8月, 2025 - 原水禁

「9.23さようなら原発全国集会」開催のお知らせ

2025年08月22日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9.23さようなら原発全国集会

日時:9月23日(火・休日) 13:00開会/14:45終了/15:00パレード出発
場所:代々木公園B地区(NHKホール横)
主催:「さようなら原発」一千万署名 市民の会/さようなら原発1000万人アクション実行委員会


福島原発事故直後から呼びかけられた「さようなら原発1000万人アクション」は、全国の脱原発運動において、多くの市民の声を集め、全国集会・オンライン学習会・省庁交渉等、さまざまな活動を行っています。
東京・代々木公園において、毎年春と秋に全国集会を呼び掛けています。

この秋は「ともに声をあげよう!脱原発と気候正義のために。」と集会への参加を呼びかけます。
詳しくは、さようなら原発1000万人アクションのウェブサイトをご覧ください。

9月23日、「さようなら原発全国集会」を開催します

→第一弾チラシデータ

→第二弾チラシデータ(表面)

→第二弾チラシデータ(裏面)

一人ひとりの行動から核も戦争もない世界をつくりだそう 「被爆80周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」が閉会

2025年08月10日

8月9日、「被爆80周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」閉会総会が長崎県立総合体育館アリーナで開催されました。猛烈な降雨のなかでしたが、約870人の参加がありました。

米村豊・現地実行委員長から主催者あいさつ。核使用の危機が高まる世界情勢を踏まえつつ、「核抑止」の虚構性を指摘。核廃絶に向けともにがんばる決意を表明しました。

続いて谷雅志・事務局長が3日間にわたる長崎大会全体についての総括を報告しました(本記事下部に掲載)。

第28代高校生平和大使と高校生1万人署名活動のメンバーが登壇。8月下旬からのジュネーブ派遣を予定するメンバーをはじめ、それぞれが思いを述べました。また、韓国の高校生の皆さんからも発言を受けました。

「特別報告」として、佐賀県平和運動センターの宮島正明・事務局長より、オスプレイ配備に伴う自衛隊基地強化の問題、そして放射性廃棄物最終処分場選定に向けた玄海町での文献調査の動きについて、それぞれ報告がありました。

最後に「大会アピール」(全文を本記事下部に掲載)を全体で確認し、集会を終了しました。悪天候のため「非核・平和行進」は中止し、参加者はそれぞれ爆心地公園に移動しました。

原水禁を代表して川野浩一・共同実行委員長が慰霊碑に献花。幸い11時2分には雨も上がり、爆心地公園に集う多くの人びととともに長崎の、広島の原爆犠牲者、そしてすべての核被害者の皆さんに黙とうを捧げました。

「被爆80周年原水爆禁止世界大会」はすべての日程を終えましたが、被爆80年のとりくみはまだ続きます。また、来年2026年は核拡散防止条約(NPT)および核兵器禁止条約(TPNW)の再検討会議が予定されており、核軍縮―核廃絶へ向けた具体的な前進を、世界の人びとと共同して実現していくための重要な機会を迎えることになります。引き続きともにがんばりましょう。

「被爆80周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」閉会総会アーカイブ動画

「被爆80周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」谷事務局長まとめ報告

原水爆禁止世界大会長崎大会に全国各地はもとより、世界各国からも多くの方のご参加いただきました。天気が悪い中でのご参加、ありがとうございました。

長崎大会にお集まりいただいた870人のみなさんの熱量を、今後の原水禁運動に生かしていきたいと思っています。この大会がその一つの契機となれば何より幸いです。

今日は8月9日です。80年前のこの日、11時2分以降のナガサキは、原爆投下後の凄惨を極める状況にありました。広島大会でも述べましたように、当時の惨状を被爆者から話として聞くたびに、映像資料や当時の貴重な記録を目にするたびに身が震える恐怖を覚えます。この恐怖を感じる気持ちを共有することが、被爆の実相の具体的な継承の一つだと考えています。

