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【ニュースペーパー2012年2月号】原水禁関連記事
2012年02月01日
●初めて原発反対の声が多数派になった
ルポライター、「さようなら原発1000万人アクション」呼びかけ人 鎌田 慧さんに聞く
●試験再開に動き出した六ヶ所再処理工場 「建設中止」を強く求めていこう
●政府のエネルギー政策の検討の動き どうなる原子力政策の見直し
●核兵器廃絶への絶えざる運動を イラン核武装疑念への過剰反応を考える
初めて原発反対の声が多数派になった
ルポライター、「さようなら原発1000万人アクション」呼びかけ人 鎌田 慧さんに聞く
【プロフィール】
1938年青森県弘前市生まれ。県立弘前高校を卒業後に上京し、零細工場やガリ版印刷の会社で働いた後、早稲田大学第一文学部露文科に入学。大学卒業後、鉄鋼専門紙記者や雑誌編集者を経てフリーライターとなる。トヨタ自動車の期間工の経験をもとに『自動車絶望工場』を発表、注目を集める。以後、被差別者・底辺労働者など、弱者の立場に拠ったルポルタージュを数多く執筆。1990年『反骨 鈴木東民の生涯』で新田次郎文学賞受賞。1991年『六ヶ所村の記録』で毎日出版文化賞受賞。原発問題では『日本の原発地帯』(潮出版社1982年、のち河出文庫、岩波同時代ライブラリー)、『原発列島を行く』(集英社新書 2001年)など。新刊は『原発暴走列島』(アストラ)、『さようなら原発』(岩波書店)。昨年、「さようなら原発1000万人アクション」を呼びかけ、講演などで全国を駆け回っている。
──高校や東京に出てこられた頃はどんなことをされていましたか。
弘前高校は旧制中学の伝統からか、授業をサボっても平気なところがあって、私もほとんど授業を受けず、学校の勉強はまったくだめでした。東京に出て、最初は鉄工所で働きましたが、精密な作業があわず、すぐにやめ、ガリ版印刷の会社に入りました。ところが、労働組合をつくったら、経営者が偽装倒産をさせたので、職場を2ヵ月半の間占拠して、都労委で和解を勝ち取りました。
そんなことを経験するうちに、労働問題のことを書きたくなり、大学に入ることにしました。ちょうど、60年安保の年に入学したので、勉強もできず、クラスでストライキ決議をして、国会へのデモを連日やっていました。私もよく演説しましたが、どもりがあって「そのどもりさえなければいい演説なのに…」と教授からも言われたものです。
──大学を出られてからルポライターになられるわけですね。
卒業後、「鉄鋼新聞社」という専門紙の記者を1年半ほどやりました。当時は東京の下町にも鉄鋼所がたくさんあって、よく回りました。それから雑誌の編集者を1年ほどやり、それも飽きたので、68年にフリーのルポライターになりました。
最初に長崎県の対馬での亜鉛工場によるカドミウム中毒(イタイイタイ病)の問題を取材しました。会社などの取材拒否も受けましたが、70年に『隠された公害』というデビュー作を出して、公害隠しを明らかにしました。国会でも取り上げられ、結局、汚染された田畑は覆土され、復旧しました。
──鎌田さんが様々な現場を体験してきたことが、「弱者」の視点から「強者」を告発するルポルタージュにつながっているようですが、その後、原発問題に取り組まれますね。
高校卒業後から、様々な町工場で働き、首になったりしたことで、労働者としての権利に目覚めたことは確かです。中小企業での人権闘争が盛んな頃でしたし…。それで、2冊目に八幡製鉄所の労働問題のことを書き、3冊目が『自動車絶望工場 ある季節工の日記』でした。
その頃、全国的に「開発」が声高に叫ばれ、青森では「むつ小川原開発」が騒がれ始め、取材に行きました。1969年に策定された新全国総合開発計画(第2次全国総合開発計画)をもとに、大規模工業開発の候補地として、苫小牧やむつ・小川原、鹿児島の志布志湾などが挙げられていました。72年の田中角栄による「日本列島改造」でさらに拍車がかかりました。しかし、それらの計画は、73年からのオイルショックで挫折しました。むつ小川原でも5,500haの土地が買収されましたが、結局、石油備蓄基地を六ヶ所村につくっただけでした。
ところが、69年から六ヶ所村に原子力関連施設をつくる計画も密かに進んでいたのです。再処理や濃縮ウラン工場、放射性廃棄物貯蔵所などの計画がありました。85年になって、核燃料サイクル基地が発表されますが、その前から計画されていたものを、県知事が隠していたのです。『六ヶ所村の記録』で、そのような歴史を追及しました。
