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【ニュースペーパー2011年8月号】原水禁関連記事

2011年08月01日

●「大人」には子どもたちの未来に責任がある
 福島県平和フォーラム代表 竹中 柳一さんに聞く

●原水禁・平和フォーラム ヨーロッパ視察レポート
 日本にも取り入れたいドイツの脱原発政策

●さようなら原発1000万人アクションに全力で取り組もう!
 「フクシマ」の今と向き合って考える

 平和フォーラム・原水禁 事務局長 藤本 泰成

●世界の核兵器の状況を考える(4) 北朝鮮の核問題はいま

●《各地からのメッセージ》名物「讃岐うどん」のように粘り強い運動をめざして
 香川県平和労組会議 事務局長 廣瀬 透

●【本の紹介】原発ジプシー〈増補改訂版〉被曝下請け労働者の記録/堀江 邦夫 著

●脱原発は脱成長!自然と、命と寄り添って生きる


大人」には子どもたちの未来に責任がある

 

福島県平和フォーラム代表 竹中 柳一さんに聞く

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【プロフィール】
 1951年、東京都生まれ。葛飾区役所の職員として4年間勤務後、退職して教員免許を取得。結婚を機に30歳で福島県へ移住。福島県の採用試験を受験し、中学校の英語教員となる。教員として働く傍ら、組合活動にも従事。現在は、福島県教職員組合・中央執行委員長も務める。東京の下町育ちで「(福島に30年暮らしても)下町訛りがあって、例えば今も『ヒシ』という言葉が言えません」(笑)。

――学校の教員をなさっていたということですが。
 ずっと中学校で英語を教えていました。私は東京で生まれ育ち、区役所に4年間勤務しましたが、いろいろ考えて教員免許を取りました。最初に赴任したのが矢祭町に1校しかない中学校、矢祭中学校です。矢祭町は住基ネットに参加せず、「平成の大合併」のときも合併しなかったことなどで知られる町です。
 最初に驚いたのは、男子生徒全員が校則で坊主頭(丸刈り)だったことです。他の教員になぜかと訊ねると「髪の毛を伸ばすと不良になるから」ということでした。30年前は福島県全体がそういう意識でした。教員としていちばん面白かったのは、その校則改正に取り組んだときです。管理教育などと一括りで言われていたのでしょうが、厳し過ぎる校則が全国的に話題になっていた頃、子どもたちと「何で坊主頭?」などと話すわけです。
 校則についての学校や学年での話し合い、生徒会主催のシンポジウムなど、約一年間の活動の結果、最終的には「中学生らしい髪型」をということで、丸刈り校則は廃止されました。子どもたちが自分で考えて、自分の意見を言ったことが良かったと思います。
 当時、ある女の子の言葉に感心しました。「制服は家に帰れば脱げるけれど、髪の毛は切ってしまえば、家に帰っても伸びないでしょう。何で、学校以外の時間まで規制されなければいけないのか、それはおかしい」と言い出したのです。突き詰めて言えば、これは人権問題。話し合えば、中学生がそこまで考えられるわけで、私が教育を通じていちばん喜びを感じたのはそういうことです。

――校則改正では子どもたちが一生懸命に議論をしたということですが、社会の中で原発をどうするのかという議論はほとんどありませんでした。
 原発が良いか、悪いかという議論もなく、訳のわからないうちに決まるというのは、非常に大きな問題だと思います。学校のことでたとえれば、教員も自分の意見を持って物を言うわけですが、それが絶対だなんて子どもたちに思ってほしくないということです。
 賛成・反対それぞれが集まって、公開討論会などをやればいいと思います。当然、賛成の人も意見を言う権利があります。それをやらずに、放射線のことも専門家が一方的に大丈夫だというわけです。しかし、インターネットを見ると危険だと書いてある。そういう人たちが一堂に会して、パネルディスカッションをやればいいのです。悪いのは、そのようなことを企画しないマスコミの姿勢だと思います。

