有権問題を抱える、フィリピンのアキノ大統領は8月末に中国を訪問し、130億ドルの直接投資の約束を取り付けた直後、米国から大型巡視船の購入を発表。9月には訪日し、日本の協力を求めました。米国の中国包囲網の一翼を担う日本が今後どう動くか注目されます。
 中国をライバルとして軍事力強化を進めてきたインドは、米国と協力関係を強める一方、「上海協力機構」への正式参加を求めています。(現在、印パ両国はオブザーバー参加)。政治的にも経済的にも存在感を高める「上海協力機構」が、印パを加盟国として認めるのかどうか。今年11月の総会では結論が出ていません。
 「上海協力機構」には中国、ロシアが参加していますが軍事同盟としての機能は存在しません。対話による国家関係を求める中国としても、印パを加盟国として認めるべきでしょう。中国とASEANとの間では関税なしの「包括的枠組み条約」も今年1月1日に発効しました。米国主導の環太平洋経済連携協定(TPP)にこだわる日本、軍事的大国を求めるインド。2012年はどう動くでしょうか。


被ばく労働問題で関係省庁と交渉
労働者を守り、脱原発へのプロセスを歩む

全国労働安全衛生センター連絡会議 飯田 勝泰

労働者の被ばく限度を引き上げ
 全国労働安全衛生センター連絡会議では、今年5月から10月の5回にわたり、東京電力・福島第一原発事故による緊急作業に従事する労働者の放射線被ばく問題について関連省庁との交渉を行ってきました。
 3月11日に発生した東日本大震災による福島第一原発事故に伴う政府の原子力緊急事態宣言を受け、厚労省は電離放射線障害防止規則(電離則)の特例省令として、緊急作業に従事する労働者の放射線被ばく線量の上限を100ミリシーベルトから250ミリシーベルトに引き上げる措置をとりました。さらに厚労省は4月28日付けの通達で、緊急作業に従事した労働者が他の原発で働いても5年間で100ミリシーベルトの範囲であれば年50ミリシーベルトを超えても指導しないという方針を出しました。
 緊急事態とはいえ、労働者の被ばく線量の引き上げによって未曾有の原発災害を乗り切ろうとする政府と東電の方針に私たちは強い危機感を覚え、厚労省および、経産省の原子力安全・保安院に今回の措置の理由と根拠を明らかにするよう求めました。一方で、厚労省に「放射線業務従事者の線量限度について」(4月25日付)という文書を開示させ、経産省が厚労省に対し、福島第一原発の事故対処だけでなく他の原発の安全に支障を来すため被ばく線量の緩和を求めていた事実をつかみました。

厚労省に規則の修正を迫っていた経産省
 7月26日の交渉の席上で原子力安全・保安院に対し、この事実を問いただしたところ、翌日に前述の文書を提出してきました。緊急作業の影響として「福島第一原発での作業は、BWR2大プラントメーカーの東芝・日立(協力会社を含む)が日本全国で抱える約3,300名の熟練技術者を動員して実施。メーカーによれば、今後の緊急作業により、100ミリシーベルトを超える者が約320名、50ミリシーベルトを超える者が約1,600名に上ると試算される」と見積り、「今後1,000~2,000名前後の熟練技術者が不足する事態が継続することとなる。これは、福島第一原発の処理及び全国の原子力発電所の運用に重大な支障を来す」としています。そして、経産省の対処方針として「今回の緊急作業で受けた線量は、平常時の線量限度の枠外」とし、「作業員の安全性は、生涯線量1シーベルトを遵守することで担保する」よう厚労省に電離則の修正解釈を迫っていたことが明らかになりました。
 10月31日発表の東電の資料では3月~9月末まで16,916名が緊急作業に従事し、被ばく線量が100ミリシーベルト超は162名、50ミリシーベルト超は750名と報告されています。保安院の想定は、プラントメーカーからの過剰な見積もりに基づき、事故の対応だけでなく他の原発の稼働維持をも目論んだものでした。

線量基準にダブルスタンダードは問題
 11月1日、厚労省は電離則の特例を改正し被ばく線量の上限を100ミリシーベルトに引き下げました。しかし、対象は11月1日以後に新たに緊急作業に従事する労働者のみであり、原子炉建屋やその周辺の高線量な区域で起きるトラブルに対応する労働者も除外されています。
 今回の被ばく線量の上限引き下げは当然の措置ですが、被ばく線量基準にダブルスタンダードを設けたのは、国際的な放射線防護の考えに照らしても問題であると考えます。全国労働安全衛生センター連絡会議は、今後も被ばく労働問題にとりくみながら、脱原発へのプロセスをともに歩んでいきたいと思います。

〈表〉 放射線業務従事者の被ばく線量【2009年度】(財団法人放射線影響協会HPを基に作成)

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