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【ニュースペーパー2012年11月号】原水禁関連記事
2012年11月01日
在外被爆者をめぐる裁判で勝訴判決!
証人のいない被爆者の手帳取得へ道を開きたい
エネルギー戦略の腰砕けで深刻な矛盾
再処理継続で失われた政策の整合性
在外被爆者をめぐる裁判で勝訴判決!
証人のいない被爆者の手帳取得へ道を開きたい
在外被爆者支援連絡会 共同代表 平野 伸人
入市被爆をめぐり裁判で争い
韓国の慶尚南道・昌原市に在住する、張令俊(チャン・ヨンジュン)さん(1930年3月15日生まれ)は、第二次大戦当時、父親が日本で土木工事の仕事を手伝うこととなり、一緒に来日して暮らしていました。当時、長崎県東彼杵郡川棚町に居住していましたが、原爆投下直後の1945年8月12日に、長崎市本河内にいた父の安否を確認するために爆心地を通ったため、入市被爆をしたのです。張さんは被爆者健康手帳の申請をしましたが、証人がいないために却下されてしまいました。
記憶は鮮明なのですが、本人の証言だけでは証明にはならないとされたのです。異議申し立てをしましたが、これも却下されたため、裁判で争うことを決意しました。
「法令違反」として控訴した長崎市
提訴は2011年5月17日に行われ、今年9月18日に判決が下されました。裁判での本人尋問の内容は、張さんの記憶が詳細で、被爆した人でなければ語れないものでした。そして判決は、張さんの入市被爆の事実を認め、被爆者健康手帳の却下処分の取り消しを命じるものとなりました。ようやく、張さんは被爆者と認められたのです。
しかし、原告である張さんは、判決を前にした2012年8月17日、骨髄異形性症候群のため、韓国・昌原市の病院で亡くなられました。裁判はすでに結審していたこともあり、9月18日の判決を待つばかりでしたが、勝訴を聞くことなく亡くなり、あらためて張令俊さんのご冥福をお祈りしたいと思います。
私たち在外被爆者支援連絡会をはじめとする支援者は、長崎市が判決を受け入れ、控訴しないように連日の座り込み行動をおこないました。また、代表が上京し、厚生労働省に要請も行いました。しかし、長崎市は控訴期限の10月2日、福岡高裁に控訴することを明らかにしました。張さんが亡くなったなかで、何を争うというのでしょうか。田上富久長崎市長は「被爆の事実は認める」としながら、張令俊さんが亡くなっていることで「法令違反」として、判決の無効を主張しています。
長崎市の取るべき道は、判決を受け入れたうえで張さんの遺族に、健康管理手当の遡及分や葬祭料の支払いに応じることです。すでに張さんが亡くなっているなかで、無用の裁判を続けることは、遺族にも大変な負担を強いることになります。
韓国では100人以上が手帳を取得できないまま
「亡くなった人に被爆者手帳を発行できない」と長崎市は主張しています。しかし、2009年の在外被爆者裁判において、大阪府は3人の死亡した韓国人の男性に被爆者手帳(無効の印を押したうえで)を発行した先例があります。このとき、厚生労働省が発行しないように指導したようですが、大阪府は独自に判断して発行しました。同じことが長崎市に出来ないわけはありません。「鄭南壽裁判」や「崔季徹裁判」において、長崎県や長崎市が無謀な控訴をおこなった過去があります。再び、過ちを繰り返そうとしていることは大変残念です。
在外被爆者のうち韓国でも100人以上の人が、被爆者健康手帳を取得できないでいます。今回の張令俊さんの判決を機に、被爆者なのに援護が受けられない人の救援に結びつけたいと思っています。張さんの判決はこのような被爆者に希望を与えました。控訴審でも勝訴を勝ち取り、証人がいなくて被爆者手帳が取得できないでいる多くの人々に、手帳取得への道を切り開いていきたいと思います。
エネルギー戦略の腰砕けで深刻な矛盾
再処理継続で失われた政策の整合性
国際的にも疑念を持たれる核燃料政策
