被爆68周年原水禁世界大会 - 原水禁

長崎大会まとめ(被爆68周年原水禁世界大会)

2013年08月09日

原水禁世界大会長崎大会まとめ

 

被爆68周年原水爆禁止世界大会実行委員会
事務局長 藤本 泰成

 ご紹介いただきました、藤本です。若干のお時間をお借りしたいと思います。

昨日付の長崎新聞は、論説で「福島事故2年5ヵ月」と題し、事故で避難した方々の集団訴訟や浪江町の被災者の集団訴訟を取り上げて、被災者の側に寄り添った主張を述べています。
「放射能は住民の地域の現在を破壊し、将来を不確かにした」「そこで暮らすことは、健康被害の予感と恐怖と共に生きることを意味する」「人の心の不安はコントロールできないし、それより膨大な損失が生じる」「そんなものは被害でないというなら、核被害を理解できていないということだ」
まさに、原発事故は、地域社会そのものを破壊し、家族と人間のつながりとを破壊しました。私たちは、フクシマの被害から新しい社会を創造しなくてはなりません。

「脱原発」私たちが福島原発事故の前から主張してきた「再生可能な、平和な社会」に、市民の心は確実に向かっています。フクシマに向かい合うときに、福島県民の総意である「脱原発」への道筋は、決して避けて通るわけにはいきません。第2分科会での、明治大学名誉教授、藤井石根原水禁顧問の「不幸な事故で、放射能による環境汚染を、さらに世界に拡大させてしまったら、どう責任がとれるのか」「もし、そうした選択をするなら、日本という国の品格など有ったものではない」との言葉は、「脱原発」社会の実現が将来の日本のなくてはならないことを教えます。ドイツからのゲスト緑の党のイエンス・ケンツィアさんが示したドイツの取り組み、再生可能エネルギー比率が原発を超えて、その方向性が多くの雇用を生んでいること、確信を持った言葉に私たちは学ぶべきです。

冒頭述べた長崎新聞の論説は、最後に「いったん事故が起きてしまえば十分な補償と原状回復がほとんど不可能であることを福島は教えている」「事故の収束対策や除染費用だけでなく、被災者の過酷な負担も全て原発という事業の『コスト』に含まれるはずであり、事業者や国が償わないのなら、そのコストは被災者に転嫁されてしまう」「ここの住民の実情に誠実に向き合い、有形無形の損害を償い続ける以外に道はない」と断言しています。

私たちは、第1分科会で福島原発事故の現状が、極めて深刻なものであることを学び、
法律による「放射線管理区域」に相当する放射能汚染地域が、福島県外にも広範囲に広がり、現在400万人が居住している実態を学びました。福島から多数駆けつけていただいた方々から、単に放射能の問題だけでなく、人間の営み全てに関わる複合的な被害について学びました。福島原発事故とその被害は、現在進行形として存在します。
「原子力は、エネルギーとしては最も高くつきます。その代償は、ユーロや円といった通貨だけではなく、人の苦痛と悲しみとで払うこととなります」と述べた、イエンス・ケンツィアさんの言葉を、かみしめなくてはなりません。
68年前の原爆投下も、2年5ヵ月前の原発事故も、形こそ違いますが、国の政策の中で引き起こされたものに違い有りません。ヒロシマ・ナガサキの長い闘いの経験に学び、しかし異なる実相を抱えるフクシマでの闘いに、私たちは大きな一歩を踏み出すこと、そのための議論を、これからも真剣に重ねていこうではありませんか。

「そこで暮らすことは、健康被害の予感と恐怖と共に生きることを意味する」ヒロシマ・ナガサキのヒバクシャは、生涯にわたって苦しんできました。放射能による被害は、世代を超えて続きます。ヒロシマ・ナガサキにおける被爆2世・3世の課題は、フクシマにおけるこれからにつながっています。

私たちは、国の責任を明確にし、国によるしっかりとした補償を確立させなくてはなりません。私たちは、ヒバクシャの皆さんの長い闘いを無駄にしてはならないのです。

今回の原水禁世界大会を前にして、原水禁は世界の反核団体に呼びかけ、青森県六ヶ所村の使用済み核燃料再処理工場の運転開始に反対する書簡を、各国の日本大使館宛に送るキャンペーンを展開しました。現在、国際平和ビューロー(IPB)や、海外ゲストとして米国から来日いただいたピーター・デッキーさんの所属するピースアクションなど9カ国18団体から送付してもらっています。
日本は、NPT加盟国の中の、核兵器を持たない国で唯一「使用済み核燃料の再処理」を行い、約44トン、長崎型原爆にして5,500発分ものプルトニウムを所有しています。核実験を行う朝鮮民主主義人民共和国とプルトニウムを持ち実質的な核保有国と言っても良い日本の間にあって、韓国は韓米原子力協定の交渉に於いて、再処理の実施を強く要求しています。韓国からのゲスト、イム・ピルスさんは、日本のプルトニウム、北朝鮮の核実験、このことは、韓国の核保有要求の声を大きくすると指摘しています。東北アジアの非核化のためには、日本が核兵器を持たないことを再度確認することが重要であるとの、パウエル元国務大臣の指摘には、日本が再処理を行わない、プルトニウムを作らないと言うことをしっかりと表明することが一番の答えだと考えます。

原水禁世界大会を通じて、多くの議論をいただきました。時間の関係でご紹介できませんことをご了解下さい。

皆さんよく知っている曲に、ジョン・レノンの「Imagine」があります。

想像してごらん 何も持たないって     │ Imagine no possessions              │
あなたなら出来ると思うよ             │ I wonder if you can                 │
欲張ったり飢えることも無い           │ No need for greed or hunger         │
人はみんな兄弟なんだって             │ A brotherhood of man                │
想像してごらん みんなが             │ Imagine all the people              │
世界を分かち合うんだって…          │ Sharing all the world               │
│                                     │

みなさん共に新しい社会を創造しましょう。

そのために闘いましょう。

【68大会・報告】長崎第8分科会/見て・聞いて・学ぼう ”ナガサキ” –入門編–証言と映像による被爆の実相と平和運動交流

2013年08月08日

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分科会冒頭、次世代への継承と被爆者の証言を中心に編集された「君たちはゲンバクを見たか」のビデオを見た。

山川剛さん(被爆教職員の会)の被爆体験講話
 分科会に参加した若い人たちに何かを伝えなければと思う。
私たちの被爆体験は、単に悲しい話なのか?それとも昔話なのか?
もし違うとするなら何が違うのかを考えてもらいたい。

○ 戦時中の東京銀座の写真。日本人ならぜいたくは出来ない筈だ!のスローガンが写っている。
戦争前に、ぜいたくの例示を政府が詳細に国民に示した。それに反すると「お前、それでも日本人か」「非国民」と批判された。世の中は息苦しくなる。思ったことを言うと死ぬかもしれない。一番悪い人間は、戦争に反対する人間。

○ 母親による竹槍訓練の写真。当時は女学生も同じ竹槍訓練をしていた。
戦争になったら、学校は人の殺し方を教えていた。女学生を指導している教師は、敵に見立てたわら束を使いをこうやって殺すのだと指導していた。

○ 鬼畜米英と書かれた写真。
国民学校の黒板の上に張られていた。学校では、見た目は人間だが中身は鬼であると教えられた。こいつらに捕まったら殺されると教えられた。

○ 米兵が写した女性が投身自殺をしている写真。
敵に捕まらないために60メートルの断崖から飛び降りるしかなかった。敵に捕まるなと教えられた結果である。そして「お前達の命は鳥の羽より軽い」だから「お国のために命を捧げれ」と教えられた。

○ 山川さんが国民学校一年生の時に「ノボルアサ日」「ヒノマル」「ツヨイカラダ」「クニヲマモレ」と書いた習字の写真。
小学校で話をするとき、戦争は命がけだが、平和を守るにはもっと命がけだと話している。

