ニュース注目記事

第33回九ブロ原水禁・被爆者活動交流集会を開催

2010年06月17日

※「鹿児島県護憲平和フォーラム」からの報告です。

次世代に被爆体験を語り継ぐことが大事
 被爆65周年を迎えた2010年度の第33回九州ブロック(九ブロ)原水禁・被爆者活動交流集会が6月13日から14日にかけて福岡県原鶴温泉で開催され、沖縄を除く九州各県から142人、そのうち鹿児島県からは14人が参加しました。
 全体会での講演は西山太吉さんが「核廃絶と非核三原則の法制化―核密約問題の本質」と題して行いました。西山さんは、毎日新聞記者時代に外務省の「沖縄密約」を暴き出し、沖縄返還協定や日米安保条約・非核3原則など外交・防衛問題を広く社会に問うたジャ-ナリストです。西山さんは現在79歳ですが、かくしゃくとした話しぶりで、当時のウソで固めた日米政府関係者の沖縄への核兵器持込疑惑と密約文書を破棄した外務省幹部を厳しく弾劾するとともに、今回の外務省による当時の事実関係の調査が極めて不十分であることを批判しました。
 各県活動報告の中では、鹿児島県被爆二世の会会長の大山正一さんが意見発表に立ちました。

 大山さんの意見発表の概要は以下の通りです。

 鹿児島では3年前に被爆二世の会を組織化し、現在の会員数は154人です。活動の中心は、被爆手帳の発行を求めていることです。健康診断申し込みは会の発足以来増えていますが、受診者は増えていません。(126人の決定通知に対して受診者は77人)。二世検診の権利を放棄していては行政も聞く耳など持てないという態度を取るでしょう。まずは検診を受けることを大事にしたいと思います。2番目は核兵器廃絶のため被爆体験を語り継いでいくことです。親世代の活動を引き継ぎ、朗読や紙芝居などを通じて次世代に被爆体験継承を行うことが大事なことです。

 

 また報告も2本ありました。

(1)川野浩一原水爆禁止日本国民会議議長:「NPT再検討会議」に参加して
 川野議長は、今年5月にニューヨークで開催された核拡散防止条約(NPT)再検討会議をふりかえって、以下のように総括しました。

 核保有国・非核保有国が一堂に会しての議論でしたが、各国それぞれの思惑があり、もともと一本化することが極めて困難な会議でした。しかし、今回は前回に比べて、オバマ米大統領の登場など好材料に恵まれ、期待された会議でした。また、日本からは大勢の被爆者も参加し、被爆者にとってみれば自ら行動するのはこれが最後との思いもありました。
 2000年の「NPT再検討会議」の合意に戻し、そこをベースにどう具体的に積み上げることができるかを考えると、成果はあったと思います。具体的な年次は記載できなかったものの評価できるものがあります。反省点や今後の行動としては、①せっかくの政権交代を今回の会議に活かすことができなかったこと。1千万人署名も目標に届かなかったし、閣僚の出席も実現できなかった。鳩山由紀夫首相(当時)はそれほど重要な会議ではないとの判断ではなかったのか。②民主党政権には核兵器廃絶に向け具体的に次の三点の方針を確認してもらいたい。非核三原則の法制化。米国の「核の傘」からの脱却。東北アジアの非核兵器地帯構想。③基盤はできたものと思います。後はしっかりと運動を進めることです。

 

(2)全国被爆体験者協議会の小川博文会長と中村栄さん:「被爆体験者」問題の解決に向けて
 小川さんと中村さんは、長崎の被爆地は行政区域の「長崎市」を基本に南北12kmまでと決められましたが、行政区域で決められたために12km以内の人でも「被爆者」とは認められていない人がいること、そしてこの不合理を是正する運動を行ってきたことについて報告しました。2003年に「健康診断特例地域」にいる「被爆体験者」として認定され、健康診断や医療費の支給が認められるようになりました。しかしその後も国は、被爆者と認めない差別政策を続けてきました。2007年に長崎地裁に集団提訴しました。この間、原爆症認定裁判では国は連敗し続けました。ようやく政治が動き、認定基準の見直しが進んできました。「被爆体験者」訴訟(現在の原告は395人)についても完全勝訴に向けて国を動かさなければならない、と結びました。

kyusyub.JPG
 

 集会まとめは九ブロ原水禁事務局長を務める山崎博・原水禁鹿児島県民会議事務局長(写真中央)が行いました。最後に全員で「原爆を許すまじ」を合唱し、集会を終了しました。被爆66年の来年度は被爆地・長崎で開催される予定です。核兵器廃絶と被爆者援護に向けて今後とも運動を継続していきましょう。

“ノーモア・ヒロシマ・ナガサキ”

TOPに戻る