3月, 2024 - 原水禁

2月29日、志賀原発の廃炉を求める要請行動を行いました。

2024年03月29日


2月29日、石川県平和運動センターなどと共同で、志賀原発の廃炉を求め、政府や経済産業省、原子力規制委員会への要請行動を行いました。

今年1月1日に発生した震度7の能登半島地震によって、家屋の倒壊、道路の寸断などによって避難が困難となる実態が明らかになり、原発事故などが重なる複合災害への対応を考えると原発の再稼働は許されないと訴えました。

また、北陸電力は、志賀原発の被災状況を小出しにしており、情報の全面公開と視察等を受け入れるよう要請しました。

志賀原発2号機は、2025年度中の再稼働を目指していますが、複数の断層が集中する能登半島で、避難や復旧が容易でないことが明らかになり、再稼働より「廃炉」が必要なことを示しています。

今後も原水禁として、地元と協力し廃炉に向けたとりくみを強化していきます。

志賀原発の廃炉を求める要請書(PDF)

 

被災70周年3.1ビキニ・デー全国集会を開催しました

2024年03月06日

原水禁は3月1日、静岡市・静岡商工会議所静岡事務所会館ホールにて「被災70周年3.1ビキニ・デー全国集会」を開催し、全国から約180人が参加しました。

「被災70周年3.1ビキニ・デー全国集会」全景

開会にあたって、藤本泰成・原水禁共同議長が主催者あいさつを行いました。ウクライナ・パレスチナをみれば「核抑止」が幻想であり、むしろ侵略戦争の推進力となっていることを指摘。核軍縮のプロセスの機能不全のなか、核兵器禁止条約(TPNW)への期待が高まっているいっぽうで、戦争被爆国日本が果たすべき役割から背を向けているとし、ビキニ被災70年の節目を迎えたいま、変わらないこの世界を変えるために原水禁としていっそう核廃絶にとりくんでいく決意を述べました。

開催地を代表し、静岡県平和・国民運動センターの福井淳会長があいさつ。1954年3月1日のビキニ事件とその後の原水禁運動をめぐる経過を確認しつつ、市民運動や高校生平和大使のとりくみと連携しながら、ビキニの被害を風化させず、核兵器廃絶までともにがんばっていくことを呼びかけました。

中村桂子さん(長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)准教授)

続いて中村桂子さん(長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)准教授)から「核兵器廃絶に向けた世界の動きと私たちの課題」と題した講演を受けました。

世界に核弾頭は1万2520発存在し(2023年6月現在)、冷戦期以降数としては減少してきたものの高性能化がすすむなど、むしろ核軍拡の状況を呈しています。膠着した厳しい現実があるいっぽうで、核軍縮をめざす「新しい風」のきざしがあり、その大きな原動力としての核兵器禁止条約(TPNW)が持つ意味について解説されました。核保有国ではなく非核保有国の国ぐにと市民社会が主導してきたことに特徴があり、核兵器と核兵器への依存を「悪」として世界の常識そのものを塗り替えていくことを構想するものであること、核兵器の「非人道性」にフォーカスされており、2053回にもおよぶ核実験で被害を被ってきたヒバクシャの多くが植民地や先住民など弱い立場の人びとであり、これらの被害の回復を義務付けるものであることをポイントとして指摘。とりわけ核の傘の下にある国にも被害(加害)の問題などをつうじてこの条約のとりくみにコミットしようという動きがあることも紹介されました。そして核兵器は持続的な未来をもたらしうるものなのか、根源的に考え直す絶好のチャンスだと述べました。

大内由紀子さん( Connect Hiroshima )

次に、大内由紀子さん( Connect Hiroshima )からTPNW第2回締約国会議派遣報告を受けました。広島出身で元・高校生平和大使として核兵器廃絶にとりくんできた経過、第1回締約国会議にも参加するなかで交流した海外の人びとに刺激を受け、日本政府がTPNWへのオブザーバー参加を求める署名を展開し4万3288筆を外務省へ提出してきたことを説明。昨年ニューヨークで開催された第2回締約国会議には市民社会の枠で発言したほか、さまざまな集会や交流イベントにも参加。さらに第3回(2025年3月予定)に向け日本政府への働きかけを準備していることが報告されました。

