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被爆73周年原水禁世界大会・広島大会のまとめ

2018年08月06日

  被爆73周年原水禁世界大会・広島大会のまとめ

原水爆禁止世界大会実行委員会
事務局長 藤本泰成
 暑い暑い広島大会に、最後まで参加いただきありがとうございました。3日間の日程を終えようとしています。本当に様々な議論がありました。少しお時間をいただき、私なりのまとめをさせていただきます。
 2018年になって、私たち原水禁運動をめぐる情勢は、大きく動いています。それは、朝鮮半島と福島において顕著であると言わざる得ません。被爆73周年原水禁世界大会は、その事を根幹にすえて、様々な議論が続けられたと思います。
朝鮮半島の非核化に向けた米朝首脳会談の開催、そして東電による福島第二原発の廃炉決定、2つの事実は、私たちが求めて来た「東北アジア非核地帯」と「脱原発社会」へ向けた、大きな一歩であることは間違いありません。しかし、現状がきわめて混迷していることも事実です。分科会の議論がその混迷を様々捉えていました。そして、そのことは、私たちが考える以上に深刻であると言えます。
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 第5分科会(写真上)では、全ての原発の廃炉が決定した福島の現状と課題が議論されました。「終わりの見えない福島第一原発」と題した、原子力資料情報室の澤井正子さん(上顔写真左)の報告は、衝撃です。すでにメディアが取り上げることも少なくなったF1の現状は、まさに「原子力緊急事態発令中」と言えます。溶融した燃料デブリの回収は30年から40年かかる、1台数億円とも言われる調査ロボットは、高放射線量の中で、迷子になり、動かなくなり、捨てられる。澤井さんは「調査さえうまくいかないのに」と現状へ懸念の声あげています。凍土壁設置で騒がれた汚染水対策も十分ではなく、1日100トンとも150トンとも言われる地下水が流入し、増え続けるトリチウム汚染水のタンクは、もうすぐサイト内では設置できないような状況になります。海洋放出という話しもささやかれていますが、澤井さんの、「トリチウムは、体内の細胞の中に長く止まり、長期被爆の怖れもある」との指摘を聞くと、現状の深刻さに震える思いがします。
 福島から参加した、福島原発告訴団団長の武藤類子さん(上顔写真右)は、除染で出た放射性廃棄物のフレコンバック2200万個と、共に暮らす福島の現状を報告されました。問題が山積し余りに多岐にわたるために、適切な対処ができず、「連鎖的に人権が侵害されていくように感じる」と表現されています。告訴団は、東電幹部の刑事責任を追及する裁判も行っています。責任の所在が全く明らかにされてこなかった原発事故。事故の原因と責任を明らかにすることが、フクシマを繰り返さない事への、「脱原発社会」への一歩につながると思います。
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 第6分科会では、チェルノブイリの被害者であるジャンナ・フィロメンコさん(上顔写真左)をお呼びして、核被害の世界連帯での議論が行われました。医師でチェルノブイリ・ヒバクシャ救援関西の振津かつみさん(上顔写真右)の報告にある、核利用が社会的抑圧、差別、搾取の構造の上に立つという指摘と、核の開発と利用は、核の被害なしにあり得ないと言う指摘、私たちはもう一度しっかりと胸に刻まなくてはなりません。そうした上で、子どもたちの甲状腺がんに象徴される健康被害に対して、国家賠償に基づいて「被爆者援護法」を求めて来たヒロシマ・ナガサキの原水禁運動の成果を、現在のフクシマに活かし、チェルノブイリと連帯し、そしてチェルノブイリ法に学び、私たちの運動をつくりあげていかなくてはならないと思います。
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 第1分科会(上写真)では、辺野古新基地建設の土砂搬入を目前にする沖縄をテーマに議論が展開されました。憂慮する科学者同盟のグレゴリー・カラキーさんは、開会総会の挨拶で「米国の核兵器をアジアに、さらには日本国内に持ち込ませたいと密かに言っている人がいる」と述べ、加えて核抑止力に言及し「核の傘は、放射性降下物、有毒な放射線、核の冬の大飢饉から私たちを守ることはできない」と述べました。第一分科会では、グレゴリーさんから、「日本政府は、新しい小型の核兵器を作るというトランプ政権の決定に拍手を送りました。日本の外務省の一部の高官は、米国の新しい核兵器を沖縄の米軍基地に配備することを歓迎すると発言しまた」との事実が指摘されています。沖縄返還時点での密約問題は、現在においても日本政府の重要な課題であることが分かります。非核三原則を遵守することが強く求められます。