原爆投下にまでいたった、侵略戦争を引き起こした責任は、日本政府にあります。被爆者の平均年齢は86歳を超え、10万人を切りました。
80年経ってもいまだ被爆者と認められない「被爆体験者」問題。旧長崎市という見えない境界線によって、被爆者ではなく「被爆体験者」とされ続けていますが、こんな不条理なことはありません。「被爆体験者」は被爆者です。この問題の解決にこれ以上時間をかけるわけにはいきません。みなさんとともに声をしっかりあげ、国を動かしていきたいと思います。

被爆の遺伝的影響、被爆二世・三世問題があります。世代を超えて影響をおよぼす被爆は、ヒロシマ・ナガサキから80年経っても現在進行で続いています。自分の体にどのような影響があるのか、不安に感じることを強いられる被爆二世・三世の問題解決に向け、とりくんでいきます。

被爆者の中に約1割いたと推定される朝鮮半島出身の被爆者。侵略戦争によって強制的に日本に連れてこられ、そこで被爆しました。幾重にも重なる苦しみを、強いられ続けている被爆者のみなさんがいることも、私たちが向き合うべき事実です。
特に朝鮮民主主義人民共和国にいる「在朝被爆者」は、いまだに国交がないことを理由に個別補償が受けられないという問題が残されています。原水禁はこの問題に早くから向き合い、その解決に向けてとりくんできました。被爆80年たっても、いまだ残る被爆者問題の一つです。

昨年、日本被団協がノーベル平和賞を受賞しました。その授賞理由として、被爆者がこれまで世界各国で語ってきた被爆の実相が、国際社会における「核の非人道性」「核のタブー」を確立してきたこと、そしてそれが今、危機的状況にあることが語られました。

核兵器が存在することを一定認める「核抑止」の考え方は、核兵器使用リスクが常に存在し続けることになります。ここ長崎の、そして広島の被爆の実相から何を学ぶのか、それが問われています。被爆者のみなさんが一人でも多くいらっしゃるうちに、核廃絶を実現する社会をめざしていきます。

その一歩となる核兵器禁止条約への署名・批准を日本政府に求めていかなくてはなりません。

「台湾有事」を喧伝し、防衛力という名の軍事力を高めようと、8兆7千憶円を超える「防衛予算」を日本政府はくみました。軍事力に対抗するには、自国の軍事力の増強しかないとしていたのでは、私たちの安全な暮らしが守られるとは到底思えません。軍事的エスカレーションを招くだけであり、万が一にでもミサイルを撃たれたら、という状況を認めたうえでの「防衛のありかた」になってしまいます。それは私たちが決して繰り返してはならない、再び戦争という道につながるのではないかと、思わずにはいられません。過去の歴史から学ぶことが何よりも重要です。

日本政府には、私たちの生命と財産を守ることが責任として課せられています。そうであるなら、ミサイルを撃たせないとする平和外交にこそ力を尽くすべきです。

この長崎大会には毎年、多くの高校生・大学生の参加があります。高校生平和大使・高校生1万人署名活動メンバーをはじめとした若い世代へ、どういう社会を引き継いでいくのか、この3日間、ともに考え議論してきました。現世代の私たちがまずは、感じたこと思ったことを具体の行動として一歩踏み出す責任が問われているのだと私は受け止めています。それが現世代の責任です。

原水禁世界大会は、ここ長崎に集うことに重要な価値があることを確認しながら、対面での開催を続けてきました。今年の大会でも、初めて原水禁大会に参加したという参加者が多くいらっしゃるのではないかと思います。そういった意味では、この大会を原水禁運動の入口としていただき、各地域や各組織へ、その成果を持ち帰っていただくことで、運動の具体的な進展を図っていただくことをお願いします。

この3日間、多くの大会参加者受け入れにご尽力いただいた現地長崎実行委員会のみなさん、大変お世話になりました。各分科会を運営していただいた運営委員のみなさんを含めて、大会を支えていただいたみなさんに、心よりお礼を申し上げます。

運動の具体的な進展とは、どこかで誰かがやってくれることではなく、今、私が何をするか、ということの積み重ねを続けていくことが最も重要だと考えます。私自身もこの場をみなさんと共有することで、その責任を改めて感じています。このあと戻られましたら、ぜひお隣のどなたかに、今日感じたことを伝えていただければ、それが運動の第一歩になると思います。大きなうねりを作り出していく一歩を、ともに踏み出してもらいますようお願いし、長崎大会のまとめとします。

