8月, 2024 - 原水禁

核燃料サイクル政策の破綻を認め、撤退の道筋を示すことを求める原水禁声明

2024年08月30日

原水禁は、8月30日付で以下の声明を発表しました。

核燃料サイクル政策の破綻を認め、撤退の道筋を示すことを求める原水禁声明

政府が、いよいよ核燃料サイクル政策の破綻を認めざるを得ない時がきた。

核燃料サイクル政策とは、使用済燃料のウランやプルトニウムを化学処理(再処理)して繰り返し使用するエネルギー政策であり、その政策の中核に位置付けられるのが再処理技術、青森県六ケ所村に建設中の再処理工場である。

日本原燃株式会社(原燃)は、8月29日、『再処理施設・廃棄物管理施設・MOX燃料加工施設のしゅん工時期見直しに伴う工事計画の変更届出』を発表した。

変更の概要は、①再処理施設および廃棄物管理施設の工事計画において、完成目標を「2024年度上期のできるだけ早期」から「2026年度中」への変更、②MOX燃料加工施設の工事計画において、完成目標を「2024年度上期」から「2027年度中」へ変更とする2点である。

今回、発表された青森県六ケ所村で建設中の再処理工場の完成目標の延期は27回目となり、あわせてMOX燃料加工工場の完工延期も8回目となった。

原燃側は、完工延期の要因として原子力規制委員会からの耐震評価のほか、追加工事などを挙げているが、1989年に事業許可を申請し、1997年に完成する計画から幾度もトラブルを繰り返し、工事着工から30年を過ぎても実現せず、いまだ確立されない核燃料サイクル全体への信頼は完全に失墜している。

また原燃の増田宏尚社長が記者会見で「過去の設計に固執しすぎた」「見通しの立て方が悪かった」と発言したが、30年以上かけていまだ設計管理が出来ていない計画を受け入れること自体が無理難題であり、決して市民の理解を得られるものでは無い。

核燃料サイクル政策は、兆単位で投入してきた税金と電力料金を無駄にし、技術的にも極めて困難であり、現実性を欠いたものである。そもそも建設計画当初に稼働していた40基の原子力発電所という前提自体が大きく変わっている。

原水禁はこれまで、原子力政策自体が破綻しており、抜本的な政策の見直しが急務であることを訴えてきた。そして、原子力政策を盾に「核」の問題にしがみつく姿勢、核燃料サイクル政策を継続するために確立されていない技術に税金を注ぎ込む政府の迷走は、無責任そのものであると考える。

原燃が示す「楽観的な独自の見解」をもとにした工事計画を鵜呑みにすることなく、政府は、核燃料サイクルの破綻を認め、今すぐ撤退の道筋を示すべきである。そして、いまこそ破綻した原子力政策のもとで稼働する原発を即時停止させることを、原水禁は強く求める。

2024年8月30日
原水爆禁止日本国民会議
共同議長  川野浩一
金子哲夫
染 裕之

8月24日「STOP!!東海第二原発の再稼働 いばらき大集会」が開催されました。

2024年08月26日

東海第二再稼働阻止に600人

8月24日に水戸市で「STOP!!東海第二原発の再稼働 いばらき大集会」が開かれました。東海第二原発の再稼働は内部告発により防潮堤の工事不備が明らかになり2年間の延期が、直前に知らされました。
この日の集会は賛同人に名前を連ねる、宮嶋謙かすみがうら市長と中島栄三浦村長も二人も自ら参加して、再稼働反対の発言を檀上から、元東海村長の村上達也さんと共に訴えました。
「志賀原発廃炉に!訴訟原告団」の北野進さんから、写真を交えた講演があり、元旦に能登半島地震があった珠洲市で、10基の原発設置計画を撤回させた炉心予定地で2mもの隆起があった事報告されました。
集会後には、駅前からのメインストリートを、再稼働反対の声を挙げながらアピール行動が行われました。

核も戦争もない世界をめざし、原水禁運動のさらなる発展を 「被爆79周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」が閉会

2024年08月10日

8月9日、「被爆79周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」閉会総会が長崎県立総合体育館アリーナで開催され、約1000人が参加しました。