○ 1945年の長崎市地図。
長崎は東と西の山に挟まれた谷間が被爆地である。広島より長崎の原爆の方が強力であるが、被爆者は広島の方が2倍である。それは地形が関係している。
私は爆心地から4km離れた場所で被爆した。グラバー園の近くで、何も遮る場所がなかった。8月9日、朝ご飯を食べて外に遊びに出ていた。波止場で遊んでいたら、急に空襲警報がなったので町の横穴式の防空壕に避難した。空襲で一番怖かったのは機銃掃射だった。夏でも怖くて体が震えた。小さな子どもだったが今日死ぬかもしれないと真剣に思っていた。以外に早く警戒警報となったので、防空壕の入り口から少し離れたところで遊び始めた。その後、警報はならなかったが鐘がなって「敵機!」と叫ぶ警防団の声が聞こえた。B29が近づいてきていた。手に持った泥まんじゅうを下に置いた瞬間に、原爆が落とされた。あまりの光に周りの風景が一瞬見えなくなった。何が起ったのかを考える間もなく防空壕に飛び込んだ。左に熱線を感じていた。幸い爆風を受けなかった。

○ 軍隊の建物のコールタールの板壁に写っている梯子と人の陰の写真。梯子と人は熱線の直撃を受けている。
○ 原爆投下数日後の国道206号線の写真。平和公園から南向かいに写している。田舎の家に避難する途中で撮影。
○ 8月7日の上空から写した長崎の写真。上下に浦上川が流れている。
○ 原爆投下後に上空から写した長崎の写真。風景が完全に変わっている。

私たちは被爆者と呼ばれている。私たちの願いは、二度と被爆者をつくらないことにつきる。それは核兵器ゼロという願い。今1万7千発の核兵器がある。仮にそれが1発になったとした時、「1発ならいいか」を問いたい。広島も長崎も1発の原爆で被爆者を出した。1発ではなくゼロではなければならない。
広島、長崎に原発が投下された時、日本は戦争中であった。日本は、68年間戦争をしていない。日本は世界ではじめて、国に対して戦争をさせないという憲法を持っている。しかしコスタリカは、160年戦争をしていない。スイスは間もなく200年。スウェーデンは最長で200年。なぜそんなに戦争をしていないのか?何か平和の秘密があるはずである。是非みなさんに平和の秘密に迫ってほしい。世界で20カ国以上が軍隊を持っていないこともわかっている。戦争は必然ではない。戦争は絶対にしなくてはいけないものではない。
軍隊がなければ平和を守れない。軍事力で平和が守れるなら世界はすでに平和になっている。「そんなことができるはずがない」との思いが、すべてを無にする。「私たちは微力だけど、無力じゃない」との高校生平和大使の言葉に希望を託したい。

西岡由香さん(漫画家)の講話
3・11を経験して原爆を漫画で描いていたが、原発を描いてこなかったことを後悔した。今日は、原発を題材にした漫画を元に話をしたい。

○ 福島第一原発事故の写真
1ミリシーベルト/年を超える土地が国土の3%になっている。
福島では「レントゲン室に避難しようか」という冗談が言われている。
福島駅前ですらレントゲン室よりも放射線量が高い。

○ 福島第1原発均衡の野球場の写真。除染でたまった汚染土の袋が大量に写っている(2013.3.11)。
今、汚染水が問題になっている。なぜ、海に漏れているのかは不明である。ようやく国も対策を取り始めたが、行き詰まっている。
2年前に刑事告訴をした。やっと福島高裁が受理をした。

○ 2年前の飯舘村の写真
112マイクロシーベルトであった。生き物の本能が、ここが危険であると発していた。ここに子どもを置くことは犯罪行為ではないだろうか?
原発の安全性は、技術面と制度面がある。技術面の対策をしても制度面が不十分であれば同じ事故を繰り返すであろう。再稼働には賛成できない。原爆と原発はつながっている。材料が同じである。

続いて「原子や放射線」「なぜ人体に悪影響を与えるのか」「子どもの方が影響が大きい」「人体へ影響を与える放射線量のしきい値はない」「自然放射線に人工放射線が加わることの害について」「放射線の影響を受けやすい臓器について」などをスライドや風船を使って原発の問題について平易に解説していただいた。

○ 再生可能エネルギーの活用が脱原発への希望となる。
風力発電、太陽光発電、地熱発電、バイオマス発電、小水力発電、波力発電、潮汐発電などが再生可能エネルギー。日本は自然エネルギーの宝庫である。自分たちの住む地域を安心・安全な場所にしよう!という考えに転換したい。例えば山王自治会(兵庫県丹波市)では自治会発電が始まった。小田原市役所(神奈川県)の太陽光パネルの設置と小水力発電への準備をすすめている。梼原町(高知県)では、風力発電とペレットの生産しバイオマス燃料で福祉施設の電気を賄っている。また小水力発電の電気は中学校と街灯で使用している。
私たちは、自分たちの生活の向こうで被曝者を出さない暮らしをすべきである。自分たちの生活や地域に何かが無いと言うマイナスの思考を止めたい。仲間づくりは平和をつくること、次世代へたすきをつなぐことである。

【68大会・報告】長崎第2分科会/脱原子力2―学習・交流編―再稼働問題と脱原発に向けたエネルギー政策の展開

2013年08月08日

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講師:藤井石根さん(明治大学名誉教授)
 自然エネルギ-を中心に、冒頭、「原子炉は一端を火を着けたら消えない。冷やし続けなければならない。それに気づいた今だからやめるべき」と述べられた。

2010年の世界の原発で発電量は3億7,500万KWで、自然エネルギ-開発の時間は立っていないが現在3億8,100万KWで原発と同じぐらいの容量を持っている。それ以降、2005年で55カ国~2010年で100カ国以上に増えている。開発費も300億ドルから1500億ドルと5倍になっている。特に中国など進めているが、ヨ-ロッパではドイツが脱原発、東南アジア・アフリカでも自然エネルギ-へ関心を向けている。ケニアの地熱発電4ギガW、(原発1基相当=1ギガW)、インド太陽光発電で20ギガWなど世界のこの流れに進む方向になっている。

「自然エネルギ-は不安定」と否定されるが、広範囲による融通をし合えば平均化により解消できる。蓄電池の開発などで融通、あるいはパワ-の問題も解消できる。
これを増やしていくため、国や自治体で①利用の将来目標値を示す②都市開発計画の自然エネルギ-の活用③自然エネルギ-利用の義務付け④税制上の控除や免除⑤公共交通機関など環境にやさしい点力の活用⑥電力会社を対象に画期的な政策導入⑦利用促進に寄与した情報提供・支援⑧補助金・助成金の充実をするべき。

屋根の上の太陽光発電でNEの優位性として1年間で1件が1000KW/h で25,000円程度を売ることができ、国内で10億KW/hで250億円となる。これを続けることができれば産業を起こせる。環境問題もなく放射能もない。資源の枯渇もなくなる。現在23兆円ほど化石燃料を買っているがこれもなくなる。
最後に、自宅には7年ほど前から太陽光電池を設置し、月々の日数で売り買いは買った電力が2215KW/h、売った電力が3324KW/hで、東京電力に供給している。これを皆さんでやれば原発を使う必要もなくなるのではないだろうか。

講師:西尾漠さん(原子力資料情報室共同代表)
 来月で国内の原発はまたゼロになる。そこで再稼働となるが、12基が申請され審査も始まっている。その中には申請をしていないものもあり、30年を超えた原発では、審査をクリア-しても運転終了までの時間があまりない。基準に合わせるためには莫大な資金かかる。それを取り返せないから簡単に申請できない。しかし、政権交代で規制委員会に圧力もかかる中、最低限40年までという期限を守らせていくことが必要になっている。