ご参加いただきありがとうございました。

被爆80周年原水爆禁止世界大会・大会アピール

1945年8月6日広島、8月9日長崎。2025年は原爆投下から80年目を迎えました。これだけの時を経てもなお、放射線によるさまざまな被害に苦しみ続ける被爆者がいます。被爆者とともに私たちは、日本政府の責任を厳しく問い、再び戦争というあやまちを繰り返さないため、被爆者援護法を国家補償とすることを求め、粘り強く運動を続けています。被爆者の中には、広島・長崎への強制連行などで被爆した朝鮮半島出身者がいます。幾重にも苦しめた責任も侵略戦争を引き起こした日本政府にあります。広島・長崎あわせて、投下された年のうちに21万人を超える命を奪い、いまもその影響に苦しめ続けられている被爆者を生み出した原子爆弾の投下について、アメリカがいかなる理由を主張しようと正当化することはできません。万感の怒りをもって抗議します。いまだ被爆者と認められない「被爆体験者」問題や、被爆二世・三世、在外被爆者とくに在朝被爆者の問題といった残された被爆者問題の解決をはかる運動を、引き続き進めていきます。

核兵器保有国と、日本を含めた「核の傘」の下にいる国々は「核抑止」に固執しています。核兵器使用の緊張感は高まっています。「原水爆が禁止されてこそ、真に被害者を救うことができます」、これは第1回原水禁大会で被爆者と交わした約束です。世界を跋扈する「核抑止」があやまりであることは、被爆地である広島・長崎、そして被爆者が示しています。私たちは被爆地に来て、被爆者の前で、核兵器が存在することを認める「核抑止」を語ることができるのかと、国際社会に強く問い続けなければなりません。人類が生き残る道は核兵器廃絶しかないのです。

日本政府は東北アジアの軍事的緊張をあおることによって、軍備拡張をおし進めようとしています。核武装や核共有を主張する声さえあります。私たちは、戦争準備につながる軍備拡張に反対します。武力を増強することは、平和にはつながりません。むしろ核兵器使用につながる戦争を、絶対にしないという努力こそが、日本政府をはじめとした各国外交に求められる姿勢であるはずです。

80年前の原爆投下以降、これまで戦争による核兵器使用を許さない大きな力を生み出してきた源は、被爆者の体験と運動です。日本被団協がノーベル平和賞を受賞したことを、核廃絶の大きな追い風にしなくてはなりません。日本政府は、アメリカの「核の傘」に頼り続けることなく、核兵器の廃絶を実現しようとする多くの国と市民の力が結実した核兵器禁止条約に署名・批准すべきです。2026年は核不拡散条約と核兵器禁止条約の再検討会議が開催されます。被爆者が一人でも多くいるうちに、核兵器の廃絶を実現させるための運動を強化しましょう。

東京電力による福島第一原発事故発生から14年が経過しました。日本政府はいまだ避難生活を強いられている福島県民が2万人以上いるにも関らず、被害者支援を切り捨て、原発推進・積極活用へと舵を切りました。原発に絶対の安全はありません。原発が動き続ける限り、高レベル放射性廃棄物(核のごみ)は増え続けます。地層処分しようとする日本政府の方針は、未来の世代に責任を押しつけ、見えなくしてしまいます。構想から30年以上が経っても完成しない核燃料サイクルに依拠した原発推進政策は破綻しています。原発に頼らない再生可能エネルギーの促進によって、安全で安心して暮らせる社会を構築していきましょう。

核を使用することは、ウラン鉱石採掘から始まるすべての過程で、絶えずヒバクシャを生み出しています。ノーモア・ヒバクシャ、ノーモア・ウォー、核も戦争もない社会をつくりましょう。

私たちは被爆80周年原水禁世界大会を通して、現状の課題認識を共有し、各地域での原水禁運動につなげていくことを確認しました。今後も被爆の実相を原点に、核の軍事利用も、「平和利用」とされる商業利用も否定する、「核と人類は共存できない」という理念の実現をめざしていきます。

2025年8月9日
被爆80周年原水爆禁止世界大会 参加者一同

「被爆80周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」2日目 分科会・ひろば・フィールドワークを開催