米村豊・現地実行委員長から主催者あいさつ。

続いて谷雅志・事務局長が3日間にわたる長崎大会全体についての総括を報告しました(全文は本記事下部に掲載)。

第27代高校生平和大使と高校生1万人署名活動のメンバーが登壇。核廃絶に向けてがんばる決意を表明しました。

「特別報告」として、鹿児島県護憲平和フォーラムの磨島昭広・事務局長より馬毛島への米軍基地建設問題の現状について報告がありました。

最後に「大会アピール」(全文を本記事下部に掲載)を全体で確認し、集会を終了しました。

その後、閉会総会会場から爆心地公園に向けて「非核・平和行進」に出発。11時前に爆心地公園に到着し、原水禁を代表し川野浩一・共同実行委員長と米村・現地実行委員長が慰霊碑に献花。原爆投下の時刻11時2分には大会参加者がいっしょに黙とうを捧げました。

核廃絶へむけた具体的な運動の展開をはかっていくうえで、これからの1年間は重要なものとなります。大会アピールでも確認されたように、わたしたちの運動の原点をあらためて確認しつつ、核も戦争もない世界の実現をめざし、全国各地でとりくみを強めていきましょう。

「被爆79周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」閉会総会アーカイブ動画

「被爆79周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」谷事務局長まとめ報告

被爆79年を迎えた今日、私たちは改めて原爆によって奪われた多くの命と、その後長らくずっと、こんにちまでその被害に苦しめられている多くのみなさんに心を寄せます。

今大会は1000人に参加いただいた開会行事から昨日の分科会・ひろば・フィールドワーク、そしてこの閉会総会、この後平和行進と開催していきます。

とくに各分科会については運営委員のみなさんからいただくまとめを、改めてみなさんと共有することとし、ここでは時間の関係からポイントを絞って触れます。

ここで感じたことを各地域に戻ってご自身の言葉で、周りに語りかけてください。

長崎において長らく解決できずにいる「被爆体験者」問題。開会行事の中で池田章子さんから詳しくご説明をいただきました。大会に参加された方からは初めてこの問題を理解した方もいらっしゃるのではないでしょうか。このあと、被爆体験者と岸田首相の面談が予定されており、そこでどういった話が出るのかについて注目しているところです。被爆から79年経った今においても、旧長崎市かどうかという目に見えない行政区分によって、被爆者と認められないことは、国による差別的扱いだと言えます。被爆者の平均年齢が85.58歳となっている今、被爆体験者もヒバクシャですから、同じように高年齢化が進んでいます。この問題の解決をこれ以上先延ばしにすることは許されません。被爆体験者は被爆者です。

次に、この大会期間中の8月7日、岸田首相は自民党の会合の中で憲法について、緊急事態条項に加え、憲法9条への自衛隊の明記をテーマとする国民投票の実施をめざすという考えを示したことが報道されました。本大会の分科会でも、「戦争のできる国づくり」が進む危険性と、その先に捉えられている改憲について、をテーマに、学習と議論を深めてきました。私たちが望む社会は、核も戦争もない、安心して暮らすことができる社会です。平和外交によってそれを実現しようと努める責務は、日本政府にあります。特にここ長崎で、今日8月9日に、戦争のできる国作りについて口にすることなど、決して許されることではありません。

また、長崎市の式典にアメリカやイギリスなどの駐日大使が欠席する意向であることも報道されました。今日は、全世界がここナガサキに思いを寄せ、二度とあのような凄惨な経験を繰り返すことはないと決意し、平和を願う日です。ナガサキを政治的に利用することなど許されません。今でもウクライナやガザなど、止むことのない戦争行為によって多く命が奪われ続けています。私たちは、これ以上命が奪われることを許すわけにはいきません。8月9日にここナガサキにおいて、繰り返し命の大切さを訴えます。

被爆から79年がたった今日においてもその被害に苦しめられている被爆者のみなさんやその家族がいます。ひとたび受けた被害の大きさはもちろんのこと、その後続く時間軸としての長さ、決して終わることはないという時間の長さもまた、重要な問題であると改めて捉える必要があります。