これから再稼働するものは、40年を過ぎたものでもさらに動かしたいとされるもので、世界一厳しい基準が逆に「伸ばさなければ電力会社がやっていけない」構図になっている。40年を超えて動かせるのかという事では40年以上稼働している原発は世界的に見ても実績はない。また新基準は第2、第3の福島が起こりうることを前提とした新しい規制にもなっている。重大事故が起こりうることとして、それが起きても拡大しないようになっている。防災計画にしても、今までは5Km、8Kmとなっていたものが30Kmまで広げている。そういう考え方でいいのかという事も一つある。しかし、現実問題として、今、再稼働しようとしている原発があり基準についての指摘はしながらも、最低限「今の基準を緩めることはさせない」それをきちんと守らせることが必要。
核セキリュティ対策など管理していく事も検討されている。プルサ-マル、原発を動かせば使用済燃料がたまってくる。六ヶ所再処理が動けば可能かもしれないが破綻している。こういう事を追求しながら、止め続けることが必要。

原発が止まっても停電にはならなかった。ここについて矛盾もでている。原発は止まってしまってもすぐに稼働できない。火力ならすぐに運転再開できる。現在、進める側と止める側ではっきりと分かれてきている中で再稼働を止め続け世論を高め、政策をきちんとしていくべきだ。

海外ゲスト:イ・サンホンさん
福島に調査に入った時、皆、普通に生活していて、花見もしていた。しかし、実際測定すると国際的な許容基準の30倍だった。子供を保護する何らかの装備も与えていない。自分の知る先進国日本の姿ではなく調査を終え韓国に帰ることができず東京で抗議集会に参加してきた。それが反原発の原動力にもなっている。

韓国の電力消費量は1991年8.9%、2010年で37.8%になった。電力消費量は急ピッチで増えた。その背景には原発があり原発は1991年の9基から2010年で23基に増えている。原発費用は国民の税金で賄われており電力も安いため国民たちが煽ってしまっていたとも言える。2030年には40基となる計画にもなっている。このままでは36基が日本海に接することになり、韓国の原発で問題が起きたら、日本の人はどこに逃げるのか。是非、日本の中から脱原発を実現し韓国にも要求をしてほしい。

自分の住んでいる慶州は日本の奈良と姉妹都市であり、白維として都だった。現在26万人が住んでいて、古墳など世界文化遺産に指定されている。そこが現在韓国の原発の中心都市になっている。
30Km圏内では109万人が住んでいる。韓国の産業の中心が原発の両側にある。もし、福島の事故がここで起きたら109万人が避難することになる。

設計図面は30年だった。政府は延長の方向だが世論を見ている状況で、IAEAは信用していないが、そのIAEAでさえ多くの指摘をしていった。10年周期のPSR検査項目も3項目削除された。さらにIAEAからの地震に関する指摘を受けているにも関わらず韓国政府は「停電事故はあり得ない」といっている。一方では韓国でも過去の地震によって大きな災害が起きた事例もあるし、地震から守るための韓国でもグレンィエという建設工法を行ってきている。また地下水への漏洩も検出されている。

海外ゲスト:イェンス・ケンツィアさん(ドイツ緑の党)
ドイツでは福島事故を受け、原発事故を契機に段階的に原子力から再生可能なエネルギ-を使うという事をすでに決定している。

ドイツにも原子力ロビ-はあった。ドイツで初めて商業的に原子力発電所が作られたのは50年前だった。70年代にはデモも行われた。長い間、反核運動を続けてきた経緯がある。勝利する時もあり負ける時もあった。原発をシャットダウンする最初の契機になったのは緑の党が与党となっていた2002年の「原子力発電所段階的廃止法」だった。しかし、2010年政権が交代し、保守党が「廃止法」を覆す行動にでてきた。そうした中で2012年に全ての党が「原発をなくそう」と動いた。国民の80%も参道する状況でもあった。

具体的には2011年には8基を廃炉に、それから毎年1基ずつ、2021年に3基、2022年に3基ということですべての原発をなくしていくというものである。その間、原発ロビ-に対して様々な取り組みも行ってきた。デモ行進をはじめ、東京をはじめとした様々な国々でも同じような行動が行われうれしく思う。

ポイントとしてしっかりと焦点を絞った形でのデモ行進も行っている。燃料を運ばせないため、鉄道・道路を取り囲みふさぐ形でも行った。完全な合法的な行動ではなかったが大きな影響を与えた。そうしたことをマスコミも取り上げ、メディアの注目により、動いたか、止まったかが注目を呼ぶようにもなった。

また、緑の党は一貫して反核を訴えていた。そこに反核の市民が投票できる党にもなっていた。くわえて消費者にも訴えた。「段階的廃止をやるなら自分たちでやろう」という事を呼びかけるものでもあった。抗議なども重要なことだが、たんに反対するのではなく、代替え策として何が必要なのかを提示してきた。「代替物を示すことが重要」だということでもある。

こうしたドイツでの取り組みが、そのまま日本で成功するかはわからないが、ドイツの場合、移行については準備期間が長くあった。1つ1つを10年かけてできるという事もあった。

各地からの報告

荒川譲さん(鹿児島県護憲平和フォ-ラム)
伊方原発について電力が足りないといわれていたが実際は足りている。しかし、その後も巨額の赤字(3000億円)を理由に再稼働キャンペ-ンを行っている。全土で再稼働、伊方・川内原発が早いともいわれており、新基準では断層・火山について「問題なし」とされている。
そういう中で、地元経済が重視をされ、自治体が大きな壁になってきている。これをどう突破するのかが課題であり、県民や市民から管型肩を発言してもらうことが必要だとおもう。
自分も自宅に太陽光発電を設置した。初期投資は210万円かかったが、支払った額より受け取った金額の方が多い。以前、諸先輩から「環境問題で運動する人はそれなりの自己負担が必要」と言われた事が思い出された。

山口さん(佐賀県原水禁)
(玄海原発について)、冷却水漏れなど4基のトラブルが多発している。そんな中、使用済み核燃料の量を質問すると74%まできていた。六ヶ所村・もんじゅが動かなければ地元に据え置かなければならなくなる。この対策として3号機の貯蔵用プ-ルを改造して同じスペ-スでも倍近く貯蔵できるものが計画されたが危険な状態になるとしか考えられない。
また、佐賀では「やらせメ-ル」問題があったが、知事の「企業として積極的に発言すべき」との発言が発端であるものの参考人招致での質問は否定され、知事の減給でうやむやにされようとしている。3.4号機の再稼働の申請をめぐり安全対策とともに特別委員会などで追及していく。
また、九州電力などに対しても抗議行動など行ってきているが「気持ちは十分わかると」返答がされる。福島県民の本当に気持ちがわかるのであればン性について撤回をすべき。3・11の事故の現状を忘れずに、今の政権が再稼働や輸出する姿勢がある中で福島県民に寄り添う運動を強め、県議会を含め取り組みを強めていきたい。

愛媛県議会・石川県議会議員からも伊方原発について、閉鎖性水域という事から、南海トラフなど福島原発と同様、それ以上の事故が起きれば、瀬戸内海全域に被害がおよぶことから、愛媛だけでなく大分県との共同行動を行うため共闘会議をほっそくしてきた。そこを基軸に要請書の提出や様々な行動を続けてきた。その中で、大分だけでなく山口県からの支持も得るようになり、愛媛・大分・山口の共闘会議へ発展してきている。訴訟関係ではすでに650名で3次を準備している。圏内集会をはじめ四国電力への要請行動など諸行動を計画している。
1979年の説明では事故の確率は1/100万と言われていた。それが32年間で5基の炉心が損傷するような事故が起きている。再稼働は論理的にどう考えても納得いくものではない。各地域から運動を積み上げよう。
との報告を受けた。

