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【ニュースペーパー2012年12月号】原水禁関連記事
2012年12月01日
原発事故は個人の一生では終わらない
ハイロアクション福島原発40年実行委員会 福島原発告訴団 大賀 あや子さんに聞く
原子力規制委員会の災害対策指針は問題だらけ
自治労脱原発ネットワークアドバイザー 末田 一秀
米国の核問題専門家が重大指摘
日本の使用済み核燃料は国際的関心
「持ち込ませず」は無理と大阪市長
――第7艦隊が核兵器搭載?
【プロフィール】
東京都小金井市出身。チェルノブイリ原発事故後、「東京電力と共に脱原発をめざす会」などに参加。1995年に福島県大熊町へ移住。自給農や脱原発福島ネットワークの活動、2010年の秋から、ハイロアクション福島原発40年実行委員会の企画に取り組む。2011年3月11日の東日本大震災・福島第一原発事故以来、5ヵ所の避難先を変わりながら、福島原発告訴団の他に子どもたちを放射能から守る福島ネットワークの活動にも奔走する。
──会津若松市に避難されているそうですが、日常や感じていることを教えてください。
今は借り上げ住宅の古いアパートに住んでいて、週1回程度、大熊町の女性グループの会合へ参加しています。自分で出かけて行かないと大熊町の人と会えないので、そこで方言を交え、ざっくばらんに今の気持ちや、最近の原発に関するニュースなど、いろんなことを語り合える機会になっています。
会津若松の夏は暑くて大変です。少し体調を崩したときがあって、県内外の市民活動のネットワークの方は、会合は欠席もしながら、メールや電話で連絡しあって参加しています。
福島原発告訴団では事務局として電話番を担当しています。みんなで仕事を分け合ってやっているのですが、それでもいっぱいという感じで、毎日忙しくしています。
──3.11の避難直後に感じたことや、それ以前の取り組みについてお聞かせください。
避難が必要な人たちに一刻も早く避難してほしいということをいちばん思いました。強制避難指示が出たのに、その避難地域の人が半日後、1日後にどこまで避難が完了していたのかという情報も出ない、避難指定も拡げられない、事故がどんどん進展悪化していくのに、まったく行政やマスメディアの情報も対策も追いつかず、テレビの前で足踏みしていました。事故が起こって、現実に「原子力安全神話」というものが完全に崩壊した。だからそれなりに最善の対策が取られるのではないかと思ったのは甘かった。私自身が楽観(平常化)バイアスに陥っていた、とわかってきました。
JCO臨界事故(1999年9月30日・茨城県東海村)の後に、自治体の防災対策やマニュアルが拡充されました。シナリオもばっちりでした。多少言い回しは違っても、用語まで全国で統一されています。でも実際には、マニュアルで細かく決まっていた放送内容など、ほとんど実行されませんでした。11日のことですが、災害対策本部が出来たという一報でもあれば、対策本部が出来るということは、相当メルトダウンの危険性が高まっているときだとわかり、私は近所の人に念のため逃げようと説得したかったのですが……。
大熊町の場合は、津波のためにと言って高台も含む、国道の東側域(原発からは3~4㎞)から体育館へ避難してくださいという防災無線がはっきり聞こえました。これは担当者がマニュアルではなく、もしかして原発も危ないからと、津波の被害がないところも含めて避難指示を出したのかなと考え、よくやってくれたと思いました。それが夕方の4時から5時頃のこと。当日のことも、細かいことを語ればきりがないです。
3km内は避難と言われたら、3kmと少しでも危ないと普通は考えるだろう、道路が渋滞し始めるだろう、と私は思っていたのですが、ほとんどの人がそう考えなかったようです。脱原発の運動に取り組んできた人でさえ、激しい余震の連続の中で、座して翌日10㎞内避難の放送があるまで留まり続けてしまったという人が多かったそうです。
福島県に移住する前から、私も特に原子力防災に関心を持っていて、地域の住民がよく考えて、備えられるような取り組みをしたかったのですが、十分にはできませんでした。私自身が何かもっとできることがなかったかと、悔やまれてなりません。
(2011年12月10日・日比谷野外音楽堂)