2025年08月09日

 

8月8日、「被爆80周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」2日目は6つの「分科会」のほか、「ひろば」、「フィールドワーク」を行いました。

高校生・若者のイベント「ピース・ブリッジ 2025 inながさき」も開催され、全国から集まった高校生からの活動報告、海外派遣報告、ディスカッション、被爆証言のビデオ視聴などを行い、学びを深めました。また、平和宣言を採択しました(本記事下部に全文掲載)。

8月9日の長崎大会閉会総会と平和行進をもって、本年の「被爆80周年原水爆禁止世界大会」の全日程を終える予定です。
以下は分科会のアーカイブ動画です。

第1分科会「平和と核廃絶Ⅰ-世界の核軍縮」

第2分科会「平和と核廃絶Ⅱ-日本国内の動き」

第3分科会「「脱原発-脱原発に向けた大きな流れ」

第4分科会「ヒバクシャⅠ-世界のヒバクシャ」

第5分科会「ヒバクシャⅡ-被爆者から被爆二世・三世へ」

第6分科会「見て・聞いて・学ぼう“ナガサキ”」

ピース・ブリッジ 2025 inながさき 平和宣言

今年で広島・長崎は被爆80年を迎えます。
この80年間、多くの被爆者の方々が自身の辛い経験を伝えることで、核のタブーを広げてきました。
しかし、現在、世界に目を向けると争いが絶えず続いており、日本国内においても戦前と言われるほどに軍拡が進むなど、国内外において核のタブーが崩されそうになっています。
このような状況だからこそ、私たち高校生は、戦争や原爆を体験したすべての方々の核廃絶を求める声に耳を傾け、その声を世界に、そして後世に伝え続ける責任があります。
その責任を全うするためにも、多くの人々の支えの基で活動できていることに感謝し、これまでこの運動を築き上げてきてくださったすべての人の平和を求める思いを受け継いで、活動していきましょう。
私たち高校生 1万人署名活動に取り組む実行員および高校生平和大使は、これからも核のない平和な世界を求め、学び続けながら、声を上げ、活動を続けていくことを誓います。

2025年8月8日
高校生1万人署名活動実行委員会一同

「被爆80周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」が開会しました

2025年08月08日

8月7日、長崎市・ブリックホールで「被爆80周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」開会行事が行われました。悪天候で飛行機や鉄道の遅延などもありましたが、約1000人が参加しました。

広島大会に続き、会場ロビーに丸木位里・俊夫妻の「原爆の図第1部『幽霊』」のレプリカが特別展示されました。

冒頭、高校生平和大使OPで現在大学生の皆さんによるトークセッションが行われました。自らの活動経験を踏まえつつ、核廃絶と平和の実現に向けた思いを率直に語り合いながら、これからの活動の展望を共有しました。

司会の三藤理絵さん(大会実行委員)の呼びかけで、広島・長崎をはじめとするすべての核被害者、そしてすべての戦争被害者への黙とうを、再び過ちを繰り返さない決意を込め、捧げました。

主催者を代表し川野浩一・共同実行委員長があいさつ。自身が5歳で被爆した経験を振り返りながら、しかし悲惨な歴史的事実と痛切な反省が忘却させられつつある危険な日本の現状を指摘。また、パレスチナ・ガザ地区をはじめとする厳しい世界情勢にも思いを致しました。そして、「唯一の被爆国」を自称する日本政府が核廃絶に背を向けていることを批判し、反戦平和の先頭に立つことを求め、そのためにともにがんばろうと訴えました。

続いて、来賓の長崎市の柴原慎一・副市長が、鈴木史朗・市長からのメッセージを代読されました。

本大会に参加された海外ゲストを代表しイ・ヨンアさん(韓国・参与連帯)がスピーチしました。日本による植民地支配を背景に、韓国は世界で2番目に被爆者が多い国ですが、核抑止論も台頭しています。核廃絶をともにめざすことを表明されました。また、サハラ・アラブ民主共和国外務省外務省のブラヒム・モジタール・アジア局長からのメッセージが紹介されました。

