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原水爆禁止世界大会・長崎大会のまとめ

2019年08月09日

 

被爆74周年原水爆禁止世界大会長崎大会まとめ

 

原水爆禁止世界大会実行委員会

事務局長 藤本泰成

 

     被爆から74年目の原水禁世界大会長崎大会も、終わりに近づいてきました。福島、広島、そして長崎と、参加された多くの皆さまに、各分科会でお話しいただきました講師、海外ゲストの皆さまに、そして実行委員会の皆さまのご努力に、心から感謝を申し上げます。少しのお時間をいただき、私なりのまとめをお話しさせていただきます。

 

 第一分科会「日米同盟強化と沖縄」では、ジャーナリストの前田哲男さんから、「82日に生じた2つの危険な情勢」と題する新たなレジメが配られました。韓国の元徴用工が起こしていた裁判の判決に対する、韓国政府の姿勢に不満な安倍政権は、82日、輸出優遇措置いわゆるホワイト国からの韓国除外を、閣議決定しました。日韓関係は深刻な対立の事態を迎えています。

 

 前田さんは、日朝国交正常化連絡会の顧問、和田春樹東大名誉教授などが出した「韓国は『敵』なのですか」との声明が、1週間で18万人の賛同者を得たことを紹介して、「意見が違えば、手を握ったまま討論を続ければいいではないですか」との言葉を援用しています。

 

 韓国からのゲスト、韓国進歩連帯・韓国国際平和フォーラムのソン・ミヒさんは、南北の対話や米朝首脳会談が行われ朝鮮半島・東北アジアが変貌していこうとする中にあって「韓国と日本の平和勢力は、歴史の転換を妨害している韓日の保守勢力に対抗し、東北アジアの平和と繁栄の道を切り拓くため、共に手を取り合おう」と呼びかけ、安倍政権に対しては「誠実な過去精算により、経済規模に見合った、責任ある東アジアの一員に戻ってください」と述べています。

 

 原水禁運動は、東北アジアの非核化や在日米軍基地問題に、そして在外被爆者問題を通じて、戦後補償の課題にも積極的にとりくんできました。ソン・ミヒさんの指摘にあるように、韓日の対立は、経済だけではなく、歴史や政治・軍事問題に拡大し、全面化しています。私たちがめざす、東アジアの平和にとって日韓関係、そして日朝関係の正常化は重要な課題です。原水禁は、関係の正常化と朝鮮半島・東北アジアの非核化に向けてとりくみます。

 

 もう一つの82日の危険な情勢は、米露間の中距離核戦力全廃条約の失効です。

 

 イージス・アショア配備問題で防衛省交渉した際に、イージス・アショアの発射台で攻撃用ミサイルを発射できるかと質問したことがあります。防衛省側の回答は「可能である」と言うものでした。

 

 前田さんの指摘では、中距離核ミサイルの発射台となることも考えられます。米国からは「同盟国の責任を果たせ」との要請の声も聞こえ、今後非核三原則の課題となることが懸念されます。原水禁が主張してきた非核三原則法制化のとりくみも重要となってきます。原水禁は、核のない世界をめざして、核兵器禁止条約の発効にむけて、「核兵器廃絶1000万署名」に全力でとりくみます。

 

 第三、第四分科会では、原発と自然エネルギーの課題が話し合われました。原子力市民委員会委員で原子力工学の専門家後藤正志さんからは、過酷事故対策も人間の手で行われている以上確実に機能する保障はないとして、また、多重・多層防護は事故の発生確率を減らすことができても事故をなくすことはできないと、その限界にも言及し、再生可能エネルギーシフトが必然と述べています。

 

 原子力情報室共同代表・原水禁副議長の西尾獏さんは、様々な資料を提示しながら、原子力政策の矛盾と行き詰まりを指摘しています。同じく原子力資料情報室の松久保肇さんは、国の第5次エネルギー基本計画にある2030年原子力エネルギー比率2220%程度は、原子力発電所の34基程度の再稼働を必要とするとして、この計画にリアリティーはないと指摘しました。

 

 西尾さんは、エネルギーフォーラム佐野編集主幹の「とても残念だが、原子力発電所の新増設は、もう無理だと、つくづく思うようになった。もう、建設に振り向ける資金余力はない。そんなものに、1兆円近くを融資する金融機関は、あり得ない」と言う言葉をひいて、原発の終焉を示唆しています。

