被災72周年3.1ビキニ・デー全国集会を開催しました
2026年03月03日
原水禁は3月1日、静岡市・静岡労政会館ホールにおいて「被災72周年3.1ビキニ・デー全国集会」を開催し、全国から約160人が参加しました。
本集会の司会・進行は、第27代高校生平和大使(静岡選出)の谷河優那さんが務めました。
はじめに染裕之・原水禁共同議長が主催者あいさつ。イスラエル・アメリカによるイラン攻撃(2月28日)について、イラン核保有阻止を理由に行われていることをまず批判しました。核兵器廃絶に向け、4月末に開催予定の核拡散防止条約(NPT)再検討会議を重要な機会として原水禁としても代表団を派遣するほか、「核兵器廃絶1000万署名」などにもとりくんでいくとしました。激動の国内外の情勢にあって、しっかり前を向いてとりくむことを呼びかけました。
開催地・静岡を代表して静岡県平和・国民運動センターの福井淳会長があいさつ。ビキニ事件の犠牲者となった故・久保山愛吉さんの「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」とことばは過去のものではなく、現在も私たちのなかに息づいているものだと述べました。今日の集会と明日の墓前祭の2日間のとりくみのなかで核兵器廃絶に向けた私たちの決意をあらためてうち固めていくことを訴えました。
フォトジャーナリストの豊﨑博光さんから「ヒバクシャと核被害」をテーマに講演を受けました。豊﨑さんは1970年代から世界各地を取材してきた経験をお持ちです。豊富な写真や資料を交えて、世界のヒバクシャと核被害の実態を紹介されました。
ビキニ環礁での核実験で「第五福竜丸」のほかにも周辺海域を航行していた多くの日本漁船が被爆しましたが、そのことはあまり知られていません。
また、核実験が繰り返された太平洋諸島の人びとには当然のように被爆が強制されましたが、米軍兵士にも多くの被爆がありました(アトミック・ソルジャー)。そしてウラン採掘の過程では先住民族の居住地域が残渣で汚染されましたが、採掘作業を担った先住民族の人びとが多量の被曝をしています。こうした構図はアメリカだけではなくロシア(旧ソ連)、イギリス、フランス、中国といった核保有国すべてでみられます。
核兵器は植民地主義や人種差別と深く繋がっています。そのことに対抗するために世界のヒバクシャどうしが連帯しようとする試みが続けられてきたこと、とりわけ太平洋諸国が続々と独立し、非核宣言を行ってきたことなどについても解説されました。
そして、原発も同様の問題を持っています。東電福島第一原発事故によって放出された放射性物質が世界中に到達・汚染している実態もデータに基づいて説明され、核被害を現在の私たち自身の課題として考える必要があるとしました。
つづいて第五福竜丸漁労長だった故・見崎吉男さんのご遺族、杉山厚子さんからの講話がありました。被爆直後、アメリカの核実験であることを直感した見崎さんは、アメリカ軍に拘束されることを恐れ、無線打電を避けたそうです。杉山さんは見崎さんの証言を引き継いで、生々しい被害の状況についてお話しされました。
見崎さんは被害者であるにもかかわらず、生涯にわたって水産業界や地域に対して迷惑をかけたとして謝罪のことばを述べ続けていました。その背景には見崎さんたち乗組員のおかれた状況があります。被爆直後、帰港した乗組員が遊び歩いていたなどの事実無根の報道がされ、バッシングを受けました。また、「放射能がうつる」などと遠ざけられるなどの差別もありました。
杉山さんは見崎さんやほかの乗組員の手記の内容も紹介されました。被爆したことによる苦しみと悲しみの吐露、そしてふたたびこのような事態を繰り返してほしくないという想いがあふれるものでした。
「第五福竜丸」の乗組員は苦しいなか孤軍奮闘しながら核兵器廃絶を訴えてきました。杉山さんはこうやって父たちの証言を聞き、共感してくれる人びとがたくさんいることに励まされていると感謝を述べられ、講話を締めくくられました。
静岡選出の第28代高校生平和大使の水野可麗さん、長崎派遣代表の大塚ほなみさんと山下耀生さんから、この1年間の活動報告が行われました。ジュネーブ派遣や広島・長崎への派遣のほか、日々署名活動のなかで培った平和への思いについてそれぞれ発言。そして小学校への出前授業などで歌ってきた合唱曲「千羽鶴」を披露しました。
司会から本集会に鈴木康友さん(静岡県知事)、難波喬司さん(静岡市長)、中野弘道さん(焼津市長)、市田真理さん(公益財団法人第五福竜丸平和協会事務局長)、デスモンド・ナライン・ドラチョムさん(マーシャル諸島・REACH-MI調査部長)からメッセージが寄せられていることが紹介されました。
最後に大須賀拓馬さん(全印刷局労働組合静岡支部副執行委員長)集会アピールを読み上げて提案。全体で確認し、集会を終了しました。(メッセージおよびアピールは本記事下部に掲載しています)