──もうすでに脱原発を骨抜きにしようという動きもあります。福島では今、どのような動きにありますか。
私はあまり大所高所で物事を解釈しようとしないもので(笑)。「自分たちが出来ること」をベースに考えています。昨年10月、福島県議会で県内の原発を全て廃炉にする決議が全会一致で可決されました。それが県の復興計画にはっきり書かれています。福島県民はもう答えを出しているということです。県民の中にも、まだ原子力に夢を持つとか経済のために必要という人もいますが、全体としてはこのことはまとまっている感じです。
しかし一方、「不安の解消」ということが、行政のキーワードになっています。福島の県民健康管理調査の目的自体も、健康不安の解消となっていて、病気の未然防止ということではありません。それは、多くの住民の意識とかい離していると思います。甲状腺検査の結果が紙一枚で、「(嚢胞または結節ありと)判定しました。2年後まで二次検査の必要はありません」という通知では、不安をかき立てられるのは当然です。詳しい情報を求めたときの対応もひどく、情報開示請求に従って手続きをしないと細かいデータが出てこないのです。ごくわずかなネットが使える人や活動的な人でないと情報開示請求をしていないでしょう。
山下俊一県民健康管理調査センター長が理事長を務める日本甲状腺学会会員へ、原発事故の影響を心配したそういう患者が来ても「検査や治療の対象とならない判定」「追加検査は必要がない」ことを理解し、ご説明いただきたいという、セカンド・オピニオンを封じるような文書を出していたことも明らかになりました。後に「そのような意図で出されたものではない」という言い訳を公式に出させたことは、こちらの取り組みの成果だと思っています。でも、そんな通達に従うような医者をもう信頼できないですけどね。例えば秋田県に良心的な病院があるという情報があっても、遠くてそう簡単に行けない人もたくさんいます。また、市民活動のネットワークにつながっていない人には全然わかりません。
──今後、もっと力を入れたい取り組みなどがあれば聞かせてください。
「原発事故子ども・被災者支援法」に入っていることが実施されれば、相当いろんなことが前進しますので、力を入れています。まずは初年度の基本方針と実施事業へ向けて、また計画時も実施時も被災当事者の声を反映させる仕組みという点も重視しています。国会では全会一致で成立していますから、皆さんが国会議員の方に接触する機会があれば、完全に実施されるようにプレッシャーをかけてくださいというお願いをしています。広島でお話しした機会には、まさに被爆者援護法とのつながりで熱い関心を寄せていただきました。全国各地で保養や避難の支援を続けてくださっている方々とともに、行政への働きかけと民間の活動と両輪で進めていきたいと思います。
福島原発告訴団については、検察の捜査・判断で不起訴だった部分があれば、検察審査会に訴える対応なども考えています。常に、市民同士、被害者同士が違いを超えてともにあることをめざしたいと思っています。ハイロアクションの仲間で全国へ避難している人もたくさんいますが、つながりを保って活動を続けています。どこへいても、私たち個人の一生では終わらない取り組みですから。
大熊町の家には一度だけ夫と私の友人が一時帰宅しました。地震では全く壊れていなかったのですが、カビが生え始めていました。もちろんその家のことや大熊町のことはいろいろと頭によぎります。しかし、自分自身のことは構っていられないのですが、ゆくゆくは近県に移住して農業を再開したいと考えています。
〈インタビューを終えて〉
政府が、「革新的エネルギー・環境戦略」の2030年代までに原発からの脱却という「革新」的であったはずの戦略を閣議決定しなかったことに失望感が漂っていました。大賀さんは、「国がどのような動きにあろうと、福島では県議会を含めて脱原発を決めましたから」と言われました。福島で起こったことを伝え、福島の仲間に寄り添って取り組むことが全てであると。その静かな口調に迫力を感じずにはいられませんでした。(道田 哲朗)
予定より半年遅れで発足、目立つ後退姿勢
原子力規制委員会が当初の予定より半年遅れて発足しました。5人の委員には「原子力ムラ」出身者が含まれるものの、原子力緊急事態発令中であるという例外規定を使って人選の国会同意を先送りする手続きが取られる中での船出です。