その後も原発を追って、柏崎・刈羽(新潟)や伊方(愛媛)など、各地の取材に行きました。確か75年頃だったと思いますが、僕と樋口健二さん(写真家)、高木仁三郎さんの3人で、高校の先生向けに原発問題のスライドをつくったこともあります。でも、これはあまり売れなかったようですが…(笑)。
──高度経済成長で、日本のGDPは大きく伸びましたが、その結果、原発など様々な問題も引き起こしてきました。
資本は外縁的に広がっていくものなのです。経済成長は、最初は四大都市から始まり、各地に新産業都市をつくりました。それから、末端の地域に向かうわけです。しかし、同時にアジアにも向かうことになって、韓国の馬山やタイ、マレーシア、香港にも進出するようになります。低賃金で土地が安く手に入る所に資本は動いていくわけです。その間に挟まれていた地域が六ヶ所村だったのです。開発が失速する中で、核センター構想が急浮上したのです。
特に原発は社会のモラルを壊し、人間の心を乱したことが問題だと思います。電源立地三法交付金がばらまかれ、原発に依存しなければ地域が成り立たないような体質をつくってしまいました。いわばアヘンのようなものです。だから、あんな重大な事故が起きても原発の再稼働を求めているのです。それに多くの業者が利権を握っていたり、天下りなど政官財が癒着した体質があります。「国策」という名で進められ、必ず電力会社が儲かる総括原価方式で電気料金が決められるなど、官民癒着の腐りきった体質になっています。
──そうした中で、福島原発事故があり、9月19日には6万人もの人が集まりました。これからの脱原発運動の展望をどう考えていますか。
私は60年の安保を知っています。あのときは運動にどんどん人が集まってきました。今回もそれに似て、かつてないほどの人たちが集まりました。ぜひ、もう一度やりたいと思います。そのためには、垣根を低くすることです。これまでの運動は、ともすると労働組合の内側だけの運動が主でした。国鉄民営化反対闘争がありましたが、必ずしも地域での広がりは無く、組合中心が多かったと思います。関係者だけの運動では広がらないのです。
9.19さようなら原発集会で発言する鎌田さん(明治公園)
幸い、原発については、圧倒的に多くの人が反対しています。運動をやればやっただけの反応があります。一人ひとりが活動家になって広げていくしかありません。一般の人がどんどん入れるような運動のあり方を考えていきましょう。集会がおもしろく、入りやすいものにする工夫も大切です。地域集会でも、組合員だけの集会ではなく、市民が入りやすい運動をつくる努力をしましょう。
もう一つは、マスコミだけが情報を独占する時代が終わったということです。今はインターネットで情報が広がっています。こうしたネットワークを活用してどう運動をつくれるかが大事になっています。集会などを見ていても、いろいろな人がいることで、豊かな感じがあらわれています。
いま、歴史的に初めて、原発反対の声が多数派になっているのです。これで政治的に決着をつけられなかったら運動側が問われます。脱原発を成功させて、うまい酒を飲みたいものです。自信を持ってがんばりましょう。
〈インタビューを終えて〉
Fさんと言う古い友人がいる。神奈川の大手自動車メーカーに勤務し、労働者の正当な権利を行使して解雇された。わずか数人の仲間とともに、解雇撤回を勝ち取り、労働者の権利確立に闘った。中学校卒業から夜間高校を出て、自動車メーカー一筋で無事退職した。彼の長い労働者としての闘いは、ほんの一握りの人しか知らない。鎌田さんは、東京新聞のコラムで彼を「労働者の鏡」と賞した。私は、そんな鎌田さんが好きだ。権力と闘い、不当な企業論理と闘い続けてきた鎌田さんが好きだ。そんな人だから、「脱原発」も本物だ。
(藤本 泰成)
試験再開に動き出した六ヶ所再処理工場
「建設中止」を強く求めていこう
原子力政策そのものが見直されようとする中で
日本原燃㈱は、2008年から事故により中断していた六ヶ所再処理工場のガラス固化施設に関わるアクティブ試験再開に向けて、1月4日、ガラス溶融炉の熱上げの準備作業を開始しました。1月中旬には試験が再開されようとしています。さらにMOX燃料工場の建設も今春から再開する意向を表明しました。このような動きに対して枝野幸男・経済産業大臣は、「国が承認する、しないという段階ではない」として、試験再開になんら注文さえつけることなく、事実上黙認しています。
