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福島から被爆74周年原水禁世界大会始まる
2019年07月27日
国と東電に原発事故の責任を問う
2011年3月におきた福島第1原発事故を機に、原発も核も戦争も無い社会の実現をめざそうと、毎年7月下旬に原水爆禁止世界大会・福島大会が開催されてきました。今年も、7月27日に福島市の福島県教育会館で開催され、県内や東北各県を初め、全国から620人が参加しました。
主催者あいさつを則松佳子・大会副実行委員長(原水禁国民会議副議長)が行い「先の参議院選挙では改憲勢力が3分の2を占めることを阻止したが、戦争への道に絶対反対しよう」と呼びかけるとともに、「来年の核不拡散条約(NPT)の再検討会議に向けて1000万署名の推進なども討議を重ねよう」と、広島・長崎へと続く原水禁大会の意義を訴えました。
地元あいさつに福島県平和フォーラムの角田政志代表が立ち、東京電力が福島第2原発の廃炉を正式に表明したことに対し「原発の無い福島を訴えてきた我々の運動にとって大きな一歩だが、廃炉までは長い年月がかかる。これからも監視する必要がある」として、「東電と国の責任と問い、福島の悲劇を繰り返さないためにしっかり取り組む」と述べました。
核兵器廃絶への若者の声を国連に届ける「第22代高校生平和大使」に福島県から選出された斉藤帆香さんと赤沼優希さんは「福島の真の復興から世界の平和につなげたい」(斉藤さん)、「福島の現実が知られていない。もっと発信をすることが私たちの使命」(赤沼さん)と、それぞれ決意を表明しました。
大会の基調提起を藤本泰成・大会事務局長が行い、特に福島原発の現状と課題として、避難者の支援、子どもや住民の健康対策、原発の再稼働を許さず、エネルギー政策の転換を求めていくことを強調しました。
被災者の生活再建・健康問題でシンポジウム
続いて、「被災者の生活再建・健康問題と脱原発」をテーマにシンポジウム(上写真左)が行われ、原発事故で大きな被害を受けた飯舘村の村議会議員を務める佐藤健太さんは、「村の大部分で避難が解除されたが、帰還した人は高齢者が中心で、多くは避難したままだ。事業所も再開したのは3割程度で、小売業はゼロ。労働力不足も深刻だ」と現状を報告し、「そうした中で復興予算は村の一般会計の数倍もあり、住民の合意形成なしに箱物作りに使われ、今後の維持・管理が問題になる」と、政府の単年度予算の仕組みの改善を求めました。
県民の健康については「きらり健康生協」の福地庸之専務理事が、「原発事故の発生時に正確な情報が伝わらず、多くの人が無用な被ばくを強いられた」と批判し、県民健康調査での子ども達の甲状腺障害の多発や、避難の長期化で死亡する人が多いことを取り上げ「この責任を問いながら、地域や世代間、避難者などの分断を超えて団結していくべき」と指摘しました。
大阪の医師の振津かつみさんは、福島での医療活動を続けながら、1986年のチェルノブイリ(ウクライナ)の原発事故を教訓にした健康問題にも取り組み、「チェルノブイリでは生涯にわたって医療や健康保障を国の責任で行っている。福島でもそうさせるために、広島・長崎の被爆者への原爆手帳を参考にした健康手帳を作ってはどうか」と提起しました。
シンポジウムと並行し「福島原発事故と再稼働」をテーマに特別分科会(上写真右)も開かれ、原子力資料情報室共同代表の山口幸夫さんが、原発震災の解明も充分なされない中で、全国で原発の再稼働が行われていることを批判し、「専門家に任せておけない。市民、住民による直接・間接の行動が不可欠だ」として、討論・熟議から合意形成への民主主義の重要性を強調しました。
各地の報告では、福島のほか、宮城の女川原発、茨城の東海原発、新潟の柏崎・刈羽原発について、各県の代表から状況や運動の経過が訴えられました。
シンポジウム・特別分科会終了後、ふたたび全体会が開かれ、「被害者支援・賠償の切り捨てを許さず、被害者の人権と補償を求める取り組みを進める」「原発事故による放射能の被害を消し去ろうとする国と東電の動きに反対する取り組みを強める」などの「フクシマアピール」を全体で確認しました。
その後、デモ行進が行われ、炎天下の中、参加者は横断幕を先頭に「原発をなくせ!」「国・東電は責任をとれ!」「原発再稼働を許さないぞ!」などとコールを繰り返しながら県庁前まで行進しました。(下写真)