翌3月2日、焼津市・弘徳院で故・久保山愛吉さんの墓前祭を開催しました。金子哲夫・共同議長と地元・志太平和フォーラム代表の中山亜樹彦さんがあいさつ。その後参加者全員で久保山さんのご冥福をお祈りし、墓前に花束と線香を捧げました。
集会アーカイブ動画
集会へのメッセージ
鈴木康友さん(静岡県知事)
「被災72周年3.1ビキニデー全国集会」の開催に当たり、原水爆の犠牲となられた方々に謹んで哀悼の意を表します。
静岡県では、県及び全ての市町が非核宣言を行っており、核兵器の廃絶と平和な世界の実現は県民共通の願いであります。
私は、県民の思いを大切にし、誰もが安心して暮らすことのできる、平和で豊かな“幸福度日本一の静岡県”の実現に向けて、全力を尽くしてまいります。
本日の集会が、県民、そして人類共通の願いである核兵器のない、戦争のない平和な世界の実現に向けて大きく寄与されますことを、心から祈念いたします。
難波喬司さん(静岡市長)
被災72周年3.1ビキニデー集会の開催にあたり、原水爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げますとともに、多くの方々の御支援・御賛同のもと開催されますことをお慶び申しあげます。
世界における核兵器廃絶に向けた気運がこれまでになく高まってまいりましたのも、皆様の不断の取り組みがあってこそと、深く敬意を表し、衷心より感謝いたします。
本集会がビキニ被爆の実相を内外に広く伝え、核兵器の非人道性を強く発信し、世界を恒久平和へと導く大きな力となりますことを心より祈念いたします。
中野弘道さん(焼津市長)
「被災72周年3.1ビキニデー全国集会」が開催されるにあたり、焼津市民を代表してメッセージをお送りいたします。
太平洋マーシャル諸島にあるビキニ環礁での米国の水爆実験により、マーシャル島民や近海で操業していた多くの船や船員が被災してから、本年で72年が経過しました。
このことは、世界各国の多くの人たちによる熱心な核兵器廃絶運動にもつながっており、「核兵器のない世界」の実現は、私たちの共通の願いでもあります。
焼津市では、毎年6月30日に核兵器廃絶と恒久平和の実現を訴える「市民集会」をはじめとした平和推進事業を通じて、焼津市民が平和を愛する心を持ち、後世に語り継いでいくよう、取り組んでおります。
また、本市が加盟しています平和首長会議、非核宣言自治体協議会の一員として、共に平和運動を展開し、世界平和の実現のため、引き続き取り組んでまいります。
結びに、皆様方の活動が、「核兵器のない世界」の実現につながりますことを念願いたしますとともに、御参加の皆様の御健勝と御活躍を心からお祈り申し上げます。
市田真理さん(公益財団法人第五福竜丸平和協会事務局長)
被災72周年3.1ビキニデー全国集会 ご参集のみなさまへ
連帯の挨拶をおくります
核と人類は共存できない。その信念を持ち、被災72周年3.1ビキニデー全国集会にご参集のみなさんに、連帯のご挨拶を申し上げます。
1954年3月1日、日本のマグロ漁船・第五福竜丸がアメリカの水爆実験ブラボーに遭遇し被災しました。実験場から160km離れていたにもかかわらず、第五福竜丸には放射性降下物=死の灰が降り注ぎました。23人の乗組員たちは頭痛、吐き気、放射線火傷、脱毛などの急性症状に見舞われ、半年後には無線長の久保山愛吉さんが亡くなりました。その後ほとんどが20代の乗組員のみなさんも、人生を狂わされました。
アメリカが太平洋で核実験を始めてから80年となります。「人類の幸福と世界の戦争を終わらせるために」と、核実験とされてしまった故郷を追い出されたビキニ環礁の人びと、第五福竜丸と同様「死の灰」を浴び、故郷を離れざるを得なくなったロンゲラップ環礁の人びとの苦悩を思います。核開発の被害を受けた世界のヒバクシャの怒りと苦しみに連帯し、核のない未来をともに模索してまいりましょう。
デスモンド・ナライン・ドラチョムさん(マーシャル諸島・REACH-MI共同創設者、調査部長)
ヤクウェ!(マーシャル語で「こんにちは!」) 静岡のみなさまにごあいさつを送ります。
REACH-MI(リーチ・ミー)を代表し、その共同創設者の一人として、そして現在の調査部長として、みなさまに激励と連帯のメッセージをお送りする機会にこの上ない栄誉を感じています。REACH-MIは、核実験によってもたらされた放射能による被ばくをめぐり、人らしく生きることができるマーシャル諸島の実現をめざして2016年に設立された非政府組織です。私たちの任務は、未解決の核問題について情報を共有し、注意を喚起し、マーシャル諸島の人々の生活や環境の改善を模索することです。REACH-MIは、マーシャル諸島共和国の「核の遺産」は私たちの国の歴史の一部であり、公的な関与と支援が不可欠だと強く信じています。
