2025年12月19日
首相官邸関係者による「核保有」発言(12月18日)について、原水禁は以下の声明を発表しました。
首相官邸関係者による核保有発言に抗議するとともに、
高市政権の核兵器政策の転換を求める
高市政権の安全保障政策を担当する首相官邸関係者が12月18日、日本は核保有すべきと発言したと報道されている。原水禁はこの発言に強く抗議するとともに、高市政権としての核兵器に対する姿勢に深い憂慮を表明する。
当該発言は記者団の非公式取材に対し、「個人的見解」「自らの持論」などとしながら行われたというが、戦争被爆国の政府関係者として遵守すべき「非核三原則」を否定するものであり、いかなる留保をつけようと許されるものではない。
そもそも、あらたに核保有を図ることは、日本政府も参加している核拡散防止条約(NPT)違反である。また、プルトニウムを現に日本国内に抱え込んでいることを踏まえれば、東アジアをはじめとする世界各国に与える負のインパクトは非常に大きいと言わざるを得ない。
これまで日本政府は、被爆国として核保有国と非保有国との橋渡しを行うと主張してきた。しかるに、その建前すら投げ捨てたうえ、核抑止への全面的な傾斜を露わにする発言であって、日本政府として当該発言に対する責任ある対応を早急に行うべきである。
高市政権は、来年の安保三文書の改定にあわせて、非核三原則の見直しを検討していると言われている。とくに「持ち込ませず」の項目を焦点とし、アメリカによる核抑止の実効性強化を狙うものとされる。
しかし、戦争被爆国として本来めざすべき核兵器廃絶の道筋とはまったく正反対の、核抑止依存の現状を正当化し続けていることが、さらに矩をこえる「核保有」などという主張を政府内に跋扈させることに繋がっていると言わざるを得ない。
80年前の広島・長崎に原子爆弾が投下され、約21万人の尊い命を奪った。命を救われた被爆者も今なお原爆症などの後遺症に苦しめられている。「二度と戦争してはだめだ、二度と原爆を使ってはならない」と、被爆者は訴え続けている。あのような大量無差別破壊兵器はこの地球上から無くしていかなければならない。被爆者の、そして多くの市民の願いは、日本政府こそが核兵器禁止条約(TPNW)へ参加・推進するなど、非人道兵器である核兵器の廃絶のための世界的なとりくみの最先頭に立つことである。
原水禁は日本政府が当該発言の重大さに向き合い、これまでのありかたを深く反省し、「非核三原則」の堅持を再確認するとともに核兵器政策を根本から転換することを強く求める。そして、私たちは戦争被爆国日本の市民としてあらためて、世界の人びとと連帯し「核も戦争もない世界」の実現に向け、引き続き力を尽くしていく決意を表明する。
2025年12月19日
原水爆禁止日本国民会議
共同議長 川野浩一
金子哲夫
染 裕之
2025年12月05日

東京電力福島第一原発事故から14年以上が経過した今も、廃炉の見通しは立たず、被災地の苦しみは続いています。その一方で、東京電力は柏崎刈羽原発の再稼働を進めようとしています。しかし事故の責任を十分に果たしていないまま再稼働に向けて動く姿勢は、県民の理解と信頼を踏みにじるものです。
また、再稼働をめぐり花角英世知事は「県民の受け止めを見極めて判断する」としながらも、14万人超の署名によって請求された「住民投票条例」が県議会で否決されるなど、県民の声が十分に反映されているとは言えない状況が続いています。
こうした中、11月25日には知事の再稼働容認に抗議するための集会が開催され、メイン会場は溢れんばかりの参加者で埋まり、サブ会場も満員となりました。参加者は「県民の声を無視した再稼働は認められない」と強く訴えました。

集会後には県庁包囲行動「人間の鎖」が実施され、1,200人が手を取り合い、知事の再稼働容認に抗議の声を上げました。県庁を取り囲んだ人びとからは、「安全と信頼を最優先に」「民意を無視した再稼働は許されない」との思いが力強く示されました。
今後も、県民の声を踏みにじる形での再稼働に対して、粘り強く反対の声を広げていくことが求められています。
集会次第
集会へ寄せられたメッセージ
集会資料(コール案など)
集会決議
原水禁は、知事の再稼働容認の表明を受け、声明を出しています。
原水禁声明「信を問う」とは何か 柏崎刈羽原発の再稼働は県民からは認められてはいない
2025年12月05日
2025年11月23日、高レベル放射性廃棄物施設を幌延町が誘致表明してから41年を迎える日に、「北海道への核持ち込みは許さない!11.23幌延デー北海道集会」(主催:北海道平和運動フォーラム)が幌延町で開催され、全道から約400人が参加しました。
参加者は「核のゴミ」の地層処分に反対の意思を示し、研究の継続は最終処分場につながるものであるとして、寿都町・神恵内村で進む概要調査の中止と、幌延での地層研究の終了を訴えました。
集会後には「北海道を核のゴミ捨て場にさせない」と声をあげながら、幌延町内でデモ行進が行われました。
集会次第はこちら
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幌延における核のゴミ問題の経緯
1984年、幌延町が動力炉・核燃料事業団による高レベル放射性廃棄物施設「貯蔵工学センター」の誘致を表明すると、直ちに幌延町と周辺住民が反対を表明。当時の横路知事も反対姿勢を示し、全道で労働組合や市民団体を中心に運動が広がりました。
その結果、2000年には北海道議会が「核のゴミは受け入れ難い」とする条例を制定しました。しかし同時に、北海道は「深地層研究計画」を受け入れることとなり、この研究は当初の予定を超えて9年間延長され、2028年度末に期限を迎える見込みです。現在も埋め戻し方針が明確でないうえ、再延長を求める動きも見られています。
北海道の「核抜き条例」および北海道・幌延町・原子力機構による「三者協定」を遵守させ、深地層研究計画の早期終了と確実な埋め戻しを求める取り組みの強化が、改めて重要になっています。
若い世代への継承と情報発信の強化
当日午前には、幌延周辺自治体の議員や住民組織、自治労による合同会議も開催されました。会議では「40年が経過し、若い世代の間で幌延問題への意識が薄れている」「SNSを活用して関心を高める情報発信が必要だ」といった意見が出されました。また、高レベル放射性廃棄物の処分地選定問題を含む取り組み状況を、より広く周知していく必要性が共有されました。