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原水爆禁止世界大会 長崎大会 基調提起(藤本泰成・大会事務局長)

2015年08月07日

2015年8月6日、安倍首相は広島の平和祈念式にのぞみ、挨拶の中で「非核三原則」に言及しませんでした。その後の会見において「非核三原則は堅持する」と表明したものの、被爆者の方々からは非難の声が相次ぎました。政府は「特段の意図はない」としています。であれば、なおのこと挿入すべきではないでしょうか。安倍政権は、「非核三原則」など全く気にもしていない、思いも至らないというのが事の真相だと思います。
安全保障関連法案を審議する参議員特別委員会では、中谷元防衛大臣が質問に答えて「法制度上は、自衛隊の支援活動における核兵器の運搬も可能」と発言し、横畠裕介内閣法制局長官も同様に「憲法上、核兵器を保有してはならないとと言うことではない」と答えています。広島出身の岸田文雄外務大臣は「核兵器を自衛隊が輸送できるということを、今知った」「核兵器へのこれまでの日本の姿勢を考えれば、運搬することはあり得ない」と発言しました。しかし、日本政府が「非核三原則」を宣言したのは、今日昨日の話ではありません。被爆国日本が、核兵器をめぐる長い議論の積み上げの中でつくりあげた「国是」といわれている原則です。

特段の意図はないとして非核三原則に言及しなかった安倍政権は、私は、特段の意図なく核兵器を輸送し、特段の意図なく核兵器をもつことも考えるのだろうと思います。「三度許すまじ」とするヒバクシャの思いに寄り添い、「核と人類は共存できない」として「核絶対否定」の立場で運動してきた私たちは、核兵器廃絶への確固たる信念を持ち続けてきました。そして、敗戦の日から、日本社会は過去の過ちを真摯に反省し、決して戦争をしないと誓ってきました。戦後70年、全てはそこから始まります。歴史に学ばず、平和への信念を持たない政治には、退陣していただきたい。その思いを強くしています。

今年は、核不拡散条約の再検討会議の年でした。残念ながら合意文書の採択には至りませんでしたが、「核兵器禁止条約制定に向けた議論を求める」ことを内容とする、オーストリアが提唱した誓約文書には107カ国が賛同しました。パン・ギムン事務総長も、声明の中で「核兵器の非人道性がより広く知られることで、核兵器の禁止と廃絶に向けた有効な措置が講じられることを期待する」と述べ、賛意を示しました。ヒバクシャの願いは、確実に広がりつつあります。
しかし、米国の核の抑止力を頼り、先制使用を容認する日本政府は、この誓約文書に賛同しませんでした。唯一の戦争被爆国として核兵器廃絶を主張しながら、一方で核抑止を持って自国の安全を保障するとする日本政府の姿勢は、ヒバクシャを愚弄し、その思いを踏みにじるものであり、その主張は決して諸外国に受け入れられることはないでしょう。

2011年3月11日の東日本大震災、福島原発事故から4年と4か月たちました。現在、日本の原発は一基も稼働していません。日本社会の世論は、脱原発を表明しています。自然エネルギーを中心とした社会を求めています。 しかし、安倍政権は新エネルギー基本計画を策定し、2030年にも原発の稼働率を20%から22%を確保するとしています。これは、新らしい原発をつくらなくては達成できない数字です。九州電力は、8月11日に川内原発を再稼働すると表明しましたが、私たちは電力不足の声を聞いていません。

原子力規制庁は、規制基準を満たしたとしても原発が安全とは言えないとしています。しかし、安倍政権は「規制庁が安全とした原発は、再稼働する」方針としています。再稼働の責任はどこにあるのでしょうか。
政府は、起こりうる事故に備えて「避難計画」の策定を義務づけましたが、しかし、再稼働の前提とはなっていません。再稼働するとする川内原発周辺30km圏内の85の医療機関において、避難計画を策定しているのはわずか2施設と言われています。入院患者の多くが、事故の際には避難の手段を失い、逃げ場を失ってしまうでしょう。福島の原発事故の反省はどこに行ってしまったのでしょうか。

その福島で、事故をなかったものにしようとする政策が進んでいます。自主避難者への無償住宅提供、商工業者の営業補償、避難者への精神的保障の全てを打ち切って、2017年度末までには年間50mSv以上の帰還困難区域を除いて、住民を帰還させるというものです。地域の全てで放射線量は安全なレベルなのでしょうか、子どもたちは自由に野山で遊ぶことができるのでしょうか、医療や教育や商店などの生活の基盤整備は十分なのでしょうか。現実を見据えるならば、これは棄民政策というものだと思います。
福島の住民は、原子力村の復活のために、捨てられるのだといえば、言い過ぎなのでしょうか。そうではないはずです。フクシマを忘れてはなりません。そして、繰り返してはなりません。

沖縄県の翁長武志知事は、第三者委員会の報告を受けて、埋め立て承認を取り消す意向を示唆しています。翁長知事の意向は、沖縄県民の思いに寄り添い、県民の安全安心と沖縄県の将来を見据えてのものです。そのことのために、国家権力ともきびしく対峙をする姿勢は、心から共感するものです。 沖縄の歴史、あの地上戦と戦後の米軍支配に目を向けるならば、私たちの選択肢は明らかです。基地問題においても、貧困の問題においても、原発の問題においても 多くの自治体に、住民の生活と安全の立場から、ものを考え対応していくこと、住民の将来をしっかりと見据えることが、求められているのではないでしょうか。

自民党の磯崎陽輔首相補佐官の、安全保障関連法案の「法的安定性」は必要ないとする、日本国憲法とそれに基づく法治国家を無視する発言がありました。
安全保障法制に反対する学生たちを「彼ら彼女らの主張は『だって戦争に行きたくないじゃん』という自分中心、極端な利己的考えに基づく」と非難した自民党の武藤貴也衆院議員の発言がありました。
そして、「国民の理解がすすんでいない」としながら強行採決を行う安倍首相の姿勢があります。戦後70年、日本の民主主義は「存立危機事態」にあります。このことは、日本社会の安全保障の最大の課題ではないでしょうか。平和と民主主義、主権者に対する権力の大きな挑戦なのではないでしょうか。

戦後の日本を見続けてきたジョン・ダワー、マサチューセッツ工科大学名誉教授は、インタビューに答えて、
「国際的な平和維持に貢献すると言いつつ、念頭にあるのは米軍との更なる協力でしょう。米国は軍事政策が圧倒的影響力を持っている特殊な国であり、核兵器も持っている。そんな国とつながるのが果たして普通なのでしょうか。」として、集団的自衛権行使を容認して戦争のできる「普通の国」を求める安倍政権を批判しています。

戦後70年、原水禁結成50年、私たちは危機の中にあります。歴史に学び、そして運動に学び、そしてヒバクシャの、フクシマの思い共有し、
「精神的原子の連鎖反応は、物質的原子の連鎖反応に勝たねばならぬ」とした森滝市郎原水禁初代議長の言葉を基本に、反核・反原発、戦争反対の「思い」をしっかりと胸に刻み、多くの人々とのつながりを基本に、力強く次の一歩を踏み出そうではありませんか。

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