原水禁運動の歴史と教訓 ――核絶対否定の理念をかかげて――
1978年6月に原水禁が発行したパンフレット。すでに原水禁本部にも一部しか残っていない、貴重な資料です。
原水爆禁止運動の基本原則
(1965年2月1日、原水禁結成大会で確認)
核保有国の原水爆所有数量が第二次世界大戦における総爆発量の数万倍といわれている今日、核戦争は一瞬のうちに全人類の生存と、その文明を破滅させるものとなっている。
原水爆を禁止し、恐るべき核戦争を防止して世界の平和と人類の繁栄を確保することは、世界諸国民に課せられた使命であり、一人一人の生きる権利として世界諸国民の誰もが果たさなければならない歴史的課題である。
しかるに、核実験はいぜんとして続けられ、核拡散の傾向は強まり、核戦争の危険もまた増大している。
いまや、原水爆を禁止し、完全軍縮を達成するための原水爆禁止運動は、あらゆる平和運動のなかでもっとも重要性と緊急性をもつ運動となっている。
世界最初の被爆国であり、世界に誇るべき非武装、戦争放棄の平和憲法をもつ日本国民は、広島、長崎、ビキニの痛切な体験を積極的に生かし、原水爆禁止運動の中核となってその推進をはかる尊い使命をになっている。
原水爆禁止日本国民会議は、この運動のもつ崇高な意味を自覚し、かつ多年にわたってつみかさねられた運動の成果と基調をふまえ、ここに原水爆禁止運動の基本原則を確立し、宣言する。
- 広島、長崎、ビキニの被爆原体験を基礎として原水爆を憎み、戦争に反対し、平和を望む日本国民の心情は、この運動の基盤である。
この心情は尊重し、積極的に生かすことが重要である。
又この運動にとって、被爆者の救援活動は欠くことの出来ない主要な柱である。
被爆者救援運動は、被爆者の権利としてその生命と生活をかちとる運動であり、更に被爆者を再び出させない運動として発展させる。
- この運動はいかなる国の核兵器の製造、貯蔵、実験、使用、拡散にも反対し、その完全禁止と全腐をめざすものであり、どんな小さなことでも原水爆の禁止に役立つ政策および行動を支持し、どんな小さな原水爆の脅威をおよぼす政策および行動に反対するものである。
- この運動は平和憲法の理念を基礎として原水爆の禁止と完全軍縮が社会体制の異なる国家間の平和共存のもとで可能であるという立場に立つ。
従ってこの運動は特定のブロックに偏することなく、巾広く世界の平和の諸運動と連携をもつ。
- この運動は原水爆の脅威から人類を解放するという共通目的のもとに、これに賛同するあらゆる階層の団体や個人を結集する広汎な国民運動であり、誰もが参加出来る民主的運動である。
この運動は、思想・信条・政党・政派を越えた運動である。したがって社会体制の変革を目的とする運動とは性格を異にする運動であり、特定政党に従属するものではない。この立場を堅持しつつ、人類の生命と幸福をふみにじろうとする原水爆政策と対決し、政治を原水爆禁止の方向に動かすための国民運動である。
- 広汎な国民運動としての、原水爆禁止運動に参加する団体はさまざまな性格をもっている。各団体は全体の合意によって統一行動をくみ、団結してこれを実行する責任を負うとともに、それぞれの団体の性格を生かして創意に満ちた独自行動を行なう。この統一行動と独自行動が相まって、はじめて運動全体が高まるものである。
又、この運動は情勢の発展に応じて関連する諸課題をとりあげ、原水爆禁止の立場からこれと積極的にとりくむことが必要である。この運動と他の運動との関連については、要求の一致点を求め、それが見出された場合は、原水爆禁止、完全軍縮促進の立場から緊密に連携し、共同行動をとる。この場合には、すべての参加団体の立場と意見を尊重し、全体の理解のもとに行動する。