【質問・意見・まとめ】
時間的には余裕のない中でも2名から質問・意見を受け、1つには、化石燃料に対する対策の必要性も同時に進めていくべきとの意見。そしてドイツでの非暴力直訴行動について日本も学ぶべきとの意見。さらに原水禁として労働者被曝の問題を中心にすえるべきなどの意見が出された。
最後に、牟田実運営委員より、まとめとして現在12基が再稼働の申請を行っている中で藤井さんからも「今後どうしていくのか」を含め世界的な自然エネルギ-への転換政策が離されていた。また、西尾さんからは、再稼働申請について古いものは申請できない電力会社の実情などにも触れられた。海外ゲストのイ・サンホンさんからは日本海に接する原発を含め韓国における原発事情が報告されていた。そしてドイツにおける反対運動を通じた自然エネルギ-への転換政策など出され。それは日本でも実現は可能ではないかという事が言われていたと思う。ここで学んだ事をぜひとも職場や地域に持ち帰り、各地から運動を追求していこうとしてまとめられ、第2分科会を終了した。

原水禁世界大会長崎大会 基調提起(被爆68周年原水禁世界大会)

2013年08月07日

原水禁世界大会長崎大会 基調提起

被爆68周年原水爆禁止世界大会実行委員会
事務局長 藤本 泰成

 「コリン・パウエル」。この名前を覚えているでしょうか。湾岸戦争の統合参謀本部長、実質の戦争指揮責任者で、ブッシュ政権の国務長官でした。ブッシュ政権は、北朝鮮・イラン・イラクを「悪の枢軸」ならず者国家と非難し、2003年に大量破壊兵器所持を理由にイラク戦争に突入しました。北朝鮮やイランは、米国との対抗上「核保有」を選択しました。パウエル元国務長官は、その要職を退いた後、自由な立場からオバマ大統領を支持し、発言を続けています。彼は、核廃絶へ向かう道は「日本が核兵器を持たない意志を再確認することだ」と発言しています。私たちが主張してきた「東北アジアの非核化」の道は、まさにそこから始まるに違いありません。彼は、理想主義者でもなく、私たちとは核に対する考え方・立場も異なります。しかし、彼の発言は重要な意味を持っています。

米オバマ政権は、ロシアとの間で戦略核の30%を削減するとする新戦略核兵器削減条約を締結・批准しました。また、今年6月にはさらなる削減を提案しています。しかし、一方で、兵器開発を促進し、臨界前核実験を繰り返し、軍事大国としてのプレゼンスを変えようとはしていません。その米国の姿勢は、世界に紛争の火種をまき、核の拡散を呼び込んでいます。米国が、軍事大国であるが故に、軍事力に頼ることなく、「対話」と「協調」の新たな時代に踏み込んで欲しいと思います。

日本は、NPT加盟の核兵器を持たない国で、唯一使用済み核燃料の再処理を行い、約44トンものプルトニウムを貯め込んでいます。長崎型の原爆に換算すると5,500発分にもなるプルトニウムは、周辺諸国の脅威であるとの指摘もあります。
核実験を繰り返す朝鮮民主主義人民共和国とプルトニウムを大量に抱える日本の間にあって、韓国は、2013年に期限切れになる韓米原子力協定の交渉において、再処理を許可するよう米国に強く迫っています。
米オバマ大統領は、2012年の核セキュリティーサミットにおいて「これ以上分離プルトニウムを増やすべきではない」と主張しました。テロリストの手に、原爆の原料であるプルトニウムがわたることに、9.11同時多発テロ以降の米国は恐怖を感じていると思います。
日本においては、原発の多くが稼働停止の状態にあり、新規の原発建設が事実上不可能な状態にあります。また、高速増殖炉もんじゅや六ヶ所再処理工場の計画がこれも事実上破綻しつつあります。用途の不明確なプルトニウムを分離することは許されません。私たちが主張してきた「東北アジア非核化」の実現のためにも、核燃料サイクル計画からの離脱が求められています。「再処理をやめて、核燃料サイクル計画を放棄すること」このことが、日本は核兵器を持つ意志がないことを、世界に示すことなのです。

日本は、昨年10月22日に国連総会第一委員会において発表された、非核保有国30カ国以上が賛同した「核兵器を非合法化する努力の強化」を求める共同声明に賛同せず、国内外から厳しい批判を受けました。米国の核の下、その抑止を絶対とする日本政府の姿勢は、しかし、実体的意味を持たないことは明らかです。止むことのない局地的な戦争は、核の抑止の外にあると考えなくてはなりません。被爆国でありながら、核兵器廃絶を主張しながら、なお、核兵器の存在を利用しようとする日本政府の主張に、誰が耳を傾けるでしょうか。

私たちは、「核と人類は共存できない」と主張し、脱原発の社会をめざして運動を続けてきました。しかし、2011年3月11日の福島第一原発の事故を防ぐことは出来ませんでした。原水禁運動に関わってきた多くの人々の心に、忸怩たる重いが、「何で私たちの声が届かないのだろうか」という無念の思いが広がったのではないでしょうか。
福島第一原発では、懸命の作業が継続されています。しかし、高濃度の放射線の存在が溶解した燃料の取り出しを阻み、冷却し続けなくてはならない状況は、今後何十年と続くでしょう。放出される放射性物資を含む汚染水は、毎日400トン、現在42万トンも貯まっています。地下水は汚染され一部は海洋に流出することとなっています。1万3000人を超える労働者が、白血病の労災基準である年間5ミリシーベルトを超えたとの報告もあり、人的にも、技術的にも行き詰まる事故収束作業の実態が浮かびます。原発事故は、崩壊に向かい、それは日本社会の崩壊も予感させるものです。

「フクシマ」抜きの脱原発はあり得ないと、私たちは主張します。いまだ15万人が避難をし「命」に関わるほどのきびしい状況に置かれているのです。しかし、政府は、国会で全会一致で成立した「福島原発事故子ども被災者支援法」の基本計画さえ作ろうとはしていません。除染作業も当初計画の年間被曝量1ミリシーベルト以下を達成できずに、「除染作業が目標値に届かなくても、新しい線量計を渡すので、被曝線量を自己管理して生活しろ」と強要しようとしています。再除染は行わないとする政府の姿勢は、広島・長崎の被爆者を切り捨てようとしてきた姿勢と同様です。
「国は、原子力災害から国民の生命、身体及び財産を保護すべき責任 並びに これまで原子力政策を推進してきたことに伴う社会的な責任を負っていることに鑑み」と、「福島原発事故子ども被災者支援法」には明確に記載されています。支援法の施策の実現を求めるフクシマの人々を、「左翼のクソども」と罵倒した官僚の言葉は、実はこれまでの、これからの政府の姿勢を端的に表しているのです。

安倍首相は、経済再生のためにと称して「原発輸出」のトップセールスを世界に向けて展開しました。「フクシマ」の被災者を置き去りにしながら「過酷事故を起こした日本の原発は、それ故に世界で一番安全だ」とする厚顔無恥、この言葉は「俗悪な官僚」を非難した言葉と伝えられます。昨夏の国民的議論の中で生まれた民主党政府の「脱原発方針」をゼロベースから見直すとしながら、全くそのことを放置したままに「再稼働」を実現しようとする姿勢にも当てはまる言葉だと思います。

「2011年6月10日 1時30分 大変お世話になりました。私の限度を超えました。ごめんなさい。原発さえなければと思います。残った酪農家は原発に負けずに頑張って下さい。仕事をする気力を無くしました」。

南相馬市の酪農家が残した言葉です。本大会の前に開催されました「原水禁フクシマ大会」の翌日、私は飯舘村、南相馬市へのフィールドワークに参加しました。やませ吹く冷涼な大地に立ち向かい、幾多の冷害を乗り越えた「日本一美しい村」飯舘は、今や、茫漠とした痩地の広がる、放射性物質に汚染された土地だけが残されました。この村に人の営みが戻るのは、何時のことになるのでしょうか。

明日からの分科会において、多くの議論を積み上げていただきたいと思います。私たちは決してあきらめません。私たちは、「命」の尊厳を基本にした、再生可能で平和な社会の実現をめざして、着実に歩んでいきましょう。

