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報告 原水禁大会・福島大会で被災地をフィールドワーク

2012年07月29日

飯舘村.JPG南相馬市.JPG

被曝67周年原水爆禁止世界大会・福島大会の参加者は、7月29日に、大震災と福島原発事故で被災した飯舘村、南相馬市の視察を行いました。竹中柳一県平和フォーラム顧問などの案内のもと、46名が参加しました。
飯舘村が近づくにつれて、参加者全員に渡された線量計の音が高くなり、数値も毎時2マイクロシーベルト前後になってきました。全村避難をしている飯舘村では、人の姿もまれで、静かに家や商店の建物だけが佇み、田んぼや畑は雑草が伸び放題となり、隣町との差が歴然としています。
村の中で空き巣などの防止をしている「飯舘村見守り隊」な方の話では、24時間3交替で各地区を毎日見回っているとのこと、「事故さえなければ、本当に美しい村なんです」と語られました。参加者は村内の飯樋小学校や飯舘村公民館でバスを降りて、放射線量の測定を行いましたが、コンクリートの上に比べ、草むらや用排水路周辺の線量が異常に高いことに改めて事態の深刻さを確認しました。(写真左は放射線計測をする参加者)
途中では農地の除染の実験現場もありましたが、山間地域の除染はまだ手つかずの状態とのことで、村がいつ元に戻れるか、見通しが立っていません。

次に、最近まで原発から20キロメートル圏内として、立ち入り禁止措置が取られていた南相馬市小高地区を視察しました。ここは年間20ミリシーベルト以下の線量であることから、4月からは避難指示解除準備区域となり、立ち入りが可能になりました。しかし、1年以上、立ち入りが禁止されたため、家や農地にはガレキや壊れた車が放置され、手着かずの状態が続いています。(写真右)
一方、同じ津波被害を受けても、20キロメートル圏外の地区ではガレキの片付けも終わり、広大な農地の跡地は太陽光発電のメガソーラーの建設計画地区となっていました。海ではサーフィンをする若者もいました。
案内者の竹中さんは「ガレキの片付けなどのため、人が集まって、ホテルなどは満杯状態だ。しかし、商店や病院では働き手が避難して、人手が不足している。高速道路も鉄道も再開できず、南相馬市周辺の交通の便がかなり悪い」と状況を説明しました。さらに竹中さんは「全国には50基を越える原発があり、いつでも福島と同じ状況になる危険性がある。全国のそれぞれの地で脱原発の運動を強めてほしい」と訴えました。

 

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