――東京で使う電力は福島の原発が担ってきました。福島県内の脱原発運動について教えてください。
 私は東京からやってきた人間ですが、原発ができる当時から、石丸小四郎さんを中心とした「福島県双葉地区原発反対同盟」の運動がありました。そういう面では、双葉地区の運動はたくさんの教訓を持っていると言えます。当初は、どこでも原発なんて反対です。でも、交付金などで懐柔されていく。こういう事態になって思うのは、原発の立地市町村の首長のことです。ごく最近も、福島ではプルサーマルが始まって、次は7号炉、8号炉の増設を求めていたのです。私が住んでいる南相馬市と合併した、旧小高町にも原発を誘致しようという動きがありました。
 自治体もそうですが、そこに住んでいる人たちの生活も、その地域の経済的な仕組みの中に組み込まれています。今だって、逃げたい人はたくさんいると思います。でも、逃げるに逃げられない人が多いのです。逃げるということは、全部投げ捨てていくということですから、いわば、"難民"となって、何の生活の糧もないまま、さまようことになります。
 私は東京に住んでいましたから、東京電力の電気を使っていたということになります。東京と福島に住んだ私が感じるのは福島の「豊かさ」です。例えば、東京で断水になればペットボトルの水をコンビニなどへ買いに行きますよね。でも、私が住んでいた地域なら、車で少しの場所にちゃんと安全な水場があります。地方と都市の格差、などと言われますが、生きていくための本当の豊かさはどちらにあるのでしょうか。義理の母は、今回の津波で亡くなったのですが、水田を所有していました。水田というのは、先祖から何百年も引き継がれてきたものです。原発事故は、それらを一瞬にしてダメにしました。未来に向かってだけではなく、過去までも。東京電力は、賠償金の話をしていますが、300年前の祖先に対する賠償までできるはずはありません。

1108newspaper2.JPG「くり返すな!原発震災 つくろう!脱原子力社会 6.11集会」
福島からも多くの人々が参加した(東京・芝公園)

――原発はクリーンで安全なエネルギーと言われてきました。原子力行政における、学校教育への介入というのはどうですか。
 それはあります。どこでもあることかもしれませんが、交付金などで原発のPRセンター、体験学習館が建てられます。そこに遠足へ行くと決めれば、電力会社がバスを無料で出してくれます。ほとんどお金をかけず、下手をすればおみやげまで持たせてくれます。私はやったことはありませんが、だから教員は小中学生を連れていくのです。引率した若い教員が、自分も話を聞いてきて、「あんなに頑丈な五重の壁で守られていて、それでも反対するのですか」と私に問いかけたこともあります。
 そういうところへ連れて行った教員が今、どういう気持ちでいるのかを考えると複雑な気持ちになります。双葉地区の教員や組合関係者も避難しています。もっと反対運動をきちんとやれば良かったと後悔していますが、親が原発で働いている子どもに向かって、原発は危険だと言えるかどうかという、つらい面も抱えています。

――福島第一原発事故が契機となって「さようなら原発1000万人アクション」がスタートしました。今後の運動への思いを聞かせてください。
 私たちの世代は戦争が終わって、高度経済成長の時代を生きてきて、今は退職の年齢です。その結果がこれなのかという思いがあります。原発に反対していたから良い、推進していたから悪いということではなくて、私たちは「大人」として、罪悪感のようなものを持つべきだと思うのです。未来に向かって責任があると感じます。原発事故による「負債」は、借金を重ねていくこととはわけが違うのです。
 ある中学生が、今回の事故を受けて原子力について勉強してみたら、とんでもないことだと気付いて、「放射能まみれの土地を残すのか、そんなこと頼んだ覚えはない」と言いました。それに対して、私たちは一言も返す言葉がありません。死ぬまで言い続けたり、行動したりしなければいけないという気持ちを持つのが当然です。
 福島は脱原発、これからはエネルギー政策転換の先進的なモデル地区をめざさなければなりません。このまま、汚されっぱなしでは収まりません。今でも多くの子どもたちが県外へ避難しています。未来を担う子どもたちがいなくなるということの意味を深刻に考え、社会を変えたいと思います。

