2025年、ニュース
9月28日開催 JCO臨界事故26周年集会報告
2025年10月01日
茨城県東海村で1999年9月30日に発生した国内初の臨界事故から26年を迎えるにあたり、9月28日、「JCO臨界事故26周年集会」が開催され、県内外から約190人が参加しました。主催は原水爆禁止日本国民会議や臨界事故を語り継ぐ会など6団体で、県内38自治体の首長からメッセージが寄せられました。
集会では冒頭、犠牲者2人への黙とうが捧げられた後、臨界事故を語り継ぐ会の相沢一正さんが、「住民が事故を知らされたのは発生から2時間後で、退避は4時間後。放射線被ばくの影響が軽視された」と訴え、原子力事故に共通する情報の遅れと過小評価の問題を指摘しました。
主催者あいさつで原水禁の染裕之共同議長は、「老朽化した東海第二原発を再稼働させる理由はなく、第7次エネルギー基本計画は非現実的だ」と批判しました。
講演ではノンフィクションライターの大泉実成さんが、健康被害を訴えながらも泣き寝入りを強いられた住民の実態を紹介し、「原子力事故の残酷さと被害者救済の難しさを忘れてはならない」と語りました。
特別報告では、東海第二原発差止訴訟団の大石光伸共同代表が、「JCO事故を忘れず、控訴審でも勝利しなければならない」と訴え、傍聴支援を呼びかけました。
集会は「臨界事故の教訓を踏まえ、老朽原発の再稼働を認めない」とするアピールを採択しました。
集会後、参加者はデモ行進で「原子力災害を繰り返すな」「老朽原発動かすな」と声を上げ、東海第二原発の廃炉を訴えました。
JCO臨界事故26周年集会アピール
JCO臨界事故は1999年9月30日10時30分に、ウラン加工工場の転換試験棟で起こり、一昼夜臨界状態が続き翌10月1日、6時30分に終息した。この20時間のあいだ居住地に中性子線を主に放射線が放出され、住民は被ばくした。しかも臨界直後の25分間に総線量の半分が放出されたとされるから,住民は事故を知る前に被ばくしていたのだ。この事実は居住地と離隔のない原子力施設の危険を改めて示した。
この事故は、チェルノブィリ事故・スリーマイル島事故についで世界第三番目の規模に達し、作業員2名の死亡を含む3人が急性放射線障害で労災認定された。日本の原子力事故で死亡者が出たのは初めてである。国の線量評価では660名を超える被ばく者と、うち年間線量限度1mSv超えの被ばく住民は119名と記録されている。
事故の直接的原因は、酸化ウラン粉末を均一の濃度の硝酸ウラニル溶液に加工する施設として国の認可を受けていない施設や道具を使って、かつ形状管理していない沈殿槽という装置に臨界量以上のウランを含む溶液を投入したことにあった。本来あってはならない違法行為が白昼行われたのである。これには、国の監視に手抜きがあり、認可してもいない工程での作業を見逃すという不作為も大いに関係していたことが明らかにされている。
被ばくを強いられた住民が村内放送で事故を知ったのは発生2時間後の12時半であり、350m圏内の住民に1㎞先の避難所への避難を、国の無策のなか独自に東海村が要請したのは、4時間30分後の午後3時であった。そして翌朝、臨界が収束したが住民の屋内退避解除は1日午後3時30分に、さらに避難者の避難解除は翌2日午後6時30分になった。この間住民は制限された情報の中、放射線に怯えて不安と焦燥の時間を強いられたのである。屋内退避解除後の放射能汚染検査会場への長蛇の列はその恐怖の確かな証明である。
この住民の体験とは裏腹に、国の事故調査委員会は、確定的な影響をもたらす線量ではなく、確率的な影響も見出しがたい線量のレベルであったと放出線量評価を行い、住民の被ばく認定や補償の道を閉ざしてしまった。住民個々の推定被ばく線量調査でも過小評価が疑われている。ともあれ、このような評価に立って、「不安解消のためと」して住民健康診断を国の予算で茨城県が実施することになった。この年一回の健診は今も続けられている。
以上は、JCO臨界事故状況のあらましであり、記憶すべき事態の要点である。私たちはこの内容を語り継ぎ、ここから学び取る教訓を次の事態に対する糧にしなければならない。
この地域で今焦点となっているのは、東海第二原発の再稼働問題である。人口過密地帯に立地し運転開始から47年になる超老朽原発で、防潮堤の不良工事が内部告発で明らかになったり、中央制御室の火災をはじめ頻発する火災を起こし、運転習熟要員も少ないなかでの安全な運転を期待するのは無理である。臨界事故の教訓を踏まえれば、再稼働の選択はない。日本原電は東海第二原発を廃炉にする手だてに入るべきである。
2025年9月28日
JCO臨界事故26周年集会参加者一同