被爆体験者訴訟第二次原告団長の山内武さんと原告団相談役の平野伸人さんから、12キロ圏内で被爆したにも関わらず、いまだ被爆者と認められないままの「被爆体験者」の皆さんのおかれた状況について訴えられました。残された時間はわずかだとし、一刻も早い被爆者認定と問題の解決を実現するため、ともに声を上げましょうと呼びかけられ、参加者は満場の拍手で応えました。

全国から集まった第28代高校生平和大使・高校生1万人署名活動のメンバーのみなさんが登壇、本年は8月下旬から9月上旬にジュネーブ派遣が予定されている高校生平和大使一人ひとりがそれぞれ決意表明を行いました。また、韓国から来日された高校生の皆さんからもアピールがありました。そして高校生1万人署名活動のテーマソングである「この声をこの心を」の合唱が披露されました。

谷雅志・事務局長から大会基調を提起しました(→全文はこちら)。「被爆80年」への注目を一過性のものとせず、山積する課題の解決に向け持続的にとりくむことが、核なき世界へと繋がっているとしたうえで、若い世代に継承するだけではなく、現世代がしっかりと役割を果たしていくことを訴えました。

最後に「原爆許すまじ」を斉唱し、閉会しました。
長崎大会は、8日に分科会・フィールドワーク・ひろばなどの企画、9日に閉会総会を予定しています。

【被爆80周年原水爆禁止世界大会・長崎大会】開会行事

国際シンポジウムとまとめ集会を開催 「被爆80周年原水爆禁止世界大会・広島大会」3日目

2025年08月07日

8月6日、広島市・県民文化センターで「被爆80周年原水爆禁止世界大会・広島大会」国際シンポジウムとまとめ集会を開催し、約550人が参加しました。

本年の国際シンポジウムは「被爆80年 核兵器廃絶に向けた歩み」をテーマに、 リリー・ドラグネフさん(アメリカ・ピースアクション)、イ・ヨンアさん(韓国・参与連帯)、秋葉忠利さん(原水禁顧問、元広島市長)がパネリストとして参加〔コーディネーター:染裕之(共同議長)〕。なお、参加予定で残念ながら出席できなかったイギリス・核軍縮キャンペーン(CND)からはビデオメッセージが寄せられました。被爆80年にあたり、ここまで積み重ねてきた運動の歴史的意義を確認しつつ、核使用の危機が高まる現下の世界情勢を踏まえた議論が交わされ、先制不使用宣言などをステップとした核兵器廃絶に向けた具体的な展望なども語られました。

また、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)のメリッサ・パーク事務局長が来場し、連帯のあいさつを述べました。

まとめ集会では、広島大会を総括しつつ、「ヒロシマ・アピール」を採択しました(全文は記事下部に掲載しています)。被爆80年、多くの課題が残されており、またいっそう厳しい世界情勢が立ち現れていることはたしかですが、いっぽうで私たちは核廃絶という希望の道筋を見失ってはいません。「核と人類は共存できない」の理念をいまいちど確認し、「核も戦争もない社会の実現」へとすすんでいきましょう。

以後、8月7・8・9日の日程で長崎大会を開催します。引き続きのご参加・ご協力・ご注目をお願いします。

被爆80周年原水爆禁止世界大会・広島大会まとめ報告(谷雅志・事務局長)

原水禁世界大会広島大会に全国各地はもとより、世界各国からも多くの方のご参加いただきました。暑さの厳しい中でのご参加、ありがとうございました。

開会総会・各分科会にお集まりいただいた2200人のみなさんの熱量を、今後の原水禁運動に生かしていきたいと思っています。この大会がその一つの契機となれば何より幸いです。

今日8月6日。80年前のこの時間のヒロシマは、原爆投下後の凄惨を極める状況にありました。被爆者の語りを聞くたびに、貴重な資料を見聞きするたびに、私は当時の惨状に思いをはせ、身が震える恐怖を覚えます。80年経ってもその被害の大きさ、むごたらしさは、まさしく恐怖でしかありません。戦争が行きついた先に、原爆投下という事実があったことを、私たちは決して忘れません。原爆を二度と使ってはならない、核兵器を使うことなど許されない、そのおもいを強くするために、恐怖を覚えるというこの気持ちは、これから引き継いでいかなくてはならない、継承されるべきものの一つです。

