被爆79周年原水禁世界大会2024年

核も戦争もない世界をめざし、原水禁運動のさらなる発展を 「被爆79周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」が閉会

2024年08月10日

8月9日、「被爆79周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」閉会総会が長崎県立総合体育館アリーナで開催され、約1000人が参加しました。

米村豊・現地実行委員長から主催者あいさつ。

続いて谷雅志・事務局長が3日間にわたる長崎大会全体についての総括を報告しました(全文は本記事下部に掲載)。

第27代高校生平和大使と高校生1万人署名活動のメンバーが登壇。核廃絶に向けてがんばる決意を表明しました。

「特別報告」として、鹿児島県護憲平和フォーラムの磨島昭広・事務局長より馬毛島への米軍基地建設問題の現状について報告がありました。

最後に「大会アピール」(全文を本記事下部に掲載)を全体で確認し、集会を終了しました。

その後、閉会総会会場から爆心地公園に向けて「非核・平和行進」に出発。11時前に爆心地公園に到着し、原水禁を代表し川野浩一・共同実行委員長と米村・現地実行委員長が慰霊碑に献花。原爆投下の時刻11時2分には大会参加者がいっしょに黙とうを捧げました。

核廃絶へむけた具体的な運動の展開をはかっていくうえで、これからの1年間は重要なものとなります。大会アピールでも確認されたように、わたしたちの運動の原点をあらためて確認しつつ、核も戦争もない世界の実現をめざし、全国各地でとりくみを強めていきましょう。

「被爆79周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」閉会総会アーカイブ動画

「被爆79周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」谷事務局長まとめ報告

被爆79年を迎えた今日、私たちは改めて原爆によって奪われた多くの命と、その後長らくずっと、こんにちまでその被害に苦しめられている多くのみなさんに心を寄せます。

今大会は1000人に参加いただいた開会行事から昨日の分科会・ひろば・フィールドワーク、そしてこの閉会総会、この後平和行進と開催していきます。

とくに各分科会については運営委員のみなさんからいただくまとめを、改めてみなさんと共有することとし、ここでは時間の関係からポイントを絞って触れます。

ここで感じたことを各地域に戻ってご自身の言葉で、周りに語りかけてください。

長崎において長らく解決できずにいる「被爆体験者」問題。開会行事の中で池田章子さんから詳しくご説明をいただきました。大会に参加された方からは初めてこの問題を理解した方もいらっしゃるのではないでしょうか。このあと、被爆体験者と岸田首相の面談が予定されており、そこでどういった話が出るのかについて注目しているところです。被爆から79年経った今においても、旧長崎市かどうかという目に見えない行政区分によって、被爆者と認められないことは、国による差別的扱いだと言えます。被爆者の平均年齢が85.58歳となっている今、被爆体験者もヒバクシャですから、同じように高年齢化が進んでいます。この問題の解決をこれ以上先延ばしにすることは許されません。被爆体験者は被爆者です。

次に、この大会期間中の8月7日、岸田首相は自民党の会合の中で憲法について、緊急事態条項に加え、憲法9条への自衛隊の明記をテーマとする国民投票の実施をめざすという考えを示したことが報道されました。本大会の分科会でも、「戦争のできる国づくり」が進む危険性と、その先に捉えられている改憲について、をテーマに、学習と議論を深めてきました。私たちが望む社会は、核も戦争もない、安心して暮らすことができる社会です。平和外交によってそれを実現しようと努める責務は、日本政府にあります。特にここ長崎で、今日8月9日に、戦争のできる国作りについて口にすることなど、決して許されることではありません。

また、長崎市の式典にアメリカやイギリスなどの駐日大使が欠席する意向であることも報道されました。今日は、全世界がここナガサキに思いを寄せ、二度とあのような凄惨な経験を繰り返すことはないと決意し、平和を願う日です。ナガサキを政治的に利用することなど許されません。今でもウクライナやガザなど、止むことのない戦争行為によって多く命が奪われ続けています。私たちは、これ以上命が奪われることを許すわけにはいきません。8月9日にここナガサキにおいて、繰り返し命の大切さを訴えます。

被爆から79年がたった今日においてもその被害に苦しめられている被爆者のみなさんやその家族がいます。ひとたび受けた被害の大きさはもちろんのこと、その後続く時間軸としての長さ、決して終わることはないという時間の長さもまた、重要な問題であると改めて捉える必要があります。

こういったことを、先の未来に繰り返さないためにも、核なき世界の実現をはからなければなりません。日本政府はいまだ核兵器禁止条約に署名・批准をしようとはしません。こういった政府を動かしていく力は私たち市民による原水禁運動にあると考えています。私たちの力で日本政府に、核兵器禁止条約への署名・批准を強く求めていきましょう。政府は他国との関係において、緊張状態を煽ることではなく、平和外交にこそ努めるべきです。武力による対抗路線を歩むことは、いつか来た道を再び歩むことにつながるのではないかと、強い危機意識を感じます。そもそも、恒久平和の実現がしっかりと示されているのが、憲法理念だと考えます。