発足当初から、記者会見で政党機関紙の記者を排除したり、委員会傍聴席に私服警官を配備したり、これまでの原子力安全・保安院や原子力安全委員会(安全委員会)よりも後退した、開かれた行政とは言えない出来事が続きました。中でも問題だと思われるのが、規制委員会の最初の仕事となった原子力災害対策指針の策定手続きです。10月3日にたたき台、同24日に素案が提示され、31日に決定されるという経過をたどりましたが、その間、関係自治体等の意見聴取が行われただけでした。
これまで安全委員会はこのような指針を策定・改訂するときにはパブコメ手続きを実施し、広く意見募集を行っていました。今回は明らかな後退です。これから原子力規制委員会は、各種の指針類を整備していくことになりますが、このようなことが繰り返されないよう求めていく必要があります。
これまで安全委員会が定めていた原子力防災指針が「防災対策を重点的に充実すべき地域」(EPZ)を原発から半径8~10㎞圏内のみとしてきたことが福島での被害の拡大を招きました。そこで、防災計画の見直しでは、どの範囲まで計画策定するかが課題となります。検討にあたっては、福島原発事故でも高レベルの汚染が飯館村など北西方向に拡がったように、同心円状に拡がらないことを考えなければなりません。
ところが、従来のEPZに代わって原子力災害対策指針で「緊急時防護措置を準備する区域」(UPZ)とされた区域は、相も変わらず「概ね30㎞を目安」とされています。山や谷の存在によっても風の流れは変わってしまうので、風向きや地形条件を反映した放射能の拡散予測計算を行って、それを計画に反映することが求められます。滋賀県や岐阜県などは独自に予測計算を行い、滋賀県はUPZを42㎞にまで拡げるとしています。
実効ある防災計画の策定を自治体に求めよう
原子力規制庁も、拡散予測計算結果を10月24日に公表しました。しかし、この計算は地形条件を反映しないソフトで行われたという致命的な欠陥を有しています。しかも、入力にあたって方位を間違えたり、風向きを全く逆に入力したりしていたことが明らかになりました。
そもそも福島事故時に計算結果が隠ぺいされたことで有名になったSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)というコンピュータシステムは、事故時の放射能の拡散計算のために180億円以上をかけて開発されたもので、各地の地形条件を反映した計算を行えます。なぜ、これを使わないのでしょうか。理由は、原子力災害対策指針で導入された避難の判断基準に国際原子力機関(IAEA)の値の採用を予定しているからです。原子力災害対策指針を決めたものの、基準の数値やヨウ素剤の服用方法など多くのことが「今後の検討課題」と先送りされています。
IAEAが避難の判断基準に7日間で100ミリシーベルトの被曝量になる値を提案しているため、規制庁が10月に公表した試算は7日間で100ミリシーベルトになる距離を示しています。SPEEDIでは7日分の計算はできないというのが言い訳なのです。
しかし、そもそも判断基準にIAEAの値などを使わず、福島の教訓を踏まえて設定すれば、7日間の計算をする必要などありません。避難の判断基準は、実際には7日間で100ミリシーベルトの被曝量になる値として、空間線量率1,000マイクロシーベルト/時が使われます。通常時の約2万倍に相当するこの値が実際に計測された場合に避難すべきという判断がされることになります。つまり、どんなに立派な避難計画を作っても、少々の線量では避難は実施されず、まさに絵に描いた餅。高い線量になってから避難指示が出て外に出れば、高レベルの被曝は避けられません。
各地の自治体は、防災計画の改定を来年3月末までに終えるよう国から求められています。おざなりの見直しで再稼働の条件が整ったなどと言われないよう、取り組んでいく必要があります。①地形条件を反映した予測計算を行い、UPZの範囲を目安とされる「概ね30㎞」にとらわれずに広めに設定すること、②自治体が原子力災害対策指針より厳しい値を決めることは可能なので、避難の判断基準はIAEA基準よりも厳しい値とすること、③ヨウ素剤の服用地域も防災計画に位置付けて、対策を準備することなどを基本に自治体に要求していきましょう。実効ある防災計画の策定は容易ではないはずです。