今年の、原水禁広島大会・長崎大会は、意見の相違から「連合・核禁会議」のみなさんとは共同開催が出来ませんでした。労働運動と市民運動を結んでの社会変革をめざす私たちは、極めて残念に思います。
しかし、私たちは意見の相違を非難することなく、私たちがめざす目的のために「脱原発」「核兵器廃絶」「ヒバクシャ支援」の運動の拡大を図らなくてはなりません。
三団体は「意見が異なることを理解し合いながら、しかし、被爆国日本の国民的願いである核兵器廃絶とヒバクシャ支援に三団体で積極的にとりくんでいくこと」を確認しています。2015年のNPT再検討会議に向けては、意見の相違を乗り越えて全国的な運動の展開を図らなくてはなりません。

連合は、自らのエネルギー政策を見直し「原発に依存しない社会をめざす」としました。その意思を具体的運動につなげていくことを期待し、原水禁世界大会長崎大会での基調提起とさせていただきます。

広島大会まとめ(被爆68周年原水禁世界大会)

2013年08月06日

原水禁世界大会広島大会まとめ

被爆68周年原水爆禁止世界大会実行委員会
事務局長 藤本 泰成

ご紹介いただきました、藤本です。若干のお時間をお借りしたいと思います。
今、広島大会が始まろうとしていた8月4日の12時半、宮城県石巻市を中心に、震度5強を記録する地震が発生しました。「ぐらぐら揺れたから、ご飯半分で飛び出した」「おっかないもんだね。いつまで地震が続くのか」
あれから2年余を過ぎているのに、まだ余震なのかと思いますが、しかし、地球と人間の一生を比べると、あの東日本大震災からほんの何秒かが過ぎただけなのかもしれません 数人が怪我をされたと聞きましたが、それだけで済んだのが幸いでした。

2005年3月に、中央防災会議がだした報告書があります。1896年に起こった明治三陸沖地震に関するものです。その冒頭にこう記載されています。「三陸地方は津波の常習地帯として知られている。明治時代以降、三陸地方を襲った大津波は、明治と昭和の三陸沖地震、チリ地震の3例であるが、その以前にも、現在知られている資料から判断すると、平均で46年に一度の津波が発生している。」
ある研究者の報告によれば、1611年の慶長地震による津波は明治三陸沖地震の津波より少なくとも6m高い、40mはるかにこすものとされています。
この報告書は、古文書「三大実録」に記載された869年の貞観地震に触れ「最近になって貞観津波による堆積物が仙台平野の沿岸部で発見され、記述の妥当性を示している」とされています。
このことは、2009年の経産省の審議会でも問題となり、岡村伸行産業技術総合研究所活断層・地震研究センター所長が「869年に宮城県沖で発生したM8以上と見られる『貞観地震』では、福島原発から7km北の浪江町で、現在の海岸線より1.5kmまで浸水の痕跡がある」として、福島第一原発の防災計画の見直しを迫りました。しかし、経産省や東京電力はこれを無視しました。

地震の話が長くなりました。つまりは、コストやもうけを考え、そのことに拘泥することで、原発事故に思いが及ばなかった想像力が働かなかった、いや、そのことをあえて避けたと言うことなのです。

開会総会で、ドイツ緑の党のイェンス・ケンツィアさんが、「原子力は、エネルギーとしては最も高くつきます。その代償は、ユーロや円といった通貨だけではなく、人の苦痛と悲しみとで払うこととなります」と述べました。想像力を働かせた結果として、この言葉は、重要な重みを持ってきます。その想像力から、ドイツは、原子力の代替として再生可能エネルギーを選択し、大きな雇用を生んでいることを報告されました。
これは想像力から生まれる、社会を作り上げる構想力の結果なのです。今、日本社会に欠けているのは、「想像力」と「構想力」ではないかと感じました。

第1分科会は、福島事故の現状と課題について、第2分科会は再稼働問題と今後のエネルギー政策について、それぞれ討議されました。原子力資料情報室の伴さんから報告された福島原発の危険な状況は、今後の原子力政策を考える上においても衝撃的です。
廃炉への40年以上の闘い、どうしようもなくなってきた汚染水の問題、被曝労働の問題、原発がいかに人間の技術を超えたところにあるのかを教えます。
8月5日の朝日新聞は、白血病の労災基準である年間5ミリシーベルトを超えた労働者が累積で1万3000人を超え、年間25ミリ・50ミリシーベルトを超えた人も800人以上いると報道しています。技術的にも、人的にも事故収束作業が行き詰まるのではないかと、そして、その時に何が起こるのかを想像すると戦慄が走ります。
「ノーモア・フクシマ」この言葉の意味するものが何かを、私たちの議論は明確にしています。
法律による「放射線管理区域」に相当する放射能汚染地域は、福島県外にも広範囲に広がり、現在400万人が居住すると、チェルノブイリ・ヒバクシャ救済関西の振津さんから報告されました。チェルノブイリ事故の600万人に並ぶ数字だそうです。「一般公衆の年間被曝限度1ミリシーベルト」という数字は、法律で決められています。しかし、そのことが一顧だにされない現実、日本は法治国家であったはずです。「放射線被曝の健康影響にはしきい値がない」ということと「直ちに影響はない」とする政府の主張、何をしなくてはならないかは明らかです。ヒロシマ・ナガサキの運動の経験を、フクシマにどう生かしていくか、「福島原発事故子ども被災者支援法」に明確に記載されているように、国の責任と国の補償、このことの実現を勝ち取って行かなくてはなりません。

福岡県教組の角田さんからの現地報告では、避難による生徒の減少や避難箇所からの臨時校舎のへの登校など、現在置かれている子どもたちの状況を知りました。落ち着いて学ぶ環境をどう確保するかという問題は、しかし、一度しかない学びの時間、取り返すことの出来ない時間の中で苦悩する教育現場の姿が浮かんできます。
フクシマの被害は、放射能汚染にとどまりません。除染、食品汚染、家族、地域社会の崩壊、生産者の苦悩、そして子どもたちの教育、国家補償は多岐にわたって総合的に行われなくてはなりません。

時代は確実に「脱原発に向かっています」フクシマに向かい合うときに、県民の総意である脱原発への道筋は避けてはならないものです。第2分科会の議論は、その意味で重要です。ドイツの取り組みに学び、新しい社会の創造に向かう道のりには、希望の光が差していることを、その技術的可能性を原水禁顧問の藤井石根さんが示されました。「一人ひとりが問われている、私たちの手でエネルギー政策を動かそう」との主張は、原水禁運動の中でしっかりと作り上げたいと考えます。

第3科会、第4分科会では、「東北アジアの非核化」という、私たちの従来からの構想について議論を重ねました。米国の核、または強大な軍事力が、北朝鮮の核開発を招いたのではないか、そのことを脅威としたてあげ、自ら「安全保障のジレンマ」に飛び込んでいく韓米日の姿が浮かんでいます。非核地帯構想の実現と朝鮮戦争の停戦協定を平和協定へという、日韓の平和運動を結んだ取り組みの中で、ピースデポ代表の湯浅さんから具体的提起がありました。また、核情報主宰の田窪さんからは、日本の再処理は、核拡散・核兵器の課題であり、そのことを踏まえた運動が必要となっている、日本のプルトニウム利用政策の放棄が、東北アジアの非核地帯の実現の大きな力になると指摘されました。加えて、韓国からのゲスト、イム・ピルスさんは、日本のプルトニウム、北朝鮮の核実験、このことは、韓国の核保有要求の声を大きくするとしてきされました。
議論は、東北アジアの平和に何が必要なのかを具体的に示しているものです。

