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広島大会まとめ(被爆68周年原水禁世界大会)

2013年08月06日

原水禁世界大会広島大会まとめ

被爆68周年原水爆禁止世界大会実行委員会
事務局長 藤本 泰成

ご紹介いただきました、藤本です。若干のお時間をお借りしたいと思います。
今、広島大会が始まろうとしていた8月4日の12時半、宮城県石巻市を中心に、震度5強を記録する地震が発生しました。「ぐらぐら揺れたから、ご飯半分で飛び出した」「おっかないもんだね。いつまで地震が続くのか」
あれから2年余を過ぎているのに、まだ余震なのかと思いますが、しかし、地球と人間の一生を比べると、あの東日本大震災からほんの何秒かが過ぎただけなのかもしれません 数人が怪我をされたと聞きましたが、それだけで済んだのが幸いでした。

2005年3月に、中央防災会議がだした報告書があります。1896年に起こった明治三陸沖地震に関するものです。その冒頭にこう記載されています。「三陸地方は津波の常習地帯として知られている。明治時代以降、三陸地方を襲った大津波は、明治と昭和の三陸沖地震、チリ地震の3例であるが、その以前にも、現在知られている資料から判断すると、平均で46年に一度の津波が発生している。」
ある研究者の報告によれば、1611年の慶長地震による津波は明治三陸沖地震の津波より少なくとも6m高い、40mはるかにこすものとされています。
この報告書は、古文書「三大実録」に記載された869年の貞観地震に触れ「最近になって貞観津波による堆積物が仙台平野の沿岸部で発見され、記述の妥当性を示している」とされています。
このことは、2009年の経産省の審議会でも問題となり、岡村伸行産業技術総合研究所活断層・地震研究センター所長が「869年に宮城県沖で発生したM8以上と見られる『貞観地震』では、福島原発から7km北の浪江町で、現在の海岸線より1.5kmまで浸水の痕跡がある」として、福島第一原発の防災計画の見直しを迫りました。しかし、経産省や東京電力はこれを無視しました。

地震の話が長くなりました。つまりは、コストやもうけを考え、そのことに拘泥することで、原発事故に思いが及ばなかった想像力が働かなかった、いや、そのことをあえて避けたと言うことなのです。

開会総会で、ドイツ緑の党のイェンス・ケンツィアさんが、「原子力は、エネルギーとしては最も高くつきます。その代償は、ユーロや円といった通貨だけではなく、人の苦痛と悲しみとで払うこととなります」と述べました。想像力を働かせた結果として、この言葉は、重要な重みを持ってきます。その想像力から、ドイツは、原子力の代替として再生可能エネルギーを選択し、大きな雇用を生んでいることを報告されました。
これは想像力から生まれる、社会を作り上げる構想力の結果なのです。今、日本社会に欠けているのは、「想像力」と「構想力」ではないかと感じました。

第1分科会は、福島事故の現状と課題について、第2分科会は再稼働問題と今後のエネルギー政策について、それぞれ討議されました。原子力資料情報室の伴さんから報告された福島原発の危険な状況は、今後の原子力政策を考える上においても衝撃的です。
廃炉への40年以上の闘い、どうしようもなくなってきた汚染水の問題、被曝労働の問題、原発がいかに人間の技術を超えたところにあるのかを教えます。
8月5日の朝日新聞は、白血病の労災基準である年間5ミリシーベルトを超えた労働者が累積で1万3000人を超え、年間25ミリ・50ミリシーベルトを超えた人も800人以上いると報道しています。技術的にも、人的にも事故収束作業が行き詰まるのではないかと、そして、その時に何が起こるのかを想像すると戦慄が走ります。
「ノーモア・フクシマ」この言葉の意味するものが何かを、私たちの議論は明確にしています。
法律による「放射線管理区域」に相当する放射能汚染地域は、福島県外にも広範囲に広がり、現在400万人が居住すると、チェルノブイリ・ヒバクシャ救済関西の振津さんから報告されました。チェルノブイリ事故の600万人に並ぶ数字だそうです。「一般公衆の年間被曝限度1ミリシーベルト」という数字は、法律で決められています。しかし、そのことが一顧だにされない現実、日本は法治国家であったはずです。「放射線被曝の健康影響にはしきい値がない」ということと「直ちに影響はない」とする政府の主張、何をしなくてはならないかは明らかです。ヒロシマ・ナガサキの運動の経験を、フクシマにどう生かしていくか、「福島原発事故子ども被災者支援法」に明確に記載されているように、国の責任と国の補償、このことの実現を勝ち取って行かなくてはなりません。