こういったことを、先の未来に繰り返さないためにも、核なき世界の実現をはからなければなりません。日本政府はいまだ核兵器禁止条約に署名・批准をしようとはしません。こういった政府を動かしていく力は私たち市民による原水禁運動にあると考えています。私たちの力で日本政府に、核兵器禁止条約への署名・批准を強く求めていきましょう。政府は他国との関係において、緊張状態を煽ることではなく、平和外交にこそ努めるべきです。武力による対抗路線を歩むことは、いつか来た道を再び歩むことにつながるのではないかと、強い危機意識を感じます。そもそも、恒久平和の実現がしっかりと示されているのが、憲法理念だと考えます。

大会の開催にあたり、現地実行委員会として福島・広島・長崎のみなさんには多大なるご協力をいただきました。心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

夏の暑さも厳しい中、各地で取り組まれている原水禁運動にも改めて敬意を表します。

来年は被爆80年を迎えます。被爆者のみなさんの切なる願いである核廃絶へむけた具体的な運動の展開をはかっていく必要があります。国際シンポジウムでも話のあった「先制不使用宣言 NO FIRST USE 」についての議論と理解を深めながら、被爆の実相を原点に「核と人類は共存できない」とする信念にもとづいた原水禁運動を各地域で展開していきましょう。

被爆79周年原水爆禁止世界大会・大会アピール

歴史的な最高気温の話題が繰り返される暑さの中、私たちは7月28日の福島大会から、8月 4・5・6日の広島大会、7・8・9日の長崎大会と、原水爆禁止世界大会を開催してきました。

世界では戦争による惨禍が収まらず、命の尊厳が軽視される状況が続いています。ロシアによる核兵器使用の威嚇発言や核兵器の配備・訓練といった動き、アメリカの議員による戦争終結のためには原爆使用を肯定的にとらえるといった発言など、核兵器をめぐる状況も大変厳しいものがあります。ヒロシマ・ナガサキの原爆投下以降、これまで戦争による核兵器使用を許さない大きな力を生み出してきた源は、被爆者の体験と運動です。振り返ることもつらい、凄惨な体験を言葉にして伝えることで、核兵器の非人道性を明らかにし、核兵器廃絶を世界の人々の共通の目標としてきました。これまで着実に高めてきた「核兵器を二度と使ってはならない」とするハードルを下げるために、安定しない国際情勢を持ち出すことを、私たちは決して認めません。むしろ現在の不安定な国際情勢を作り出している原因の一つは、これまでの核抑止への依存にあります。日本政府は7月28日に開かれた日米安全保障協議委員会で、「核の傘」を含むアメリカの拡大抑止の連携強化を確認するなど、いまだ核抑止を積極的に捉えています。そこからの脱却なくして核廃絶の実現は描けません。

被爆79年から80年がせまる今、これまで核のない世界を希求してきた被爆者と私たちの願いは、いまだ実現していません。被爆者の切なる願いは、「こんな凄惨な体験は、私たちで最後にしてほしい」というものです。それは、核廃絶の実現に向けた具体的な歩みを進めることにあります。日本政府は、被爆者の訴えに真摯に耳を傾け、核廃絶に向け、国際社会で積極的な役割を果たすべきです。

私たちは今この時まで、核廃絶が実現していない現実を直視し、原水禁運動の継承をはかりながら、今後も粘り強くとりくみを強化していきます。核兵器禁止条約が発効されましたが、日本政府は署名に前向きな姿勢さえ示していません。戦争被爆国の日本が、この条約に批准することは、核のない世界の実現に向けた必要な一歩となります。私たちは日本政府に今すぐ署名・批准することを、改めて強く求めます。原水禁運動は被爆の実相を原点とし、核廃絶とヒバクシャ援護・連帯を両輪として、「核と人類は共存できない」という揺るぎない考えのもと、この世界大会を一つの契機としながら、各地域で核廃絶をめざす運動として積み重ねてきました。そのうえで、未来を思い描く将来像と合わせ、さらなる議論を深めながらとりくんでいきます。