〈インタビューを終えて〉
 昨年6月、10周年を迎えた福島県平和フォーラムは、福島原発問題、特にプルサーマル計画反対運動を全国の最先頭で闘ってきました。東京出身、福島在住の教員であった竹中代表には、ご自分の半生を振り返りながら「こどもたちに何を残すべきか、何を残してはいけないのか」と言う立場から原発問題の本質を語っていただきました。
 原発事故の収束の目処がつかない中、「福島から子どもがいなくなることは、福島の未来が無くなること」と語る言葉を受け、脱原発の重みを胸に刻む思いでした。

(藤岡 一昭)


原水禁・平和フォーラム ヨーロッパ視察レポート
日本にも取り入れたいドイツの脱原発政策

 今年1月に原水禁エネルギー・プロジェクトとして「持続可能で平和な社会をめざして」とする脱原発に向けたエネルギー政策の転換を訴える政策提言をまとめました。これは政権交代を機に民主党を中心とする政権に対して政策を提言し、実現をめざそうと、書籍「破綻したプルトニウム利用──政策転換への提言」(緑風出版・2010年7月)に続いてまとめたものです。3月11日の東日本大震災に伴う福島原発事故を受けた今、まさに具体的な方向性が求められています。
 そのことを背景に原水禁・平和フォーラムでは、5月24日から6月1日にかけて、脱原発を政治選択したドイツを訪れ、制度・政策を学び、それを日本でどう活かせるかを考えました。合わせて、古くから核軍縮を取り組み、原水禁とも交流の深いイギリスの反核・平和団体「核兵器廃絶キャンペーン」(CND)を訪問しました。

各国の政策に影響を与えた福島原発事故
 ドイツでは、1998年に誕生した社会民主党と緑の党の連合によるシュレーダー政権が、温室効果ガスを1990年比で2030年までに40%以上削減し、2050年までに80%以上削減するという、非常に野心的な政策を打ち出しました。そして、それに基づくエネルギーシナリオを発表し、その中で原発を削減しながら、再生可能エネルギーの普及を推進することとしていました。
 2002年に施行された「改正原子力法」では、原発の新設はせず、運転稼働中の原発も運転開始から32年経過したものから順次廃炉にし、2020年前半には全ての原発を廃炉にする政策を選択しました。その結果、現在では旧・東西ドイツの原発両方を合わせて27基あったものが、17基まで減りました。
 しかし、2009年に誕生したキリスト教民主同盟と自由党の保守連合政権のメルケル政権では、2010年に原発の運転期間を、それまでの32年から旧型原発については8年延長して40年とし、新型原発については15年延長して47年とすることを閣議決定するなどの政策の後退が進められようとしていました。しかし、福島原発事故を受けて、延長方針が凍結されました。
 福島原発事故は、その後もヨーロッパ各国の政治にも大きな影響を与えました。今年3月27日に実施されたドイツ・バーデン・ビッテンベルク州議会で緑の党が躍進し、社会民主党との連立政権で初めて州の首相を誕生させました。その後のイタリアの脱原発国民投票にも大きく影響し、スイスも脱原発を選択するなど大きな衝撃を与えました。

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 「環境首都」と呼ばれるフライブルグ市。ヴォーバン地区は90年代
後半以降につくられたエコタウン

