10月, 2024 - 原水禁

女川原発2号機の再稼働を許さず、原子力推進政策の撤回を求める原水禁声明

2024年10月30日

10月29日の女川原発再稼働をうけて、原水禁は「女川原発2号機の再稼働を許さず、原子力推進政策の撤回を求める原水禁声明」を発表しましたので、ここにお知らせいたします。

女川原発2号機の再稼働を許さず、原子力推進政策の撤回を求める原水禁声明

10月29日、東北電力は女川原発2号機の原子炉を起動し再稼働させた。福島第一原発事故後、東日本で初めての再稼働となる。

今回再稼働した女川原発2号機は、事故原因の究明がいまだなされていない福島第一原発と同型の沸騰水型軽水炉(BWR)であり、先に西日本で再稼働をしている加圧水型炉(PWR)とは意味合いを異にするものである。東日本大震災では、高さ約13メートルの津波に襲われ、原子炉建屋地下が浸水するなど被災した。先の能登半島地震でも大きな問題となった住民の被災と避難の問題については何ら解決されていない。事故時の避難計画に実行性がないとする住民訴訟の判決もまだ出ておらず、再稼働に対するさまざまなリスクを取り除けていない。

女川原発2号機の再稼働は、夏や冬に電力需給が逼迫しやすい東日本での安定供給を念頭にすすめられた。しかし、いまだ行き先の決まらない高レベル放射性廃棄物(核のごみ)問題をかかえ、高コストで安全とはいえない原子力発電に頼ることは、決して持続可能な解決策ではない。

GX基本方針を策定後、政府は福島原発事故そのものがなかったかのように、原発積極活用へと舵を切っている。原発事故によっていまだ故郷に帰ることもできないまま避難を強いられている人々が2万人以上いるにもかかわらず、なぜ今も原発推進をするのか、だれかの犠牲の上に成り立つような原子力政策を私たちは望んでいない。

私たちは、福島原発事故を経験し、能登半島地震により日本のどこでも地震のリスクがあることを再認識し、自然災害と原発事故による複合災害への危機感を強く持っている。気候危機による自然災害が多発している今、さらに原発再稼働によって複合災害へのリスクを高めることは、住民の安全な暮らしを奪うも同然のことである。そして、それは命に関わる重大な問題だと認識すべきだ。

原水禁は、原子力政策が既に行き詰まっていることをこれまでも繰り返し指摘してきた。原子力政策を延命させるために様々な理屈をつけて原発の再稼働をすすめるのではなく、各地域での持続可能な再生可能エネルギーによる発電の普及や省エネ政策に本腰を入れていくべきだと考える。原子力推進政策の維持継続ありきの議論を脱し、だれもが安全な暮らしができる未来を描いていく必要がある。

私たちはあらめて、女川原発2号機の即時停止と、原子力推進政策の撤回を強く求める。

2024年10月30日
原水爆禁止日本国民会議
共同議長 川野浩一
金子哲夫
染 裕之

【原水禁声明】日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)のノーベル平和賞受賞に際して

2024年10月12日

日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)がノーベル平和賞を受賞したことについて、原水禁は、10月12日付で以下の声明を発表しました。

日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)のノーベル平和賞受賞に際して

ノルウェー・ノーベル委員会は10月11日、今年のノーベル平和賞を日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)に授与すると発表しました。被爆者が二度と核兵器を使ってはならない、世界に核兵器はいらないと訴えてきた活動が高く評価されたものであり、これまで活動を積み重ねてこられた日本被団協のみなさんへ、心より敬意を表し、受賞をお慶び申し上げます。

広島と長崎に原爆が投下された1945年から9年後の1954年、日本のマグロ漁船「第五福竜丸」が太平洋のビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験で被爆したことをきっかけに、国内で原水爆禁止運動が高まりました。原水爆禁止を求める署名活動は、「核実験反対」「核兵器反対」の全国的な運動として津々浦々で展開され、3200万筆を超えて集められました。日本被団協はその2年後の1956年に被爆者の全国組織として結成され、被爆の実相を伝えるために国内はもとより、海外でも講演や被爆証言などを積極的に積み重ねてこられました。

これまでに被爆者のみなさんが語ってきた凄惨な被爆の実相が、国際社会における核兵器の非人道性を明らかにし、またヒロシマ・ナガサキ以降今日まで、戦争による核兵器使用を阻む最も大きな力となってきました。ノーベル委員会が「核のタブーの確立に大きく貢献してきた」と述べているように、被爆者のみなさんが果たした役割を重く受け止める必要があります。

