被爆80周年原水爆禁止世界大会、2025年
一人ひとりの行動から核も戦争もない世界をつくりだそう 「被爆80周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」が閉会
2025年08月10日
8月9日、「被爆80周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」閉会総会が長崎県立総合体育館アリーナで開催されました。猛烈な降雨のなかでしたが、約870人の参加がありました。
米村豊・現地実行委員長から主催者あいさつ。核使用の危機が高まる世界情勢を踏まえつつ、「核抑止」の虚構性を指摘。核廃絶に向けともにがんばる決意を表明しました。
続いて谷雅志・事務局長が3日間にわたる長崎大会全体についての総括を報告しました(本記事下部に掲載)。
第28代高校生平和大使と高校生1万人署名活動のメンバーが登壇。8月下旬からのジュネーブ派遣を予定するメンバーをはじめ、それぞれが思いを述べました。また、韓国の高校生の皆さんからも発言を受けました。
「特別報告」として、佐賀県平和運動センターの宮島正明・事務局長より、オスプレイ配備に伴う自衛隊基地強化の問題、そして放射性廃棄物最終処分場選定に向けた玄海町での文献調査の動きについて、それぞれ報告がありました。
最後に「大会アピール」(全文を本記事下部に掲載)を全体で確認し、集会を終了しました。悪天候のため「非核・平和行進」は中止し、参加者はそれぞれ爆心地公園に移動しました。
原水禁を代表して川野浩一・共同実行委員長が慰霊碑に献花。幸い11時2分には雨も上がり、爆心地公園に集う多くの人びととともに長崎の、広島の原爆犠牲者、そしてすべての核被害者の皆さんに黙とうを捧げました。
「被爆80周年原水爆禁止世界大会」はすべての日程を終えましたが、被爆80年のとりくみはまだ続きます。また、来年2026年は核拡散防止条約(NPT)および核兵器禁止条約(TPNW)の再検討会議が予定されており、核軍縮―核廃絶へ向けた具体的な前進を、世界の人びとと共同して実現していくための重要な機会を迎えることになります。引き続きともにがんばりましょう。
「被爆80周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」閉会総会アーカイブ動画
「被爆80周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」谷事務局長まとめ報告
原水爆禁止世界大会長崎大会に全国各地はもとより、世界各国からも多くの方のご参加いただきました。天気が悪い中でのご参加、ありがとうございました。
長崎大会にお集まりいただいた870人のみなさんの熱量を、今後の原水禁運動に生かしていきたいと思っています。この大会がその一つの契機となれば何より幸いです。
今日は8月9日です。80年前のこの日、11時2分以降のナガサキは、原爆投下後の凄惨を極める状況にありました。広島大会でも述べましたように、当時の惨状を被爆者から話として聞くたびに、映像資料や当時の貴重な記録を目にするたびに身が震える恐怖を覚えます。この恐怖を感じる気持ちを共有することが、被爆の実相の具体的な継承の一つだと考えています。
原爆投下にまでいたった、侵略戦争を引き起こした責任は、日本政府にあります。被爆者の平均年齢は86歳を超え、10万人を切りました。
80年経ってもいまだ被爆者と認められない「被爆体験者」問題。旧長崎市という見えない境界線によって、被爆者ではなく「被爆体験者」とされ続けていますが、こんな不条理なことはありません。「被爆体験者」は被爆者です。この問題の解決にこれ以上時間をかけるわけにはいきません。みなさんとともに声をしっかりあげ、国を動かしていきたいと思います。
被爆の遺伝的影響、被爆二世・三世問題があります。世代を超えて影響をおよぼす被爆は、ヒロシマ・ナガサキから80年経っても現在進行で続いています。自分の体にどのような影響があるのか、不安に感じることを強いられる被爆二世・三世の問題解決に向け、とりくんでいきます。
被爆者の中に約1割いたと推定される朝鮮半島出身の被爆者。侵略戦争によって強制的に日本に連れてこられ、そこで被爆しました。幾重にも重なる苦しみを、強いられ続けている被爆者のみなさんがいることも、私たちが向き合うべき事実です。
特に朝鮮民主主義人民共和国にいる「在朝被爆者」は、いまだに国交がないことを理由に個別補償が受けられないという問題が残されています。原水禁はこの問題に早くから向き合い、その解決に向けてとりくんできました。被爆80年たっても、いまだ残る被爆者問題の一つです。
昨年、日本被団協がノーベル平和賞を受賞しました。その授賞理由として、被爆者がこれまで世界各国で語ってきた被爆の実相が、国際社会における「核の非人道性」「核のタブー」を確立してきたこと、そしてそれが今、危機的状況にあることが語られました。
核兵器が存在することを一定認める「核抑止」の考え方は、核兵器使用リスクが常に存在し続けることになります。ここ長崎の、そして広島の被爆の実相から何を学ぶのか、それが問われています。被爆者のみなさんが一人でも多くいらっしゃるうちに、核廃絶を実現する社会をめざしていきます。
その一歩となる核兵器禁止条約への署名・批准を日本政府に求めていかなくてはなりません。
「台湾有事」を喧伝し、防衛力という名の軍事力を高めようと、8兆7千憶円を超える「防衛予算」を日本政府はくみました。軍事力に対抗するには、自国の軍事力の増強しかないとしていたのでは、私たちの安全な暮らしが守られるとは到底思えません。軍事的エスカレーションを招くだけであり、万が一にでもミサイルを撃たれたら、という状況を認めたうえでの「防衛のありかた」になってしまいます。それは私たちが決して繰り返してはならない、再び戦争という道につながるのではないかと、思わずにはいられません。過去の歴史から学ぶことが何よりも重要です。