再生可能エネルギー100%をめざすフライブルグ
 最初に訪れたフライブルグ市の中に、「持続可能なモデル地区」がありました。その地区「ヴォーバン地区」の様子については前号の記事「ヨーロッパ・自然エネルギー調査に参加して」に詳しく報告されています。ここでは、フライブルグの緑の党とエコロジー研究所への訪問について報告します。
 フライブルグ市の緑の党は、市議会議員46人中13人を占め、連邦議会へ1人、欧州議会へも1人を輩出しています。その組織は、70年代、80年代の反原発運動が基盤になっていると言います。まさにしっかりした「運動」を背景に、議会への足がかりを得ています。
 そして、今回の福島原発事故が脱原発政策を後押しし、「原発は嫌だ」というドイツ国内の世論を決定的にしたと言えます。そのことは保守層の強いと言われているドイツ南東部の同州の4月の選挙で、24%以上の得票をあげ、バーデン・ビュルテンベルク州の首相を同党から出すことになったことにも結びついています。エネルギー政策では、様々なエネルギー資源を活かすネットワークを活用し、2020年までに脱原発を実現させたいと話していました。
 同市内にあるエコロジー研究所も、原発反対運動を背景に生まれました。1993年に設立され、ドイツをはじめ欧州の100名以上の科学者が関わり、運営されています。フライブルグのエコ研究所は、気候やエネルギーを中心に研究を進めています。「反原発運動」から出発して、新しい運動へとつながっていったのです。
 一人ひとりの市民が動くことでエネルギー革命を起こし、市民の意見を行政につなげる取り組みとともに自治体として、再生可能エネルギー100%の自給をめざす取り組みが進められています。それはドイツ全土へと広がっています。さらに、再生可能エネルギーをビジネスや産業に活かす取り組みもなされ、2009年には経済界などを中心にその連盟が設立されるなど、NGOとして進める運動の幅がとても広いことが伺われました。

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約2万人が参加したベルリンでの脱原発デモに視察団も参加(5月28日)

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趣向を凝らしたデコレーションが目に付いた(同上デモ)
核廃絶をめざす緑の党や英・CND

 フライブルグからベルリンには鉄路で向かいました。途中幾度となく車窓から、なだらかな丘の上に立つ風力発電用の風車が見えました。ベルリンでは緑の党の国会議員を中心に訪問し、議論を重ねました。まず驚いたことは、学生の国会議員がいたことです。スタッフも20代、30代という若い世代が参加していて、政治や政策にかかわっていました。日本とは違い、政治との距離が若い人にとって、身近なものなのかもしれません。
 そのことは、ベルリンで参加した反原発デモでも感じたことでした。デモには年輩者もたくさんいましたが、若い人たちが思い思いのスタイルで、自由に参加していたのも印象的でした。参加した現地のデモは約2万人。日本から来た私たちの隊列は持参した横断幕とともに注目を集めていました。
 そのベルリンでの緑の党との交流では、原発問題だけでなく軍事問題なども意見交換をしました。核兵器問題では、もちろん核兵器廃絶の立場で、核保有国に対して主張していくと言います。2009年のオバマ米大統領による核廃絶に言及した「プラハ演説」には希望があったけれど、北大西洋条約機構(NATO)の政策の中には、核軍縮がいまだ反映されていないのが現状であり残念である、と述べました。さらに、ドイツの徴兵制の廃止は緑の党の主張であり、市民レベルでどのように平和をつくるのか、議論が現在も続いているという話もありました。
 エネルギー政策についても、先のフライブルグと同じように、反原発運動が党の支持基盤でもあり、現在のメルケル首相の脱原発へのスピードが遅いとして、今後どのように交渉していくのかが問題だとする発言がありました。
 また、一方で福島原発事故以降、緑の党への信頼が増していると言います。まさに「フクシマ」が与えた影響は、私たちが考える以上に世界に広がっていることを実感しました。今夏の原水禁世界大会には、緑の党の副代表であるべーベル・ハーンさんが参加することになっています。
 一方、イギリスの「核廃絶キャンペーン(CND)」と原水禁は、長年交流を続けてきました。イギリスではドイツほど脱原発運動は強くなく、福島原発事故を契機に運動の強化を図りたいと述べていました。
 CNDの運動の中心の一つに、原子力潜水艦の廃棄の運動があります。イギリスの原潜は古く、維持管理にも多額な資金が浪費されているとのこと。さらに、冷戦が終結した今、核技術はアメリカに依存したままで、その存在意義が問われていると説明がありました。イギリスにとっては、「脅威」がどこにあるのかはっきり見ることができないのです。ある意味で、五つの核兵器保有国の中ではイギリスが、いちばん核廃絶に近いのではないでしょうか。そんなことを考えながら、帰国の途につきました。