「2030年までの出来るだけ早く」が、「30年代まで」になった原発ゼロの目標のズレは置いても、核燃料サイクル、再処理の継続を入れてしまった政府の「革新的エネルギー・環境戦略」は早くも深刻な矛盾に突き当たっています。「国民的議論」を経て作られた新戦略は、その過程で圧倒的な「原発ゼロ」の市民の声が集まりました。寄せられたパブリックコメントでは、脱原発が9割、しかも即時原発ゼロが8割とあっては、政府もこの声を無視できません。政策の中身はシナリオ3択の中間、15%シナリオに限りなく近づけましたが、「年代」という文言を挟み込むことで原発ゼロを明記しました。一方でそれと全く相入れない、「再処理継続」を併記したことで、政策の整合性を失ってしまいました。
新戦略の説明をするため、米国を訪問した民主党の前原誠司政調会長(当時)や、長島昭久総理補佐官(同)の伝聞というかたちで盛んに報道されたのが、原発ゼロに反対するという「米国からの圧力」です。新戦略自体を閣議決定しない口実にまで使われましたが、内容がねじ曲げられています。二人が米国訪問中に、すでに英文では報じられていた内容は、日本の膨大な余剰プルトニウムに対する米国の懸念です。すでに45トンも貯めこんでしまった核兵器物質プルトニウムの使い道もないのに、さらに再処理を行なって増やすことに対する懸念としか解釈できないはずです。なぜか日本のメデイアでは、ほとんど「原発ゼロ」に対する懸念という報道しかされませんでした。国際的に大きな懸念を持たれている核燃料政策を、ごく狭い政府内の一部の情報のみ報道しているとしか見えません。
フルMOXの大間原発建設工事が再開
①原発新増設はしない、②原子力規制委員会の安全審査を通ったもののみ再稼働、③40年で廃炉、という新戦略の3本柱もあやしくなってしまいました。少しでも余剰プルトニウムを使おうという意図なのか、中断していたフルMOX(ウランとプルトニウムの混合酸化物のみを燃料に使用)の大間原発(青森県大間町)の建設工事が10月1日に再開されてしまいました。大間原発が認可されたのは古い安全基準で、直近を通る断層も指摘されています。
建設再開は少なくとも原子力規制委員会の出す新基準を待つべきです。30年代に原発ゼロとすれば、大間原発は、完成後20年ほどで運転停止となります。Jパワー(電源開発株式会社)が巨費を投入して建設を続けるのはおよそ通常の経営判断とは言えません。工藤壽樹函館市長は、「最短23キロの函館市に同意もなく大変危険なものをつくるのは本当に腹立たしい。改めて函館で説明会を開いた上でやり直すべき」「遺憾なんてものではなくとんでもない話。全く福島原発の教訓も踏まえてない」と発言しています。函館市の公式ウェブサイトには、大間原発の無期限凍結を求める特設ページも作られています。
大間原発で使われるMOX燃料は、プルトニウム消費のつじつま合わせで、燃料自体、経済性を全く度外視したものです。使用済み燃料を再処理してプルトニウムを取り出し、さらにMOX燃料に加工する費用は莫大で、六ヶ所村の再処理工場の場合では、使用済み燃料32,000トンを再処理するのに11兆円かかる計算です。MOX燃料を加工するのにさらに1兆1,900億円かかり、あわせて12兆円以上かけて作られるMOX燃料は、ウラン換算では、なんと9,000億円程度にしかなりません。11兆円以上を無駄にしても経営に困らないのは、電気料金に上乗せされる仕組みがまだ生きているからです。
核燃料サイクルについて国会で議論を
これまで、原子力政策大綱策定など、原子力政策の基本方針を定めてきた原子力委員会が、その役目を終え、革新的エネルギー・環境戦略を作った「エネルギー・環境会議」がその役割を負おうとしています。原子力委員会は、秘密会合問題で完全に信頼を失ったのですから当然ともいえますが、核燃料サイクルをこのような腰砕けになった新戦略のもとで決められるのでしょうか。エネルギー・環境会議自体、政策議論の過程では、原発ゼロの場合は再処理を継続しないことを明言していたのに、どの過程かわからない秘密会合めいたところで、再処理継続を決めてしまいました。
すでに完全に破たんしている事業である、核燃料サイクルをどうするか、国会できちんと議論すべきです。
