2026年、声明申し入れ
【原水禁声明】東京電力福島第一原発電事故から15年 事故はいまだに終わっていない
2026年03月11日
3月11日という日を迎えるにあたり、東電福島第一原発事故の教訓と現在の課題をあらためて共有するため、原水禁は以下の声明を発出しました。
東京電力福島第一原発電事故から15年 事故はいまだに終わっていない
2011年3月11日に発生した東日本大震災。マグニチュード9.0という日本周辺における観測史上最大規模の地震によって大津波が発生し、多くの人も街も、それまでの生活のすべてをのみこむ甚大な被害をもたらしました。震災によって亡くなられた1万5900人を超えるみなさまに心から哀悼の意を表します。今も行方のわからない方が2519人いるとされ、避難中に体調を崩すなど、この15年の間に災害関連死と認定された方は3810人にのぼります。(人数は警察庁・復興庁まとめ)
震災発生当時、東京電力(東電)福島第一原子力発電所(原発)は1号機から3号機が運転中で、4号機から6号機は定期検査中でした。「想定外」とされた大津波によって全電源が喪失し、1号機から3号機は炉心溶融(メルトダウン)が起きました。その影響により水素が大量発生した結果、1号機・3号機・4号機が水素爆発を起こし、原子炉建屋、タービン建屋および周辺施設が大破しました。映像によって水素爆発の様子が報じられ、わが目を疑う事態が起きていることに私たちは大きな衝撃を受けたのです。
周辺住民の混乱は、筆舌に尽くしがたいものがありました。津波による被害から逃れるために着の身着のまま避難していた多くの住民は、そのまま自宅に戻ることもできず、行方不明の家族や親族等を探すこともできないままに避難を強いられました。目に見えない放射能におびえ、寒さに身を震わせながらの避難は大変なことでした。さまざまな報道がなされ、原発事故から避難することがどれほど過酷で残酷であったかを、私たちは目の当たりにすることになったのです。その衝撃は15年経った今でも決して色あせることはありません。まして2万3000人を超える福島県内外に避難を強いられ続けている住民の心情を思うとき、言葉にはならない強い憤りと不安を抱かざるにはいられません。
東日本大震災から15年。復興する各地の様子が報じられることも多くなりました。しかし、避難指示・避難準備に指定されていた地域では住民の帰還率は20%にも満たず、いまだ復興とは程遠い状況にあります。東電福島第一原発事故は発生から15年経った今も、決して終わることはありません。それどころか、安全な廃炉に向けた道のりは遠く、多くの困難が待ち受けていることが明らかになっています。放射性物質に汚染された除染土(汚染土)は現在、福島県内の中間貯蔵施設に保管されていますが、2045年までに福島県外で最終処分することが決定しています。その行先はいまだ明らかになっていません。1号機から3号機にある核燃料デブリは約880トンとされていますが、試験的に取り出せたのは約0.9グラム、わずか「10億分の1」という現状です。それでも国と東電は「廃炉措置」を2051年までに完了させるというロードマップを提示し続けています。
政府の「原発回帰」政策は、これらの現実を直視しているのでしょうか。収束の見通しが不透明でありながらも、核燃料デブリを取り出し、2051年までに「廃炉措置」が実現できると強弁をふるい、過酷な避難を強いられた住民への医療費等の補助を打ち切り、事故の被害を小さく見せようとしています。まるで原発事故は終わったと言うかの如く、再び原発推進に舵を切り、避難者を切り捨てる政府の方針は、決して許されません。
東日本大震災・東電福島第一原発事故から15年を迎えるにあたり、原水禁は改めて命の尊厳と向き合う政策を政府に求めるとともに、「核と人類は共存できない」という理念の実現に向け、とりくんでいきます。原発に頼らない未来を描き、核エネルギーからの脱却を実現するその日まで、私たち原水禁運動の歩みを続けていく決意です。
2026年3月11日
原水爆禁止日本国民会議(原水禁)
共同議長 川野浩一
金子哲夫
染 裕之