昨日、ヒバクシャの坪井直さんの話を伺う機会がありました。原爆投下の当日、御幸橋西詰で、午前11時過ぎに撮影された写真に坪井さんは写っています。写したのは中国新聞の松茂美人さん。原爆投下の当日、人の写った写真は、彼のとった5枚しかないそうです。
坪井さんは、その御幸橋西詰めで軍の小型トラックに乗せられます。若い男だけ、戦争に使える若い男だけが乗れたそうです。車の横にしがみついて軍によっておろされた小さな女の子の顔を、坪井さんは忘れないと言います。「それが戦争じゃけん、人間は道具じゃけん」と話す坪井さんの言葉、私たちは想像しましょう。戦争を、原爆を、その本質が何かを、

私たちはそこから想像しましょう。そして、「命」を基本に、新しい社会を構想していきましょう。今、ここでしか生きることの出来ない私たちですが、学ぶ力があり、そこから想像する力があります。そして、新しい社会を構想する力があります。
学ぶことのない、想像することのない、そして何よりも、人の命に寄り添うことのない政治家に、日本の将来を任せるわけにはいきません。

【68大会・報告】広島第5分科会/ヒバクシャを生まない世界に1–学習編–世界のヒバクシャの現状と連帯のために

2013年08月05日

広島第5分科会.JPG

豊崎博光さんの講演
ウラン鉱石は天然のもの。有害な放射性物質を含んでいる。採掘した時から被曝者は生まれる。精錬する過程でも被曝する。ウラン235はウラン鉱石に0.7%しか含まれていない。その他のものは捨ててしまう。その後4%ぐらいまでに濃縮してペレットを作成する。90%以上の高濃縮にしたものが原爆になる。
労働者だけでなく、作業服に付着したウランにより家族まで被曝している。
1940年代からナバホで採掘され始めた。核分裂が発見される前は、ウランは、糖尿病の薬として飲まれたり、夜光塗料として使用されていたりした。
ナバホで採掘されたウランがヒロシマ・ナガサキの原爆に使用された。その他、カナダ、アフリカ産のウランが使用されていた。その後、アメリカは軽水炉型原発にウランを使用するようになった。アメリカは原発を平和利用の名のもとに日本など提供を始めた。日本の原発用のウランは、カナダ、オーストラリアから主に輸入している。オーストラリアではアポリジなど先住民族の被曝と言う犠牲の上に成り立っている。今、日本はカザフスタンとモンゴルからの輸入に切り替えようとしている。日本はいずれ輸入先の採掘場所に核のゴミを捨てようとしている。過去にもアメリカのユタ州で廃棄したことがある。
マーシャル諸島でアメリカは67回の原爆実験をした。そのためアメリカの基金により個人の健康被害補償(36の保障対象)、島における資産の損害に対する保障がある。
アメリカでは、ウラン採掘、運搬、精錬に携わる労働者の内、月間20ミリシーベルトを浴び健康被害が発生した者に対して10万ドルの保障がなされている。さらにアメリカでは核実験の被爆者、被曝労働者の家族などへも保障の対象を広げようとしている。
一方、日本では認定被爆者、それ以外のヒバクシャは被爆体験者として限定しようとする。昨年、国連の人権委員会の特別報告者が日本の福島に来た。そこでの聞き取りにより今年5月に報告書が作成された。国家の無策などが人権侵害であると指摘された。本来なら福島の被害者に対して国が一人ひとり話を聞くことが当然である。私たちが知らない、隠された被爆者は沢山いる。被爆者を生み出した時代に生きている私たちは、そこから学び取らなければならない。

<質問>
○ アメリカの補償法について詳しく知りたい(大阪)。
● アメリカの補償法改正案はこの4月に議員立法で提出されたが、審議はされていない。被爆者をひろくとらえようとするものである。アメリカが行ってきた核開発自体を見直そうと言う流れである。
○ 今こそ福島から学ばなければならない。ヒロシマ・ナガサキの被爆者に学び、フクシマの被爆者にたいしても「健康被曝手帳」を作らせるべきと考える。
● 医療用の被曝は自らの選択である。福島の被曝は、被曝させられている。被曝は続いている。だから累積被曝量という概念が生まれている。その意識を運動の中でどのように生かして行くのかが問われている。一人ひとりが意識をして行くことで、運動を押し上げていくべきである。

レオナ・モルガンさんの講演
まず話に入る前にお祈りを捧げた。
祈りを捧げることが先住民として重要なことである。この儀式によってみなさんをお守りすること、精霊(スピリット)の許可を受けることでみなさんと話をシュアしていきたい。
植民地政策について、1890年からアメリカ政府により始められた寄宿舎政策は、今も続いている。先住民の言語の使用が禁止され制服を着ることを強いられた。母の世代までは寄宿舎に言っていたが、私の世代は先住民言語すら話せなくなっている。しかし、自分たちの言語や文化を学ぼうと言う運動が始まっている。ナバホ先住民の居住地にウラン鉱山が点在している。さらに沢山の核実験施設が集中している。子ども達が汚染された場所で遊んでいて、家族全員が脳腫瘍で死んだ話を聞いている。あまりにも無防備に暮らしていた。先住民言語には、被曝、被曝者と言う適切な言語がなかった。アメリカ政府はウラン採掘が始まり60年経ってから2007年から除染を行われるようになった。
2005年にナバホ居住地に置けるウラン採掘・精錬を禁止するという先住民特法が成立した。しかし、ナバホ居住地政府のトップは産業界の影響を受け、ウラン採掘を続けようとしている。
1979年にはチャーチロックにおいてダムが決壊し、ウラン採掘所などを飲み込み膨大な汚染水が広範囲に広がった事故があった。
テーラ山は聖なる山として崇めている。テーラ山には多くのウラン採掘跡がある。さらに6つのプロジェクトがすすんでいる。その一つには住友商事がかかわっている。私たちは、この山には聖なる精霊が住んでいると考えており、この山が破壊されることは精神的・体力的にも影響が大きい。
私たちは、連邦政府、州政府、ナバホ居住地政府と闘っている。そして先住民だけでなく非先住民とも連携して闘っている。私たちは、ウランだけでなく金などの鉱山開発に対して反対の活動をしている草の根の運動体でとりくみを続けている。

五十嵐和典さんの各地報告
福島は広い土地である。北から南に3つに分けている。浜通りが大きな被害を受けた。私は会津にすんでおり原発から120km離れている。福島の中でもどこに住んでいるかで、受け止め方が違っている。
今、汚染水の漏洩がマスコミで報道されている。また、福島民友では各地の放射線量を掲載している。さらに、NHKの天気予報には県内の放射線量予報が放映されている。福島では毎日そのような情報にさらされている。
事故を起こした原発の中は誰もわからない。いつ収束するかの目処がたたない。チェルノブイリは石棺で覆っているが、それも劣化しているから巨大なシェルターで覆ってしまおうとしている。チェルノブイリですら内部は手つかずとなっている。本当に東電は処理が出来るのか。
県民調査で甲状腺がんの調査が行われている。しかし、18歳以下の県民全ての調査が終了していない。調査で甲状腺がんが発見されているが県は原発との関連を否定している。
福島の多くが山林であり、除染作業は手付かずになっている。そのため除染した場所もすぐに元に値に戻っている。除染の方法の農地や宅地の別なく一律の手法に行っているため農地が使い物にならなくなっている。
助け合いなど美談を流布して高い放射線地への帰還を促している。それでも帰らないと自主避難とされ援助が切られる状況にある。住民同士で放射能について話を出来ない状況になっている。避難している人、避難していない人での分断が行われている。
今、だれも事故の責任をとっていない。そのため33人を刑事告発した。しかし、強制捜査は行われていない。そして東京で1000人規模の集会等を行っていてもマスコミは扱わない。
事故の風化ではない。まるで事故が無かったかのような扱いである。
柳田邦男の本に「起こりうる可能性があるものは、どんなに確率が低くても必ず起こる」とある。地震列島である日本の原発を全て廃炉にするまで頑張りましょう。

 

原水禁世界大会広島大会 基調提起(被爆68周年原水禁世界大会)