核の軍事利用からも、核の商業利用からも、「ヒバクシャ」が生み出されてきました。本大会では、アメリカ・ニューメキシコ州に暮らすナバホの、ウラン採掘・精錬による被害とその後の住民運動について学び、連帯を深めました。長崎においては「被爆体験者」とされ、79年経った今も被爆者と認められない差別的状況が、解決に至っていません。「被爆体験者」は被爆者です。日本のみならず世界のヒバクシャをめぐる課題について、世代を超えた二世三世がその問題の解決に向けて、運動にとりくんでいます。

福島第一原発事故から 13年が経過しましたが、避難を強いられた住民は、いまだの生活に戻ることはできていません。そういった状況にもかかわらず、日本政府は原発事故被害者への支援を打ち切り、再び原発推進政策に舵を切りました。私たちは日本政府が原発事故の責任を認めず、再び原発を推進することを許しません。

被爆79周年原水爆禁止世界大会を通して、私たちは現状の課題認識を共有し、各地域での原水禁運動につなげていくことを確認しました。これからも、運動の原点を確認し、核も戦争もない世界を実現させるため、さらなる原水禁運動を継承・発展させていくことを決意し、本大会のアピールとします。

2024年8月9日
被爆79周年原水爆禁止世界大会参加者一同

分科会・ひろば・フィールドワークを開催 「被爆79周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」2日目

2024年08月09日

8月8日、「被爆78周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」2日目は6つの「分科会」のほか、「ひろば」、「フィールドワーク」を行いました。

高校生・若者のイベント「ピース・ブリッジ 2024 inながさき」も開催され、全国から集まった高校生からの活動報告、ノルウェー派遣報告、中村桂子さん(長崎大学核兵器廃絶研究センター 准教授)と山川剛さん(被爆者、元教職員)からの講演を受けるなど、核兵器による被害の大きさと現在の世界情勢などについて、ともに学びを深めました。

8月9日の長崎大会閉会総会と平和行進をもって本年の大会全日程を終える予定です。この大会をともに学び交流し、核廃絶の実現に向けた大きなうねりをつくりだすステップとするべく、ともにがんばりぬきましょう。

第1分科会「平和と核廃絶Ⅰ-世界の核軍縮」

第2分科会「平和と核廃絶Ⅱ-国内外の情勢」

第3分科会「「脱原発Ⅰ-脱原発にむけた全体の流れ」」

第4分科会「脱原発Ⅱ-核ゴミの具体的課題」

第5分科会「ヒバクシャ-ヒバクシャ継承・二世課題」

第6分科会「見て・聞いて・学ぼう“ナガサキ”」

「被爆79周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」が開会しました

2024年08月08日

8月7日、長崎市・ブリックホールにおいて「被爆79周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」開会行事が行われ、約1000人が参加しました。

冒頭、司会の三藤理絵さん(長崎大会実行委員)の呼びかけで原爆犠牲者への黙とうを行いました。

主催者を代表し川野浩一・共同実行委員長があいさつ。5歳で被爆していま84歳。自身の体験を振り返りつつ、被爆の記憶も意図的に消されようとしているとしか思えない日本の状況があり、戦争への反省やそれに基づく憲法もないがしろにされているとしました。核兵器禁止条約(TPNW)の締約国会議には日本政府はオブザーバ参加すらしていません。そのうえで「橋渡し役」などと自称する岸田首相を批判しました。日本こそが核廃絶の最先頭に立つべきであり、そのために政治を変えよう、ともにがんばろうと訴えました。

海外ゲストからは安月軍さん(中国人民平和軍縮協会)がスピーチし、中国が核兵器の「先制不使用」の立場を堅持することの重要性について発言。

また、デズモンド・ドラチョムさん(マーシャル諸島・大学教員、REACH-MI創設者)のビデオメッセージが上映されました。広島・長崎の原爆投下、福島第一原発事故、そしてマーシャルの核被害から学び、核廃絶のためにとりくむ原水禁への連帯を表明。

「被爆体験者」訴訟について、池田章子さん(長崎市議会議員)から報告がありました。「被爆体験者」問題とはなにかを解説したうえで、8月9日の「被爆体験者」団体と岸田首相の面会が、そして9月9日には長崎地裁判決が予定されているという状況にあり、必ず早期救済を実現させるためにも、引き続きの支援を呼びかけられました。