さようなら原発1000万人アクションに全力で取り組もう!
「フクシマ」の今と向き合って考える

平和フォーラム・原水禁 事務局長 藤本 泰成

「日本で最も美しい村」に放射性物質が
「地元のサクランボの観光農場の経営者が観光客の激減を悲観して自死をはかった」と福島で聞きました。畜産農家や野菜農家の自殺も新聞報道で聞いていました。福島原発事故によって、一体どのくらいの命が失われていくのでしょうか。暗澹たる思いにとらわれます。
 同時に、福島県産の肉牛から高濃度の放射性物質が検出されたと聞きました。福島県産の肉牛は出荷停止になるのでしょうか。出荷した生産者は、「飼料がこれほど汚染されていたとは知らなかった。本当に申し訳ない」と答えています。謝らなければならないのは誰か。いつのまにか、福島県民は被害者から加害者に変わろうとしています。どのような悲劇が「フクシマ」を覆っているのでしょうか。
 被災の後、4月8日に福島県飯舘村を訪問しました。緑深い森とその中に点在する水田、のどかな懐かしい風景がありました。しかし、今そこには誰もいません。福島原発の水素爆発による放射性物質は、海からの東風に乗って大量に飯舘村に降り注ぎました。私たちが持ち込んだ旧式のガイガーカウンターはバリバリと異常な音を立て、見えない放射能の恐怖が頭をよぎりました。結局、飯舘村は4月25日に計画的避難地域に指定されました。
 飯舘村は市町村統合にも参加せず、「日本で最も美しい村」連合に加盟し、地域資源を有効に利用することで村の活性化を図ることをめざしていました。村振興公社が飼育する約3,000頭の肉牛は「飯舘牛」のブランドで軌道に乗り始めていました。全ての努力が水泡に帰した村民の失意はどれほどでしょうか。「フクシマ」の復興には、東京電力・政府が全責任を負っていることを忘れてはなりません。

これ以上原発に依存できない
 放射性物質が、どれほどの範囲でどれだけ拡散したのか、そしてそれは私たちの生活にどのような被害をもたらすのか、何もわかっていません。そして、東電・政府は、何も的確な指示を出せないでいます。結局、事故後の対策は何も計画されていなかった、そして、放射性物質そのものを何らかの形で制御するような技術も持ち合わせていなかったということではないでしょうか。
「事故は起きない」と言う幻想以外、何も持ち合わせていなかったのです。そのことが「フクシマ」の悲劇なのです。人類はその起源に「火」を利用しました。消火という技術があればこその火の利用です。しかし私たちは、放射性物質を消すことの技術なしにその利用に走り、取り返しのつかない災害を生んでいるのです。
 政府は、復興基本方針の原案に東日本大震災の被害地を自然エネルギーの拠点にすることを盛り込みました。原子力発電所がもたらした今回の災害を考えるなら、人に優しい自然エネルギー中心へとシフトすることは当然です。採掘から、高レベル廃棄物の処分まで、放射線と闘うことを余儀なくされ、しかもその制御技術が確立されない中で、これ以上原発に依存する社会を続けることは、人間存在そのものからも許されない行為と言わざるを得ません。そのためには、成長神話を支え続けるためのエネルギー大量消費の社会から脱却しなくてはなりません。

全国集会と1000万人署名に力を結集しよう
 いまだ、日本社会は経済成長こそが豊かさを支える唯一の道であるとして、原発の廃止が経済成長を止め、日本社会を崩壊に導くような主張がくり返されています。そしてそのことが、安全性をないがしろにしてさえも、再稼働の道を開く主張となっています。私たちは、「フクシマ」の現在に向き合わなくてはなりません。一人ひとりの命に向き合わなくてはなりません。
 私たちは、大江健三郎さんや鎌田慧さんら9人の呼びかけに応じ、9月19日に5万人規模の全国集会(東京・明治公園)と「1000万人署名」を中心にした「さようなら原発1000万人アクション」に、組織の全力をあげて取り組むことを決意しました。大きな悔恨を持って「フクシマ」を見つめなくてはならない私たちこそ、全力での取り組みで社会を動かすことが求められています。今同じ思いでいる多くの市民と、そして「フクシマ」と連帯し、全ての力を結集して「持続可能で平和な社会=脱原発社会」をつくろうではありませんか。