参考になる判断は、すでに原子力規制委員会からも出されています。これまで、再処理工場に送るしかないとされていた使用済み核燃料について、田中俊一委員長は、危険性の明白なプール貯蔵ではなく、乾式貯蔵に移行するように繰り返し発言しています。原子力規制委員の人事のみが話題になっていますが、再処理方針から政策転換をさせるなど、委員会本来の役目を果たしてもらうことも重要です。
6月20日に成立した原子力規制委員会設置法に「我が国の安全保障に資する」との文言が入り、同法の附則で原子力基本法第2条にも同じ文言が加えられました。これが、核武装への準備ではないかとの疑念が国内外で表明されました。背景には、日本が使用済み燃料の再処理によって核兵器5,500発分以上ものプルトニウムを溜め込み、なお六ヶ所再処理工場を動かそうとしていることがあります。しかし、「安全保障」の文言挿入だけで核武装はできません。基本法第2条の「原子力利用は、平和の目的に限り」は、そのまま残っていますし、核不拡散条約(NPT)もあります。
では、なぜこの文言は挿入されたのでしょうか?原案を作成した自民党「プロジェクトチーム」(PT)の塩崎恭久座長の説明や法案の経緯などを見ると、米「原子力規制委員会」(NRC)の役割の一つである「核セキュリティー(核物質防護・警備)」の訳語が「我が国の安全保障」になってしまったということのようです。
文言挿入の経緯とセキュリティーの訳語の混乱
1月31日に閣議決定された政府案が、環境省に原子力規制庁を設置する案であったのに対し、自民党は、規制機関の独立性を高めるべきだと主張し、その趣旨の法案を公明党とともに4月20日に衆議院に提出しました。最終的には、この自公案を軸に調整されたものが、6月15日に衆議院に提出されて同日通過、そして、20日に参議院通過となりました。一般の印象とは異なり、「安全保障」の文言は「こっそり」入れられたのではなく、4月20日提出の自公案にあったものです。
鍵は、文言の起源と、その用語の訳し方にあります。自民党PTの塩崎座長は、同党機関紙(5月1・8日号)掲載のインタビューで、新しい規制機関に一元性を持たせることの重要性を強調し、手本としてNRCに言及しています。自身のサイトにあるさまざまな文書でも、NRCが安全性に加えて、核セキュリティーと保障措置を担当していることに触れています。また、共同通信の太田昌克編集委員によると、塩崎議員から今回の規制庁、規制委員会のモデルは、NRCだと指摘された」(『世界』8月号)ということです。
NRCの文書では、セキュリティーは、「防衛及び安全保障」と「核物質及び核施設防護・警備」という二つの文脈で登場します。「安全保障」の方は、原子力法(1946年及び1954年)にあり、核兵器を開発して、原子エネルギーを国家防衛のために使うという意味でした。その後、1975年に、原子力の推進と規制を切り離す目的で「原子力委員会(AEC)」が解体され、民生用の原子力利用の規制をNRCが、軍事及び民生利用の両方の推進をエネルギー省が、それぞれ担当することになった際に、「防衛及び安全保障」という言葉がNRCの文書に残ったのです。
ピーター・ブラッドフォード元NRC委員は「核情報」に次のように答えています。これは「AECが廃止された際に、単純にそのまま受け継がれたということだ。この分野におけるNRCの責任としては、輸出の許可(核不拡散の基準の適用)、そして、核施設がテロリズムや破壊行為から守られていることを保証することなどが含まれる」。塩崎議員が言及しているのは「安全保障」ではなく、この「核セキュリティー」の方です。文言もそう改めるべきです。
出典:核分裂性物質国際パネル(IPFM)2011年報告
核セキュリティー強化の一歩は再処理中止から
ここで留意すべきは、米国は民生用の再処理をしていないという事実です。軍事用のプルトニウム及び核兵器の警備は、エネルギー省と国防省の管轄です。日本の原子力規制委員会は、両省が扱っているのと同じ核 物質の警備体制にも責任を負うということです。
日本では、原子力発電所はもちろん、核兵器利用可能物質プルトニウムを保管する東海村や六ヶ所村の施設でさえ、米国の原子力発電所程度の警備体制もありません。日本にとってセキュリティー強化の第一歩は、不必要で危険なプルトニウムを使用済み燃料から分離する六ヶ所再処理工場の運転を許可しないことです。