米国の核問題専門家が重大指摘
日本の使用済み核燃料は国際的関心
10月28日に東京・明治学院大学で開催された、国連軍縮週間シンポジウム「『核なき世界』への新局面─原発、プルトニウム、核兵器」では、核兵器廃絶運動の観点に新しい視野を広げる、原発からの使用済み核燃料に焦点を当てる講演が行われました。
米国の余剰プルトニウム処分問題に関わり、また70年代には核燃料再処理を放棄する政策決定にも影響を与えた核問題専門家、フランク・フォンヒッペル教授(プリンストン大学公共・国際問題)が使用済み燃料の乾式貯蔵、プルトニウムの管理と処分、再処理中止の必要性などを話されました。2030年代に原発ゼロとするにもかかわらず、核燃料サイクルを当面推進するという、日本のエネルギー・環境戦略の根本的矛盾への関心と、原発ゼロへの国際的圧力の報道もあって、活発な討論になりました。
各国では乾式貯蔵方式を導入
国際原子力機関(IAEA)によれば、1975年の予測では2000年までに2,000ギガワットを超える原子力発電容量に対して、ウラン資源が足りないはずでしたが、2012年の予測になると2050年まででもその半分にもならない程度の原子力発電容量で、低コストのウラン資源も需要をはるかに上回る量が確認されています。この間に米国は再処理政策を撤回、電力会社が自ら、 高コストの再処理、増殖炉計画をやめました。
しかし日本では、政策の変更ができず、プルトニウムを国内に9トン、海外を含めて44トン以上保有するに至っています。さらにプルトニウムを取り出す再処理の継続を決定した理由は、六ヶ所村のある青森県からの圧力があります。それは、再処理をやめた場合に、①英仏から返還される再処理廃棄物を保管しない、②「原子力船むつ」の使用済み燃料中間貯蔵施設の運用を許可しない、③六ヶ所再処理工場に貯蔵されている使用済み燃料を各原発に送り返す、というものです。
現在、使用済み核燃料は、原発サイト内のプールから、再処理を前提として六ヶ所村の施設のプールに運ばれています。震災で福島第一原発4号機の使用済み燃料プールがどういう状態になったかということと、そのすぐそばにあって津波をかぶったにもかかわらず、健全な乾式貯蔵キャスクの状態を比較すれば、一定時間冷却された使用済み燃料は、安全上、乾式キャスク保管にするべきなのは明白です。単純な構造でコストも低いため、原子力発電所を持つほとんどの国は乾式貯蔵方式を導入しています。再処理工場を本格稼働させれば、さらに毎年8トンのプルトニウムが追加されます。プルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料として原発で燃焼させても、燃料中のプルトニウムなど超ウラン元素は30%しか減少しません。高速増殖炉も実現性がありません。
すでにあるプルトニウムをどうするか
現実的な計画として、2つの方法が紹介されました。深ボアホールというのは、セラミックで固定化して地中深く埋設するというもの。キャン・イン・キャニスター(下写真)は、セラミック内に固定し缶に入れて容器内に並べ、そこに高レベル廃棄物・ガラス混合物を注入するものです。
プルトニウム処分問題を抱えているのは日本だけではありません。米国は核兵器開発や増殖炉研究開発で、約50トンの余剰プルトニウムがあります。フランスでは、MOX工場を建設中ですが、コスト高騰で使う電力会社が見つかるか不明です。
英国では、再処理計画からのプルトニウム約100トン(日本のプルトニウム17トンは含まない)があり、MOX燃料工場建設の提案も、使う原発が建てられるか未定。日本がプルトニウム処分法について共同研究を提案すれば、英米両国は恐らく大きな関心を持つと思われます。
フォンヒッペル教授は、米国の高官と会談した日本側の関係者の「リーク」のような形で報じられる「米国側のメッセージ」については、「われわれがテロリストの手に渡らぬようにしようと試みているまさにその物質、分離済みプルトニウムを大量に増やし続けることは、絶対にしてはならない」(オバマ大統領)という日本に対するメッセージの重要性を強調しました。そして、「再処理を追求するなら原子力も維持せよ」という米国政府内外からのメッセージの背景を説明し、その矛盾点を指摘しています。
「持ち込ませず」は無理と大阪市長
――第7艦隊が核兵器搭載?