私たちはマーシャル諸島の核問題に関する情報を地域で、そして地球全体で共有しています。マーシャル諸島共和国の人々が直面している問題への支援や相互理解のため、未解決の核問題にいかに取り組むかを模索し、協力を呼びかけています。
私たちは、言葉、人どうしのつながり、対話による情報の共有を通じて目的を達成しようとしています。関心を持つ非政府組織、草の根の団体、世界とアメリカ合衆国の人々に支持を呼びかけ、リスト化することを意図しています。そして、私たちのもっとも大切な取り組みは「ドレカ・イン・ジャボン・エン」です。これはマーシャル諸島の言葉で、「基礎を固めるために石を集める」という意味です。私たちの「石」は、核実験の被害者の体験の聴き取り、核問題に関する文学や文書の調査、SNSを通じた広報と宣伝活動、そして議論や書簡を通じた青年や大衆との関わりです。
REACH-MIに参加する私たちは、高校生平和大使のみなさんをはじめ日本の若い世代の活動を心から誇りに思っています。それは、終わりのない平和を欲する私たちを、核兵器の恐怖に脅かされない世界を実現する若い世代と同じ隊列に並ばせているからです。
コマル・タタ(マーシャル語で「ありがとうございます」)
被災72周年3.1ビキニ・デー全国集会アピール
1954年3月1日、ビキニ環礁でのアメリカによる水爆実験によって、「第五福竜丸」をはじめとする日本の漁船が被爆しました。その後「第五福竜丸」乗組員の久保山愛吉さんは原爆症との闘病の末、「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」とのことばを残し亡くなりました。この被害に対する衝撃を契機に、原水爆禁止署名運動が全国に拡がり、これが現在まで続く原水禁運動の出発点となっています。
また、私たちはこれまで原水禁運動を積み重ねるなかで、マーシャル諸島をはじめとした世界の核被害者(グローバル・ヒバクシャ)と出会い、交流を深めてきました。核実験やウラン採掘、あるいは原発事故による甚大な被害の実態を直視し、「核と人類は共存できない」という立場を確立してきました。
2025年、広島・長崎の被爆から80年を迎えました。被爆者のみなさんを先頭に、日本国内、そして世界の人びとが核兵器廃絶に向け行動を強めた一年でありました。私たち自身も被爆者の思いを受け止め、被爆の実相の継承を重要な課題として引き受けながら、核も戦争もない世界をめざしとりくんできました。
しかし、核と戦争をめぐる危機的状況は、より深刻さを増していると言わざるを得ません。核保有国が国際法を無視し、武力による現状変更をいとわない行動に踏み込んでいます。核兵器が戦争を抑止するどころか、むしろ威嚇の手段として積極的に活用されている現状を、私たちは明確に批判しなくてはなりません。
2月28日に行われたイスラエル、アメリカによるイランへの先制攻撃は国際法違反にほかならず、怒りをもって抗議します。この間イランとアメリカによる核開発問題に関する間接協議が行われ、交渉継続が合意されており、核問題を口実に軍事攻撃を正当化することはできません。攻撃を即時停止すべきです。また、イランにも報復を自制することを求めます。
このような世界情勢にあって、戦争被爆国である日本が果たすべき役割は、いっそう重要になっています。ところが、昨年成立した高市政権は、アメリカのもとでの核抑止力強化を最優先事項にしています。
そればかりか、「非核三原則」の見直しにまで踏み込もうとしています。これまで日本政府が主張していた、被爆国として核保有国と非保有国との橋渡しを行うという建前すら投げ捨てるものであり、けっして日本の平和や安全にとってプラスにならないばかりか、世界全体における核軍縮を妨げ、いっそうの核軍拡を引き起こしかねません。
戦争被爆国日本に求められているのは、核兵器禁止条約(TPNW)への積極的な関与の表明など、日本政府自身が核廃絶に向けた具体的なステップをすすめることであり、核保有国に対しては先制不使用宣言を求めるなどの外交努力を果たすことです。「非核三原則」見直しや「核共有」の検討などは言語道断です。
広島・長崎に続くあらたな核兵器の使用を、この80年間にわたって辛くも阻んできたのは、「核抑止力」ではなく、どこにも、だれにも、核兵器の被害を再びもたらしてはならないという被爆者の訴え、そしてそれに心を揺り動かされた世界の人びとの行動です。
2026年は核拡散防止条約(NPT)再検討会議、そして核兵器禁止条約(TPNW)再検討会議が予定されており、昨年に引き続き重要な時期にあります。被爆80年のなかで得られた成果と課題をしっかり引き継ぐこと、そして私たちのよりいっそうのがんばりが求められていることを確認し、本年のビキニ・デーにあたってのアピールとします。
2025年3月1日
被災72周年ビキニ・デー全国集会