ビキニ市民ネット焼津・かまぼこ屋根の会の秋山博子さんと杉本智子さん

ビキニ市民ネット焼津・かまぼこ屋根の会の秋山博子さんと杉本智子さんが、2003年以降焼津の地で継続してとりくまれてきたことを紹介し、第五福竜丸の漁労長だった見崎吉男さん(2016年逝去)の想いを背負ってマーシャル諸島を訪問、核被害の調査と現地の人びととの交流を行った際の映像を上映しました。また、会場内ではパネル展示なども行われました。

静岡選出の高校生平和大使(第26代)の中野愛子さん、渡邊楓花さん、東井上遥華さん

静岡選出の高校生平和大使(第26代)の中野愛子さん、渡邊楓花さん、東井上遥華さんが登壇し、静岡におけるとりくみの報告とそれぞれの核兵器廃絶に向けた思いについて発言しました。とくにこの間、マーシャルの若者との交流活動を継続しており、この日現地で行われている式典に3人のビデオメッセージが上映されていることも報告されました。

本集会に川勝平太さん(静岡県知事)、難波喬司さん(静岡市長)、中野弘道さん(焼津市長)、市田真理さん(公益財団法人第五福竜丸平和協会事務局長)、ジャストン・カイル・ジャモアさん(マーシャル諸島短期大学学生、REACH-MI代表)からメッセージが寄せられていることが紹介されました。最後に、静岡県平和・国民運動センター副会長の田中洋佑さんが集会アピールを読み上げて提案、全体で確認して採択しました。(メッセージおよびアピールは本記事に掲載しています)

焼津市・弘徳院での墓前祭全景

翌日(2日)、久保山愛吉さんのお墓のある焼津市・弘徳院で墓前祭を開催しました。金子哲夫・共同議長と地元・志太平和フォーラム代表の中山亜樹彦さんがあいさつ。参加者全員で久保山さんのご冥福をお祈りし、墓前に花束と線香をお供えしました。

久保山愛吉さんの墓前に花をお供えする

焼津市歴史民俗資料館での展示見学のようす

その後、墓前祭参加者は焼津市歴史民俗資料館を見学しました。常設の「第五福竜丸コーナー」に加え、被災70年特別展「ヤイヅ 1954 The year of Fukuryu-Maru」が行われており、職員の方に解説していただきながら、ビキニ事件がもたらした被害についてさまざまな角度から学習を深めることができました。

集会へのメッセージ

川勝平太さん(静岡県知事)

「被災70周年3.1ビキニ・デー全国集会」の開催に当たり、原水爆の犠牲となられた方々に謹んで哀悼の意を表します。

私は、平成23年2月23日の富士山の日に「ふじのくに平和宣言」を行い、富士山のごとく美しく平和な姿の社会の建設を誓いました。

これからも、平和の尊さや核兵器の脅威について考え、富国有徳の「美しい“ふじのくに”」づくりに取り組んでまいります。

本日の集会が、人類共通の願いである核兵器のない、戦争のない平和な世界の実現に向けて大きく寄与されますことを、心から祈念いたします。

難波喬司さん(静岡市長)

被災70周年3.1ビキニ・デー全国集会の開催にあたり、原水爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げますとともに、多くの方々の御支援・御賛同のもと開催されますことをお慶び申しあげます。

現在も世界中で紛争問題が解決せず、多くのかけがえのない命が奪われている中、核兵器廃絶に向け、なお一層団結し活動を進めておられる皆様の取り組みに、深く敬意を表し、衷心より感謝いたします。

本集会がビキニ被爆の実相を内外に広く伝え、核兵器の非人道性を強く発信し、世界を恒久平和へと導く大きな力となりますことを心より祈念いたします。

中野弘道さん(焼津市長)