日本政府には、私たちの生命と財産を守ることが責任として課せられています。そうであるなら、ミサイルを撃たせないとする平和外交にこそ力を尽くすべきです。
この長崎大会には毎年、多くの高校生・大学生の参加があります。高校生平和大使・高校生1万人署名活動メンバーをはじめとした若い世代へ、どういう社会を引き継いでいくのか、この3日間、ともに考え議論してきました。現世代の私たちがまずは、感じたこと思ったことを具体の行動として一歩踏み出す責任が問われているのだと私は受け止めています。それが現世代の責任です。
原水禁世界大会は、ここ長崎に集うことに重要な価値があることを確認しながら、対面での開催を続けてきました。今年の大会でも、初めて原水禁大会に参加したという参加者が多くいらっしゃるのではないかと思います。そういった意味では、この大会を原水禁運動の入口としていただき、各地域や各組織へ、その成果を持ち帰っていただくことで、運動の具体的な進展を図っていただくことをお願いします。
この3日間、多くの大会参加者受け入れにご尽力いただいた現地長崎実行委員会のみなさん、大変お世話になりました。各分科会を運営していただいた運営委員のみなさんを含めて、大会を支えていただいたみなさんに、心よりお礼を申し上げます。
運動の具体的な進展とは、どこかで誰かがやってくれることではなく、今、私が何をするか、ということの積み重ねを続けていくことが最も重要だと考えます。私自身もこの場をみなさんと共有することで、その責任を改めて感じています。このあと戻られましたら、ぜひお隣のどなたかに、今日感じたことを伝えていただければ、それが運動の第一歩になると思います。大きなうねりを作り出していく一歩を、ともに踏み出してもらいますようお願いし、長崎大会のまとめとします。
ご参加いただきありがとうございました。
被爆80周年原水爆禁止世界大会・大会アピール
1945年8月6日広島、8月9日長崎。2025年は原爆投下から80年目を迎えました。これだけの時を経てもなお、放射線によるさまざまな被害に苦しみ続ける被爆者がいます。被爆者とともに私たちは、日本政府の責任を厳しく問い、再び戦争というあやまちを繰り返さないため、被爆者援護法を国家補償とすることを求め、粘り強く運動を続けています。被爆者の中には、広島・長崎への強制連行などで被爆した朝鮮半島出身者がいます。幾重にも苦しめた責任も侵略戦争を引き起こした日本政府にあります。広島・長崎あわせて、投下された年のうちに21万人を超える命を奪い、いまもその影響に苦しめ続けられている被爆者を生み出した原子爆弾の投下について、アメリカがいかなる理由を主張しようと正当化することはできません。万感の怒りをもって抗議します。いまだ被爆者と認められない「被爆体験者」問題や、被爆二世・三世、在外被爆者とくに在朝被爆者の問題といった残された被爆者問題の解決をはかる運動を、引き続き進めていきます。
核兵器保有国と、日本を含めた「核の傘」の下にいる国々は「核抑止」に固執しています。核兵器使用の緊張感は高まっています。「原水爆が禁止されてこそ、真に被害者を救うことができます」、これは第1回原水禁大会で被爆者と交わした約束です。世界を跋扈する「核抑止」があやまりであることは、被爆地である広島・長崎、そして被爆者が示しています。私たちは被爆地に来て、被爆者の前で、核兵器が存在することを認める「核抑止」を語ることができるのかと、国際社会に強く問い続けなければなりません。人類が生き残る道は核兵器廃絶しかないのです。
日本政府は東北アジアの軍事的緊張をあおることによって、軍備拡張をおし進めようとしています。核武装や核共有を主張する声さえあります。私たちは、戦争準備につながる軍備拡張に反対します。武力を増強することは、平和にはつながりません。むしろ核兵器使用につながる戦争を、絶対にしないという努力こそが、日本政府をはじめとした各国外交に求められる姿勢であるはずです。
80年前の原爆投下以降、これまで戦争による核兵器使用を許さない大きな力を生み出してきた源は、被爆者の体験と運動です。日本被団協がノーベル平和賞を受賞したことを、核廃絶の大きな追い風にしなくてはなりません。日本政府は、アメリカの「核の傘」に頼り続けることなく、核兵器の廃絶を実現しようとする多くの国と市民の力が結実した核兵器禁止条約に署名・批准すべきです。2026年は核不拡散条約と核兵器禁止条約の再検討会議が開催されます。被爆者が一人でも多くいるうちに、核兵器の廃絶を実現させるための運動を強化しましょう。
東京電力による福島第一原発事故発生から14年が経過しました。日本政府はいまだ避難生活を強いられている福島県民が2万人以上いるにも関らず、被害者支援を切り捨て、原発推進・積極活用へと舵を切りました。原発に絶対の安全はありません。原発が動き続ける限り、高レベル放射性廃棄物(核のごみ)は増え続けます。地層処分しようとする日本政府の方針は、未来の世代に責任を押しつけ、見えなくしてしまいます。構想から30年以上が経っても完成しない核燃料サイクルに依拠した原発推進政策は破綻しています。原発に頼らない再生可能エネルギーの促進によって、安全で安心して暮らせる社会を構築していきましょう。
核を使用することは、ウラン鉱石採掘から始まるすべての過程で、絶えずヒバクシャを生み出しています。ノーモア・ヒバクシャ、ノーモア・ウォー、核も戦争もない社会をつくりましょう。
私たちは被爆80周年原水禁世界大会を通して、現状の課題認識を共有し、各地域での原水禁運動につなげていくことを確認しました。今後も被爆の実相を原点に、核の軍事利用も、「平和利用」とされる商業利用も否定する、「核と人類は共存できない」という理念の実現をめざしていきます。
2025年8月9日
被爆80周年原水爆禁止世界大会 参加者一同








