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報告 被爆67周年原水禁世界大会・長崎大会が始まる(第1日目)
2012年08月07日
「被爆67周年原水爆禁止世界大会」は8月7日から長崎大会が開かれ、「オスプレイ配備と原発再稼働は許さない!脱原発!脱基地!ナガサキ集会」からスタートしました。福島原発が収束しない中で大飯原発の再稼働が強行され、さらにアメリカの海兵隊が沖縄・普天間基地に危険なオスプレイが配備されようとしていることに反対して、長崎へ原爆が投下された爆心地公園で開催されました。(写真左)
福島県平和フォーラムの五十嵐史郎代表は「福島県の半分以上は放射線管理区域以上に汚染されてしまった。この経験を脱原発運動でいかしてほしい」と訴えました。さらに沖縄からは、屋良チエミ宜野湾市議会議員が駆けつけ「8月5日に予定していたオスプレイ配備反対の県民集会は台風のために延期されたが、沖縄では県民一丸となって反対している」と報告されました。
集まった1200人の参加者は、脱原発と脱基地を一体のものとして取り組みを進めることを確認し、集会後、「すべての原発を廃炉にしろ!」「オスプレイの配備を許さない!」などとシュプレヒコールをしながら、デモ行進を行いました。(写真右)
連合・原水禁・核禁会議主催の「核兵器廃絶2012平和ナガサキ大会」は県立総合体育館を会場に、4500人が参加して開かれました。
開会あいさつに立った川野浩一原水禁議長は「福島原発事故を契機にエネルギー政策をどうするか真剣に考えなければならない。そうした中、政府は、原子力基本法で核兵器開発につながる改訂を行った」と厳しく批判しました。また、連合の南雲弘行事務局長は核廃絶やヒバクシャ援護政策とともに、「中長期的には原発依存を減らし、最終的には原発に依存しない社会をめざす」と述べました。(写真左)
来賓の中村法道長崎県知事、田上富久長崎市長、海外来賓として、国際労働組合総連合(ITUC) のスティーブン・ベネディクト人権・労働組合権局長のあいさつに続いて、被爆者の訴えとして、長崎県被爆者手帳友愛会の中島正徳会長が15歳で被爆した経験を語りました。「当日は工場で軍需品の生産をしていたが、ドーンと強烈な爆風で吹き倒された。自宅は爆心地から700メートルで、母と弟を亡くした」と語り、「体が続く限り、戦争に反対する活動を続けていく」と語りました。
毎年、高校生が国連の欧州本部を訪ね、核廃絶の署名を提出して要請する「高校生平和大使」の今年の代表に16人が選ばれ、大震災で被災した岩手県立釜石高校の菊池のどかさんが「国際的な支援にも感謝しながら、核兵器の廃絶を訴えたい」と決意を述べました。
さらに、歌と被爆体験記などの朗読で物語を構成する「構成詩 親子で綴る平和の願い」が100人の参加者で発表され、盛んな声援を受けました(写真右)。最後に「核兵器廃絶と世界の恒久平和の実現をめざして、2015年のNPT再検討会議へ取り組みを強化する」との平和アピールを確認して大会を終えました。