2013年分科会報告原水禁大会原水禁大会 2013年

【68大会・報告】長崎第8分科会/見て・聞いて・学ぼう ”ナガサキ” –入門編–証言と映像による被爆の実相と平和運動交流

2013年08月08日

長崎第8分科会.JPG

分科会冒頭、次世代への継承と被爆者の証言を中心に編集された「君たちはゲンバクを見たか」のビデオを見た。

山川剛さん(被爆教職員の会)の被爆体験講話
 分科会に参加した若い人たちに何かを伝えなければと思う。
私たちの被爆体験は、単に悲しい話なのか?それとも昔話なのか?
もし違うとするなら何が違うのかを考えてもらいたい。

○ 戦時中の東京銀座の写真。日本人ならぜいたくは出来ない筈だ!のスローガンが写っている。
戦争前に、ぜいたくの例示を政府が詳細に国民に示した。それに反すると「お前、それでも日本人か」「非国民」と批判された。世の中は息苦しくなる。思ったことを言うと死ぬかもしれない。一番悪い人間は、戦争に反対する人間。

○ 母親による竹槍訓練の写真。当時は女学生も同じ竹槍訓練をしていた。
戦争になったら、学校は人の殺し方を教えていた。女学生を指導している教師は、敵に見立てたわら束を使いをこうやって殺すのだと指導していた。

○ 鬼畜米英と書かれた写真。
国民学校の黒板の上に張られていた。学校では、見た目は人間だが中身は鬼であると教えられた。こいつらに捕まったら殺されると教えられた。

○ 米兵が写した女性が投身自殺をしている写真。
敵に捕まらないために60メートルの断崖から飛び降りるしかなかった。敵に捕まるなと教えられた結果である。そして「お前達の命は鳥の羽より軽い」だから「お国のために命を捧げれ」と教えられた。

○ 山川さんが国民学校一年生の時に「ノボルアサ日」「ヒノマル」「ツヨイカラダ」「クニヲマモレ」と書いた習字の写真。
小学校で話をするとき、戦争は命がけだが、平和を守るにはもっと命がけだと話している。

○ 1945年の長崎市地図。
長崎は東と西の山に挟まれた谷間が被爆地である。広島より長崎の原爆の方が強力であるが、被爆者は広島の方が2倍である。それは地形が関係している。
私は爆心地から4km離れた場所で被爆した。グラバー園の近くで、何も遮る場所がなかった。8月9日、朝ご飯を食べて外に遊びに出ていた。波止場で遊んでいたら、急に空襲警報がなったので町の横穴式の防空壕に避難した。空襲で一番怖かったのは機銃掃射だった。夏でも怖くて体が震えた。小さな子どもだったが今日死ぬかもしれないと真剣に思っていた。以外に早く警戒警報となったので、防空壕の入り口から少し離れたところで遊び始めた。その後、警報はならなかったが鐘がなって「敵機!」と叫ぶ警防団の声が聞こえた。B29が近づいてきていた。手に持った泥まんじゅうを下に置いた瞬間に、原爆が落とされた。あまりの光に周りの風景が一瞬見えなくなった。何が起ったのかを考える間もなく防空壕に飛び込んだ。左に熱線を感じていた。幸い爆風を受けなかった。

○ 軍隊の建物のコールタールの板壁に写っている梯子と人の陰の写真。梯子と人は熱線の直撃を受けている。
○ 原爆投下数日後の国道206号線の写真。平和公園から南向かいに写している。田舎の家に避難する途中で撮影。
○ 8月7日の上空から写した長崎の写真。上下に浦上川が流れている。
○ 原爆投下後に上空から写した長崎の写真。風景が完全に変わっている。

私たちは被爆者と呼ばれている。私たちの願いは、二度と被爆者をつくらないことにつきる。それは核兵器ゼロという願い。今1万7千発の核兵器がある。仮にそれが1発になったとした時、「1発ならいいか」を問いたい。広島も長崎も1発の原爆で被爆者を出した。1発ではなくゼロではなければならない。
広島、長崎に原発が投下された時、日本は戦争中であった。日本は、68年間戦争をしていない。日本は世界ではじめて、国に対して戦争をさせないという憲法を持っている。しかしコスタリカは、160年戦争をしていない。スイスは間もなく200年。スウェーデンは最長で200年。なぜそんなに戦争をしていないのか?何か平和の秘密があるはずである。是非みなさんに平和の秘密に迫ってほしい。世界で20カ国以上が軍隊を持っていないこともわかっている。戦争は必然ではない。戦争は絶対にしなくてはいけないものではない。
軍隊がなければ平和を守れない。軍事力で平和が守れるなら世界はすでに平和になっている。「そんなことができるはずがない」との思いが、すべてを無にする。「私たちは微力だけど、無力じゃない」との高校生平和大使の言葉に希望を託したい。

西岡由香さん(漫画家)の講話
3・11を経験して原爆を漫画で描いていたが、原発を描いてこなかったことを後悔した。今日は、原発を題材にした漫画を元に話をしたい。

○ 福島第一原発事故の写真
1ミリシーベルト/年を超える土地が国土の3%になっている。
福島では「レントゲン室に避難しようか」という冗談が言われている。
福島駅前ですらレントゲン室よりも放射線量が高い。

○ 福島第1原発均衡の野球場の写真。除染でたまった汚染土の袋が大量に写っている(2013.3.11)。
今、汚染水が問題になっている。なぜ、海に漏れているのかは不明である。ようやく国も対策を取り始めたが、行き詰まっている。
2年前に刑事告訴をした。やっと福島高裁が受理をした。

○ 2年前の飯舘村の写真
112マイクロシーベルトであった。生き物の本能が、ここが危険であると発していた。ここに子どもを置くことは犯罪行為ではないだろうか?
原発の安全性は、技術面と制度面がある。技術面の対策をしても制度面が不十分であれば同じ事故を繰り返すであろう。再稼働には賛成できない。原爆と原発はつながっている。材料が同じである。

続いて「原子や放射線」「なぜ人体に悪影響を与えるのか」「子どもの方が影響が大きい」「人体へ影響を与える放射線量のしきい値はない」「自然放射線に人工放射線が加わることの害について」「放射線の影響を受けやすい臓器について」などをスライドや風船を使って原発の問題について平易に解説していただいた。

○ 再生可能エネルギーの活用が脱原発への希望となる。
風力発電、太陽光発電、地熱発電、バイオマス発電、小水力発電、波力発電、潮汐発電などが再生可能エネルギー。日本は自然エネルギーの宝庫である。自分たちの住む地域を安心・安全な場所にしよう!という考えに転換したい。例えば山王自治会(兵庫県丹波市)では自治会発電が始まった。小田原市役所(神奈川県)の太陽光パネルの設置と小水力発電への準備をすすめている。梼原町(高知県)では、風力発電とペレットの生産しバイオマス燃料で福祉施設の電気を賄っている。また小水力発電の電気は中学校と街灯で使用している。
私たちは、自分たちの生活の向こうで被曝者を出さない暮らしをすべきである。自分たちの生活や地域に何かが無いと言うマイナスの思考を止めたい。仲間づくりは平和をつくること、次世代へたすきをつなぐことである。

TOPに戻る