2011年11月30日
高速増殖炉「もんじゅ」廃炉検討
核燃料サイクル路線見直し必至!
ついに担当相が廃炉に言及
今月26日、細野豪志・原子力行政担当相は、高速増殖炉もんじゅについて「一つの曲がり角に来ている」、「(廃炉について)そういうことも含め検討していくべきだ」と発言しました。さらに「前回(2005年)改定のときは、従来の路線を継続したが、今度は問題の先延ばしは許されない」と述べ、現在進められている内閣府・原子力委員会の「新原子力政策大綱策定会議」の中でも廃炉を含めた抜本的な見直しが必要との意向を示しました。
もんじゅは、これまで国が進める核燃料サイクル政策の中核を担うものとして位置づけられてきました。2025年ごろには実証炉(もんじゅは「原型炉」)、2050年には実用炉を導入するとするロードマップを描いてきました。将来は高速増殖炉が原子力の主流を担うこととされていたのです。
しかし、1995年のナトリウム漏洩火災事故をはじめ近年では、炉内中継装置の脱落などの事故を繰り返し、長期に渡って運転が停止し、現在も停止したままです。その間にもんじゅには1兆円を超す資金が投入されてきました。運転停止中のもんじゅ維持のため年間200億円もの資金が浪費されています。事故続きで将来展望の見えないもんじゅに対して見直しの声が政府部内からも強く上がってきました。今月10日から始まった政府の行政刷新会議の「提言型政策仕分け」作業の中でももんじゅの予算やもんじゅの方向性を含め原子力研究開発の是非が問われ、「抜本的な見直しに踏み出すべき」との提言をまとめました。その中で、蓮舫・行政刷新担当相は「『もんじゅ』は1兆円かけて、まだ実験段階。信じられないぐらいの国民の税金とか、電気料が使われてきている」と述べていました。
もんじゅについては、原子力分野を担当した仕分け人7人全員が、抜本的な見直しが必要だと判定。12年度予算の概算要求に文部科学省が盛り込んだ試験費用22億円に対し、「計画そのものを見直すべきだ」として見送るよう提言しました。
そのことは、もんじゅを中心に描かれていた日本の核燃料サイクルの破たんを示すものです。すでに世界は高速増殖炉開発からの撤退をしています。アメリカ、フランス、イギリス、ドイツといった国々では技術的困難性や軽水炉(普通の原子炉)と同じような経済性を達成できない、核拡散の問題など多くの問題を抱える高速増殖炉開発から早々に撤退をしてきました。残された日本が高速増殖炉開発のトップランナーとして走ろうとしてきましたが、その夢も破れようとしています。
プルサーマル計画の破たん
もんじゅだけではありません。高速増殖炉開発の間をつなぐものとして登場した「プルサーマル計画」(普通の原子炉でプルトニウムとウランを混ぜたMOX燃料を燃やす計画)も、今回の原発震災によって計画そのもの実現がもはや不可能となっています。2015年までに16~18基の原発で実施する予定でしたが、来春には全ての原発が停止になることもあって、プルサーマルを実施するより、まず再稼働できるかどいうかという状況です。
さらに先行してプルサーマル発電を行っていた福島第一原発3号機は、爆発によってプルトニウムが飛散したこともあって、通常の原発よりもさらに危険性を高くしています。プルサーマル計画を今後歓迎する地元自治体はないのではないでしょうか。MOX燃料をフルに装荷する大間原発も工事が中断して再開の目途が立っていません。頼みのプルサーマル計画の実施は、もはや“夢物語”でしかありません。
福島原発事故の収束に全力を!
福島原発の放射性廃棄物処理も含め、放射性高レベル廃棄物の処理・処分の問題も残っています。最終的処分場や方法も決まらない中、六ヶ所村で再処理してもそこで生まれたプルトニウムの利用先がなければ、国際公約としての余剰プルトニウムを持たないことを打ち出している手前、これ以上プルトニウムを生産することは許されません。プルトニウムを生み出す六ヶ所再処理工場は、これまた事故と先の震災によっていまだ完成していません。
これ以上、完成に向けた資源と資金の浪費が必要なのか、もんじゅ・プルサーマルの動きを見れば、日本のプルトニウム政策を取り巻く環境は非常に厳しいものがあり、自ずと答えが出るはずです。もはやこれ以上のプルトニウム利用路線の追及に拘泥しているときではありません。福島原発事故の一刻も早い収束に向けた努力に全力を尽くすときです。
再処理推進の本音は核武装のため?
