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長崎大会第6分科会 強制連行と被爆を考える

2014年08月12日

長崎大会第6分科会
ヒバクシャ2–強制連行と被爆を考える

長崎第6分科会.JPG

初めに海外ゲストからのはなしを聞きました。
(カク・キフンさん)1924年生れ、1944年9月師範学校の時召集される。徴兵され広島に連れて来られた。その日8月6日は2Km離れたところへ工兵隊に仕事に行っていたが、助かった。3日位意識不明が続き15日に終戦を知った。
広島市の人口70万人のうち約1割の7万人の朝鮮人がいた。うち4万人が死亡し、残り3万人のうち2万3千人が祖国へ帰り、7千人が日本に残った。そのうち1千人の人が共和国へ帰った。いま朝鮮での生存者は10分の1程度だ。日本人被爆者生存者は40万余人のうち20万と聞いている。67年から被爆者協会をつくった。被爆者は何処にいても被爆者だ。
(チヤン・テホンさん)14歳の中学家1年で被爆した。家は稲佐町にあった。空襲警報が解除になったが家にいた。父と母は屋根の修理、姉は台所にいた。私は弟と2人で遊んでいた。B29が落下傘を落としたのを見て家に入った。爆発のあと5mほど飛ばされた。父母は大やけど、姉・弟と一緒に稲佐警察署の横の大きな防空壕へ行った。松山の電車の線路が浮き上がっていたのが印象強かった。
(参加者から)被爆者協会を作られた時、すでに亡くなっていた人もいたと思われるが、調べられたか?
(カク)韓国では、被爆者は「ハンセン病」患者と一緒で、山の中にかくれて貧しく暮らし、死んでいった。日韓会談も何回もしているのに被爆者の事は言わない。原子爆弾が落とされ、韓国の独立を早めたと政府の解釈があるためだ。

講演「強制連行と被爆を考える」 講師 高實康稔さん(長崎大学名誉教授)
特に裁判4件を闘われたことをより詳しく話された。2002年の厚生省公衆衛生局長402号通達の廃止(国籍条項がない)ことが、韓国被爆者に有利になったことを強調された。
(参加者から)福岡も強制連行の人が多い。差別の実態を初めて知った。
手帳を持っていない人も多い。証人2人がなかなか見つからないなど裁判も課題が多い。
ドイツでは戦争被害者のことはきちんと政府が責任を持っている。日本はどうなっているか?
(報告=I女性会議・森重子)

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