昨年、日本被団協がノーベル平和賞を受賞しました。その授賞理由として、被爆者がこれまで世界各国で語ってきた被爆の実相が、国際社会における「核の非人道性」「核のタブー」を確立してきたこと、そしてそれが今、危機的状況にあることが語られました。ロシアによる核兵器使用の威嚇発言や、核弾頭数の増加、戦争や紛争が絶えることなく起こり続けている現状は、核兵器が使われてしまう可能性があることを示しています。

核兵器が存在することを一定認める「核抑止」の考え方は、核兵器使用リスクが常に存在し続けることになります。ここ広島の、そして長崎の被爆の実相から何を学ぶのか、それが問われています。先ほども核兵器廃絶への具体的な道筋として、「2035/2045プラン」を秋葉忠利さんからお話しいただきました。被爆者のおもいを受け止めたいと願う私たちは、被爆者のみなさんが一人でも多くいらっしゃるうちに、核抑止という考え方を乗り越え、核廃絶を実現する社会をめざしていきます。

国内においては、核武装や核共有を声高に主張する人たちがいます。万が一、日本が攻められたときに、それに対抗する軍事力を備えておかなくてはならないとする考え方の先に、核兵器を持つことを想定していると思われますが、軍事力に対抗することで、私たちの安全な暮らしが守られるとは到底思えません。軍事的エスカレーションを招き、防衛費という名の軍事費を増強し続ける軍備拡張路線を歩む先が、再び戦争という道につながるのではないかと思わずにはいられません。いつか来た道を再び歩むことなく、過去の歴史から学ぶことが必要です。

日本政府には、私たちの生命と財産を守ることが課せられています。そうであるならば、ミサイルを撃たれたらどうすると喧伝するよりも、ミサイルを撃たせないための平和外交にこそ力を尽くすべきです。そのことが現実的な私たちの安全を確保する道だと考えます。

日本被団協の授賞理由には、国内における被爆の実相の継承が確実に進んでいることも述べられました。毎年こうして大会を開催してきたこと、高校生平和大使をはじめとした若い世代への期待の表れ、そして、現世代の私たちの責任が問われているのだと受け止めています。

原水禁世界大会は、ここ広島に集うことに重要な価値があることを確認しながら、対面での開催を続けてきました。今年の大会でも、初めて原水禁大会に参加したという参加者が多くいらっしゃるのではないかと思います。そういった意味では、この大会を原水禁運動の入口としていただき、各地域や各組織へ、その成果を持ち帰っていただくことで、運動の具体的な進展を図っていただくことをお願いします。

この3日間、開会総会から各分科会、ひろばやフィールドワーク、そうして今日の国際シンポジウム・まとめの集会と現地広島の実行委員会のみなさんには大変お世話になりました。各分科会を運営していただいた運営委員のみなさんを含めて、大会を支えていただいたみなさんに、心よりお礼を申し上げます。

運動の具体的な進展とは、どこかで誰かがやってくれることではなく、今、私が何をするか、ということの積み重ねを続けていくことが最も重要だと考えます。私自身もこの場をみなさんと共有することで、その責任を改めて感じています。このあと戻られましたら、ぜひお隣のどなたかに、今日感じたことを伝えていただければ、それが運動の第一歩になると思います。大きなうねりをつくり出していく一歩を、ともに踏み出していただきますようお願いし、広島大会のまとめとします。

ご参加いただきありがとうございました。

被爆80周年原水爆禁止世界大会・広島大会「ヒロシマ・アピール」

1945年8月6日午前8時15分、広島に投下された原子爆単は、強烈な「熱線」、「爆風」、「放射線」のもと、その年の内に14万人もの生命を奪い去りました。そして、生き残った被爆者も、放射線後障害に悩まされてきました。