大会の開催にあたり、現地実行委員会として福島・広島・長崎のみなさんには多大なるご協力をいただきました。心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

夏の暑さも厳しい中、各地で取り組まれている原水禁運動にも改めて敬意を表します。

来年は被爆80年を迎えます。被爆者のみなさんの切なる願いである核廃絶へむけた具体的な運動の展開をはかっていく必要があります。国際シンポジウムでも話のあった「先制不使用宣言 NO FIRST USE 」についての議論と理解を深めながら、被爆の実相を原点に「核と人類は共存できない」とする信念にもとづいた原水禁運動を各地域で展開していきましょう。

被爆79周年原水爆禁止世界大会・大会アピール

歴史的な最高気温の話題が繰り返される暑さの中、私たちは7月28日の福島大会から、8月 4・5・6日の広島大会、7・8・9日の長崎大会と、原水爆禁止世界大会を開催してきました。

世界では戦争による惨禍が収まらず、命の尊厳が軽視される状況が続いています。ロシアによる核兵器使用の威嚇発言や核兵器の配備・訓練といった動き、アメリカの議員による戦争終結のためには原爆使用を肯定的にとらえるといった発言など、核兵器をめぐる状況も大変厳しいものがあります。ヒロシマ・ナガサキの原爆投下以降、これまで戦争による核兵器使用を許さない大きな力を生み出してきた源は、被爆者の体験と運動です。振り返ることもつらい、凄惨な体験を言葉にして伝えることで、核兵器の非人道性を明らかにし、核兵器廃絶を世界の人々の共通の目標としてきました。これまで着実に高めてきた「核兵器を二度と使ってはならない」とするハードルを下げるために、安定しない国際情勢を持ち出すことを、私たちは決して認めません。むしろ現在の不安定な国際情勢を作り出している原因の一つは、これまでの核抑止への依存にあります。日本政府は7月28日に開かれた日米安全保障協議委員会で、「核の傘」を含むアメリカの拡大抑止の連携強化を確認するなど、いまだ核抑止を積極的に捉えています。そこからの脱却なくして核廃絶の実現は描けません。

被爆79年から80年がせまる今、これまで核のない世界を希求してきた被爆者と私たちの願いは、いまだ実現していません。被爆者の切なる願いは、「こんな凄惨な体験は、私たちで最後にしてほしい」というものです。それは、核廃絶の実現に向けた具体的な歩みを進めることにあります。日本政府は、被爆者の訴えに真摯に耳を傾け、核廃絶に向け、国際社会で積極的な役割を果たすべきです。

私たちは今この時まで、核廃絶が実現していない現実を直視し、原水禁運動の継承をはかりながら、今後も粘り強くとりくみを強化していきます。核兵器禁止条約が発効されましたが、日本政府は署名に前向きな姿勢さえ示していません。戦争被爆国の日本が、この条約に批准することは、核のない世界の実現に向けた必要な一歩となります。私たちは日本政府に今すぐ署名・批准することを、改めて強く求めます。原水禁運動は被爆の実相を原点とし、核廃絶とヒバクシャ援護・連帯を両輪として、「核と人類は共存できない」という揺るぎない考えのもと、この世界大会を一つの契機としながら、各地域で核廃絶をめざす運動として積み重ねてきました。そのうえで、未来を思い描く将来像と合わせ、さらなる議論を深めながらとりくんでいきます。

核の軍事利用からも、核の商業利用からも、「ヒバクシャ」が生み出されてきました。本大会では、アメリカ・ニューメキシコ州に暮らすナバホの、ウラン採掘・精錬による被害とその後の住民運動について学び、連帯を深めました。長崎においては「被爆体験者」とされ、79年経った今も被爆者と認められない差別的状況が、解決に至っていません。「被爆体験者」は被爆者です。日本のみならず世界のヒバクシャをめぐる課題について、世代を超えた二世三世がその問題の解決に向けて、運動にとりくんでいます。

福島第一原発事故から 13年が経過しましたが、避難を強いられた住民は、いまだの生活に戻ることはできていません。そういった状況にもかかわらず、日本政府は原発事故被害者への支援を打ち切り、再び原発推進政策に舵を切りました。私たちは日本政府が原発事故の責任を認めず、再び原発を推進することを許しません。

被爆79周年原水爆禁止世界大会を通して、私たちは現状の課題認識を共有し、各地域での原水禁運動につなげていくことを確認しました。これからも、運動の原点を確認し、核も戦争もない世界を実現させるため、さらなる原水禁運動を継承・発展させていくことを決意し、本大会のアピールとします。

2024年8月9日
被爆79周年原水爆禁止世界大会参加者一同

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