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原水禁全国委員会・平和フォーラム総会で福島、宮城、岩手からの報告
2011年04月26日
4月26日、東京・日本教育会館で「平和フォーラム第13回総会」と「第86回原水禁全国委員会」が開催されました。その際、東日本大震災で被災した福島、宮城、岩手各県の出席者より報告を受けましたのでご紹介します。
福島県平和フォーラム 事務局次長 國分 俊樹さん
前半の会議で発言したとき、言葉に詰まってしまったのですが、現在の私は泣かなければ精神状態が保てません。福島は広い県ですが、太平洋に面した浜通り地区はほとんど津波でやられました。それに加え、原発があるということで、住民はそこから西側の中通り、会津へ分散して、県内に逃げている人もたくさんいます。
福島県の経済の中心は福島市と郡山市です。県の真ん中辺りですが、そこに風向きと雨でかなりの量に放射能が飛散しました。
福島県教職員組合のある執行委員が「今は戦争状態だよね」と言っていました。私が知っている人は貴重品をまとめて、避難袋をつくり、水とガソリンを持っています。いつ原発が爆発して放射能が拡散されるか非常に恐れています。
やっぱり感じるのは、われわれは「軍隊は国民を守らない」と言ってきましたが、国は国民を守りません。被災者、私たちのようにある程度被曝した者をほとんど守ろうとしません。御用学者を県内に送り、「大丈夫だ」「健康被害はない」。これをくり返しています。
老人はもうあきらめていますが、ナーバスになっているのは小さい子どもを持つ親たちです。先日、放射能の濃度がかなり高い学校への対策として、文部科学省が福島市と郡山市へ説明会に入りました。そのとき、泣き出す親も大勢いたそうです。私の考えですが、もう経済の中心である福島と郡山では子どもを育てられないのではないかと思います。
本当に嫌なのですが、われわれは放射能と共存をはかっていかなくてはならないのです。どこにも逃げられない人が100万人以上います。ですから、福島県平和フォーラム、福島県教職員組合へ放射線測定機・線量計を送ってください。よろしくお願いします。
宮城県平和運動推進労働組合会議 事務局長 菅原 晃悦さん
全国各地からいろんなご支援をいただいていることに感謝を申し上げたいと思います。被害については報道等でご存じかと思います。大きな被害はやはり津波です。仙台市内に東部道路という有料道路があるのですが、そこまで高い波が押し寄せてきました。その道路を境に、全く景色が違っています。津波で建物が壊されて、草木も流されて、引き波でガレキが全部海岸へ流されています。気仙沼、南三陸、女川は、市の中心部そのものが被災しています。
あまり報道されていませんが、震源付近では30mほど東南東に地盤が移動したと言われています。原発が立地している牡鹿半島自体も5.4mほど東南東に移動して、1.2mほどだったと思いますが、地盤沈下したということになっています。近くに海水浴場があったのですが、それが無くなって道路と海が続いているといいます。
もう一つ、経済が回っていませんから、労働者が簡単に解雇されている状況があります。ただ、被災地ではそれを大きな声ではなかなか言い切れません。皆さんにお願いですが、それを問題にしていただきたいと思うのです。
女川原発は、5m以上も地盤が移動していて、安全なはずはありません。最初、外部電源は一系統しか残ってなく、発電機が回らず、津波は80cmほどでかろうじて免れました。紙一重で福島第一原発のようにならなかったのだと思っています。余震があるたびに、福島と女川を気にしながら生活しています。宮城県内にも、ボランティアの方がたくさんいらっしゃいますので、なかなか言いづらいものがあります。全国の皆さん、エネルギー政策の転換について声を上げていただけたらと思います。
平和環境岩手県労組センター 議長 来内 広幸さん
このたびの東日本大震災に関わって、全国の仲間の皆様からご支援いただきましたこと、平和環境岩手センター構成組織、あるいは組合を代表して心から感謝を申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。
今なお、岩手を含めて三県で余震が続いているわけでございます。そんな中で、復旧、復興に向けて日夜がんばっております。全国の皆様からお力添えいただいていることが大きな力になっているのだろうと思っています。
3月11日のマグニチュード9.0の大地震、そして大津波によって被害があったわけでありますが、まだ全体像もつかめていない状況があります。高さ10m、長さ2.4kmという日本一の防潮堤を超える津波がやってきたわけです。そのことによって、三陸海岸という景観も、そしてそれに続く町や村も壊滅的な状況になっているわけであります。岩手の状況は死者が4178名、行方不明者が3496名となっております。これは公の機関に届けられた数ですので、もっと増えるかと思います。そして、家屋の倒壊があるわけですが、18,805棟ということになっております。このことによって、今なお県内の25の市町村369ヵ所で41,728人の方々が避難所生活を送っています。
そして、平和運動を担う地方の組織があるわけですが、沿岸の地方労、地区労組織の被害状況でありますが、4地区労ある中で、二つの地域組織が建物の崩壊などがあって、地域の平和運動を担っているところへ人が集まれないという状況です。そうした中で、センターとして早期に機能回復に向けて進めているところです。5月3日には、憲法記念日の街宣行動を県内で隈なくやらなければいけません。
「日本の力を信じる」とかいう言葉も出ていますが、最後に頼れるのはどんなに小さくても一人ひとりの人間が持っている力だと思っています。