朝鮮半島を、東北アジアを目の前に、米国の東アジア戦略の要としての沖縄では、米軍基地の存在が、様々な問題を引き起こしています。沖縄平和運動センターの岸本さんから、第1分科会で、そしてこの閉会集会で、辺野古新吉建設の現状に関しての報告がありました。翁長雄志沖縄県知事は、公有水面の埋立承認の撤回に向けて動き出しました。辺野古建設撤回に向けて、県知事選挙へ向けて、翁長知事の強い思いを感じます。沖縄防衛局は、聴聞日の延期を申し出て、埋立の既成事実をつくろうとしています。8月17日にも予定される、土砂搬入を決して許してはなりません。
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 国際シンポジウム(上写真)では、東北アジア非核地帯構想を中心に、朝鮮半島の非核化に関して日米の視点から議論されました。ピースアクションのハッサン・エル・ティヤブさん(上顔写真左)から、朝鮮半島の非核化を要求する米国トランプ政権の、新たな「核態勢の見直し」の中での核戦力の強化の実態が報告され、しかし、社会インフラの劣化の中で、核の近代化への1.7兆ドルもの財政支出に、大きな批判が上がっていることが紹介されました。
「核態勢の見直し」は、核兵器廃絶と朝鮮半島の非核化の要求に矛盾するものとして見過ごすことができません。しかし、一方で米国の拡大抑止の強化を要求する日本政府の姿勢が、例えばオバマ政権の核廃絶への歩みを進めようとする姿勢に大きな障害になっていることが、グレゴリー・カラキーさん(上顔写真中)から指摘されています。核抑止に依存する日本政府の姿勢を、正していくことが重要な課題です。
ピース・デポの湯浅一郎さん(上顔写真右)からは、朝鮮半島情勢を踏まえ「東北アジア非核地帯条約」へのとりくみを開始すべきとの提案がありました。同席した広島原水禁代表委員の元広島市長、平和市長会議のリーダーだった秋葉忠利さんから、世界の非核地帯条約は、例えばアフリカでは半世紀をかけて成立した。時間がかかることを踏まえたとりくみが大切であり、それを後押しするのは市民社会の粘り強いそしてしっかりとした意思であるとの指摘がありました。様々なアプローチから、時間をかけたとりくみが必要であると思います。
 ある方からのメールで、2015年に刊行された「被爆者はなぜ待てないか」という本に出会いました。著者は、関東学院大学で教える奥田博子さん。福島原発事故後に書かれた本書では、「戦争被爆国日本において、なぜ再びヒバクシャ出たのか」という問いに対して、ビキニ核実験での被爆の後に、東西冷戦の中にあった日本は、「米国の核の傘に依存した平和」と「米国の原子力産業に依存した繁栄を享受する道」を進んできた。「原爆」が「平和」に書き換えられ、潜在的核抑止力を担保するために、「原子力の平和利用」が高々と掲げられ、市民社会が取り込まれてきたと述べて、福島第一原発の事故が、戦後の日本社会が原爆体験や被爆の記憶にきちんと向き合ってこなかった事にこそ、その要因があるのではないかと指摘しています。
全ての国の全ての核に、そして平和利用にも「核と人類は共存できない」として反対してきた私たち原水禁運動は、核兵器と核の平和利用・原発を、ヒバクシャの視点からもう一度結び直して、運動の展開を図る必要があります。
 マーチン・ルーサー・キング牧師の「黒人はなぜ待てないのか」から引用されたであろう本書の「被爆者はなぜ待てないのか」とのテーマは、被爆73周年を迎えた今日、私たちの運動に重くのしかかってくる言葉ではないでしょうか。ヒバクシャの思いを、実現しなくてはなりません。

福島原発事故以降、21基の原発が廃炉になりました。再稼働も9基にとどまっています。原発の新規増設・リプレースも困難です。「脱原発社会」を求める声は、国中に充満しています。
朝鮮半島では、非核化への動きが進み出しました。核兵器禁止条約も採択されています。今こそ、ヒバクシャの思いを実現する、格好の条件が生まれつつあります。

 三日間の様々な声を、それぞれの生活の場に持ち帰り、新しい時代を求めて動き出そうではありません。
 最後に、本大会の開催にご尽力いただいた広島県実行委員会の皆さまと、各中央団体・各県運動組織の皆さまに、心から感謝を申し上げて本大会のまとめと致します。
(下写真は第8分科会「見て、聞いて、学ぼうヒロシマ」)
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