橋下徹大阪市長が11月10日、広島市での囲み取材で、核廃絶の実現可能性について疑問を呈し、非核三原則の「持ち込ませず」についても無理だと述べました。その根拠は、第7艦隊が核兵器を持っていないはずがないというものです。
橋下市長は言います。「『持ち込ませず』というところが、本当にそれが現実的にどうなのかというところは、しっかりと確認して、『持ち込ませず』は無理だと。……日本が拠点となりながら、太平洋を全部あの米国の第7艦隊が守っているわけですよ。米国の第7艦隊が、じゃあ、核兵器を持っていないのかというと、そんなことあり得ないですよ」(ニュースサイトJ-CAST 11月12日他)。
「安全保障と核については、しっかりと政治家である以上は考える、議論する、国民の皆さんにきちんと問題提起はする。こういうことは必要だと思います」というのは、この見解に基づく主張でした。
米国専門家、第7艦隊は核搭載なしと指摘
ところが、米国の核政策に関する権威として知られる「米国科学者連合」(FAS)のハンス・クリステンセン核情報プロジェクト部長は、筆者へのメール(2012年11月15日)で、こう言っています。「第7艦隊の艦船にも、米国海軍の他のどの水上艦あるいは攻撃原子力潜水艦(攻撃原潜)にも核兵器は搭載されていない。これらの艦船のすべての核兵器は、1991年から92年に陸揚げされた。そして、94年にクリントン政権が、水上艦すべてを非核化することを決定し、空母を含め、すべての水上艦の核兵器搭載機能を除去した。その後は、海軍の非戦略核で残っていたのは、陸上攻撃用の核弾頭型巡航ミサイル『トマホーク』だけだった。しかし、オバマ政権の2010年『核態勢の見直し』は、この核兵器を退役させることを決めた。その結果、米国海軍は、日本の港に、いや、何処にも核兵器を持ち込む必要はない。橋下市長が、米国の空母が核兵器を持っていないことが考えられないと言うのなら、核廃絶を考えることができないというのは不思議ではない。空母にも、日本を訪れている他のどの艦船にも核兵器は搭載されていないから、この問題について議論をしようという彼の提案は、そもそも意味をなさない」。
米海軍が配備している核兵器は、戦略原子力潜水艦(戦略原潜)搭載の戦略核兵器だけであり、戦略原潜は他国の港には寄港しないから、海軍による持ち込みはあり得ないということです。
海軍の持ち込みを不要にした日本の運動と岡田書簡
2013年退役予定のトマホークの延命を図ろうという動きが、2009年、「核態勢の見直し」を巡る議論の中でありました。これらのミサイルは、1991年9月27日にブッシュ(父)大統領が、水上艦船及び攻撃原潜から核兵器を撤退すると宣言したため、翌年以来、原潜には搭載されず、陸上で保管されてきたものです。このトマホークを維持しないと日本が不安に感じ、核武装してしまうと主張する人々が米国内にいました。
背景には、日本に対する核以外の攻撃に対しても、核で報復するオプションを米国が維持することを望むとしてきた日本の政策があります。日本政府は、核を先には使わないとする「先制不使用策」に反対する立場を1982年以来、国会で繰り返し表明してきました。この立場を裏返せば、米国が核兵器の役割を縮小すれば、日本の核武装をもたらすという議論となります。
2009年にいち早くこの状況を把握したクリステンセン部長の指摘を受けた日米の運動やマスコミ報道の結果、岡田克也外相(当時)は、同年12月24日、米国務・国防両長官に書簡を送り、「我が国外交当局者が……貴国の核卜マホーク(TLAM/N)の退役に反対したり、貴国による地中貫通型小型核(RNEP)の保有を求めたりしたと報じられて」いるが、そのようなことを「仮に述べたことがあったとすれば、それは核軍縮を目指す私の考えとは明らかに異なる」と伝え、自分は「核兵器の目的を核兵器使用の抑止のみに限定すべき」との日豪主導の「核不拡散・核軍縮に関する国際委員会」(ICNND)報告書の勧告に「強い関心を有して」おり、「政策への適用の可能性について、今後日米両国政府間で議論を深めたい」と述べました。
この書簡は、核弾頭型トマホークの予定通りの退役を決めた2010年「核態勢の見直し」に重要な影響を与えました。つまり、日本の運動が、核搭載艦船寄港の可能性をなくすのに貢献したということです。
残された課題――先制不使用を日本の核政策に
残念ながら、先制不使用支持の岡田外相(当時)の考えは、外務省の方針とはなりませんでした。核以外の攻撃にも核で報復するオプションを残せと言い続けていては、「持ち込ませない」の法制化は、米軍の必要とは関係なく、不可能でしょう。また、核兵器の非人道性と非合法化を訴える文書に署名するのも難しいでしょう。