世界の核兵器の状況を考える(4)
北朝鮮の核問題はいま

6ヵ国協議の合意が破棄される状況
 今年の原水禁世界大会・国際会議は核兵器問題が中心ではないので、あまり語られる機会が少ない朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の核問題について、昨年来の動きを検証しながら考えたいと思います。
 昨年1月1日の朝鮮労働党機関紙「労働新聞」など北朝鮮の主要新聞が、米国との「敵対関係終息」「対話と交渉」などを強調した共同社説を掲載しましたが、米国は反応しませんでした。さらに2月28日~3月10日(一部は4月30日まで)にかけて、米韓は大規模な米韓合同軍事演習を実施しました。この軍事演習中の3月26日に韓国哨戒艦・天安(チョナン)沈没事件(乗組員46名が死亡)が発生します。韓国政府は北朝鮮の魚雷攻撃によるものだと結論付けましたが、北朝鮮は沈没事件に一切関与していないと表明しました。「天安」沈没には多くの未解明点が存在しているにもかかわらず、韓国は金泰栄(キム・テヨン)国防相が11月22日に国会で「撤去された在韓米軍の戦術核兵器を再配備」する可能性に言及します。
 さらに11月23日、韓国軍が北方限界線近くで砲撃演習中に、北朝鮮軍が延坪島(ヨンピョンド)に砲撃。韓国軍兵士2人、民間人2人が死亡する事件が発生します。北朝鮮は11月30日、朝鮮労働党の機関紙「労働新聞」でウラン濃縮を公式に報じるなど、08年まで続いた6ヵ国協議合意事項がことごとく破棄される状況に至りました。
 中国はこうした緊張激化を心配し、6ヵ国協議再開を再三提案していますが、日米韓三国が受諾しない状況が続いています。

パキスタンに見る北朝鮮の核ミサイルの状況
 これまで米国が北朝鮮の訴えかけに応じてこなかった理由の一つに、北朝鮮の核ミサイルが米国を脅かすことは当分ないだろうという認識がありました。しかし今年に入って、米国の認識は変化してきます。まず、1月上旬に訪中したゲーツ国防長官は、「北朝鮮は米国の直接の脅威」と語りました。1月26日に行われた国防総省の定例記者会見でも、モレル報道官が「北朝鮮の核兵器、弾道ミサイルの開発は、5年以内に米国の脅威になる」との見解を述べます。
北朝鮮のミサイル開発の状況は、具体的には明らかでありませんが、パキスタンの核ミサイル開発が参考になるでしょう。
 パキスタンでは、中国と北朝鮮の技術協力を受けて「ガウリ」「シャヒーン」の二種類の短距離、中距離の核ミサイル開発を進めてきました。とくに中距離弾道ミサイル、シャヒーン・シリーズは、大幅な進捗を見せていて、今年中にはシャヒーンⅢロケットを完成させ、人工衛星を打ち上げるのではないかと言われています。パキスタンは、アフガン戦争で米国と協力関係にありますが、北朝鮮との関係も続いており、ミサイルの情報もある程度共有されていると考えるべきでしょう。
 北朝鮮北西部のトンチャンリ(東倉里)に新しいミサイル発射台も完成したと考えられており、北朝鮮も人工衛星を打ち上げる可能性は大きいと言えます。人工衛星発射が成功したからといって、ミサイルに重い核弾頭が搭載できるかは別問題ですが、ミサイル技術の発展は、投射重量(どれくらい重い弾頭を発射できるか)を大きくすることにもつながります。