「被災70周年3.1ビキニデー全国集会」が開催されるにあたり、焼津市民を代表してメッセージをお送りいたします。

太平洋マーシャル諸島にあるビキニ環礁での米国の水爆実験により、マーシャル島民や近海で操業していた多くの船や船員が被災してから、本年で70年が経過しました。

このことは、世界各国の多くの人たちによる熱心な核兵器廃絶運動にもつながっており、「核兵器のない世界」の実現は、私たちの共通の願いでもあります。

焼津市では、毎年6月30日に核兵器廃絶と恒久平和の実現を訴える「市民集会」をはじめとした平和推進事業を通じて、焼津市民が平和を愛する心を持ち、後世に語り継いでいくよう、取り組んでおります。

また、本市が加盟しています平和首長会議、非核宣言自治体協議会の一員として、共に平和運動を展開し、世界平和の実現のため、引き続き取り組んでまいります。

結びに、皆様方の活動が、「核兵器のない世界」の実現につながりますことを念願いたしますとともに、御参加の皆様の御健勝と御活躍を心からお祈り申し上げます。

市田真理さん(公益財団法人第五福竜丸平和協会事務局長)

被災70周年3.1ビキニ・デー全国集会にご参集のみなさんに連帯のご挨拶を申し上げます。そして今なお苦しむ、世界のヒバクシャに心から連帯の想いを伝えます。
1954年3月1日、日本のマグロ漁船・第五福竜丸がアメリカの水爆実験ブラボーに遭遇し被災しました。実験場から160km離れていたにもかかわらず、第五福竜丸には放射性降下物=死の灰が降り注ぎました。23人の乗組員たちは頭痛、吐き気、放射線火傷、脱毛などの急性症状に見舞われ、半年後には無線長の久保山愛吉さんが亡くなりました。40歳という働き盛り、3人の幼い娘たちを残して。
しかし、被害は第五福竜丸だけではありません。
核実験場にされたマーシャル諸島の人びとにも死の灰が降ったのです。
操業中の多数の漁船や航行中の貨物船にも死の灰は降ったのです。
ところが「第五福竜丸事件」という名前に押し込められて、被害は矮小化されてきました。
核兵器保有国による核開発競争は、世界中にヒバクシャをうみだし、環境を破壊しました。人類は地球に対し、とりかえしのつかないことをしてしまったのです。
このままでは、未来を生きる世代に、希望をつなぐことができません。
核をめぐる世界は、緊張の度合いを高め、核による脅しも止むことがありません。
だからこそ
私たちはヒバクシャの声に、真摯に耳を傾けなくてはなりません。
東京・夢の島に保存されている第五福竜丸の声に、耳を傾けなくてはなりません。

第五福竜丸は 核のない未来に向かって いまも 航海中です。
全国の仲間のみなさんと ともに

ジャストン・カイル・ジャモアさん(マーシャル諸島短期大学学生、REACH-MI代表)

イアクウェ( Iakwe )、皆さん、こんにちは。私はマーシャル諸島短期大学の REACH-MI (リーチミー)クラブ代表、ジャストン・カイル・ジャモア( Jaston-Kyle Jamore )です。REACH-MI とは、「放射線被爆についての人道的な意識啓発を行う社会活動家たち- マーシャル諸島」( Radiation Exposure Awareness Crusaders for Humanity – Marshall Islands )の略称です。REACH-MI は、「核の遺産」そして私たちの民族が過去に直面した苦しみや、それが未来の世代である私たちに及ぼす影響、についての認識を広めることに重点を置いています。実際、現在のマーシャル諸島はいまだに「核の遺産」の影響を受けています。知らない方々のために説明をすると、マーシャル諸島は私の母国であり、大部分が海に囲まれている小さな島々や環礁からなる群島の一部です。太平洋の島々の西部に位置し、実際に日本からも多大な支援を受けています。心から感謝しています。しかし、私たちのことや私たちが核兵器や核実験に苦しんできたことを知らない人たちもいます。おそらく一部の人たちにとっては、私たちの国は世界地図上では小さな点に過ぎず、時には見えないことさえあるのでしょう。私たちが経験した苦しみは、原子爆弾が投下された広島の苦しみを超えることはなくとも、似たものではあります。私たちの国の島々について、歴史について、そして人々が受けた非人道的な実験について知っている人は多くはありません。