全国から集まった第27代高校生平和大使・高校生1万人署名活動のメンバーのみなさんが登壇、8月下旬にジュネーブ派遣が予定されている高校生平和大使一人ひとりがそれぞれ決意表明を行いました。あわせて合唱が披露されました。

福島県平和フォーラムの角田政志さんから福島第一原発事故から13年を迎えた現地からの報告が行われました。「ALPS」関連施設も含めた事故が頻発している現状は、遅々として進まない廃炉作業の計画そのものに無理があることを示していると指摘。原発再稼働を推し進めようとしていますが、福島の悲劇を繰り返させないため、エネルギー政策の再転換を実現しようと述べました。

谷雅志・事務局長から大会基調を提起しました(→全文はこちら)。被爆80年を前に私たちの運動がいっそう重要になっているとし、また市民の力を合わせた先にこそ核廃絶の展望があることを確信して、とりくみをすすめていくとしました。

最後に「原爆許すまじ」を斉唱し、閉会しました。

長崎大会は今後、8日に分科会・フィールドワーク・ひろばなどの企画、9日に閉会総会を予定しています。

【被爆79周年原水爆禁止世界大会・長崎大会】開会行事

「被爆79周年原水爆禁止世界大会・広島大会」3日目、国際シンポジウムとまとめ集会を開催

2024年08月07日

8月6日、広島市・県民文化センターで「被爆79周年原水爆禁止世界大会・広島大会」国際シンポジウムとまとめ集会を開催し、約550人が参加しました。

国際シンポジウムでは、「核兵器廃絶へ向けた一歩を踏み出すために」をメインテーマに、秋葉忠利さん(原水禁顧問、元広島市長) 、デーヴィッド・ギブソンさん(アメリカ・ピースアクション)、イ・ヨンアさん(韓国・参与連帯)をパネリストとして、議論を行いました〔コーディネーター:藤本泰成さん(原水禁顧問)〕。

引き続いて行われたまとめ集会では、広島大会の3日間での成果を総括しつつ、「ヒロシマ・アピール」を採択し(全文は記事下部に掲載しています)、現下の厳しい世界情勢も認識したうえで、この間とりくんできた被爆の実相の継承を基軸に据えながら、「核も戦争もない平和な社会」を実現するためにともにがんばりあうことを確認しました。

8月7日以降は、長崎大会を3日間の日程で開催していきます。引き続きのご参加・ご協力・ご注目をお願いします。

「被爆79周年原水爆禁止世界大会・広島大会」谷事務局長まとめ報告

被爆79年を迎えた今日、私たちは改めて原爆によって奪われた多くの命と、その後長らくずっと、こんにちまでその被害に苦しめられている多くのみなさんに心を寄せます。

今大会は2200人に参加いただいた開会総会から昨日の分科会・ひろば・フィールドワーク、今朝の国際シンポジウムと開催してきました。

とくに各分科会については運営委員のみなさんからいただくまとめを、改めてみなさんと共有することとし、ここでは時間の関係からポイントを絞って触れます。

ヒバクシャ連帯として、アメリカ・ニューメキシコ州・ナバホの居留区内にある2つのウラン鉱山と精錬所のあったコミュニティから、エディス・フッドさんとテリー・ケヤナさんをお招きし、分科会でお話しいただきました。

ウラン採掘にあたる労働者にとって、採掘したウラン鉱石が何に使われるのかも十分知らされることはありませんでした。放射性物質が含まれている事実も知らされることなく、山となって積まれる残土。特別にその周りに囲いをされるわけでもありませんでしたので、住民のみなさんは当たり前のようにそこで生活をつづけました。1979年には強い酸の混じった廃液が大量に川に流れだす重大事故を起こしますが、マスコミ報道はほとんどされることはありませんでした。その川に足をつけた住民は、まるで足がやけどを負った状態のようになったと聞きました。そういった事実は広く社会に問題として知らされることはなく、長く被害は続きました。2007年、ナバホで暮らす住民のみなさんは、何もしない政府に対して立ち向かうため、住民による草の根組織を作り、環境回復に向けて運動にとりくまれています。ウランは放射性物質であり、重金属でもあることから、体内での障がいは腎臓に起こるそうです。そういった住民の健康調査、家畜の調査などを行いながら、ナバホの考え方である「将来世代から土地を借りている」という思いのもと、環境回復を求めています。政府の姿勢は「too much money」除染には4400万ドルを超えるとする費用がかかることから、十分にはできないというものです。一部除染を行っても、また風によって運ばれてくる放射性物質によって大地は汚染されます。今もこの地域に日常的に生活している住民がいることは事実です。