2013年08月04日

原水禁世界大会広島大会 基調提起

被爆68周年原水爆禁止世界大会実行委員会
事務局長 藤本 泰成

 2013年のストックホルム国際平和研究所のイヤーブックによりますと、世界の核弾頭数は、17,265発となっています。また、世界中で稼働する原子力発電所は、429基です。核兵器も、原発も、それ自身が持っている破壊力と放射能は、私たちの「命」を脅かす存在であること、そしてあり続けること。2011年の3月11日、私たちはそのことの現実を知りました。今、私たちは「核時代の終わり」を宣言しなくてはなりません。

米ロ間で結ばれた新戦略核兵器削減条約は、2018年までに戦略核の30%を削減するとしています。今年6月には、オバマ米大統領は、さらなる戦略核の削減に言及しています。私たちは、プラハ演説における「核なき世界」を前進させようとするオバマ大統領の姿勢を歓迎するものです。

一方で、ストックホルム国際平和研究所のイヤーブックは「NPT加盟核保有国5カ国は、自国の核兵器を無制限に維持しようとしている」と強調されていますし、包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准についても米国は曖昧な姿勢を続けています。核セキュリティーサミットを開催し核テロの被害を強調する米国が、「核なき世界」にむけて努力しようとする米国が、しかし、臨界前核実験を繰り返し、新たな兵器の開発に邁進し、世界に紛争の火種を巻き、核の拡散を呼び込んでいます。軍事大国である米国が率先して「対話」と「協調」の新たな時代に踏み込まなくてはなりません。米ブッシュ政権が悪の枢軸とした北朝鮮やイランは、イラク戦争の現実から核兵器の保有を選択しています。米の核兵器が新たな核兵器を生んでいる現実を直視しなくてはなりません。

日本は、NPT加盟の核兵器を持たない国で唯一使用済み核燃料の再処理を行い、約44トンものプルトニウムを貯め込んでいます。ざっと計算しても核兵器5,500発分にもなるプルトニウムは、周辺諸国の脅威であるとの指摘もあります。核実験を繰り返す朝鮮民主主義人民共和国とプルトニウムを大量に抱える日本の間にあって、韓国は、韓米原子力協定の交渉において、再処理を熱望しています。原発の多くが稼働停止の状態にあり、新規の原発建設が事実上不可能な状態にある中で、また、高速増殖炉もんじゅや六ヶ所再処理工場の計画がこれも事実上破綻した中で、用途の不明確なプルトニウムを分離することは許されません。私たちが主張してきた東北アジア非核地帯構想の実現のためにも、核燃料サイクル計画からの離脱が求められています。

日本は、昨年10月22日に国連総会第一委員会において発表された、非核保有国30カ国以上が賛同した「核兵器を非合法化する努力の強化」を求める共同声明に賛同せず、国内外から厳しい批判を受けました。米国の核の下、その抑止を絶対とする日本政府の姿勢は、しかし、実体的意味を持たないことは明らかです。止むことのない局地的な戦争は、核の抑止の外にあると考えなくてはなりません。被爆国でありながら、核兵器廃絶を主張しながら、なお、核兵器の存在を利用しようとする日本政府の主張に、誰が耳を傾けるでしょうか。

私たちは、「核と人類は共存できない」と主張し、脱原発の社会をめざして運動を続けてきました。しかし、2011年3月11日の福島第一原発の事故を防ぐことは出来ませんでした。原水禁運動に関わってきた多くの人々の心に、忸怩たる重いが、「何で私たちの声が届かないのだろうか」という無念の思いが広がったのではないでしょうか。事故に対する政府の収束宣言は、福島を含め全国から抗議の声が上がりました。昨日の朝日新聞は、一面トップで「福島第一、汚染水危機」と書き、福島第一原発の廃炉作業が破綻する恐れが高まっていることを報じています。放射性物質による高濃度汚染水の海洋への流失を止めることが出来ない、現在42万トンもたまっている汚染水、毎日400トンずつたまる汚染水の貯蔵もフローしてしまう、しかし、溶融した核燃料をこれから先もずっと冷やし続けなくてはなりません。「放射能を消すことが出来ないならば、核をエネルギーとして使ってはならない」福島第一原発では、放射能との闘いが毎日続いています。事故は収束に向かっているのではありません。福島第一原発は、崩壊に向かっているのです。その崩壊は、私たち自身の社会の崩壊に、密接につながっているのです。

「フクシマ」抜きの脱原発はあり得ないと、私たちは主張します。いまだ15万人が避難をし「命」に関わるほどのきびしい状況に置かれているのです。しかし、政府は、国会で全会一致で成立した「福島原発事故子ども被災者支援法」の基本計画さえ作ろうとはしていません。除染作業も当初計画の年間被曝量1ミリシーベルト以下を達成できずに、「除染作業が目標値に届かなくても、新しい線量計を渡すので、被曝線量を自己管理して生活しろ」と強要しようとしています。再除染は行わないとする政府の姿勢は、広島・長崎の被爆者を切り捨てようとしてきた姿勢と同様です。
「国は、原子力災害から国民の生命、身体及び財産を保護すべき責任 並びに これまで原子力政策を推進してきたことに伴う社会的な責任を負っていることに鑑み」と、「福島原発事故子ども被災者支援法」には明確に記載されています。支援法の施策の実現を求めるフクシマの人々を、「左翼のクソども」と罵倒した官僚の言葉は、実はこれまでの、これからの政府の姿勢を端的に表しているのです。

安倍首相は、経済再生のためにと称して「原発輸出」のトップセールスを世界に向けて展開しました。「フクシマ」の被災者を置き去りにしながら「過酷事故を起こした日本の原発は、それ故に世界で一番安全だ」とする厚顔無恥、「あに芳杜(ほうと)をして顔を厚くし、薜茘(へいれい)をして恥ずる無からしむべけんや。」との、南北朝時代の孔稚珪の「俗悪な官僚」を非難した言葉、そのものを首相に送らせていただきたいと思います。昨夏の国民的議論の中で生まれた民主党政府の「脱原発方針」をゼロベースから見直すとしながら、全くそのことを放置したままに「再稼働」を実現しようとする姿勢にも当てはまるものだと思います。
「2011年6月10日 1時30分 大変お世話になりました。私の限度を超えました。ごめんなさい。原発さえなければと思います。残った酪農家は原発に負けずに頑張って下さい。仕事をする気力を無くしました」。

南相馬市の酪農家が残した言葉です。本大会の前に開催されました「原水禁フクシマ大会」の翌日、私は飯舘村、南相馬市へのフィールドワークに参加しました。やませ吹く冷涼な大地に立ち向かい、幾多の冷害を乗り越えた「日本一美しい村」飯舘は、今や、茫漠とした痩地の広がる、放射性物質に汚染された土地だけが残されました。この村に人の営みが戻るのは、何時のことになるのでしょうか。

今日から、長崎大会の終了まで、多くの議論を積み上げていただきたいと思います。私たちは決してあきらめません。私たちは、「命」の尊厳を基本にした、再生可能で平和な社会の実現をめざして、着実に歩んでいきましょう。

今年の、原水禁広島大会・長崎大会は、意見の相違から「連合・核禁会議」のみなさんとは共同開催が出来ませんでした。労働運動と市民運動を結んでの社会変革をめざす私たちは、極めて残念に思います。
しかし、私たちは意見の相違を非難することなく、私たちがめざす目的のために「脱原発」「核兵器廃絶」「ヒバクシャ支援」の運動の拡大を図らなくてはなりません。
三団体は「意見が異なることを理解し合いながら、しかし、被爆国日本の国民的願いである核兵器廃絶とヒバクシャ支援に三団体で積極的にとりくんでいくこと」を確認しています。2015年のNPT再検討会議に向けては、意見の相違を乗り越えて全国的な運動の展開を図らなくてはなりません。

