被爆80周年原水爆禁止世界大会、2025年
「被爆80周年原水爆禁止世界大会・広島大会」が開会しました
2025年08月05日
8月4日、「被爆80周年原水爆禁止世界大会・広島大会」開会総会が広島市・グリーンアリーナで行われ、約2200人が参加しました。
開会総会の前段には、平和記念公園から開会総会会場に向けた「折鶴平和行進」が行われ、広島市街を行進した各地からの参加者が続々と会場へと参集しました。
今回は会場ロビーに丸木位里・俊夫妻の「原爆の図第1部『幽霊』」、ノーベル平和賞メダル(いずれもレプリカ)が展示され、参加者が興味深く鑑賞する姿が見受けられました。

本総会の司会は新藤莉々依さん(高校生1万人署名活動OP)が務めました。はじめに、参加者全員で広島・長崎、そしてすべての核被害者に黙とうを捧げました。
金子哲夫・共同実行委員長が主催者あいさつ。昨年の日本被団協のノーベル平和賞受賞は、核使用が危惧される情勢のなか、被爆者の活動への期待が高まっていることが背景にあるとしました。また、70年前の第1回原水禁世界大会で確認された、原水爆が禁止されてこそ被害者の真の救済が実現されるとのことばを引き、あらためてそのことをめざしとりくむことを参加者に呼びかけました。
来賓として広島市市民局国際平和推進担当局長の山藤貞浩さんが登壇し、松井・広島市長からのメッセージを代読しました。
7月26日に開催された福島大会の報告、そして福島原発をめぐる現状と課題について、福島県平和フォーラム事務局次長の福地勉さんが発言。政府の原発回帰のエネルギー政策のなかで、遅々として進まない廃炉作業の実態は覆い隠されています。生活と健康に多大な被害をもたらした原発の再稼働を許さないため、ともにとりくむことを訴えました。
日本被団協代表委員で広島県被団協理事長の箕牧智之さんから被爆証言を受けました。箕牧さんは東京生まれですが、父の故郷の広島に疎開しました。当時3歳5か月だった箕牧さんは、父を探すため母に連れられ「入市被爆」しました。戦後、大病を患ったり、貧しさのなか働きながら学ぶなどの苦労を重ねてきました。そして、現在に至るまで核廃絶、戦争のない世界の実現に向けとりくまれてきた思いを語りました。
続いて、東京・広島・長崎選出の高校生平和大使と高校生1万人署名活動実行委員会のみなさんが登壇。全体を代表し広島選出の高校生平和大使の皆さんが核なき世界に向けがんばる決意を述べました。
開会総会に参加した海外ゲストが紹介され、代表してアメリカ・ピースアクションのリリー・ドラグネフさんがスピーチ。世界的な混乱のなかでも希望はあるとし、決意をもって草の根の力で現状を打開し、核なき世界をめざしとりくむとしました。
続いて、ドイツ緑の党のハーアルド・イブナー・連邦議会議員のビデオメッセージが上映されました。また、サハラ・アラブ民主共和国外務省外務省のブラヒム・モジタール・アジア局長からのメッセージを紹介しました。
谷雅志・実行委員会事務局長が大会基調を提起しました(→大会基調全文はこちら)。被爆80年、なにより現世代のがんばりこそが問われていることを強調しました。広島・長崎の被爆の実相を学ぶことの重要性を確認するなかで原水禁大会は初参加者が過半を超える状況にあり、ますますその意義は高まっているとし、核兵器廃絶、被爆者救済、脱原発を実現していくため、原水禁大会を基軸に、引き続き運動を継続していくことを訴えました。
その後、広島音楽サークル協議会のみなさんのリードで「原爆許すまじ」を合唱しました。
さいごに、秋葉忠利・代表委員が閉会あいさつを行いました。これまで真摯に核廃絶に向けてとりくまれてきた被爆者の皆さんをはじめとしたすべての人びとへの感謝を述べました。核廃絶の強い意志と勇気を持つことの重要性を確認するとともに、一人ひとりが当事者として、主権者として、行動の第一歩を踏み出すことを呼びかけました。
広島大会は今後、5日に分科会・ひろば・フィールドワーク、6日に国際シンポジウムとまとめ集会が行われる予定です。