福岡県教組の角田さんからの現地報告では、避難による生徒の減少や避難箇所からの臨時校舎のへの登校など、現在置かれている子どもたちの状況を知りました。落ち着いて学ぶ環境をどう確保するかという問題は、しかし、一度しかない学びの時間、取り返すことの出来ない時間の中で苦悩する教育現場の姿が浮かんできます。
フクシマの被害は、放射能汚染にとどまりません。除染、食品汚染、家族、地域社会の崩壊、生産者の苦悩、そして子どもたちの教育、国家補償は多岐にわたって総合的に行われなくてはなりません。

時代は確実に「脱原発に向かっています」フクシマに向かい合うときに、県民の総意である脱原発への道筋は避けてはならないものです。第2分科会の議論は、その意味で重要です。ドイツの取り組みに学び、新しい社会の創造に向かう道のりには、希望の光が差していることを、その技術的可能性を原水禁顧問の藤井石根さんが示されました。「一人ひとりが問われている、私たちの手でエネルギー政策を動かそう」との主張は、原水禁運動の中でしっかりと作り上げたいと考えます。

第3科会、第4分科会では、「東北アジアの非核化」という、私たちの従来からの構想について議論を重ねました。米国の核、または強大な軍事力が、北朝鮮の核開発を招いたのではないか、そのことを脅威としたてあげ、自ら「安全保障のジレンマ」に飛び込んでいく韓米日の姿が浮かんでいます。非核地帯構想の実現と朝鮮戦争の停戦協定を平和協定へという、日韓の平和運動を結んだ取り組みの中で、ピースデポ代表の湯浅さんから具体的提起がありました。また、核情報主宰の田窪さんからは、日本の再処理は、核拡散・核兵器の課題であり、そのことを踏まえた運動が必要となっている、日本のプルトニウム利用政策の放棄が、東北アジアの非核地帯の実現の大きな力になると指摘されました。加えて、韓国からのゲスト、イム・ピルスさんは、日本のプルトニウム、北朝鮮の核実験、このことは、韓国の核保有要求の声を大きくするとしてきされました。
議論は、東北アジアの平和に何が必要なのかを具体的に示しているものです。

昨日、ヒバクシャの坪井直さんの話を伺う機会がありました。原爆投下の当日、御幸橋西詰で、午前11時過ぎに撮影された写真に坪井さんは写っています。写したのは中国新聞の松茂美人さん。原爆投下の当日、人の写った写真は、彼のとった5枚しかないそうです。
坪井さんは、その御幸橋西詰めで軍の小型トラックに乗せられます。若い男だけ、戦争に使える若い男だけが乗れたそうです。車の横にしがみついて軍によっておろされた小さな女の子の顔を、坪井さんは忘れないと言います。「それが戦争じゃけん、人間は道具じゃけん」と話す坪井さんの言葉、私たちは想像しましょう。戦争を、原爆を、その本質が何かを、

私たちはそこから想像しましょう。そして、「命」を基本に、新しい社会を構想していきましょう。今、ここでしか生きることの出来ない私たちですが、学ぶ力があり、そこから想像する力があります。そして、新しい社会を構想する力があります。
学ぶことのない、想像することのない、そして何よりも、人の命に寄り添うことのない政治家に、日本の将来を任せるわけにはいきません。

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