連合は、自らのエネルギー政策を見直し「原発に依存しない社会をめざす」としました。その意思を具体的運動につなげていくことを期待し、原水禁世界大会広島大会での基調提起とさせていただきます。

原水禁世界大会福島大会 基調提起(被爆68周年原水禁世界大会)

2013年07月28日

原水禁世界大会福島大会 基調提起

 

原水爆禁止日本国民会議
事務局長 藤本泰成

  私は、福島県いわき市で生まれ育ちました。
多くの時間をすごした母の実家は、小さな港の前でした。
原発事故がなければ、いまごろ、これまでのように海風に魚を干し、
こつこつと水産 加工で復興をめざしていけていたはずです。
毎年、おいしくできた干魚(ひもの)を送ってくれていました。
その豊かな海、豊かな野山、豊かな心をはぐくむ暮らし…………。
これ以上、何を奪えば原発が止まるのでしょうか。

この匿名の手紙は、「さようなら原発1000万人署名」とともに送られてきたものです。この手紙の中には、原発の事故の、いや原発そのものが持つ「非人間性」が語られています。原発がなければ、豊かな海の幸をもって、こつこつと復興に向けた努力が行われていたと、この方は語っています。
自然災害から、復興していく道筋は、私たちの長い営みの中で、いつも、そうしたものだったのではないでしょうか。そのことを許さない原発事故・放射性物質による汚染、人間の努力ではどうすることも出来ない事故を、人間の力で引き起こした絶望、その慟哭が静かな語り口から聞こえてきます。
実家から毎年おいしくできた干物を、送ってもらっていたと書いています。その干物には、故郷の香りがしたのではないでしょうか。もし、子どもが食べていたら、おじいちゃんやおばあちゃんの、においがしたのではないでしょうか。原発は、人々のつながりを奪い、生活を奪い、故郷を奪い、地域社会を崩壊に導いたのです。

「これ以上何を奪えば原発は止まるのでしょうか」この手紙を読むと、胸が詰まります。この手紙を、読まなければならないのは、原発政策を推進してきた政治家であり、官僚であり、電力会社ではないでしょうか。

しかし、政府は、将来のエネルギー政策を、原発をどうするのかを語らずに、再稼働に走ろうとしています。昨年の「国民的議論」を全く無視をする態度は、私たちを愚弄しているとしか思えないものです。政治は、いったい誰の立場に立っているのでしょうか。

福島県田村市の除染作業では、少ないところでも毎時0.32マイクロシーベルトにとどまり、目標とされた毎時0.23マイクロシーベルトには届きませんでした。 政府は、住民説明会において、「目標値は、1日8時間戸外にいた場合を想定し、年間1ミリシーベルトを超えない数値であり、0.23マイクロシーベルトを実際に個人が浴びる線量に結びつけるべきではない」としながら、「新型の線量計を希望者に渡すので自分で確認して欲しい」と述べたとされています。
除染作業への財政負担を減らすために、「除染作業が目標値に届かなくても被曝線量を自己管理して生活しろ」と強要しているものです。
一方で、国直轄の除染事業は、先行して行われた除染モデル事業を受注した大手ゼネコンが、他の入札者がなく競争がないまま受注する契約が続いています。予定価格に対する落札額の割合も95%と極めて高額なものになっていると報告され、談合と言われてもしかたのない状況がおこっています。
除染作業という一時をとってみても、およそ被災者の側に立っているとは言えない政府の姿が浮かびます。

「東京電力原子力事故により被災した子どもをはじめとする住民等の生活を守り支えるための被災者の生活支援等に関する施策の推進に関する法律」いわゆる「原発事故子ども被災者支援法」は、参議院から議員立法として提出され、2012年6月21日、衆議院本会議において全会一致で可決・成立しました。
その第3条は、「国は、原子力災害から国民の生命、身体及び財産を保護すべき責任 並びに これまで原子力政策を推進してきたことに伴う社会的な責任を負っていることに鑑み、前条の基本理念にのっとり、被災者生活支援等施策を総合的に策定し、及び実施する責務を有する」とされています。しかし、全くその具体的施策が進んでいないことは、みなさん承知の通りです。法の適用範囲さえ決定されないで放置されています。
そして、そのような中で、原発の「新規制基準」だけが極めて短期間で決定され、再稼働へ向けての申請が、電力会社4社10原発から提出されるという状況を向かえています。水野靖久復興庁法制班の参事官は、支援法に関わる市民との協議の後「左翼のクソどもから、ひたすら罵声を浴びせられる集会に出席」などとツイッターで暴言を吐き、処分されました。「白黒つけずに曖昧なままにしておく」などという彼の発言は、復興庁自体に共通した姿勢ではないかと考えざるを得ません。フクシマをそのままに、事故の責任を曖昧にし、事故の原因を曖昧にし、将来のエネルギー政策を曖昧にしたままの、「再稼働」を、私たちは絶対に許すことは出来ません。

「さようなら原発1000万人署名」に寄せられた、水村次子さんの手紙を紹介します。

日本のトップにいる人たちは、どんな日本にしたいのでしょうか。
どこを見て“国”と言うのでしょうか。
“国”とは、多くの人が、心ゆたかに暮らせるところではないでなけれ
ばいけません。
心がゆたかだったら、少しの不自由(便利でない)は大したことではな
いと思います。
3月11日後、何が一番大切か、確認しました。
苦しみを無にしないように、がんばります。

この中には、追いつき追い越せと暮らしてきた、経済成長を求める日本社会への批判と新しい社会への哲学があります。日本の政府が、自民党政府が持ち得ない哲学があります。便利ではない、けれどもゆたかな社会、原水禁は、原発震災の直前に、「持続可能で平和な社会をめざして」という脱原発社会へ向けての提言を行いました。まえがきの一部を少し長いのですが引用します。

「エネルギーと資源の大量消費を基本にした社会のあり方が、そのことをリードしてきた先進資本主義国において限界を迎えている。その後を猛追している新興工業国が、次代に新しい豊かさを得ていくのかというと、必ずしもそうはならない。地球全体のキャパシティーが、多くの場面でフローしつつあるからである。地球の資源を再生産・有効利用できる循環型社会を形成していくこと、そして人類が飽食と飢餓に、貧困と富裕に分類されず、命を削って闘うことのない世界にしていくことが地球規模で求められている。人に『やさしい』営み、豊かさを広く再分配いく世界のあり方が、平和をつくることにおいても求められている。」

私たちは、この考えに立って、新しい社会をつくりあげることに、全身全霊を傾けたいと思います。

今日の、福島大会に始まり、原水禁世界大会はヒロシマ・ナガサキへと、議論を紡いでいきます。被曝68周年を迎えた今年の「大会基調」は、8ページにわたります。事務局案を提示させていただいてから、多くの方の意見をいただきました。全体の考え方を調和のとれたものにしていくために、かなりの努力を傾けましたが、まだまだ不十分ではないかと思います。どうか、8月9日の長崎での最終日まで、みなさんの真摯な議論を通じて、補完していただきたいと思います。

今年の、原水禁広島大会・長崎大会は、意見の相違から「連合・核禁会議」のみなさんとは共同開催が出来ませんでした。労働運動と市民運動を結んでの社会変革をめざす私たちは、極めて残念に思います。しかし、私たちは意見の相違を非難することなく、私たちがめざす目的のために「脱原発」「核兵器廃絶」「ヒバクシャ支援」の運動の拡大を図らなくてはなりません。三団体は「意見が異なることを理解し合いながら、しかし、被爆国日本の国民的願いである核兵器廃絶とヒバクシャ支援に三団体で積極的にとりくんでいくこと」を確認しています。
2015年のNPT再検討会議に向けては、意見の相違を乗り越えて全国的な運動の展開を図らなくてはなりません。連合は、自らのエネルギー政策を見直し「原発に依存しない社会をめざす」としました。その意思を具体的運動につなげていくことを期待し、原水禁大会福島大会での基調提起にかえさせていただきます。

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