被爆79周年原水禁世界大会2024年

「被爆79周年原水爆禁止世界大会・広島大会」3日目、国際シンポジウムとまとめ集会を開催

2024年08月07日

8月6日、広島市・県民文化センターで「被爆79周年原水爆禁止世界大会・広島大会」国際シンポジウムとまとめ集会を開催し、約550人が参加しました。

国際シンポジウムでは、「核兵器廃絶へ向けた一歩を踏み出すために」をメインテーマに、秋葉忠利さん(原水禁顧問、元広島市長) 、デーヴィッド・ギブソンさん(アメリカ・ピースアクション)、イ・ヨンアさん(韓国・参与連帯)をパネリストとして、議論を行いました〔コーディネーター:藤本泰成さん(原水禁顧問)〕。

引き続いて行われたまとめ集会では、広島大会の3日間での成果を総括しつつ、「ヒロシマ・アピール」を採択し(全文は記事下部に掲載しています)、現下の厳しい世界情勢も認識したうえで、この間とりくんできた被爆の実相の継承を基軸に据えながら、「核も戦争もない平和な社会」を実現するためにともにがんばりあうことを確認しました。

8月7日以降は、長崎大会を3日間の日程で開催していきます。引き続きのご参加・ご協力・ご注目をお願いします。

「被爆79周年原水爆禁止世界大会・広島大会」谷事務局長まとめ報告

被爆79年を迎えた今日、私たちは改めて原爆によって奪われた多くの命と、その後長らくずっと、こんにちまでその被害に苦しめられている多くのみなさんに心を寄せます。

今大会は2200人に参加いただいた開会総会から昨日の分科会・ひろば・フィールドワーク、今朝の国際シンポジウムと開催してきました。

とくに各分科会については運営委員のみなさんからいただくまとめを、改めてみなさんと共有することとし、ここでは時間の関係からポイントを絞って触れます。

ヒバクシャ連帯として、アメリカ・ニューメキシコ州・ナバホの居留区内にある2つのウラン鉱山と精錬所のあったコミュニティから、エディス・フッドさんとテリー・ケヤナさんをお招きし、分科会でお話しいただきました。

ウラン採掘にあたる労働者にとって、採掘したウラン鉱石が何に使われるのかも十分知らされることはありませんでした。放射性物質が含まれている事実も知らされることなく、山となって積まれる残土。特別にその周りに囲いをされるわけでもありませんでしたので、住民のみなさんは当たり前のようにそこで生活をつづけました。1979年には強い酸の混じった廃液が大量に川に流れだす重大事故を起こしますが、マスコミ報道はほとんどされることはありませんでした。その川に足をつけた住民は、まるで足がやけどを負った状態のようになったと聞きました。そういった事実は広く社会に問題として知らされることはなく、長く被害は続きました。2007年、ナバホで暮らす住民のみなさんは、何もしない政府に対して立ち向かうため、住民による草の根組織を作り、環境回復に向けて運動にとりくまれています。ウランは放射性物質であり、重金属でもあることから、体内での障がいは腎臓に起こるそうです。そういった住民の健康調査、家畜の調査などを行いながら、ナバホの考え方である「将来世代から土地を借りている」という思いのもと、環境回復を求めています。政府の姿勢は「too much money」除染には4400万ドルを超えるとする費用がかかることから、十分にはできないというものです。一部除染を行っても、また風によって運ばれてくる放射性物質によって大地は汚染されます。今もこの地域に日常的に生活している住民がいることは事実です。

この分科会では、核実験被害を受けたフレンチポリネシアから参加された方もいらっしゃり、発言してくださいました。分科会の中では質問意見がいくつか出ましたが、「採掘でヒバクをしている人がいるという事実を知らなかった」と、率直に述べられた言葉に象徴されるように、まずは知るということが重要であると確認されました。ナバホのみなさんが一番強く訴えられたことは「核廃棄物の汚染は長く続いている問題であり、今後も続いていく問題である」ということです。

被爆から79年がたった今日においてもその被害に苦しめられている被爆者のみなさんやその家族がいます。ひとたび受けた被害の大きさはもちろんのこと、その後続く時間軸としての長さ、決して終わることはないという時間の長さもまた、重要な問題であると改めて捉える必要があります。

