「福島原発事故から10年」(原水禁アピール)
2021年03月11日
2011年3月11日の東日本大震災・福島原発事故から10年が経過しました。
東日本大震災・福島原発事故により、お亡くなりになられた方々に心から哀悼の意を表します。また、今もなお、かつての生活を取り戻せず、苦難の日々を過ごされている方々にお見舞い申し上げます。
福島原発事故の廃炉・収束作業は、10年が経過しても、約880トンと言われている溶融した核燃料、デブリの全貌は把握できていません。2021年中の予定とされていたデブリ取り出し開始が断念されるなど、廃炉に向けての作業は、高線量の放射線に阻まれ、困難を極めています。事故収束に向けて、最大の問題であるデブリ取り出しの具体的な工法も見えず、山積する課題に、事故後30年から40年とされた廃炉作業の「完了」は、全く見通しが立たない状況にあります。
たまり続けるトリチウムなどの放射性物質を含む汚染水(ALPS処理水)は、現在約124万立方メートルとなり、日本政府は「海洋放出」によって処分しようとの見解を発表しています。「海洋放出」ありきの議論は、福島県民・漁業従事者などを置き去りにしてすすめられています。復興に向けた、これまでの福島県民をはじめとする多くの方々の努力を水泡に帰きすような事態が想定されます。
事故から10年が経過しても、福島県では県内に7,185人、県外に2万8,505人、避難先不明者13人の合計3万5,703人(2021年2月8日復興庁調査に基づく、3月5日現在の被害状況即報[福島県災害対策本部発表])が、長期の避難生活を余儀なくされています。また、福島県内の震災関連死と認定された人は2,320人[同発表]で、前年度より13人増えています。一方、政府は、避難者の実情を考慮することなく、「帰還困難区域」の指定を解除し、補償の打ち切りや帰還政策をすすめています。被災者を社会的・精神的・経済的に追い詰め、切り捨てていく政策は決して許せません。
事故の責任の所在もあいまいなまま10年が経過しました。いくつかの裁判において、国・東京電力(東電)の責任を認める判決が出されましたが、国・東電は、その責任を果たしていないのが現状です。
東京オリンピック・パラリンピック開催に向けての「復興」のかけ声の中、事故を「風化」させ、なかったものにしようとの企図が見え隠れします。事故から10年が経過しましたが、原因究明や責任追及が終わった訳ではありません。避難者が全て帰還できたわけではありませんし、失われたコミュニティーが全て再建されたわけでもありません。そして廃炉作業が終了したわけでもありません。事故は終わっていません。今も続いていることを私たちは胸に刻むべきです。
日本政府は、脱原発を決断せず、原発再稼働をすすめ、核燃料サイクル計画を推進し、事故以前と変わらない姿勢に終始しています。そのことが、再生可能エネルギーの進捗を拒んでいます。しかし、原子力をめぐる環境は、この10年で大きく変化しました。事故当時54基あった原発は、事故後21基が廃炉となり、新規原発は立ち上がっていません。原子力政策の要と言われた核燃料サイクル計画も、高速増殖炉「もんじゅ」の廃炉などによって政策の破綻は明らかです。今や原発は「廃炉の時代」を迎えています。
原水禁は、一貫して「反原発」「脱原発」を掲げて運動をすすめてきました。私たちの力がおよばず福島原発事故を許してしまいましたが、今後の第2・第3のフクシマを止めなければなりません。原水禁は、一刻も早い脱原発社会の実現に向けて、さらなる努力を重ねることを「3.11」に改めて誓います。
2021年3月11日
原水爆禁止日本国民会議
議長 川野 浩一