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長崎大会第2分科会 福島原発事故と脱原発社会の選択

2014年08月12日

長崎大会 第2分科会
脱原子力2─福島原発事故と脱原発社会の選択

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藤井石根さん(明治大学名誉教授)から、「エネルギーの視座からの脱原発社会を考える」と題した問題提起を受けました。大飯原発に対する福井地裁判決を紹介していただく形で、脱原発は経済やエネルギーの問題ではなく、人権の問題が第一義である。今の日本は、「経済のために人が存在するかのようだが、人のために経済がある社会に変えていくことが重要だ」と提起された。
この提起を聞きながら、原発問題は「沖縄の基地」問題と共通する課題だと感じました。沖縄の基地問題を東京で論議すると「安全保障」問題になりがちですが、沖縄の方にとっては「人権」の問題であり、沖縄県民の人権を踏みにじることを前提とした安全保障の観点で論議されていると感じるからです。同じように、原発の問題も、経済やエネルギーの問題ではなく、福島を中心とした原発事故被災者の「人権破壊」の現実から論議することが重要だと思います。
澤井正子さん(原子力資料情報室)からは、福島原発事故の現状をお話ししていただきました。「事故の原因が全く分かっていない」「事故の収束の方法さえ見いだせていない」「汚染水の対策も全くコントロール出来ていない」などの現状を示しながら、事故の収束がいまだ困難な状況に置かれていることをお話ししていただきました。また、放射能の拡散状況や自治体の仮役場の設置状況を示しながら、福島県民の人権回復にはまだまだ時間がかかることをお話ししていただきました。
各地報告では、まず福島から被災者の立場で、特に教員の立場から「大人のストレスが子どものストレスにつながっている」現状や「牛乳を飲む、飲まない。給食を食べる、食べない」などの意見の違いもまだまだ残っている、と報告されました。
福島の中の分断ということではさらに大きなものがあると思います。その要因としてあげることができるのは、国の責任が明確でなく、そのため対策も不十分であるために、被災者個人が生きるために自己解決をさせられているからだと思います。原子力政策を進め事故を防げなかった責任は国にあります。澤井さんのお話の中で、放射能の拡散情報を隠蔽し無用な被ばく、防げたはずの被爆をさせたのも国の責任です。この国の責任を認めさせ、健康保障や生活保障の対策を国の責任で行わせる中でしか分断は収まらないと思います。
藤井さんが紹介された、福井地裁判決の「経済活動の自由と、人の生存に係る権利である人格権を比較して論議することは許されない」とする趣旨は、福島の人権破壊の現実から発せられています。脱原発運動のエネルギーは、福島の実態の中にあります。脱原発運動の火をさらに大きな炎に燃え上がらせるためには、東京電力福島第1原発事故による放射能被害、人権破壊の現実を学び広げることだということを、全体で確認したいと思います。
次に、鹿児島から川内原発の再稼働問題について報告されました。避難の問題、火山の問題、活断層の問題について報告されました。福島原発事故でも、避難の際に多くの方が亡くなられたということが澤井さんから紹介されました。問題はそれだけではありません。福島ではいまだ13万人の方が自宅に帰ることができていません。福島県内で避難する子どもたちは、1割しか元の学校に通うことが出来ていないのです。もちろん豊かな自然と共存してきた産業も再生できていません。こうした福島の現実があるからこそ、「豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していること自体が国富であり、これが取り戻せなくなることが国富の喪失だ」と福井地裁判決が言っているのです。
また、原発再稼働のための新規制基準では、過酷事故を想定しフィルター付きベントの設置を義務付けています。「核と人類は共存できない」と言ってきましたが、福島では共存出来ない放射能が生活圏に漏れ出して困っているのです。健康影響も直接の放射線の影響だけではなく、避難による心労やストレスによる健康被害があることが報告されました。そうした現実があるにもかかわらず、過酷事故時に原子炉の爆発を防ぐために放射能を生活圏に放出するベントを付けて再稼働をさせるということですから、再稼働反対は単なるスローガンではく、福島の現実からの訴えであることも、全体で確認しました。
ドイツ緑の党のステフィ・レムクさんからは、はじめに「核兵器と原発を同列に扱ってはならない」との提起がありました。核兵器は人間の殺戮のために使用されるものだが、原子力を使う原発は過ちであり不要なことだ、という区分けをすべきということでした。一つの考え方として受け止めたいと思います。しかし、核兵器は一部の人間の利益のために使用され、大勢の方の生命を奪うものですが、原発も一部の人間の利益のために他者の犠牲を強いるものです。単に、放射能という共通性だけではなく、人権の観点から言っても共通性はあると思います。
原発は事故を起こさなくても、燃料の採掘段階から使用済み燃料の処分に至るまで、あらゆる過程で被ばく労働が強いられます。もちろん事故を起こせば、大量の被爆が強いられます。広島。長崎への原爆の投下から69年たった今、広島・長崎は復興しました。もちろん、被ばくによる後遺症で苦しんでいる方は大勢います。しかし、福島はどうでしょうか。69年たっても、事故の収束さえ出来ないのではないかと危惧しています。避難を強いられている双葉郡は廃墟と化しています。この現実を知りながら、原子力の商業利用である原発を稼働させることは、単なる「あやまち」という言葉では片づけられません。福島の現実をドイツでも広めていただきたいと思います。
また、ステフィ・レムクさんから、ヨーロッパでも、とりわけ原発大国のフランスでさえ反原発の動きが生まれている。エネルギー問題でいえば、世界では原子力はわずか3%であり、再生可能エネルギーが57%。なぜ、福島の事故を経験した日本が原発の再稼働なのか。事業者にとっても、再生可能エネルギーが経済的にも有利なことを理解させ、反原発運動に引き込むことが必要だ、との提起をいただきました。この考え方には学んでいきたいと思います。
しかし、再生可能エネルギーが進まないのは、国策として原子力エネルギーを推進してきたからであり、ステフィ・レムクさんが指摘されたように技術的な問題ではありません。この国策を変える必要があるのです。そのためには、日本は原発事故を経験しましたから、ステフィ・レムクさんの言葉通りに学ぶということではなく、やはり福島の現実を踏まえる必要があります。被災者の人権回復に要する費用、事故の収束に要する費用、国富の喪失を回復するための費用、使用済み燃料の処分に要する費用など、具体的な事実から事業者に訴えていくことが必要であり、国策を変更させる勢力に引き込んでいくことが必要と考えます。
最後に、会場から原水禁運動の歴史と論点整理についての要請がありました。広島・長崎の被爆者運動から生まれた3つのホショウ(過去に対する補償、現在に対する保障、未来に対する保証)の観点に立つ、被爆者援護法制定運動に学んでいきたいと思います。まだまだ、討論の過程にありますが、この被爆者援護法制定運動に学び、「原発事故被災者支援法(仮)」の制定に向けた論点整理が、原水禁運動に求められていると思います。来年の70周年大会に向け、しっかり議論していくことを確認しました。
(報告=東北ブロック・菅原晃悦)

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