中国・北朝鮮VS日・米・韓対立構造の危険
 こうした状況を変えていくことができるのは、現在ではオバマ政権しか存在しません。しかしオバマ政権は、昨年発表した「核態勢の見直し」の中で、北朝鮮への核攻撃の可能性に言及しています。これは、米国から北朝鮮を攻撃しないと明記した05年に、6ヵ国協議で採択した「5・19共同声明」を否定する内容でもあり、オバマ政権の北朝鮮核問題解決への真剣度が問われています。
 オバマ政権では7月1日から、国防長官にレオン・バネッタ元CIA長官が就任します。これまで、国防総省とオバマ大統領との対立が伝えられていましたが、新長官の就任で、北朝鮮問題にオバマ色が出せるかが注目されます。
 北朝鮮は日本海側に面した北東部のラシン(羅津)港・第一埠頭を、中国と10年の賃貸契約を結んで以来、中国との貿易量が急速に拡大しており、それは一方で中朝関係がより強固になったことを意味します。
 日本は現在、政治は機能不全、外交政策なしという中、軍事的には米国の言いなりという状況が続いています。韓国も右バネばかりが目立ちます。このまま推移すれば、東アジアで中国・北朝鮮対米・韓・日という対立構造がつくられる危険性があります。これは軍産複合体の望む姿でしょうが、これだけは私たちは避けなければなりません。


《各地からのメッセージ》
名物「讃岐うどん」のように粘り強い運動をめざして

香川県平和労組会議 事務局長 廣瀬 透

 3月11日の東日本大震災で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。
 香川県平和労組会議は、22の産別・単組から構成され、約14,200人の組合員で結成されています。私たちは平和と民主主義を守り、そして、安心して暮らせる社会を求めて、平和憲法の改悪阻止の運動をはじめとする平和・人権運動を大きな柱に、地域運動や国民運動、環境を守る運動の前進をめざして、取り組んでいるところです。
 現在、日本政府は、原子力空母の横須賀母港化や沖縄をはじめとする全国各地の米軍基地再編問題によって、東北アジアの緊張を高め、平和から遠ざかっていくような政策を進めています。こうした課題では、「護憲香川県民連合」(護憲香川)の中心的組織として、毎年4回憲法講座を開講するなど、県内での反戦平和の気運を高め、全国に発信していく運動に取り組んでいます。
 また、脱原発課題では、今回の福島原発事故で不安が高まっているとして、6月2日、香川県平和労組会議など四国4県で組織する四国ブロック平和フォーラムは、伊方原発が設置されている愛媛県と四国電力
に対し、伊方原発3号機のプルサーマル運転再開中止や自然エネルギー中心の政策への転換などの申し入れを行いました(写真)。県や四国電力は、電力の供給問題などを理由に、「運転停止や廃炉という選択は現実的ではない」との否定的な態度を示しました。私たちは「伊方で福島のような事故が起これば四国全体に放射能の影響が及ぶ」「想定外の事態が起きることをもっと重く受け止めるべきだ」と強く主張してきました。
 「さよなら原発1000万人アクション」では、香川でも10万筆を超える署名集約が求められますが、組合員一人ひとりが、自ら戸別訪問や街頭に出て、本気で脱原発を訴えないと、達成できない数字であることは明確です。香川県の名物である「讃岐うどん」のように長くて腰のある粘り強い運動が求められます。全国の仲間の皆さんとともにエネルギー政策の転換に向けて取り組もうと決意を新たにしているところです。全国の仲間の皆さん、共にがんばりましょう。

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【本の紹介】
原発ジプシー〈増補改訂版〉
被曝下請け労働者の記録
堀江 邦夫 著
 