核燃料サイクル路線が行き詰まりを見せ、再処理そのものの存在理由が問われる中で、読売新聞は社説(9月7日)の中で「日本は原子力の平和利用を通じて核拡散防止条約(NPT)体制の強化に務め、核兵器の材料になり得るプルトニウムの利用が認められている。こうした現状が、外向的には、潜在的な核抑止力として機能していることも事実だ。」と主張しています。
自民党の石破茂政調会長(当時)も今年9月に「原発を維持するということは、核兵器を作ろうと思えば一定期間のうちに作れるという『核の潜在的抑止力』になっている」と同じような趣旨の発言をしています。原発も再処理も核武装のために必要とするマスコミと政治家の発言は、ヒロシマ・ナガサキそしてフクシマの惨事が起こった「被爆国」日本の中で、核の悲劇を再び起こすことの「力」をもつことは必要だと述べていることです。「力」は、見せかけでは「抑止」になりません。場合によっては「使うぞ!」ということがあってはじめて「力」となりえるものです。「潜在的核抑止力」だと言えばいうほど日本周辺の国々に対して警戒心を増幅させるだけです。
そもそもこのような考え方は古くからあり、1968年の外務省の内部文書「我が国の外交政策大綱」に「当面核兵器は保有しない政策をとるが、核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャル=可能性」は常に保持するとともにこれに対する掣肘(せいちゅう=妨害)をうけないよう配慮する」としていました。しかし一方で、1973年のNPT加盟を論じた外務省の文書では「現段階では核武装する可能性がまったく無い」とし、「一個や二個の原爆と引き換えに失うものは、あまりにも大きい」として前記の主張を退けています。
それを再び、読売新聞も「自民党」もゾンビのごとく持ち出し、住民の安全・安心より国家の論理を押しつけようとしています。国策の名に依って押し進められた原発。またも国策として原発も再処理も押し進めようとする巨大マスコミと政治家。福島原発事故が何故起きたのかもう一度彼らは考えるべきである。地方をまたも犠牲にするのか!
2011年09月28日
さようなら原発集会に6万人
脱原発にむけて大きなうねりに
これまでの脱原発運動の中で最大規模
9月19日、東京・明治公園で開催された「さようなら原発5万人集会」に予想を超える6万人が集まり、これまでの脱原発運動の中では、最大規模となりました。この集会は、作家の大江健三郎さん、鎌田慧さんら9名の著名な方々の呼びかけて行われたもので、市民団体・NGO、労働組合、生協・共同購入会、市民など北は北海道から南は沖縄まで、全国各地から参加者が集まり、被災地・福島からも1,000名近い参加者がありました。
福島の「苦渋の思い」語られる
集会の中で、大江健三郎さんが、自分の先生であった仏文学者の渡辺一夫さんの文章を引いて、「狂気なしでは偉大な事業は決して成し遂げられない、と言う人々もいるが、それはうそだ。狂気によってなされた事業は、必ず荒廃と犠牲を伴う」。これはいま、「原発の電気エネルギーなしでは偉大な事業は成し遂げられない、と言う人々もいるが、それはうそだ。原子力によるエネルギーは、必ず荒廃と犠牲を伴う」と発言しました。
福島からは、「ハイロアクション福島原発40年実行委員会」の武藤類子さんが、「毎日、毎日、否応なく迫られる決断。逃げる、逃げない。子どもにマスクをさせる、させない。洗濯物を外に干す、干さない。何かもの申す、黙る」この間の苦渋の思いを語りました。その他にも呼びかけ人の落合恵子さん、内橋克人さん、澤地久枝さん、鎌田慧さんが発言し、ドイツから環境団体・FoEドイツ代表のフーベルト・ヴァイガーさんと俳優の山本太郎さんが、脱原発を訴えました。
時代の流れは脱原発へ
集会後、渋谷や原宿、新宿にむけてデモ行進を行い、沿道の市民からも応援の声や拍手、クラクションがあちらこちらで沸き上がりました。
今回の6万人の人々の後ろには、参加できなかった人たちが多くいます。その数は10倍や100倍にものぼるでしょう。いま多くの人々が、原発からの脱却を求めています。これまで原発を推進してきた政府や政治家、事業者、官僚、学者などは、この6万人をはじめとする多くの超えに真摯に耳を傾けることを強く訴えます。時代の流れを間違いなく読んで欲しいものです。
●詳しくはこちらから
「さようなら原発1000万人アクションホームページ」http://sayonara-nukes.org/
武藤類子さん(ハイロアクション福島原発40周年実行委員会)の発言要旨
皆さん、こんにちは。福島からまいりました。きょうは福島県内から、また避難先から、何台もバスを連ねて、たくさんの仲間と一緒に、やってまいりました。初めて集会やデモに参加する人も、たくさんいます。それでも福島原発で起きた悲しみを伝えよう、私たちこそが「原発いらない」の声をあげようと、誘いあってやってきました。