しかし福島原発事故によって、エネルギー環境会議や新原子力政策大綱策定会議などで原子力政策そのものが見直されようとする中で、六ヶ所再処理工場を含めた核燃料サイクル路線の見直しも議論されています。核燃料サイクルの中核を担う高速増殖炉の原型炉である「もんじゅ」の予算も大幅に減額され、次年度での試験再開はできなくなり、高速増殖炉開発そのものが実質的に困難となりつつあります。その中で六ヶ所再処理工場は、存在意義そのものが問われています。今回の試験再開は、既成事実の積み上げをはかることによって、プルトニウム利用政策の見直し議論の広がりを抑えようとするものです。
「反核燃の日」集会で発言する竹中柳一・福島県平和フォーラム代表
(2011年6月4日・青森市)
再処理をめぐる状況は大きく変わった
六ヶ所再処理工場が停止していた3年の間に、原子力をめぐる状況は大きく変わりました。昨年3月11日に発生した東日本大震災を受けて、福島第一原発では、水素爆発や大量の放射能を放出するなど、日本の原発事故史上最悪の事故を引き起こしました。さらに地震により女川原発、東海原発、六ヶ所再処理工場なども緊急停止や電源喪失など「あわや」という状態を招いていました。各地の原発も津波や耐震の見直し、避難区域の拡大など、これまでにない情勢の変化がありました。
さらに核燃料サイクルをめぐっては、もんじゅの研究開発の見通しがさらに悪化し、頼みのプルサーマル計画も「2015年までに16基~18基の原発で実施」という計画は、原発の再稼働さえままならない状況の中で、もはや「幻の計画」となっています。プルトニウム利用計画そのものが「破たん」しています。その現実をしっかり直視する必要があります。
最大スポンサーの東電は支えられるか
六ヶ所再処理工場を動かすことによって、これ以上プルトニウムを生産し続けることに何の意味があるというのでしょうか。国際公約として余剰プルトニウムを持たないというこれまでの立場との矛盾が拡大するばかりです。国民に納得できる説明もないまま見切り発車することは、ますます日本の原子力政策に対する不信を高めるもので、原子力推進派の傲慢さを表しています。今回の枝野経済産業大臣の傍観者的な態度も問題です。
さらに六ヶ所再処理工場を支えている最大のスポンサーは、福島第一原発事故を起こした東京電力です。全体の4割とも言われています。その最大のスポンサーは、いま福島第一原発事故の賠償さえままならない状態で、「東電解体」まで言われています。今後も安定して六ヶ所再処理工場を支えていけるかどうかもまったくもって不透明です。不安定な経営状況を抱えて六ヶ所再処理工場が今後も「商業工場」としてやっていけるのか。その答えは明らかです。
六ヶ所再処理工場をめぐる状況の変化を見れば、再処理再開の大義などありません。むしろ国民的合意なき再処理政策の推進に、傲慢さと無謀さを感じます。これ以上「ムリ・ムダ・キケン」な再処理工場の建設に、貴重な私たちの電力料金をつぎ込んではなりません。六ヶ所再処理工場の建設中止を、今後も強く求めていきましょう。
政府のエネルギー政策の検討の動き
どうなる原子力政策の見直し
夏頃にも戦略決定のスケジュール
昨年の原発震災以降、急務となったエネルギー政策の再検討ですが、政府の原子力政策を含むエネルギー政策の検討体制としては、国家戦略会議の「エネルギー・環境会議」の下に、「経済産業省資源エネルギー庁総合資源エネルギー調査会」の「基本問題委員会」と、「原子力委員会」とその中に「新原子力政策大綱策定会議」が置かれ、これらより報告を受けながら、ベスト・エネルギー・ミックスの議論などが進められています。
一方、11月に第一回会合を開いた「電力改革及び東京電力に関する閣僚会合」では、原発問題の他、発電・送電分離などの電力事業改革等を検討するとしています。この二つの政策決定の構造が、連携して検討を進めるとなっていますが、実質的な権限は閣僚会合が握るというのが一般的な見方のようです。また、業界に詳しい電気新聞では、外向け会合とは別に、内部の少人数で実質的な議論を進める構えと報道しています。
また、議論の前提ともなるべき「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検討委員会」の報告は、その中間のものでも750ページもの大部になりましたが、昨年末に出たばかりです。