私たちのメッセージを発信してくださる高校生平和大使の皆さん、そしてこの場に集まり私たちのメッセージに耳を傾けてくださった皆さんに、心からお礼を申し上げたいです。請願書に署名してくださった方、この原水禁の集会に参加してくださった方、そしてその開催に尽力して下さったすべての方々に感謝します。感謝の気持ちでいっぱいです。心の底から皆さんに感謝します。私たちの歴史に興味を持ち、耳を傾け、真剣に学ぼうとし、着実に変化を生み出そうとしてくれる皆さんに言葉では言い表せないほど感謝しています。

マーシャル諸島は1946年から始まり1958年に終わった数えきれないほどの核実験によって苦しめられました。私たちや私たちの先祖、そして未来を生きる人々のためのこの地には、1個2個ではなく、10個でもなく、合計67個の爆弾が落とされました。これは私たちが人間ではないように考えられ、その故郷が非人道的で壊滅的な実験に12年間も晒され続けたことを意味します。私たちは実験動物のように扱われ、単なる放射線の実験対象に過ぎなかったのです。

キャッスル・ブラボーは歴史上でも最大級の爆弾の一つであり、コロンビア大学のヒューズさんによると、「その爆発は、約15メガトン(約330億ポンド)の TNT 火薬に相当するエネルギーを生み出し、広島型原子爆弾の1000個分に相当します」とされています。キャッスル・ブラボーは本当にそれほど強力でしたが、島の中央に立つだけで両側の端が見えるほど小さな島にその爆弾が落とされたと想像してみてください。マーシャル諸島の人々が経験した非人道的な実験は、皮膚に露出した放射線の影響や、放射線が食物や液体を通じて摂取された時の影響、あるいは体内に注入された時の影響などを調べるためだけに行われました。私たちは実験動物のようなものに過ぎず、魂を持たない生き物、単なる実験台でした。私たちは何者でもありませんでした!

核兵器が投下された後、人体実験が始まりました。管理のためにグループ分けされました。マーシャル諸島の慣習では、配偶者以外の男女が互いの体を剝き出しで見ることは許されていませんでした。皮膚への被爆の影響を評価する際、男女とも石鹸を使って身体を洗わせられました。そして放射線を検出できる装置を体に付着させ、髪に付着する放射線を検出しました。女性をスキャンすると、放射線がまだ体、正確には体毛に付着していることがわかり、男性の通訳が剥き出しの皮膚を見ながら、再度洗うようにと伝えました。 これは私たちの文化に対する侵害であり、私たちの生活様式に対して信じられないほど無礼な行為です。

核兵器の被害にさらされただけでなく、記録によると、その影響を受けなかった人々の体内にも放射物が注入されました。核兵器の影響を受けていない管理されたグループと、核兵器の影響ですでに体内に放射線の影響があるグループがありました。影響を受けていない管理グループから血液を採取し、放射線を混ぜてから再び注入しました。そしてこのグループとすでに体内に放射線を持っていた者の違いを比較するという更に恐ろしい行為を行いました。私たちの誰が、自らの体内に放射物やがんを注入することを進んで許すでしょうか?これが私たちの歴史です。

キャッスル・ブラボーが投下された後、いくつかの島は居住不可能になりました。数年後、移住させられた人々は戻るように言われました。マーシャル諸島の人々は、放射能に汚染された島に送り返されました。彼らは新鮮ですが有毒な魚、栄養価は高いですが汚染された植物などを食べ、甘くて冷たいですが放射能に汚染されたココナッツを飲んでいました。

実験がこの国の人々に与えた影響は甚大でした。投下された核兵器の影響を直接受けた人々だけでなく、国全体にも間接的な影響は及びました。それは飢餓や、輸入した缶詰食品や米国からの援助への過度の依存を引き起こし、今でもそれが続いています。これは文化や自給自足の生活様式の喪失につながり、直接的な影響としても甲状腺、大腸、胃、白血病などの癌、脱毛など、多くの恐ろしい健康問題を引き起こしました。