初めに申し上げたいことがあります。三・一一からの大変な毎日を、命を守るために、あらゆることに取り組んできた皆さん一人一人を、深く尊敬いたします。それから、福島県民に温かい手を差し伸べ、つながり、様ざまな支援をしてくださった方々にお礼を申し上げます。ありがとうございます。そして、この事故によって、大きな荷物を背負わせることになってしまった、子どもたち、若い人たちに、このような現実を作ってしまった世代として、心から謝りたいと思います。本当にごめんなさい。
さて、皆さん。福島はとても美しいところです。東に紺碧の太平洋を望む浜通り。モモ・梨・リンゴと果物の宝庫の中通り。猪苗代湖と磐梯山の周りに黄金色の稲穂が垂れる会津平野。その向こうを、深い山々が縁取っています。山は青く、水は清らかな、私たちの故郷です。
3.11原発事故を境に、その風景に、目には見えない放射能が降り注ぎ、私たちは被ばく者となりました。大混乱の中で、私たちには様々なことが起こりました。すばやく張り巡らされた安全キャンペーンと不安の狭間で、引き裂かれていく人とのつながり。地域、職場、学校で、家庭の中で、どれだけの人が悩み、悲しんだことでしょう。
毎日、毎日、否応なく迫られる決断。逃げる、逃げない。食べる、食べない。子どもにマスクをさせる、させない。洗濯物を外に干す、干さない。畑を耕す、耕さない。何かにもの申す、黙る。様々な苦渋の選択がありました。
そしていま、半年という月日の中で、次第に鮮明になってきたことは、事実は隠されるのだ、国は国民を守らないのだ、事故は未だに終わらないのだ、福島県民は核の実験材料にされるのだ、莫大な放射能のゴミは残るのだ、大きな犠牲の上になお原発を推進しようとする勢力があるのだ、私たちは捨てられたのだ――。私たちは疲れと、やりきれない悲しみに、深いため息をつきます。
でも口をついてくる言葉は、私たちを馬鹿にするな、私たちの命を奪うな、です。福島県民は今、怒りと悲しみの中から、静かに立ち上がっています。子どもたちを守ろうと、母親、父親、おじいちゃん、おばあちゃんが。自分たちの未来を奪われまいと若い世代が。大量の被爆に晒されながら事故処理に携わる原発従事者を助けようと、労働者たちが。土地を汚された絶望の中から、農民が。放射能による新たな差別と分断を生むまいと、障がいを持った人々が。市民が、国と東電の責任を問い続けています。そして、原発はもういらないと、声を上げています。
私たちは静かに怒りを燃やす、東北の鬼です。福島県民は、故郷を離れる者も、福島の土地に留まり生きる者も、苦悩と責任と希望を分かち合い、支え合って生きていこうと思っています。私たちとつながってください。私たちのアクションに、注目してください。政府交渉、疎開、裁判、避難、保養、除染、測定、原発と放射能についての学び。そしてどこにでも出かけて、福島を語ります。今日は、遠くニューヨークでスピーチをしている仲間もいます。思いつく限り、あらゆることに取り組んでいます。私たちを助けてください。福島を忘れないでください。
もう一つ、お話したいことがあります。それは、私たち自身の生き方、暮らし方です。私たちは何気なく差し込むコンセントの向こう側を想像しなければなりません。差別と犠牲の上に成り立っていることに、思いをはせなければなりません。原発は、その向こうにあるのです。
人類は、地球に生きる、ただ一種類の生き物にすぎません。自らの種族の未来を奪う生き物が、他にいるでしょうか。私は、この地球という美しい星と調和した、まっとうな生き物として生きたいです。ささやかでも、エネルギーを大事に使い、工夫に満ちた、豊かで創造的な暮らしを紡いでいきたいです。どうしたら原発と対極にある新しい世界を作っていけるのか。だれにも明確な答えは分かりません。でき得ることは、誰かが決めたことに従うのではなく、一人一人が、本当に、本当に、本気で、自分の頭で考え、確かに目を見開き、自分ができることを決断し、行動することだと思うのです。一人一人に、その力があることを思い出しましょう。
私たちは誰でも、変わる勇気を持っています。奪われてきた自信を取り戻しましょう。原発をなお進めようとする力が垂直にそびえる壁ならば、限りなく横に広がりつながり続けていくことが、私たちの力です。たったいま、隣にいる人と、そっと手をつないでみてください。見つめ合い、お互いの辛さを聞きあいましょう。涙と怒りを許しあいましょう。いまつないでいる、その手の温もりを、日本中に、世界中に広げていきましょう。
私たち一人一人の、背負っていかなければならない荷物が、途方もなく重く、道のりがどんなに過酷であっても、目をそらさずに支えあり、軽やかに、朗らかに、生き延びていきましょう。ありがとうございました。