検討のスケジュールは、「エネルギー・環境会議」がベスト・ミックスの基本方針を示し、春頃、エネルギーシフト、核燃料サイクルの選択肢を提示、これを受けて、国民的議論を開始、夏頃、「革新的エネルギー・環境戦略」を決定するとされています。
もともと原子力政策の基本を検討していた、原子力委員会の「新大綱策定会議」の作業は、原発震災を受け中断していましたが、9月に再開されてから、非常に早いペースで進められています。夏をめどに「戦略」を策定することになっている「エネルギー・環境会議」のスケジュールに合わせようということなのでしょうが、複雑な構図の下、原発震災を受けた原子力政策の見直しがきちんとなされるのかどうか、見極めることが必要です。この春から国民的議論を開始するというのですから、官僚主導によって議論のチャンスを失わないように、各会合で出てくる膨大な資料を含めて、注目していなければなりません。
過小に見積もられる原発コスト
「新大綱策定会議」が作業するはずだった、核燃料サイクルコストについての試算は、原子力委員会に設けられた「原子力発電・核燃料サイクル技術等検討小委員会」が行い、10月25日には、福島第一原発事故を踏まえて事故リスクをコストに反映させた試算を示しました。これは、1kWhあたり1.2円上昇というあまりに過小評価された金額が報道されましたが、試算のもとになった想定の、例えば福島原発事故の損害費用見積もり約5兆5,000億円は、すでに明らかになっている東京電力による損害賠償額を参照しているにすぎず、除染費用、放射性廃棄物処理等の行政費用、自主避難および汚染地域に残っている人への賠償費用、晩発性障害への賠償費用等が含まれていません。
事故収束・廃炉の見通しも未だ立っていない中で、福島第一原子力発電所1~4号機の廃炉費用追加分が約9,600億円と、非常に過小な見積もりです。同委員会の参考資料にも48兆円の損害費用が提示されており、実際は1~2桁違うのではないかと言われています。
社会的費用を加味した確実な評価を
このように、前提条件でコストは大きく異なります。前提、計算手法、根拠となる考え方やデータの開示、透明性が大事です。小委員会の報告を受けた、エネルギー・環境会議のコスト等検証委員会では、12月19日に報告書を公表。エネルギー・環境会議の「基本方針」も21日に出されました。
検証委員会報告書には、その考え方として社会的費用を加味すると謳われています。事故リスク対応費用や政策経費も一部試算に含めたようですが、例えば核兵器物質プルトニウムなどを扱う核燃料サイクルでのテロの想定はどうなのかといったことも気になるところです。さらには、高速増殖炉や使用済み核燃料再処理などの巨額の技術開発費用や、原発等いわば迷惑施設の立地コストである各種交付金や寄付金なども本来含まれるべきでしょう。エネルギーの未来を決めるこれからの国民的議論の中で、確実な評価が必要です。
また、議論の前提ともなるべき「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検討委員会」の報告は、その中間のものでも750ページもの大部になりましたが、昨年末に出たばかりです。
検討のスケジュールは、「エネルギー・環境会議」がベスト・ミックスの基本方針を示し、春頃、エネルギーシフト、核燃料サイクルの選択肢を提示、これを受けて、国民的議論を開始、夏頃、「革新的エネルギー・環境戦略」を決定するとされています。
もともと原子力政策の基本を検討していた、原子力委員会の「新大綱策定会議」の作業は、原発震災を受け中断していましたが、9月に再開されてから、非常に早いペースで進められています。夏をめどに「戦略」を策定することになっている「エネルギー・環境会議」のスケジュールに合わせようということなのでしょうが、複雑な構図の下、原発震災を受けた原子力政策の見直しがきちんとなされるのかどうか、見極めることが必要です。この春から国民的議論を開始するというのですから、官僚主導によって議論のチャンスを失わないように、各会合で出てくる膨大な資料を含めて、注目していなければなりません。
核兵器廃絶への絶えざる運動を
イラン核武装疑念への過剰反応を考える
予測できない米国によるイラン制裁