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3月11日の事故発生以来、福島第一原子力発電所の状況を伝えるニュースには、常に「協力会社」という、耳慣れない言葉が混じっていました。事故現場の最前線で連日奮闘しているのは、当の東京電力の社員ではなく、「協力会社」=下請け会社から派遣された作業員でした。
 本書は1979年に刊行され、「科学技術の結晶」たる原子力発電の実際が、どのような労働によって支えられているのかをまざまざと描き出し、大きな反響を呼びました。しかしその後永らく絶版状態にあり、今回の事故をきっかけに加筆修正の上、再刊されたものです。
 メディアに氾濫する原発推進側からの圧倒的な情報量の中で、原発の〈素顔〉が見えなくなっているのではないか。いらだちを覚えた筆者がとった手段は、自身が下請け労働者として現場で働くことでした。美浜、敦賀、そして福島第一原発。各地を転々としながら原発の姿をつかもうとします。
 身を守る上で大切な防護マスクすら、その暑さ、息苦しさゆえに外してしまいたくなる、過酷な労働環境。のみならず、下請け労働者と正社員との差別が、職場には徹底的に貫かれています。「あの機械(放射能検査装置)は使えないの?」「いや……、別に故障しているわけじゃないんだけど、あれは社員専用なんだよ」「社員用?」「そう、東電の社員が使うために置いてあるんだ」(本書159ページより)。
 いまなお、技術の発展によって「安全な原発」なるものが実現し得るなどという幻想から自由ではない人々がいます。原発というものが「被曝労働」という、労働者の命と健康を削り取ることによってしか成り立たないという現実から、私たちは出発する必要があるのではないでしょうか。
「ジプシー」という言葉の使用については議論が分かれるところですが、そのことも含め、しっかりと考えてなくてはならない内容を提起している、歴史的な著作です。 (山本 圭介)


脱原発は脱成長!
自然と、命と寄り添って生きる

 「瀬戸内の原発予定地しづかなり海ゆく鳥の啼きかはす声」(山口:宮田ノブ子さん)。
 7月10日、原発立地県会議の翌日、新山口駅から新幹線に乗って開いた"毎日歌壇"掲載の短歌。山口県上関町長島に建設予定の中国電力・上関原子力発電所を歌っている。上関原発の建設工事は、今年に入って埋め立て準備工事が強行され、多くの台船と30年もの長きにわたって反対する祝島住民の漁船との対峙が続いた。陸上でも工事関係者や警備員と反対の市民とが睨みあった。その最中に福島第一原子力発電所の事故が起こり、世論は一変した。上関原発建設予定地の周辺自治体議会は、原発工事の凍結を求める決議を上げ続けている。賛成派も反対派も同様のことである。祝島の山戸貞夫さんは「凍結と言う言葉はしばらく様子を見ようとの意味で、原発建設をあきらめると言うことではない」と言う。中国電力は一旦楽屋に戻っただけで、上関原発是非の劇は幕間なのだと。
 原発予定地は、祝島の対岸、目と鼻の先である。縄文の古代から人の営みがあった。連綿と瀬戸内の自然の恵みを享受しながら生きてきた歴史があった。祝島も同様である。漁業補償を誰も受け取らず30年の長きにわたって反対を続ける祝島住民たち。原発は、祝島の営みそのものを否定してしまうと考えてのことか。
 安全だとして再起動を要請したはずの政府は、突如原発のストレステストを実施するという。いち早く再起動に同意した佐賀県知事と玄海町長は、政府の姿勢に憤っている。これといった産業が見当たらない玄海町にとって、原発の運転停止は自治体財政のひっ迫を招く。原発依存という罠に落ち込んだ自治体にとって、今回の事故は自治体の存続そのものを問われている。
 原発建設がストップした柏原重海上関町長は、「原発によらない町の産業振興も考えねばならない」との趣旨の発言を行ったと聞く。辺野古の新基地建設に反対して当選した稲嶺進名護市長は、基地交付金のよらない市財政の確立をめざしている。両者に違いはない。
 脱原発は、脱成長なのだ。震災復興を含めて、日本社会のあり方を根本から見つめ直すことが大切ではないか。自然と寄り添うのか、命と寄り添うのか。いや、まだ豊かさを求めて成長を続けようと競争しあうのか。残された時間は多くない。

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