 

 ドイツ連邦議会のクラウス・ミンドルップ議員は、ドイツで再生可能エネルギーの比率が、今年で40%に達すると報告されました。2030年までに65%、2050年までに95%の見込みであるとしています。

 

 ドイツでは、福島原発事故の直後の2011326日、「フクシマを見よ。全原発の閉鎖を」とのスローガンの下、約25万人が参加する反核デモがあり、それまで原発推進派であったメルケル政権は、「確実なエネルギー供給のための倫理委員会」を設置し、最終的に原発の段階的廃止と再生可能エネルギー移行を提案しました。政府の姿勢によって、日本とドイツで、事故から8年後、大きな違いが生まれています。

 

 開会総会で、福島県平和フォーラム瓜生忠夫副代表から、訴えがありました。国策で推進してきた原発の重大事故で被爆した県民、国と東電はしっかりと責任をとれの要求は、あたりまえのものです。原水禁は、健康被害に対する医療支援や生活支援を、国に対してしっかりと要求していかなくてはならないと考えます。

 原水禁は、「核と人類は共存できない」との先輩の言葉を胸に、「さようなら原発1000万人アクション」の運動を、大江健三郎さんや瀬戸内寂聴さんなどの協力で、多くの市民とともに展開してきました。

 

 第三分科会には、原発ゼロ基本法案をとりまとめた、立憲民主党衆議院議員の山崎誠さんにもおいでいただき、原発ゼロ社会に向けたとりくみをお話しいただきました。「脱原発社会」の成立まで、原水禁は、市民社会とともに、しっかりと頑張って行きます。

 

 原水禁世界大会長崎大会が始まった87日、沖縄県は、辺野古新基地建設をめぐって「県が実施した埋立承認の撤回を国土交通大臣が取り消した裁決は違法として、その裁決撤回を求める訴えを起こしました。

 

 第一分科会で沖縄平和運動センターの山城博治議長は、「30度を超える炎天下で、毎日毎日、安倍政権の不条理に抗議の声を上げている、 しかし、全ての声が無視されている現状がある」「なんでここまで収奪され、無視され、また再び防衛の盾にさせられる、だったら捨ててください、沖縄を捨ててください、そんな気もしてきます」と真情を吐露されました。

 

 山城さんの「平和の声を堂々と上げていこう」との力強い言葉を、私たちは受け止めなくてはなりません。

 

 沖縄は、琉球王国から、琉球処分をもって明治政府に編入させられました。強いられた皇民化教育、そして沖縄戦と捨て石作戦、戦後は米軍統治下を経て、本土復帰後も、在日米軍の基地の74%も抱えることになる。

 

 沖縄は、一貫して差別にさらされて来ました。沖縄の歴史をしっかりと見つめ、沖縄県民の思いをしっかりと受け止め、沖縄県民とともに闘いを進めなくてはなりません。

 

 昨日の朝日新聞に、長崎で被爆した中村由一さんの話が載っていました。
放射線傷害で髪が抜け落ち「カッパ」とあだ名された。髪が生えてきたら「ゲンバク」になった。

 

 被爆者と言うだけで差別された。同級生に破かれた小学校の卒業証書を見ると、あの頃の孤独や怒りがよみがえってくるといいます。差別は、長崎の被爆から66年を経て、福島から避難した子どもたちにも向けられたことを忘れてはなりません。

 

 韓国をホワイト国から外すことに、日本人の9割が賛成しているといいます。そこに、戦前の殖民地時代から引きずってきた、アジア蔑視の差別意識がないでしょうか。

 

 沖縄と韓国、広島・長崎の被爆者と福島からの避難者、私たちは、私たち日本人は、一体何を歴史に学んできたというのでしょうか。

 

 私たちは、一人ひとり、かけがいのない、取り替えることのできない、命なのだ。命の尊厳を、一人ひとりの命の尊厳を、基本にして原水禁運動は成立してきました。そのことを決して忘れてはなりません。

 

 「人間は生きねばなりません」という、故森滝市郎原水禁議長の言葉。決して取り替えることのできない、世界でたったひとつの、私の命として、私たちは「生きねばならない」のです。

 

 原水禁運動の原点を持って、被爆74周年、原水禁世界大会のまとめといたします。

 

 福島大会から、本当に長い間、ありがとうございました。

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