核セキュリティー・サミットに出席するためにソウルを訪れたオバマ大統領は、3月26日の講演で、「分離済みプルトニウムのような我々がテロリストの手に渡らぬようにしようと試みているまさにその物質を大量に増やし続けることは、絶対にしてはならない」と述べています。核セキュリティーのために再処理中止をとの訴えです。(田窪雅文:ウェブサイト核情報主宰)
大間原発訴訟の会 大場 一雄
一方的な通告による工事再開
2012年10月1日、電源開発(株)の一方的な通告によって大間原発建設工事(青森県大間町)が再開されました。「3.11フクシマ」以降、建設工事は進捗率37.6%で「休止」していましたが、9月15日、「革新的エネルギー・環境戦略」の説明に青森県を訪れた枝野経済産業大臣の「再開容認」発言を受けて、電源開発(株)が9月28日に工事再開の方針を示していたものです。同じ28日は、「大間原発訴訟」の第7回口頭弁論が函館地裁で開かれており、福島県から函館に避難している原告が自らの体験を意見陳述していました。
用意周到な電源開発(株)は、6月の株主総会の時点で工事再開のスケジュールを組んでいて、現在その計画を前倒しで行っています。これに対して、9月30日に函館市で行われた「バイバイ大間原発はこだてウォーク」では、工事を再開するなと約330人が声を上げ、デモ行進を行いました。
函館市長も再開を認めないと断言
10月1日、大間町に電源開発(株)の北村雅良社長が訪れて同日の工事再開を報告。社長はこの後、佐井村、風間浦村をまわり夕方には青森県庁で会見を行いました。大間町役場では、工事再開に反対する約10人が横断幕を掲げて抗議しました。同じ通告をするために函館市を訪れた電源開発(株)の渡部肇史常務らには、函館市役所玄関前で約50人の市民が抗議、常務らは帰りには正面玄関に現れず姿を消しました。ただの一度も函館市民に説明をせず工事を再開したことがよほど後ろめたかったのでしょう。この日は、札幌と東京でも抗議が行われました。
工藤壽樹函館市長は、電源開発(株)の通告に対して9項目の疑問や意見を述べ、その回答が曖昧なままでの工事再開は認めないと断言しました。
市長の9項目とは次の通りです。①大間原発は、現在の電力需給と全く関係が無い。②使用済み核燃料の問題であり、核燃サイクルは破たんしている。③函館市は大間原発から30km圏内なのに説明が全く無い。④3.11の「フクシマ」の状況をふまえた手続きが必要。以前の国の許可は信用できない。⑤津軽海峡は国際海峡であり、安全保障上問題がある。⑥地震や津波の恐れがある。大間沖に巨大な活断層の存在が指摘されている。⑦地域防災計画はつくらない。⑧なぜ大間につくるのか。安全なら消費地に。首都圏の火力発電所を原発に転換すればよい。「ご自分たちだけが安全に身を置いて、同意も無く(再開)」とは腹立たしい。⑨函館も風評被害を受けた。原発事故で外国人観光客は激減した。住民は不安だ。進捗率37.6%は新設と同じ。
「我々の世代」が判断し決断を
9項目の疑問や意見を述べた市長は、大間原発建設工事の「無期限凍結」を求めました。なぜ「無期限凍結」なのかというと「原発の新設は、福島原発の大事故を起こした我々世代が判断することではなく、他の安全なエネルギー開発の状況を見ながら、将来世代の判断に委ねるべきだと考えて」(函館市のホームページより)いるからです。
9点は、ほぼ全ての函館市民や道南の住民が抱いている疑問や意見と同様です。違うのは、結論を先送りしようとする市長の考えには賛成できないことです。「我々の世代」が判断し決断すること、後世に憂いを残さないことが大事だと思います。「再処理事業継続」は大間原発でのフルMOX燃料(ウランとプルトニウム混合酸化物)利用が条件であり、「プルトニウム社会」を前提とした政策です。大間原発を認めることは、日本のプルトニウム政策=核武装への道を担保するものであり、断じて許されません。
だまし討ち的に再開された大間原発の工事ですが、これでステージが変わったと考えています。あらゆる手段を用いて、大間原発を止める。なんの躊躇もありません。