沖縄・普天間問題解決の展望もなく、福島第一原発事故の収束もはっきりしない中で、年が明けました。現在、焦点の一つはイラン核開発問題です。昨年11月18日、国際原子力機関(IAEA)理事会がイランの核開発に深刻な懸念を表明する決議を賛成多数で可決して以来、欧米や日本のマスコミがすぐにもイランが核兵器を保有するかのように伝えています。
昨年末、ユダヤ系団体の会合に出席したオバマ米大統領は「絶対にイランの核武装は阻止する」と語り、さらに1月1日、米国でイランの金融・エネルギー部門と取引する企業への制裁強化を柱とする対イラン制裁法案に署名、成立させました(但し半年の猶予期間を置く)。
この新法によって、イランから石油を輸入している銀行がドル決済すると、その銀行は米国ともドル決済ができなくなるため、事実上イランと石油取引はできなくなります。一方のイランは、制裁新法が発動されれば、ホルムズ海峡を封鎖するとして、年末から年初にかけて大規模な軍事訓練を開始しました。
イランの石油の禁輸は米国にはほとんど関係なく、影響を受けるのはEU、中国、インド、韓国、日本などです。しかし、中国は人民元とイラン通貨・リアルとの相互決済を早くから始めていて、当面ドル決済に頼る必要はありません。インドは企業にイランとの取引を停止する必要はないと通達を出し、米国に制裁の解除を求めています。韓国もイラン石油の禁輸は自国経済の死活問題だとして、韓国を例外にするよう求めています。日本だけが訪米した安住淳財務相発言のように、早々と協力姿勢を打ち出しています。
ではイランは本当に核兵器製造に進んでいるのでしょうか。今年1月8日に米CBSテレビに出演したパネッタ米国防長官は「イランは核兵器を開発していない」と明言しています。イランの核武装の疑念とイスラエルのイラン攻撃説は早くから出ていますが、米軍のイラク完全撤退が確定すると、一挙にイランの核武装説が高まってきました。イスラエルは米軍のアフガン撤退も近いこと、今年開催される予定となっている中東非核化会議やエジプトの選挙結果などに危機感を強めていると考えます。またオバマ政権が、軍事費の大幅削減を打ち出したことに危機感を持つ軍産複合体なども、イスラエルと軌を一にして動いているのではないでしょうか。オバマ大統領がどこまでイラン制裁を貫くのかは予測できず、したがって不測の事態への懸念も高まっていると言えます。
オバマ政権下で続く核開発
米国は昨年11月16日に、Zマシンという装置を使って高温、高密度のX線を発生させ、プルトニウムの反応を調べる実験を行ったことが、1月初めに明らかになりました。これはオバマ政権が進めている、老朽化した核兵器の寿命延長計画(LRP)のための実験です。
米国は昨年10月26日にB-53という水爆の最後の1発を廃棄したと報じられましたが、現在の核爆弾はブースター型と言われ、仕組みは水爆と似通っていますが、円形のプルトニウムの内部に、重水素(D)と三重水素(T)の混合ガスを入れ、まずプルトニウムを核分裂させ、発生する高温、高密度のX線で核融合(DT反応)させ、発生する大量の中性子で、ほぼ全てのプルトニウムを核分裂させる爆弾です。プルトニウムの代わりにウランを使っても、同じ原理で爆発します。
現在、広島型のウラン爆弾はどの国も製造していないでしょう。長崎型のプルトニウム爆弾も、爆縮(内側へ向かう爆発)という難しい技術を開発してつくられましたが、この爆弾の問題は、最初の爆発で大部分のプルトニウムが飛散してしまい、核分裂連鎖反応が続かないため、破壊力に限界があることでした。こうして水素爆弾が開発されたのです。原理は、核分裂―核融合―核爆発ですが威力はもの凄く、先に述べたB-53は広島原爆の560倍もの破壊力を持っていました。
しかしこのような核爆弾は、一旦使用すれば世界に回復不可能な破壊をもたらすだけでなく、核の冬(立ちのぼる大量の塵埃で何ヵ月も太陽光が遮られ、世界中が極寒の世界となり、植物は全滅する)によっても世界の破滅を招くため、使用不可能なのです。
核保有国は、破壊力を調整できるブースター爆弾の開発へと進んでいったのです。現在では一定の核技術があり、核武装するとの意思さえ持てば、どの国でも核兵器保有が可能なのです。イランも核兵器保有の意思があるかどうかの問題ですが、現在イランに、その意思はないでしょう。核兵器保有国自らが核兵器廃絶の方向をめざさない限り、こうした問題は今後も続く恐れがあります。日本もその一つです。
脱原発と核兵器廃絶運動を今年も進めましょう。