原水禁結成宣言
国民運動としての正しい原水爆禁止運動の前進と発展のために、ここ数ヵ年の苦しい努力は遂に運動を恒常的、全国的に展開する組織的保障として「原水爆禁止日本国民会議」を結成させるに至った。
2月1日、東京神田の全電通会館で各都道府県の原水禁組織代表、総評・中立・新産別等中央諸団体代表、婦人、民主団体、青年学生、学者文化人等52中央団体・45都道府県約500人が参加して新しい原水禁運動の全国統一センターとして、「原水爆禁止日本国民会議(略称・原水禁)」の結成大会が行なわれた。
大会の議事次第は次の通りであった。
結成大会を支持する教育大学、お茶の水大学学生達のコーラス・グループのなかで大会は開会された。
- 一、
- 司会の挨拶 東京実行委員会代表 佐藤栄男
- 一、
- 原水爆犠牲者のめい福と患者の治癒を祈る黙祷
- 一、
- 議長団選出、あいさつ
(労働)日教組書記長 槇枝 元文
(労働)新産別書記長 三戸 信人
(宗教)仏教界代表 大僧正 落合 寛茂
(婦人)日本婦人会議議長 高田 なほ子
(青年)社青同副委員長 永田 恒治
(地方)静岡県原水協常任理事 新藤 千代二
- 一、
- 実行委員会代表あいさつ
森瀧市郎急病のため、
広島原水協代表委員浜本万三がメッセージ代読
- 一、
- 来賓あいさつ
日本社会党書記長 成田 知己 氏
キリスト教婦人矯風会会頭 久布 白落美 氏
日本青年団協議会事務局長 高橋 成雄 氏
日本山妙法寺 田島 瑞泰 上人
大牟田被団協会長 綾野 重義 氏
- 一、
- 祝電披露 世界平和評議会その他
- 一、
- 結成までの経過報告 総務担当 鈴木 正次
- 一、
- 基本原則の提案、採択 実行委員 高桑 純夫
- 一、
- 規約、諸規則の提案、制定 実行委員 大鹿 高義
- 一、
- 予算の提案、決定 財政担当 野口 勝一
- 一、
- 運動方針提案、採択 実行委員 安恒 良一
- 一、
- 緊急決議、「原潜寄港反対」
提案、広島原水協、採択
- 一、
- 役員選出、あいさつ 高桑 純夫
- 一、
- 大会宣言発表 長崎県原水協事務局長 児玉 増美
- 一、
- 閉会のあいさつ 高田 なほ子
1965年2月1日
全電通会館での結成総会
なお緊急提案として採択された「原子力潜水艦の寄港反対の決議」は「原水爆禁止日本国民会議を結成し、原子漠禁止・日本の核武装阻止のためにより強力な運動をすすめることを決意したわれわれは、アメリカ原潜鑑の日本寄港に反対し、幅広い国民世論を結集して原水爆禁止・日本の核武装阻止のため全国的運動を展開することを宣言し、日本政府が原潜寄港の承認を撤回するよう要求する」という趣旨のものである。
役員氏名
代表委員 |
森瀧 市郎 広島県被団協理事長
浜井 信三 広島市原水協会長
達田 竜彦 長崎県原水協会長
清水谷 恭順 浅草・浅草寺貫主
高橋 正雄 九州大学教授
太田 薫 総評議長 |
事務局長 |
伊藤 満 広島県原水協事務局長 |
常任執行委員 |
鈴木 正次 静岡県原水協 (総務)
安恒 良一 総評本部 (財政)
大鹿 高義 日教組 (情宣)
秋山 実 全逓 (国際)
宮武 豊 合化労連 (組織)
野口 勝一 電機労連 (財政)
相良 勝 全造船 (組織)
三戸 信人 新産別 (国際)
石黒 寅毅 牧師 (宗教)
神崎 清 基地連 (情宣)
高田 なほ子 婦人会議 (組織)
永田 恒治 社青同 (組織)
前野 良 学者・文化人 (国際)
高桑 純夫 学者・文化人 (情宣)
伊藤 茂 個人 (国際)
大原 亨 個人 (被対)
大門 隆二 東京原水禁 (組織)
吉田 清 被爆者・広島 (被対)
山口 ミヨ子 被爆者・長崎 (被対) |