あの日から80年、被爆者は、「核戦争を起こすな、核兵器をなくせ」「ふたたび被爆者をつくるな」と、力のかぎりに訴え続けてきました。
そうした中、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が2024年のノーベル平和賞を受賞されました。被爆者のみなさんが凄惨な体験を具体的な言葉で語ってこられたことが、「核のタブー」を確立させる大きな原動力となってきたことが評価されたものです。
しかし、被爆者の平均年齢は86歳を超え、残された時間は決して多くはありません。核兵器廃絶はまさに待ったなしの課題です。高校生や大学生をはじめ、核兵器や原発の存在に疑問を持ち、活動を主体的に担おうとする若者や、原水禁運動を支えてきた労働運動や市民運動がいっそう手を携え「核も戦争もない社会の実現」へと歩んでいかなければなりません。

世界では、ロシアによるウクライナ侵攻、イスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの「ジェノサイド」とも言われる攻撃により、多くの市民の命が奪われ続けています。核保有国の軍事行動は、核兵器使用の危機を高めています。
さらには、イスラエルやアメリカ・トランプ政権により、イラン核施設等への攻撃が行われたことは、核拡散防止条約違反であり、許すことができません。
こうした中で、2026年には、核拡散防止条約(NPT)と、核兵器禁止条約(TPNW)について、再検討会議が予定されており、具体的な前進が図られるのか、極めて重要な局面を迎えます。今年の3月に開催された核兵器禁止条約第3回締約国会議において、政府は今回もオブザーバー参加を見送りました。戦争被爆国である日本政府には、早期に核兵器禁止条約を批准し、核兵器廃絶をめざす国との連携を図ることを求めます。

東日本大震災・東京電力福島第一原発事故から14年が経過しました。
政府は事故の教訓と被害の現状を全く顧みず、「脱炭素」を理由に第7次エネルギー基本計画において、「原発の最大限活用」へと重大な方針変更を行いました。
福島では、いまだに事故収束が見通せず「原子力緊急事態言」が出されたまま、2万4千人が福島県内外への避難生活を強いられています。「核のごみ」は、いまだ最終処分方法さえ決まっていません。政府はこうした現実を直視し、脱原発・脱再処理へと、エネルギー政策を抜本的に転換すべきです。

今年、ヒロシマは被爆80周年を迎えました。私たちはこの地に集い、原子爆弾がもたらした被害の実相を再度心に刻み、人類がはじめて受けた衝撃を決して忘れることなく語り継ぎ、行動する決意を新たにしました。
「核と人類は共存できない」の理念のもと、原水禁運動を大きく拡げていきましょう。
ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・フクシマ、ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ

2025年8月6日
被爆80周年原水爆禁止世界大会・広島大会

【被爆80周年原水爆禁止世界大会・広島大会】国際シンポジウム「被爆80年 核兵器廃絶に向けた歩み」

【被爆80周年原水爆禁止世界大会・広島大会】まとめ集会

「被爆80周年原水爆禁止世界大会・広島大会」2日目 分科会・ひろば・フィールドワーク・子ども企画を開催

2025年08月06日

「被爆80周年原水爆禁止世界大会・広島大会」は2日目となる8月5日、6つの「分科会」のほか「ひろば」や「フィールドワーク」を実施しました。

各分科会では講師からの提起や各地からの報告を受け、活発な議論が行われました。とりわけ、初参加者からも積極的な発言がありました。フィールドワークでは戦争遺跡「大久野島」「安野発電所」を訪問し、戦争の実相の一端に触れることができました。

本大会には多くの子どもたちも参加しています。原爆供養塔前での慰霊祭、平和公園の碑めぐり、「被爆電車」乗車や被爆証言を聞く会などが行われました。

午後には大学生や高校生が中心となって企画・運営するワークショップを開催。「朗読劇」「うちわ制作」「新聞作成」に分かれ、今回広島に来て、見て、感じたことをを共有しあいながら、平和の大切さに関する学びをいっそう深めていきました。

以下に、各分科会のアーカイブ動画を掲載します。

第1分科会「平和と核軍縮Ⅰ-世界の核軍縮」

第2分科会平和と核廃絶Ⅱ-日本国内の情勢」

第3分科会「脱原発-脱原発の実現に向けて」

第4分科会「ヒバクシャⅠー世界のヒバクシャ」

第5分科会「ヒバクシャⅡ-被爆者から被爆二世・三世へ」

第6分科会「見て・聞いて・学ぼうヒロシマ」

「被爆80周年原水爆禁止世界大会・広島大会」が開会しました

2025年08月05日

8月4日、「被爆80周年原水爆禁止世界大会・広島大会」開会総会が広島市・グリーンアリーナで行われ、約2200人が参加しました。

開会総会の前段には、平和記念公園から開会総会会場に向けた「折鶴平和行進」が行われ、広島市街を行進した各地からの参加者が続々と会場へと参集しました。

今回は会場ロビーに丸木位里・俊夫妻の「原爆の図第1部『幽霊』」、ノーベル平和賞メダル(いずれもレプリカ)が展示され、参加者が興味深く鑑賞する姿が見受けられました。