少しでも私たちの状況をご理解いただけたなら、原水禁の運動、請願書、そしてこの集会を心から支持している理由がおわかりいただけるはずです。この集会は、核および水素爆弾についての残酷な歴史の認識を広めるためのこれから起こる行動の始まりの一つになるでしょう。他の人々や若い世代がこのことを学び、繰り返されないようにすることが非常に重要です。再び、私たちは水素爆弾と原子爆弾に反対することを支持し、私たちのことを知り、同じ側に立ってくださる人々がいることを知って喜びに満ちています。そして高校生平和大使の方々、耳を傾けて下さった皆さん、水素爆弾と原子爆弾に反対する活動に参加して下さった皆さんに心から感謝します。私たちはできる限りの支援をします。

生きていても生きていなくても、この地球上で二度と放射能に汚染された食べ物や飲み物を摂取したり、自分の土地から追い出されたり、かけがえのない自分の体が「人類のため」と称して再び侵害されることがないように。

ありがとうございます( Arigatou Gozaimasu )。

被災70周年3.1ビキニ・デー全国集会アピール

私たちはきょう、ビキニ事件から70年の節目の日を迎えました。

1954年3月1日、アメリカによるビキニ環礁での水爆実験によって、「第五福竜丸」をはじめとする日本の漁船が被爆しました。その後、「第五福竜丸」乗組員のひとり、久保山愛吉さんは「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」とのことばを残し、原爆症によって亡くなりました。

日本の原水爆禁止運動は、ビキニでの被災の衝撃を契機にして、大きく拡がったという歴史的経過を持っています。原水禁は運動の出発点となった被災の実相を再確認し、核廃絶への思いを新たにするため、3月1日、ビキニ・デー全国集会を開催してきました。いっぽう、マーシャル諸島の人びととの交流を継続するなかで、日本だけが核の被害者ではないということを認識し、世界中に存在するさまざまなヒバクシャとの共同を追求し、核なき世界をめざしとりくみをすすめてきました。

しかしいま、戦火の続くウクライナやパレスチナでは、核保有国であるロシア、そして事実上の核保有国であるイスラエルが核兵器の使用すらちらつかせています。このままでは戦争のエスカレートから核兵器使用へと一気になだれ込む危険があります。また、そのほかの核保有国も、核弾頭の増強や核兵器の近代化研究を推し進めており、核なき世界と逆行する動きが強まっています。

核保有国や「核の傘」の下にある国々が自らを正当化するために主張する「核抑止力」のもたらした現状はなんでしょうか。かたちを変えつつなお進行する核開発競争と、核保有の拡大です。

ヒバクシャが語る被爆の実相と核廃絶への訴えは世界の人びとの心を揺り動かし、核廃絶を求める声は拡がってきました。核兵器使用をなんとかぎりぎりのところで止めてきた、本当の「抑止力」は、これら被爆の実相に拠って立つ、世界の人びとの運動にほかなりません。このことに確信を持ち、原水禁運動の前進をともにつくりだしましょう。

困難な世界情勢であることは確かですが、しかしだからこそ、私たちは「核と人類は共存できない」という立場から、いまこそ、行動しなくてはなりません。

核拡散防止条約(NPT)などの既存の枠組みが、核保有国の思惑に左右され、核を含む軍縮の動きが停滞するなか、拡大を続ける核兵器禁止条約(TPNW)へ注目が集まっています。私たちとしてもTPNWの発展に大いに期待しつつ、また働きかけをすすめるとともに、まずは戦争被爆国である日本政府のあり方を根本的に問い直していく必要があると考えます。岸田首相はただ空疎に「核兵器のない世界」を語るのではなく、現実の行動によって核廃絶に向けた決意を示すべきです。

来年(2025年)は広島・長崎の被爆から80年となります。きょうこの日を起点に、日本政府の方針転換を実現すべく、とりくみを強めていきましょう。ともにがんばりましょう。

2024年3月1日
被災70周年ビキニ・デー全国集会

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