この分科会では、核実験被害を受けたフレンチポリネシアから参加された方もいらっしゃり、発言してくださいました。分科会の中では質問意見がいくつか出ましたが、「採掘でヒバクをしている人がいるという事実を知らなかった」と、率直に述べられた言葉に象徴されるように、まずは知るということが重要であると確認されました。ナバホのみなさんが一番強く訴えられたことは「核廃棄物の汚染は長く続いている問題であり、今後も続いていく問題である」ということです。

被爆から79年がたった今日においてもその被害に苦しめられている被爆者のみなさんやその家族がいます。ひとたび受けた被害の大きさはもちろんのこと、その後続く時間軸としての長さ、決して終わることはないという時間の長さもまた、重要な問題であると改めて捉える必要があります。

次に、こういった被害を、先の未来に出さないためにも、核なき世界の実現をはからなければなりません。日本政府はいまだ核兵器禁止条約に署名・批准をしようとはしません。こういった政府を動かしていく力は私たち市民による原水禁運動にあると考えています。私たちの力で日本政府に、核兵器禁止条約への署名・批准を強く求めていきましょう。政府は他国との関係において、緊張状態を煽ることではなく、平和外交にこそ努めるべきです。武力による対抗路線を歩むことは、いつか来た道を再び歩むことにつながるのではないかと、強い危機意識を感じます。そもそも、恒久平和の実現がしっかりと示されているのが、憲法理念だと考えます。

来年は被爆80年を迎えます。被爆者のみなさんの切なる願いである核廃絶へむけた具体的な運動の展開をはかっていく必要があります。国際シンポジウムでも話のあった「先制不使用宣言・NO FIRST USE」についての議論と理解を深めながら、被爆の実相を原点に「核と人類は共存できない」とする信念にもとづいた原水禁運動を各地域で展開していきましょう。

被爆79周年原水爆禁止世界大会・広島大会「ヒロシマ・アピール」

1945年8月6日午前8時15分、広島に投下された原子爆弾は、強烈な「熱線」、「爆風」、「放射線」のもと、その年の内に14万人もの生命を奪い去りました。あの日から79年、被爆者の高齢化は進み、限られた時間の中で、援護対策の充実と国家の責任を明確にすることが急務となっています。

ロシアによるウクライナ侵攻が終結を見通せません。パレスチナ・ガザ地区では、イスラエルによる空爆など一方的で凄惨を極める攻撃によって、多くの市民、とりわけ女性と子どもの命が奪われ続けています。世界的に混乱が生じている今こそ、米国主導の軍拡路線ではなく、早期の停戦と平和への協議の重要性と日本国憲法のもつ平和理念を全世界に訴える必要があります。

この間、アメリカにおいて、政府高官が広島や長崎での原爆投下を改めて肯定したり、共和党議員が広島・長崎での原爆投下を引き合いにパレスチナ・ガザ地区での核兵器使用を主張したりと、極めて問題な発言が続く中、岸田首相や上川外相をはじめとする日本政府は、明確に抗議の意思を示していません。

岸田首相は、ことあるごとに被爆地広島の選出議員であることをアピールしながらも、戦争被爆国の政府首脳として果たすべき役割、すなわち核抑止論に立ちむかい、核兵器廃絶にむけた具体的な行動をとっているとは言えません。非核兵器保有国が中心となって成立させた核兵器禁止条約の拡大を実現させていくためには、唯一の戦争被爆国である日本が早期批准をすべきです。