世界では、核兵器を所有することで互いの緊張状態を作り、戦争を回避しようとする「核抑止論」への傾斜が強まり、核保有国から核兵器使用の威嚇が公然と発せられている現状があります。日本国内においても「核共有」を検討すべきなどと声高に主張する政治家さえ見受けられます。

しかし核兵器が存在する限り、核兵器使用のリスクは永遠になくなりません。被爆者が「二度と自分たちと同じおもいを他の誰にもさせるわけにはいかない」と語ってきた原点は被爆の実相であり、今こそ世界はそこに向き合い、学び、核兵器使用が迫る危機的状況を乗り越えていかなくてはなりません。

2021年には国際条約として核兵器禁止条約(TPNW)が発効しました。核兵器のない世界は具体的に達成できる未来であるということが確立されたのです。世界で核兵器の非人道性の確立に尽力してきた被爆者のおもいを真に受け止めるのであれば、ヒロシマ・ナガサキを経験した日本こそが、今すぐ核兵器禁止条約に署名・批准すべきです。2023年12月に、ニューヨークの国連本部で開かれた第2回締約国会議には、アメリカの「核の傘」のもとにあるドイツやベルギーなどもオブザーバーとして参加しましたが、残念ながら日本政府の姿はありませんでした。国内においては、被爆者援護の残された課題である長崎の「被爆体験者」問題があります。日本政府は一日も早く「被爆体験者」は被爆者だと認め、すべての被爆者の救済にとりくむべきです。

ノーベル委員会の説明した授賞理由の中には、「いつの日か、被爆者は歴史の証人ではなくなることでしょう。しかし、記憶を留めるという強い文化と継続的な取り組みにより、日本の若い世代は被爆者の経験とメッセージを継承しています」とあります。今後も原水禁は、被爆二世三世や高校生・大学生等といった次の世代に、確実に被爆の実相が継承されるよう運動にとりくんでいきます。

2025年には被爆80年を迎えます。日本被団協がノーベル平和賞を受賞したことに私たちも励まされながら、原水禁は今後も「核と人類は共存できない」との立場に立ち、核も戦争もない社会の実現に向け、全力でとりくんでいく決意です。

2024年10月12日
原水爆禁止日本国民会議
共同議長 川野浩一
金子哲夫
染 裕之

9月29日、「JCO臨界事故25周年集会」を開催しました

2024年10月01日

9月29日、東海村石上内宿の石神コミュニティーセンターで、原水爆禁止日本国民会議や茨城平和擁護県民会議など六つの市民団体の主催で「JCO臨界事故25周年集会  JCO臨界事故を忘れない!とめよう、東海第二原発の再稼働!」を開催しました。
想定を超える200人の参加に、会場では用意した椅子が足りず、慌てて追加するなど、東海第二原発の施工不良に象徴される原子力政策の問題の多さに関心の高さがうかがえました。

 

まず地元挨拶として、大泉実成さんからお話を伺いました。JCO臨界事故によって被害者となった両親のつらい体験を、健康被害裁判の原告として争った経緯を通して、裁判所の判断の理不尽さやその判断の「残酷さ」を知ってもらいたいと、話しました。
続いて、主催団体を代表して原水禁の谷雅志事務局長が、3.11を体験した日本が再び原子力政策に舵を切ったという過ちを指摘し、原子力政策に反対の声を上げていこうと挨拶をしました。
近隣自治体からのメッセージ紹介ののち、JCO臨界事故住民健康被害訴訟弁護士を務めた伊東良徳弁護士が、「JCO臨界事故と健康被害裁判から」をタイトルに講演を行いました。JCO臨界事故がどのようにして起きたのか、事故について裁判所がどのような判断をしたか、3.11福島原子力発電所の事故前後で規制当局・事業者・裁判所がどのように変わったのかを話しました。
特別報告では、東海第二原発差止訴訟団共同代表の大石光伸さんが、東京高裁での裁判の状況を中心に、東京電力の隠蔽体質、丸投げ体質、そして、規制委員会の事業者任の新検査制度の不備について、熱く訴えかけました。
最後に、力強く集会アピールが読み上げられ、会場の参加者は、脱原発の思いをより一層強くしました。
集会終了後には、「原発再稼働を許さない」「JCO臨界事故を忘れない」と声をあげながら、JR東海駅まで約2.3キロの道のりをデモ行進しました。

 

 

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