次に、こういった被害を、先の未来に出さないためにも、核なき世界の実現をはからなければなりません。日本政府はいまだ核兵器禁止条約に署名・批准をしようとはしません。こういった政府を動かしていく力は私たち市民による原水禁運動にあると考えています。私たちの力で日本政府に、核兵器禁止条約への署名・批准を強く求めていきましょう。政府は他国との関係において、緊張状態を煽ることではなく、平和外交にこそ努めるべきです。武力による対抗路線を歩むことは、いつか来た道を再び歩むことにつながるのではないかと、強い危機意識を感じます。そもそも、恒久平和の実現がしっかりと示されているのが、憲法理念だと考えます。

来年は被爆80年を迎えます。被爆者のみなさんの切なる願いである核廃絶へむけた具体的な運動の展開をはかっていく必要があります。国際シンポジウムでも話のあった「先制不使用宣言・NO FIRST USE」についての議論と理解を深めながら、被爆の実相を原点に「核と人類は共存できない」とする信念にもとづいた原水禁運動を各地域で展開していきましょう。

被爆79周年原水爆禁止世界大会・広島大会「ヒロシマ・アピール」

1945年8月6日午前8時15分、広島に投下された原子爆弾は、強烈な「熱線」、「爆風」、「放射線」のもと、その年の内に14万人もの生命を奪い去りました。あの日から79年、被爆者の高齢化は進み、限られた時間の中で、援護対策の充実と国家の責任を明確にすることが急務となっています。

ロシアによるウクライナ侵攻が終結を見通せません。パレスチナ・ガザ地区では、イスラエルによる空爆など一方的で凄惨を極める攻撃によって、多くの市民、とりわけ女性と子どもの命が奪われ続けています。世界的に混乱が生じている今こそ、米国主導の軍拡路線ではなく、早期の停戦と平和への協議の重要性と日本国憲法のもつ平和理念を全世界に訴える必要があります。

この間、アメリカにおいて、政府高官が広島や長崎での原爆投下を改めて肯定したり、共和党議員が広島・長崎での原爆投下を引き合いにパレスチナ・ガザ地区での核兵器使用を主張したりと、極めて問題な発言が続く中、岸田首相や上川外相をはじめとする日本政府は、明確に抗議の意思を示していません。

岸田首相は、ことあるごとに被爆地広島の選出議員であることをアピールしながらも、戦争被爆国の政府首脳として果たすべき役割、すなわち核抑止論に立ちむかい、核兵器廃絶にむけた具体的な行動をとっているとは言えません。非核兵器保有国が中心となって成立させた核兵器禁止条約の拡大を実現させていくためには、唯一の戦争被爆国である日本が早期批准をすべきです。

東日本大震災・福島第一原発事故から13年が経過しましたが、いまだに「原子力緊急事態宣言」も解除できずにいるにもかかわらず、原発事故の「風化」も懸念されています。

今年1月に発生した能登半島地震は、改めて原発の危険性を明らかにしました。北陸電力志賀原発では、変圧器やモニタリングポストの故障、原子力規制庁の想定を上回る揺れの観測、連動しないとされた断層との連動など、数多くの「想定外」の事態が生じました。そして何より、原発事故と地震災害という複合災害が発生すれば、道路の寸断や集落の孤立、多くの家屋の倒壊・被災で、屋内退避も避難も困難な状態となり、現在の避難計画では住民の安全を確保できないということが明らかになりました。

この教訓を、原発依存・再稼働への強い警告と受け止め、私たちはこれからも全ての原発の廃炉と再生可能エネルギーへの転換を強く求めていきます。

原水禁運動の原点は被爆の実相です。子どもたちに核のない未来を実現するためには、若い世代が積極的に平和運動に参加し、被爆の実相をつなげて、次世代へと継承していかなければなりません。

今年で27年目となる高校生平和大使・高校生1万人署名活動をはじめとした若者たちへの支援は、まさに核兵器廃絶・平和運動の「次世代継承」にとって大変意義深い取り組みです。

これまで積み重ねてきた運動の継続と継承を進め、過去・現在から未来へと「核も戦争もない平和な社会」を届けるべく、これからも原水禁運動を全力で前に進めていきましょう。

ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・フクシマノーモア・ヒバクシャ、ノーモア・ウォー

2024年8月6日
被爆79周年原水爆禁止世界大会・広島大会

【被爆79周年原水爆禁止世界大会・広島大会】国際シンポジウム「核兵器廃絶へ向けた一歩を踏み出すために」

【被爆79周年原水爆禁止世界大会・広島大会】まとめ集会

TOPに戻る