東日本大震災・福島第一原発事故から13年が経過しましたが、いまだに「原子力緊急事態宣言」も解除できずにいるにもかかわらず、原発事故の「風化」も懸念されています。

今年1月に発生した能登半島地震は、改めて原発の危険性を明らかにしました。北陸電力志賀原発では、変圧器やモニタリングポストの故障、原子力規制庁の想定を上回る揺れの観測、連動しないとされた断層との連動など、数多くの「想定外」の事態が生じました。そして何より、原発事故と地震災害という複合災害が発生すれば、道路の寸断や集落の孤立、多くの家屋の倒壊・被災で、屋内退避も避難も困難な状態となり、現在の避難計画では住民の安全を確保できないということが明らかになりました。

この教訓を、原発依存・再稼働への強い警告と受け止め、私たちはこれからも全ての原発の廃炉と再生可能エネルギーへの転換を強く求めていきます。

原水禁運動の原点は被爆の実相です。子どもたちに核のない未来を実現するためには、若い世代が積極的に平和運動に参加し、被爆の実相をつなげて、次世代へと継承していかなければなりません。

今年で27年目となる高校生平和大使・高校生1万人署名活動をはじめとした若者たちへの支援は、まさに核兵器廃絶・平和運動の「次世代継承」にとって大変意義深い取り組みです。

これまで積み重ねてきた運動の継続と継承を進め、過去・現在から未来へと「核も戦争もない平和な社会」を届けるべく、これからも原水禁運動を全力で前に進めていきましょう。

ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・フクシマノーモア・ヒバクシャ、ノーモア・ウォー

2024年8月6日
被爆79周年原水爆禁止世界大会・広島大会

【被爆79周年原水爆禁止世界大会・広島大会】国際シンポジウム「核兵器廃絶へ向けた一歩を踏み出すために」

【被爆79周年原水爆禁止世界大会・広島大会】まとめ集会

分科会・ひろば・フィールドワーク・子ども企画 「被爆79周年原水爆禁止世界大会・広島大会」2日目

2024年08月06日

「被爆79周年原水爆禁止世界大会・広島大会」2日目の日程となる8月5日、参加者は広島市内・各会場に分散し、6つの「分科会」のほか「ひろば」や「フィールドワーク」に参加しました。

分科会では講師からの提起や各地からの報告を受け、活発な議論が行われました。また、「大久野島」「安野発電所」といった戦争遺跡をめぐるフィールドワークも実施。

第1分科会「平和と核廃絶Ⅰ-世界の核軍縮」では講師からのお話のほか、海外ゲストからも報告があり、核軍縮に向けた世界的な動きを多角的に学ぶことができました。

本大会には子どもたちも全国各地から多数参加し、原爆や戦争の被害の実相、そして平和の大切さを学びました。午前は平和記念公園・原爆供養塔前での慰霊祭、フィールドワーク、「被爆電車」乗車や被爆証言を聞く会などに参加。

午後には大学生や高校生が中心となって企画・運営するワークショップが行われました。きょう学んだことを新聞形式にまとめたり、平和への想いをうちわに描いたりしながら、地域を超えての交流を深めることができました。

第1分科会「平和と核廃絶Ⅰ-世界の核軍縮」

第2分科会平和と核廃絶Ⅱ-日本国内の情勢」

第3分科会「「脱原発-脱原発に向けた大きな流れについて」」

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第4分科会「ヒバクシャⅠー被爆の実相の次世代継承と二世課題」

第5分科会「ヒバクシャⅡ-ヒバクシャの現状」

第6分科会「見て・聞いて・学ぼうヒロシマ」

「被爆79周年原水爆禁止世界大会・広島大会」が開会しました

2024年08月05日

8月4日、「被爆79周年原水爆禁止世界大会・広島大会」開会総会が広島市・グリーンアリーナで行われ、約2200人が参加しました。

開会総会の前段には、平和記念公園から開会総会会場に向けた「折鶴平和行進」が行われました。全国各地からの参加者は炎天下の広島市街を行進し、大会会場のグリーンアリーナへと入場しました。