 

本総会の司会は新藤莉々依さん(高校生1万人署名活動OP)が務めました。はじめに、参加者全員で広島・長崎、そしてすべての核被害者に黙とうを捧げました。

金子哲夫・共同実行委員長が主催者あいさつ。昨年の日本被団協のノーベル平和賞受賞は、核使用が危惧される情勢のなか、被爆者の活動への期待が高まっていることが背景にあるとしました。また、70年前の第1回原水禁世界大会で確認された、原水爆が禁止されてこそ被害者の真の救済が実現されるとのことばを引き、あらためてそのことをめざしとりくむことを参加者に呼びかけました。

来賓として広島市市民局国際平和推進担当局長の山藤貞浩さんが登壇し、松井・広島市長からのメッセージを代読しました。

7月26日に開催された福島大会の報告、そして福島原発をめぐる現状と課題について、福島県平和フォーラム事務局次長の福地勉さんが発言。政府の原発回帰のエネルギー政策のなかで、遅々として進まない廃炉作業の実態は覆い隠されています。生活と健康に多大な被害をもたらした原発の再稼働を許さないため、ともにとりくむことを訴えました。

日本被団協代表委員で広島県被団協理事長の箕牧智之さんから被爆証言を受けました。箕牧さんは東京生まれですが、父の故郷の広島に疎開しました。当時3歳5か月だった箕牧さんは、父を探すため母に連れられ「入市被爆」しました。戦後、大病を患ったり、貧しさのなか働きながら学ぶなどの苦労を重ねてきました。そして、現在に至るまで核廃絶、戦争のない世界の実現に向けとりくまれてきた思いを語りました。

続いて、東京・広島・長崎選出の高校生平和大使と高校生1万人署名活動実行委員会のみなさんが登壇。全体を代表し広島選出の高校生平和大使の皆さんが核なき世界に向けがんばる決意を述べました。

開会総会に参加した海外ゲストが紹介され、代表してアメリカ・ピースアクションのリリー・ドラグネフさんがスピーチ。世界的な混乱のなかでも希望はあるとし、決意をもって草の根の力で現状を打開し、核なき世界をめざしとりくむとしました。

続いて、ドイツ緑の党のハーアルド・イブナー・連邦議会議員のビデオメッセージが上映されました。また、サハラ・アラブ民主共和国外務省外務省のブラヒム・モジタール・アジア局長からのメッセージを紹介しました。

谷雅志・実行委員会事務局長が大会基調を提起しました(→大会基調全文はこちら)。被爆80年、なにより現世代のがんばりこそが問われていることを強調しました。広島・長崎の被爆の実相を学ぶことの重要性を確認するなかで原水禁大会は初参加者が過半を超える状況にあり、ますますその意義は高まっているとし、核兵器廃絶、被爆者救済、脱原発を実現していくため、原水禁大会を基軸に、引き続き運動を継続していくことを訴えました。

その後、広島音楽サークル協議会のみなさんのリードで「原爆許すまじ」を合唱しました。

さいごに、秋葉忠利・代表委員が閉会あいさつを行いました。これまで真摯に核廃絶に向けてとりくまれてきた被爆者の皆さんをはじめとしたすべての人びとへの感謝を述べました。核廃絶の強い意志と勇気を持つことの重要性を確認するとともに、一人ひとりが当事者として、主権者として、行動の第一歩を踏み出すことを呼びかけました。

広島大会は今後、5日に分科会・ひろば・フィールドワーク、6日に国際シンポジウムとまとめ集会が行われる予定です。

「被爆80周年原水爆禁止世界大会・広島大会」開会総会アーカイブ動画

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