会計監査 |
額賀 英良 国労
中村 勝正 個人
須藤 義夫 神奈川県原水禁 |
第一回常任執行委員会、開催
二月十一日第一回常任執行委員会が開かれ、常任執行委員の分担(上記)と常任委員選出母体の確認、三・一ビキニデーの準備促進、被爆者救援金カンパの集計(愛媛五万円、長崎四万五千円、兵庫四万円、岡山三万円、電機労連十万円)と未納の各都道府県は直ちに本部へ納入するよう指示、等々を決定した。
大会宣言(全文)
原水爆禁止運動の貴い歴史を正しく継承し、国民的な運動を再建発展させようと決意した私たちは、本日ここに原水爆禁止日本国民会議を結成した。
昨年、広島・長崎・静岡三被爆県から提唱された原水禁運動再建のイニシヤティブは、ここに数年間の低迷を克服し、私達に新たな確信を与えた。原水爆被爆体験にしっかりと基礎をおいたこの運動は、何人もとどめえない力となって、広範な人々の支持と協力をえてきた。この努力を基礎に、いま、私たちは新しい運動を出発させようと決意した。
省みるとき、部分核停条約締結によって開かれた平和共存と全面軍縮への期待も、地下核実験や新たな核実験の開始によって、重大な障害にさえぎられている。さらに”中国の核実験対抗するために、核武装することが必要である”ということが、世界唯一の被爆国において半ば公然と語られ始めている状況に、私たちは注目しなければならない。
この重大な時期に再出発を決意した私たちは”あらゆる国の核実験に反対する”立場を堅持し、原水爆の完全禁止と、完全軍縮への目的達成を追求するとともに、わが国の核武装への動きを阻止する力強い国民運動をつくりだすことを誓いたい。
とき恰も、今年は広島・長崎の原爆被爆二十周年にあたる。あの惨禍の日から二十年、心身の痛みにたえて生きてきた被爆者に対し、いまなお援護の十分な施策がなされていないことを、私たちはきびしく糾弾する。そのことこそは、日本核武装の危険な動向と深く関わり合っている。ともすると忘れがちな被爆体験、年とともに忘れがちな被害の生々しさを、私たちはあらためて思い起こさなければならない。国民的共通意識として、この体験を心の底に深く刻みつけなければならない。この体験こそ、現代の戦争の残酷さを曝く歴史の証言だからである。
原爆被害の体験を、日本国民の共通遺産として確認するとき、それは一方で、原水禁運動の尽きることなきエネルギーの根源となるであろう。同時にまた、それは、「核戦争の防止」とか「防衛」という名のもとに計画されるいかなる核武装にも、明確な拒否の態度を示す基準となるであろう。
この立場、この基本要求を基礎に、私たちは国民会議の門戸を広く国民に開放したい。同じ要求に基づくすべての人々によって、この国民会議は組織され、また発展させられる。
私たちは、原水禁国民会議の結成にあたり、わが国の「非核武装宣言」を実現する運動を提唱したい。このために、被爆二十周年を期して、全国的な国民投票運動を提唱する。国民一人一人の固い決意と自覚的な行動を礎に、国民投票という新しい民主主義の形式を通して、私たちはわが国の「非核武装宣言」を実現させよう。
世界に先がけて、核兵器なき日本を創り、さらに「戦争のない世界」を実現する巨大な歩みを開始しよう。
原水爆犠牲者の眠りよ安かれと念じつつ新たな決意に満ちて右宣言する。
一九六五年二月一日
原水爆禁止日本国民会議結成大会
※上記は原文のママです。用字用語の不統一などもそのママとなっています。原水禁はその後、世界の仲間との連携を強めながら運動を進めるなかで、核の被害を受けてきたのがヒロシマ・ナガサキや第五福竜丸だけではなかったということを強く認識するにいたりました。現在では「日本が唯一の被爆国」という表現が使われることはありません。