開会総会は岡本依純さん(第25代高校生平和大使)の司会のもと、すすめられました。はじめに原爆被害者への黙とうを参加者一同で行いました。

金子哲夫・共同実行委員長が主催者あいさつ。ウクライナやパレスチナなどの危機的状況に触れ、単に核兵器に反対するだけではなく、核兵器使用につながるすべての戦争に反対するのが「ヒロシマの心」だとし、アメリカと「拡大抑止」強化で合意した岸田首相は被爆者の想いを踏みにじっていると指摘。また、「核と人類は共存できない」というスローガンに込められた意味を、原水禁運動におけるさまざまなとりくみや経験を紹介しながら解説し、被爆80年に向け原水禁運動の強化を呼びかけました。

来賓として広島市市民局長の村上慎一郎さんが登壇し、松井・広島市長からのメッセージを代読しました。

日本被団協代表理事の田中聰司さんから被爆証言を受けました。原爆投下2日後、1歳5か月であった田中さんは、お母さんとともに「入市被爆」するとともに、多くの家族・親族を原爆で失いました。青少年時代には心無い言葉を受けたり、社会人になってから食道がんをはじめとした闘病も経験しました。新聞記者を務めるなかで被団協に出会い、被爆者として活動してきた経緯について語りました。核保有国に未来を託すことはできない、核への怒りをとり戻し、ともに声を上げようと訴えました。

続いて、広島・長崎選出の高校生平和大使と高校生1万人署名活動実行委員会のみなさんが登壇しました。それぞれ核廃絶にとりくむ原動力となる自らの想いを語り、核なき世界をつくるために国内外でがんばっていく決意を述べました。

開会総会に参加した海外ゲストが紹介され、代表してアメリカ・ピースアクションのデーヴィッド・ギブソンさんがスピーチし、アメリカ政府がいまこそ、人権と相互の生存を尊重する政策へと転換することが必要だとし、この世界を変えるためにともにがんばろうと述べました。

また、ドイツ緑の党のハーアルド・イブナー・連邦議会議員のビデオメッセージが上映されました。

谷雅志・実行委員会事務局長が大会基調を提起しました(→大会基調全文はこちら)。核と戦争をめぐる厳しい世界情勢、原発回帰に向けた動きを踏まえつつ、原水禁運動がとりくんでいる課題について確認していきました。世界のヒバクシャとの連帯のなかで培われた「核絶対否定」の立場はいっそう重要になっています。この間とりくんできた運動の次世代継承を強化しながら、日本政府、そして世界を大きく揺り動かすことをめざし、本大会を成功させることを訴えました。

その後、広島音楽サークル協議会のみなさんのリードで「原爆許すまじ」を合唱しました。

さいごに、秋葉忠利・代表委員が閉会あいさつを行い、今後の具体的運動目標を立てつつ、核廃絶を実現していく基本的構想を構築するためにともにとりくむことを参加者一人ひとりに呼びかけ、集会を終了しました。

今後、広島大会としては5日に分科会・ひろば・フィールドワーク、6日に国際シンポジウムとまとめ集会が行われる予定です。

「被爆7周年原水爆禁止世界大会・広島大会」開会総会アーカイブ動画

「9.16さようなら原発全国集会」開催のお知らせ

2024年08月03日

9.16さようなら原発全国集会

日時:9月16日(月・休)13時30分集会開始 ※15時デモ出発(渋谷コース/原宿コース)
場所:代々木公園B地区(NHKホール横)
主催:「さようなら原発」一千万署名 市民の会/さようなら原発1000万人アクション実行委員会


福島原発事故直後から呼びかけられた「さようなら原発1000万人アクション」は、全国の脱原発運動において、多くの市民の声を集め、全国集会・オンライン学習会・省庁交渉等、さまざまな活動を行っています。

東京・代々木公園において、毎年春と秋に全国集会を呼び掛けています。

今年は、「命をつなぐ地球環境を」を合言葉に、脱原発運動にとりくむ市民が、温暖化への危機意識を新たにし、気候危機問題にとりくむ市民と「原発は温暖化の解決策とはならないこと」を共有し、強く訴えることとしています。
「『さようなら原発』一千万署名 市民の会」の呼びかけで、「9.16さようなら原発全国集会」を開催することになりましたので、ご紹介いたします。

詳しくは、さようなら原発1000万人アクションのウェブサイトをご覧ください。

9月16日開催「9.16さようなら原発全国集会」のご案内

→チラシデータ( PDF )

 

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